230話
アレックス達、ドラグ騎士団零番隊が去った後のエルフ族の里は、お祭りの後の町かの如く、非日常から裏返すように日常を取り戻していた。
救出された戦士は既に全員が復帰しており、幸いにも生きて里に戻った戦士は皆、後遺症もなく元の役割に戻る事が出来た。これは当然ながらゆいな隊の治療の賜物であり、危険な状態の者も少なからずいたのだ。だがそれすらも治療してみせた彼らの実力は確かで、森に生える薬草や簡単な回復魔法のみで治療を終えていたエルフだけでは、多くの者が死していた事だろう。
そもそも、ゆいな隊が来なければダンジョンで全滅していたのは前提としてあるが。
そんな命の恩人であるドラグ騎士団に対し、エルフの王が疾く去るように言った。そう噂が広まったのはゆいな隊が里を出てすぐの事だった。
狩りに出ていた戦士などは、まさか早朝から出て行くと思っておらず挨拶をする事すら出来なかった。前夜の宴で次の日に里を出る事は聞いていても、そんなに早い時間だとは思っていなかったのである。
ゆいな隊を見送る事が出来たのは、宴の途中で通常通りに就寝した長や、徹夜のまま見送りに出てきた王子、他にも朝早い民がチラホラ、という程度だった。
これまで長い刻をこの里で過ごしてきたエルフの民は、一度たりとも王へ不信感を抱いた事など無かった。
しかし、ここで初めて王の決定に疑問を抱いた者が頻出したのだ。
民の恩人である彼らに、何故追い出すような事を言ったのか。眼前の脅威が去ればそれで良いのか。
民はよく分かっていた。ダンジョンの危険は取り除かれたのではなく、時間を稼いだに過ぎないという事を。
そして、ダンジョンに入って全滅しかけた戦士を見れば分かる。里で最も強い戦士達が負けた魔物に、ただの民が敵うわけがないという事が。
戦士の表情は生きて戻れたという事実に明るさが戻ってはいたが、世界樹の方角を見て沈んだ表情を浮かべる戦士が幾人もいる事は、民の誰しもが認識していた。
心の折れた、という程ではないにしろ、同じ状況で躊躇いなくダンジョンへ突入すると言われれば全員が尻込みするだろう。
死にかけたという経験が、彼らに一種のトラウマを植え付けているのだ。しかしそれは仕方のない事だろう。
人族の世でも、冒険者や兵士、騎士や傭兵といった戦闘を生業とする職に就く者達の中には、生き死にがかかった場面に遭遇し、それ以降武器を握れなくなる者が一定数存在する。
これは心ある者なら誰でも起こり得る事で、エルフの戦士だけが弱いという話ではない。
王はそれすらも理解していないのか。そう誰かが呟けば、不敬だと知りながらも密かに頷く事で同意する民の姿が、彼方此方で見受けられるのだった。
「お前が、余計な事をしたようだな。」
この世に生を受けて千年以上。古代エルフとしてはまだ若い部類に入る彼が王になったのには、理由があった。
大陸中に存在する他の里にも古代エルフがいるのにも関わらず、彼が王になったのは二百年も前の事である。
当時から他の古代エルフから何かにつけて戯言を吐かれてきた王にとって、信用していた筈の息子が今回行った行為は、己への叛逆にも等しい行動だった。
彼の持つ全ての威厳がそこに集まったかのような威圧を放つ王の視線の先には、恭しい跪礼で頭を下げている王子がいた。
王子は先ほど王の私室に呼び出されたところであり、周囲の見える範囲には誰もいない。だが王子は知っている。
誰も襲ったりしないはずの里で、常に周囲を護衛によって固め、護らせている事を。
今も見えない所に潜んでいるだろうその存在に意識を向けながら、王が放つ威圧感を流している王子。だが話しかけられたのであれば答えない訳にもいかなかった。
「お言葉ですが。ドラグ騎士団を怒らせて何の益があるのでしょうか。これより来たる厄災に備え、彼らの協力を仰ぐのがエルフのためになるのでは?」
王子は生まれてからまだ百年あまり。人族にしてみればよちよち歩きも良いところだろう。そんな子どもに返された言葉に、王の機嫌が更に降下したのが雰囲気だけで伝わってきた。
大して力などないはずの手に強く握られた玉座が、不自然にミシッと音を立てる。
元よりエルフという種族は魔力が多く、また魔力の質も高い傾向にある。エルフの中でその差はあれど、純粋な人族と比べればそのどちらもが圧倒的なのは事実だ。
そのため、彼らは普段から魔法を使い生活をする。息をするように魔法を発動させるエルフ族にとって、いくら世界樹から落ちた枝から作った硬い玉座と言えど、所詮木材であった。魔力を纏った掌で強く握り込めば、軋む音を出すくらいは造作もない。
それでも割れたり折れたりしないのが世界樹なのだが。
王は王子の言葉に対し、数秒の無言と増した威圧感で応える。だがそれでも怯んだ様子のない王子に苛立ちを増した王は、ため息で怒りを吐き出しつつも苛立ちをそのまま乗せた言葉を王子に向けた。
「お前は何も分かっていない。益が無いだと?あるではないか。余所者を追い出せるという最大の益が。エルフ族は古来より他種族との関わりを絶ってきたのは、お前も知っている事実だろう。」
王の最優先事項は里の安寧。これにブレは無かった。だが、その手段が拙いと言っているのにも関わらず通じない事に、王子は歯痒い想いをしていた。
なれば別の視点で説くしかないと考えを変えた王子が口を開くのを、王は黙って促すように視線を向けた。
「では、大迷宮の飽和は如何なさるおつもりですか。ドラグ騎士団の言葉によれば、戦士が壊滅させられたのは浅い領域。それよりも深き場所より出ずる魔物に、敵わないと考えるのは子どもでも出来る事ではありませんか。」
ドラグ騎士団を追い出して、その後は誰が護るのか。それを問うた王子だったが、彼の予想に反して王の反応からは何の焦りも感じられなかった。
王がその答えを口に出すまでの数秒、王子は己の父親である王に、確かに希望を持っていた。ここまでハッキリとドラグ騎士団を追い出すのだから、何か解決策があるのだろう。もしや、王として前線に立つとでも言うのだろうか、と。
「あれが飽和するのに何年かの時があるとも言っていただろう。なれば、その間に戦士をより強くすれば良い。王族としてその程度も考え付かぬとは、お前の教育を間違ったやもしれんな。お前の教育係は里に戻す。新たな教育係を選別する間、お前は部屋で謹慎だ。」
だが。結果的に王子の希望は打ち砕かれる事になる。そして同時に、王子の胸にとある決意が生まれたのである。
「だーんちょ!今いい?」
ヴェルムが菜園横のガゼボで茶を楽しんでいると、そこに乱入する者がいた。ガゼボの柱に手をつき、半身を飛び出させた形で問いかけるのは、三番隊隊長のリクだった。
彼女は今日も隊服をきちんと着こなし、薄緑の癖っ毛を頭の上部で束ねる藍色の組紐がその存在を主張している。
「あぁ、構わないよ。何か報告かな。」
「うん!そーなの!」
ヴェルムが穏やかな笑顔で優しく許可を出せば、柱の影から全身を現したリクも喜色満面の笑顔で一つ空いた席に飛び乗る。その直前に音もなくスッと椅子を引いて彼女が座りやすく調えたアイルは、リクが椅子に座ると同時に片手に持っていたココアをリクの前に置いた。
その気配を隠しもせずに近づいて来ていたリクがここに来ると予想して、先にココアを作っていたようだ。
その温度は猫舌のリクにも丁度良い温度に冷まされており、ココアの旨みを楽しめる温度でありながら猫舌にも優しい絶妙な調節が成されている。
「あっくん、ありがとっ!」
アイルの事を何故かあっくん、あーくん、アイくん等とコロコロ変えて呼ぶリクだが、今はあっくんに落ち着いているらしい。笑顔のまま礼を言ったリクに軽く頭を下げたアイルは、いつもと変わらぬ無表情のままではあるものの、リクはそれを気にした様子もない。
それからリクは近くに立っていたセトへ手を振り、セトから会釈が返されると、今度はヴェルムの斜め前に座っていた二人に笑顔を向けた。
「アレっくんとゆーちゃん!二人ともごきげんよう!」
ヴェルムの茶会を楽しんでいたのは、アレックスとゆいなの二人だ。その後ろにはゆいな隊の大隊長が立っており、生真面目な性格である彼は椅子を勧められて固辞したのだろう。真っ直ぐに伸びた姿勢でリクへと黙礼を送っている。
そんな大隊長にも元気よく挨拶したリクが二人を見れば、アレックスとゆいなも笑顔でリクへ挨拶を返した。
「リクはいつも元気だな。こっちまで元気が出てくるぜ?ありがとよ。」
「そうだな。同じ諜報部隊だが、三番隊の雰囲気はリクあってのものだろう。こういう形も有りなのだといつも学ばせてもらっている。」
二人が口々にそう言えば、リクは照れたようにはにかんだ。常に上を目指し続けるドラグ騎士団にとって、零番隊、そして精鋭は彼らの憧れだ。そんな二人から褒められれば、リクとて嬉しさが顔に出るくらいには喜べる事だった。
「えへへ、ありがと。私もいつか二人みたいに凄い零番隊になるんだっ!」
幼い容姿の彼女からこう言われ、頬を緩ませるアレックス。普段から表情をあまり動かさないゆいなも、リクの様子に頬を緩ませた。
そんな長閑な時間が流れるガゼボではあったが、急にリクが何か思い出したようにハッとなりヴェルムを見る。
どうやらここに来た理由を思い出したようだ。
「そうだ、報告ほうこく…。団長、先ほど西の国方面より知らせがありました。」
目的を思い出してしまえば切り替えの早いリク。口調を改めて直ぐに報告を始めようとする彼女だったが、それに待ったをかけたのは他でもない、報告を受けるヴェルム本人だった。
彼女の報告を手だけで止め、そのままその手でリクの前を示す。そこには、先ほどアイルが置いたリク専用のウサギが描かれたマグカップがあった。中からは湯気が立ち上り、ココアの甘い匂いが漂っている。
まずはそれでも飲んで落ち着きなさい。そう言われているような気がしたリクは、報告を止められてキョトンとした顔を破顔させて大事そうに両手でマグカップを握りしめるのだった。
それから数秒。この場の全員が黙って己の前にあるそれぞれの飲み物を飲む。そして同時にテーブルへカップが置かれれば、そこでやっと報告が始められるのだった。
「なるほど。エルフの里での問題が外に漏れた可能性は?」
真面目な表情を浮かべたヴェルムが、報告を終えたリクに問う。その質問を予想していたリクはスラスラと答え始めた。
「有りません。里、及び世界樹の場所は大森林のグラナルド側に存在します。西の国側から大森林へ入った者はおりません。これは大森林から西の国へ抜けた者もおりませんので、確実と言って差し支えありません。」
リクの真面目な様子を見たことのなかったアレックスは、この場で一人その変わり様に驚いている。持ち上げたカップを宙で留め、整った顔を驚きに固めていた。
隣のゆいなが肘で軽く突いても戻らない辺り、余程驚いたのだろう。
確かに、常に天真爛漫な姿しか見ていなければこうなるのも仕方ない。アレックスは感情表現豊かな部類なのだ。
「うーん。なら、やっぱりこの件は人為的だって事かな。偶然起こった事とは言え、元はヒトによって引き起こされた事のようだね。」
ヴェルムがさらりと言った言葉に反応したのは、隣のアレックスを肘で突いていたゆいなだった。
彼女は報告を途中で止める事を謝りながらも、どうしても気になった部分をヴェルムに問う。
「失礼、団長。まさか、それは…。世界樹の根本に発生したダンジョンが、人為的なものだったという事ですか?」
「そう。私はそう予想している。リクの報告の通り、西の国の公爵家が極秘に偽装した兵をこちらに送っている。彼らはグラナルドで起こったであろう問題を確認する為に来たのだろう。となれば、何故グラナルドで問題が起こったと予想できたのか、となる。」
あまりにあっさりと頷かれ、リクの報告も併せてその理由を語るヴェルム。一体、ヴェルムの眼はどこまで見えているのか。ゆいながそう思うのも無理はなかった。
「竜脈、ですか。」
アレックスと違う理由で驚くゆいなの耳に、リクの静かな声が届く。釣られるようにそちらを見れば、いつもの明るい笑顔ではなく淑女然とした真剣な表情で呟くリクが視界に入る。
その隅には、リクの言葉に頷くヴェルムが映っていた。
「そう。地竜の時と同じだね。グラナルドに少ないとは言え、暗殺ギルドは大陸中に存在する。私たちの調査から逃れた情報があったか、既に暗殺ギルドからは手が離れていたか。情報源が暗殺ギルドかどうかも分からないけど、その可能性も含めて再調査の必要があるね。」
ヴェルムはそこまで言って言葉を切ると、既に冷えた紅茶を飲み干した。中身の無くなったカップを自身の正面ではなく少し左に置くと、それをお代わりの合図だと認識したアイルが淹れたての同じ紅茶を注ぎ直す。
それに笑顔で礼を言ったヴェルムは、アレックス、ゆいな、大隊長、そしてリクを順番に見てから真剣な表情に戻して言った。
「今回の件は、偶然によるものが大きい。でも、元を辿れば人為的なものであるのは間違いないだろうね。これよりドラグ騎士団は、西の国の公爵家の調査を開始する。大規模なダンジョンを発生させる程の魔道具が何処かにあるはずだ。そしてそれは、竜脈の上にある。大森林から公爵領までの間に走る竜脈上の全てを調べよう。これはゆいな隊に任せても良いかい?そしてリク達三番隊には、その魔道具によって影響が出ていないか、その竜脈の延長線上を調査してほしい。これは五隊で協力してもらう事にするよ。指揮官はリク、君に任せる。」
このヴェルムの言葉で、驚いたままだった零番隊二人と大隊長、そしてリクは同時に敬礼を返した。
この事件、まだ終わりそうにないようだ。
お読みいただきありがとう御座います。山﨑です。
本日より新年度。多くの方が新しい生活になるのではないでしょうか。
出会いと別れの春。読者の皆様はどんな春を過ごして来たのでしょう。山﨑にとって春は、芽吹の春であると同時に新たな自身への切り替えの季節で御座います。
仕事に関しても、春は様々に切り替わりがあり落ち着くまでは周囲に振り回される日々になります。それでも、冬に耐え花開く木々や花々のように、精進しながらも日々を過ごせればと存じます。
また、花粉、黄砂、その他諸々で体調に影響の出やすい季節。皆様もどうか体調を崩す事の無きよう、お心掛けくださいませ。
本作品が、読者の皆様の日常の一つの華となりますよう。山﨑




