229話
エルフの里から引き上げてきたアレックスとゆいな隊は、ドラグ騎士団本部に戻るとすぐに待機となった。
だがこれは部隊員のみであり、中隊長や小隊長などの班長を務めた者は報告書を提出するという仕事がある。
だがそれも核破壊班以外は待ちの時間を使ってエルフの里にいた段階で殆どを済ませており、後は核破壊班の報告書と併せて団長に提出するのみとなっていた。
それでも彼らが休暇に入れないのは、今回の任務終了の理由からだった。
エルフの王族同士による意見の相違。これによって任務終了が不穏なものとなったのは事実だ。
彼らゆいな隊が撤収した前夜。エルフの王子によって民達と共に救援に対する感謝を込めた細やかな宴が催され、ゆいな隊はエルフのもてなしを受けた。
森の恵みをふんだんに使用した料理が並び、月光草と篝火による幻想的な光も再度演出された宴は、彼らの心からの感謝とゆいな隊の強さへの憧憬が込められていた。
エルフ族は肉を食べないという事はないが、魚は川魚のみである。そのため海の幸が大好物である猫人族の部隊員は最初、ガッカリした様子を見せた。だが、焚き火の炎に程よい距離で接した川魚の串焼きを一口食べれば、目を輝かせて何尾も平らげてしまう程には気に入っていたようだ。
他にも、回復したエルフの戦士が森で獲った野生動物の肉であったり、森に四季折々で実る木の実や果物。果てはエルフ族が栽培している野菜などが数多振る舞われ、自然の恵みを全面に押し出したエルフらしい宴となったのである。
ドワーフ族が特に気に入ったのは、芋類から作られる酒である。ドワーフ族は甘い酒を好む者が少なく、酒精の強い物を好む傾向にある。そんなドワーフ族が気に入る程の酒精を持つエルフの酒は、その味と香りでもって彼らを瞬きの間に虜にしたのだった。
鍛治を生業とする者が多いドワーフ族とエルフ族は昔から犬猿の仲である。それはエルフが大事にする自然を、ドワーフは鍛治の為に燃やすからだ。
だがそんな種族同士相容れぬ関係も、この酒の良さについて語り合う二つの種族には何の障害にもなり得なかった。
ついにはドワーフ達が己の自慢する酒を持ち出し、外との交流が薄いエルフ達に振る舞いだす。それに興味津々で口をつけたエルフの中には、そのあまりに強い酒精に目から星が飛び散るのではないかと錯覚する程の衝撃を受けた者もいた。
それすらも共に笑いながら見て、次々と挑戦するエルフ達に酒を注ぎ友誼を深めたドワーフ達。次第にドワーフ族以外の酒豪部隊員達が参戦し始め、その一画は飲み比べや大陸中の酒の品評会となっていった。
反対に、規模こそ小さいが長年行われている養蜂によって生み出された蜂蜜酒は、ゆいな隊の主に女性陣に好評だった。
酒豪達が強い酒に流れる中、甘い酒に合う摘みなどを提供した部隊員の周囲には、他の部隊員やエルフの女性たちが集まった。
女性が三人集まれば姦しい、などと言う事もあるが、三人どころではないその集団は、男の愚痴という名の日々の鬱憤発散の場と成り代わる。
酒の入った井戸端会議、といった風でもあるそれが盛り上がる原因は、実は蜂蜜酒がそこそこ酒精の強い酒だからというのもあるのだろう。
そんな酒好き達とは別に、ただ只管に食事をする集団もいた。主に獣人族の部隊員たちである。
加え、エルフ族が給したのは酒だけでは無い。果実を絞ったジュースも多くあった。それが気に入ったのか、飲み比べと言うには些か飲み過ぎな程にカッパカッパと木のコップを傾ける部隊員がいれば、冬の間に収穫された林檎のジュースを何杯もの木のコップに注ぎ、複数確保してから食事と共に飲み進める者もいた。
ドラグ騎士団では野外で宴をする事が多い。それはあまりに多い団員が皆で楽しもうとすれば野外以外に場所が無いためである。
そのため彼らは野外での宴に慣れており、更に毎回好きな食べ物飲み物が出るとは限らないため、各々好きな物をマジックバッグに詰め込んでいる。
そうなると必然的に、エルフから提供された食事や飲み物の礼に己のお気に入りを差し出す者が増える。そうしてエルフが準備した食糧の何倍もの量に膨れ上がった大宴会は、急な事件で混乱し疲れたエルフ達をも癒す場に変わっていった。
そんなもてなしを受けたゆいな隊だが、エルフ族で方針が決まるまで里に駐留する訳にもいかず。翌日の朝里を出たゆいな隊は、本日午前に本部へ帰還したのだった。
それから数時間後。もうすぐ昼食時、となった頃にアレックスとゆいなは報告書を持って団長室を訪れていた。
「まずはお疲れさま。エルフの里はどうだった?あのツリーハウスは数が増えていただろうか。今の長はあの頃長老をしていた者だそうだね。今もセトのように人を揶揄ってばかりの厄介爺さんだったかい?」
二人を出迎えたヴェルムが報告書を受け取ると、ソファを座るよう促した後それを読みながら二人に声をかけた。
アレックスはその言葉に苦笑しながらも、数日前に長と交わした最後の言葉を思い返していた。
"あなた方の団長様は、きっと私を揶揄い上手の爺だと仰るでしょう。えぇ、今も変わらぬ元気な爺ですぞとお伝えくだされ。我が同胞よ。"
長の言う揶揄うという場面を見たことがないアレックスだったが、二百年も昔にヴェルムが訪れたという時の話なのだろうと勝手に納得した。だが、同時に疑問も生まれたのだ。
一つは、エルフ族の寿命について。エルフ族は生涯のほとんどを肉体的最盛期で過ごす。しかし寿命が近づくと老い始め、やがて人族と変わらぬ老いた姿で死ぬ。
だが長は二百年前に会ったというヴェルムに対し、変わらぬ"爺"であると伝えるよう告げたのだ。
エルフ族が年老いた姿で過ごすのは百年くらいのものであり、二百年もその姿である事は難しいだろう。二百年前に老い始めたというのなら兎も角、当時から爺であるなら尚更である。
もう一つは、アレックスを同胞と呼んだ事だ。これは救援や宴を通して同胞と同じように扱うという意味かと解釈していたのだが、ここに来て急に何かが違うと感じた。
それはアレックスの中で僅かな違和感として、喉に刺さった小骨のように不快感を齎す。
ヴェルムへと返事を返さないアレックスを疑問に思ったのか、ゆいなは不思議そうな様子で横目で彼を見た。その動きでやっと我に返ったアレックスは、その違和感を解消すべく、報告書へと視線を向けたままのヴェルムを見て問うた。
ここで分からない事は素直に聞く事が出来る辺り、彼の王族らしからぬ性分を感じさせる。だが、それこそが彼を彼たらしめる所以なのかもしれない。
「なぁ、ヴェルム。あのエルフ族の里長は何モンだ?」
ヴェルムはやっと反応があった事に驚くでもなく、変わらず報告書へと目を向けたままフッと笑った。それは問題の解けぬ学生に向けるようであり、子どもの幼いが故の失敗を見守るようでもあった。
問うたにも関わらず返答の来ない事に、これは己へと出された問題なのだと判断したアレックスは、長とアレックスの会話を聞いていないため状況が掴めないゆいなをそのままに、首を傾げ腕を組んで考える。
だが元より直感で理解できない事は深く思考しないアレックスは、すぐに根を上げて降参の意を表した。
アレックスが諦めたようにソファの背もたれに背を投げ出す様を気配と音で感じたヴェルムは、苦笑いしながらもヒントを出すかのようにゆいなを見た。
それに釣られたアレックスがゆいなを見れば、そこには我関せずとばかりにアイルの出した緑茶を飲みホッと一息吐いているゆいながいた。
「…何だ?どうして私を見る。今のはアレックスに出された問題だろう。私はアレックスと長殿が交わした会話を知らぬ。」
二人から視線を向けられたゆいなが湯呑みを隠すように抱え込み言い放てば、アレックスはその事に思いもよらなかったかの如く納得した表情で説明を始めるのだった。
「…なるほど。二百年変わらぬ姿と、同胞、か…。その情報で私が思い描くのは、一つしかないのだが?」
説明を聞いたゆいながそう言えば、これだけで分かったのかと驚くアレックスと、正解を導き出した教え子を褒めるような視線を向けるヴェルムとの反応に分かれた。
「分かったのか!?頼む、教えてくれ!」
両の掌を合わせて頭を下げ、隣に座るゆいなに頼み込むアレックス。そこにはドラグ騎士団の最強部隊、精鋭部隊としての矜持など存在しない男がいた。
そんなアレックスに対し、はぁ、と息を吐くゆいな。此度の任務で行動を共にしたことによって、かなり気安い関係になれたのだろう。零番隊ですら憧れる精鋭に対して、この様な態度を取れるようになったのだから。
ため息の後、ヴェルムをチラリと見たゆいな。ヴェルムは報告書に視線を戻していたが、ゆいなが視線を向ければ合わせるように顔を上げ、いつもの穏やかな微笑みで彼女を見た。
それを了承と受け取ったゆいなは、あくまで自分の想像だと前置きしてからアレックスにその予想を話し始めるのだった。
「結論から言えば、あの長殿は団長の血を分け与えられているのだろう。だが私たちと違ってその身に宿す程ではないはずだ。私たちと同じなら、彼からその匂いがしたはずだからな。きっと、私たちのように竜の力は扱えぬのだろう。精々、寿命と魔力が増える程度、ではないか?」
ゆいなはそう言ってヴェルムをもう一度見る。すると満足そうに微笑む団長がゆいなを見返していた。
その表情を見て、ゆいなは無意識に入っていた肩の力を抜く。自分の思いついた事が正解かどうかは分からなかった。だがその表情を見れば正解なのだと誉められているような気持ちにもなる。
ほんの少しの緊張が一気に解けたゆいなは、改めて握りしめたままだった湯呑みを口元へ運び、その中身をコクリと嚥下する。ゆいなにとっては懐かしい、東の国特産のそれは、彼女の上がった心拍を戻すのに効果大だった。
「ゆ、ゆいな、すごいな!そこまで考え付かなかった…!ヴェルム、合ってるのか!?」
ゆいなの予想に大層驚いた様子のアレックスは、興奮をそのままにヴェルムへと問いかける。そちらにも同じく微笑みを向けたヴェルムだったが、それを見て凄い凄いとはしゃぐアレックスへと穏やかな声色で話しかけるのだった。
「彼は二百年前、エルフの里で起こった事件に巻き込まれて瀕死の怪我を負っていた。そこで彼は私に、一つ願い事をしたんだよ。天竜としての私に、ね。その結果、彼は今も生きてエルフの里を見守る長として存在している。彼の生涯は、エルフの里に捧げると誓ったからね。今は、王族や世界樹、エルフに問題が起こった時に私へ知らせる役目を負っている。それで今回の救援要請が来た、という訳なのさ。」
ゆいなの予想に補足する形で紡がれたそれは、アレックスを更なる驚きへ、ゆいなを納得の表情に変えさせた。
今回の任務の裏側を知ったような気持ちになった二人だったが、ヴェルムから出た王族、という言葉に嫌な記憶を思い出させられ、二人同時に顔を顰めた。
それを見て思わずといった様子で笑ったヴェルムだったが、二人にとってはそれどころではない。報告書に記載したとはいえ、これなら口頭で報告せねばならぬと思えば気も重くなるというものだった。
「大丈夫。予想はしていたからね。あの時の王が変わらぬ王のままなら、この報告書にある通りの展開になるのは分かっていた事だよ。君たちには何の責もない。寧ろ、良くやった。話の通じる王子を釣り出せたのだからね。」
そう言って宥めるように笑うヴェルムの笑みが、急に冷たく恐ろしい物に感じた二人だった。




