226話
グラナルド王国内に存在するエルフの里。その中でも最も大きなこの里には、エルフの王族たるエンシェントエルフがいる。
彼らは古代エルフやハイエルフなどと呼ばれ、自らを森の民と称するエルフたちを統べる貴き存在として君臨してきた。
その歴史は長く、人族が国を創り領地を定める前から彼らの里はそこにあり、大陸の情勢に関わらず彼らの掟やしきたりに従って生きている。
ドラグ騎士団団長ヴェルムがエルフの民との交流を持ったのは、一千年程前が最初だ。その頃は今より里の規模が小さく、ヴェルム自身も人化などしていなかったために里の真ん中に蹲り、王族も地面に腰を降ろして話に華を咲かせた。
当時ヴェルムが彼らエルフ族との交流をした理由については、後に語る事もあるだろう。
そんなエルフ族の王族だが、普段は他のエルフ族と関わりを持たず、身の回りの世話をする選ばれたエルフ族とのみ関わる。それもごく僅かな会話しか行わず、王族が会話をする相手は同じく王族くらいなものである。
酷く閉鎖的な環境にいるのは確かだが、人族の王やその系類も似たようなものである事を考えれば、そもそも閉鎖的なエルフという種族の王族とはそのようなものだと理解頂けるだろう。
しかし、今回の件でエルフの王族はその方向性に疑問を抱く者が出てきてしまった。それはこの里に住むエルフの王の嫡男である、エルフの王子と呼ぶべき存在だった。
彼はエルフ族としてはまだ若い、齢百に満たぬ若輩者である。だが、だからこそその好奇心旺盛な若気の至りによって、偶然にも里に訪れている外部の者に興味が湧いたのだ。
これはある意味偶然で、ある意味必然だったのかもしれない。
その夜、エルフの戦士達を保護したゆいな隊の面々は、残念ながら亡くなっていた戦士達の葬送の儀に参加していた。
エルフが行う葬送の儀は、里の掟に則って民が全員普段とは違う衣装に身を包んで参列する。首から足元まで真っ直ぐに伸びるローブで全身を包み、頭には花の輪飾りを。里の長が亡き者に古代語で鎮魂の言葉を紡ぐ中、一人ずつ歩み出て頭の輪飾りを戦士が眠る棺に納めていく。
外様であるゆいな達は、エルフの民によって配られた一輪の花を民の後に献花する事になる。これには簡単な理由があり、単純な話、この輪飾りはエルフの民が住まうツリーハウスの玄関に飾られている物であるため、ゆいな達が納める事の出来る輪飾りが無い。
この輪飾りはエルフの民に伝わる、魔除けの一種だ。禍いは玄関から訪れるという考えに基づき、魔除けの効果があると信じられている花を使って輪飾りを作り、それを玄関に飾る。
死した者には禍いが集まると考えるエルフは、葬送の儀に参加したエルフの民を護ってきた輪飾りと共に死者を送る事によって正しくあの世へ送られると考えている。
そのような理由から、輪飾りのないゆいな達は輪飾りを構成する花を代わりとして献花する事になったのだ。
何人も同時に亡くなる事など無かったのか、いつもと違う葬送の儀はエルフ達ですら覚束ない。だが亡き同胞を、己らを護って死んでいった戦士達を、見送る気持ちだけは強いようだ。
遺族もそうでない者も、今回助かった戦士の家族たちも葬送の儀には参加していた。
里の広場には篝火が焚かれ、それだけでなくぼんやりと光る花が各所に点在していた。そのおかげもあって夜目の効かない者でも十分に周囲を捉える事が出来る上、仄かな白い光は炎の煌めきと合わさり幻想的な雰囲気を演出している。
そんな景色の中で、献花を終えたゆいなは黙って立ったまま部隊員が一人ずつ献花を終えていくのを見ていた。
だがゆいなに近付く者の気配を感じると、ゆっくりとそちらを振り返るのだった。
「幼馴染がいたよ。昔はあいつの方が強かったんだ。なのに、あの程度の魔物にやられるような実力しか無かったんだね…。」
振り返った先でゆいなに向かって呟いたのは、エルフ族の部隊員だった。彼女はこの里の出身で、他にも数名同郷の者がいるが彼女が一番この任務に積極的だった。
それは、眠るように目を閉じて献花によって花に埋もれつつある、幼馴染の事が気がかりだったのも大きいのだろう。
泣きそうな顔をしたまま呟く彼女は、整った容姿と幻想的な明かりによって今にも消えてしまいそうな雰囲気があった。
そんな彼女に一度ため息を吐いたゆいなは、隊服のポケットからハンカチを取り出し、敢えていつものぶっきらぼうな言い方で言葉を紡ぎながら彼女の胸にそれを押し付けた。
「そうか、お前はこの里の出だったか…。そう言えば、団長が言っていた。葬儀は生者のためにあるのだ、と。」
ゆいなの言葉の真意が読めなかったのか、押し付けられたハンカチを握りしめた手が目的地を見失い彷徨う部隊員。溢れそうで溢れない雫は、未だ居場所を瞼に留めている。瞬きをすれば直ぐにでも落ちそうなそれは、彼女の固い意思によって引き留められているようにも見えた。
「亡者は葬儀など必要としないという考えだ。だが、生者にはそれが必要だ。何故なら、その別れは急に訪れるからな。残される生者の心の整理を済ませるためにあるのが葬儀だと、そう団長は言った。だがな。」
ゆいなはそこで言葉を区切ると、部隊員の目から視線を外して周囲を見る。部隊員がそれに釣られるように周囲を見るが、彼女の視界にはぼんやりと滲んだ光しか映らなかった。
「だが、このエルフの葬送の儀はこれ程までに美しい。見ろ、あの夜光草の淡い光を。篝火の力強い光を。…あぁ、見えんのか。ならば流してしまえ。人はな、その様に我慢して抱え込めば抱え込むほど、今のお前の様に美しい物も見られぬほど視界が霞むんだ。お前は何の為に強くなった?幼馴染を護るためか?違うだろう。お前の友は自身の意志で戦士となり、自身が護りたい者のために散った。残されたお前はどうしたい?このまま何も見えぬその目で世界を見たつもりでいるのか?流せるものは流せ。お前の瞳は曇るためにあるのではない。私たちと共に、世界を澄んだ瞳で見る為にある。そうだろう?」
ゆいなの言いたい事はそれだけではないのだろう。だが、既に決壊してしまった堤防を塞ぐ事の出来ぬ部隊員に、これ以上言っても仕方ないと言葉を飲み込んだ。
ゆいなが押し付けたハンカチを広げて目に当てる部隊員は、これまで我慢していた涙が止めどなく溢れ出している。次第に嗚咽まで含む様になった彼女をそっと見守る他の部隊員達も、沈んだ表情で佇んでいた。
「そうだ。辛い時は吐き出せ。幼き頃にお前と幼馴染がそうであったように、今のお前には私たちがいる。団長が言ったように、この幻想的な光景は生者である私たちの物だ。ならばその涙を出し切り、この光景をしかとその目に刻んでおけ。…それが幼馴染の為になると信じるしかないだろう。団長はそれを含めて、葬儀は生者のためにあると言ったのかもしれないな。」
泣き崩れる部隊員に優しく語りかけるゆいなだが、言い方はいつものぶっきらぼうなままだった。それでも長い付き合いの部隊員達からすれば、この言葉に部隊長の想いが詰まっている事など分かっている。
その気持ちを有難く思うと同時に、不器用な方だな、などと余計な事を考えるのも仕方ないのかもしれない。
「ぶ、ぶたいちょ…。あり、ありがとう…ごじゃい、ます…。うぅ…。」
瞳と鼻から雫が溢れる彼女の声は、震えながらもその心を的確にゆいなに届けた。それにフッと笑ったゆいなは、部隊員から視線を外してもう一度広場の中央に目を向けると、小さく呟くのだった。
「やはり幻想的だな。葬儀とは、かくあるべきだろう。」
その呟きは耳の良い部隊員たちに何の障害もなく届いた。それに返事をする者はいなかったが、ほとんどの者が気持ちを同じくして景色に目を向けた。
「…部隊長ってさ、やっぱロマンチストだよな。」
ゆいなの呟きが聞こえたのだから、この発言が聞こえないはずもなかった。言葉を発して直ぐに、隣にいた部隊員から拳骨をお見舞いされた部隊員は、いでっ!と情けない悲鳴をあげる事になる。
そしてそれを見て笑う他の部隊員たちの表情は、先程までと異なり少し明るくなっていた。




