222話
「なぁ、なんか変じゃねぇか…?」
ダンジョンに突入した小隊の一つが、その一言によって周囲を警戒しながら立ち止まる。これまで地図を作成しながらも突入した時と変わらぬ速度で移動していた彼らは、全員が同じ疑念を抱いたのか立ち止まるなり頷いてその意見に同意した。
ダンジョンはそれぞれによってその特徴を変える物だが、何階層かあるのはどこも変わらない。彼らは登るか降るかするであろう階段を探して移動をしていたが、それもまだ見つかっていなかった。
そして何より、これだけ警戒しながら進んでいるというのに魔物と一度も遭遇していない。その事が彼らを多少なりと混乱させていた。
「魔物も見てないし、エルフの生存者どころか戦闘の形跡すら見てないね。今回のダンジョンは洞窟型みたいだし、アレがいると厄介だなぁ…。」
「ちょっと、言わないで!?ゆいなさんが言ってたけど、東の国には言霊ってのがあるのよ!言ったら本当になるってやつ!」
「お、聞いた事あるぜ。こうなるかも、とか言うと本当にそうなるんだよな。だったらよ、こう言えば良い。なぁに大丈夫さ!アレがこんなとこで出る訳ねぇ!ってな。」
「…それも駄目よ!」
周囲を警戒しながらも言い合いをする小隊員たちに、小隊長は呆れた目を向ける。だが、その目はすぐに鋭いものに変わり、小隊長が声を張り上げる間もなく言い合いをしていた隊員もその空気を変えた。
「総員警戒!三時の方向だ!」
索敵担当の者が叫べば、二小隊で組んだ班全員が進行方向から直角に右を警戒する。この三時の方向というのは、真上から自分たちを見たと仮定して進行方向を十二時、真後ろを六時としている。時計のエト(文字盤)を読むのと同じようにして方角を指す事で、現在どちらの方角を向いているか把握出来ていなくとも直ぐに正確な方向を知る事が出来る。
これは時計を見慣れたドラグ騎士団だからこそ出来る指示であり、右斜め前方、と言うよりは二時の方向と行ったほうが早いのもある。加えて、後方を警戒する者は部隊が立ち止まる時、基本的には後ろを向いている。それで右斜め前と言われては、敵と真逆を見る可能性もある。進行方向さえ分かっていれば直ぐに方向が分かるこの指示は、より端的に分かりやすい指示が勝敗を左右する騎士団にとって大事な合図であった。
そんな彼らの右側の通路から、何かが近づいて来る。それはひどくゆっくりした速度でこちらに接近しており、小型の武器が主装備の者はそれを抜いて警戒して待つ。
だが、索敵担当の者が違う意味で焦った声を発した事から、全員が駆け出すのだった。
「違うっ!エルフの生存者だ!」
そう、ゆっくり近寄って来ていた者の気配は弱々しく、そしてその特徴的な魔力はエルフ族のものであった。
それに気付いた索敵担当が叫び班員が駆け出すと、一呼吸の間に弱ったエルフの元へ辿り着く。視界に入ったエルフは、エルフの戦士が揃いにしている革鎧を血だらけにして弓を杖代わりによろめきながら歩いていた。
時折壁に手をつき息を整える様子は、相当に疲労しているのが分かる。班員がたどり着いた瞬間に警戒して弓を構える事が出来た辺り、まだ意識はしっかりしているようだった。
だが、弦を引くその手は震えており、仮にその手を離して矢を放ったとしても、大した威力は出ず真っ直ぐ飛ぶかも怪しい。
急に現れたのが魔物ではなく亜人種族ばかりである事が分かったからか、震える手を下げながら何か呟いたエルフの戦士はそのまま崩れるように気を失った。
「お、おい!大丈夫か!まだダンジョンだぞ!気を抜くな!」
班員がそう声をかけながら倒れそうな身体を支え、同じく側に寄った治療員が身体の状態を調べるために魔力を当てる。
戦士に酷い傷は無かったが、細かい傷は数え切れない程身体に刻まれていた。そちらの傷は生命に関わる物ではないが、傷が化膿する可能性もあるため浄化の魔法をかけておく。
どう見ても体力の限界である戦士に回復魔法は危ないだろうという治療員の判断で、戦士はそのまま班員が背負う事となった。
「急ぐぞ。この調子なら他にも生存者がいる可能性がある。この者が来た方向に進んでみよう。変わらず警戒は厳に。隊列を組み直せ。」
小隊長の指示ですぐに動く班員達。それは厳しい訓練による成果で、細かい指示など無くとも戦士を背負う班員を囲むように隊列を組み直した。
それが完了した事を先頭の者が把握すれば、全体は直ぐに移動を開始する。生存者がいれば御の字という程度だった希望が、微かとはいえ確かにまだ繋がっている事が彼らを急がせた。
「あまり衝撃の無いように走ってください。意識がないため衝撃が全てこの方に伝わります。体力が既に限界のようですので、戦闘になっても参加せぬよう。」
治療員が戦士を背負う班員に走りながら近付き、ギリギリ聞こえる声量で話しかける。戦士を背負う班員は華奢で折れそうな小枝のような腕をしているエルフ族だったが、その表情はいつもと変わらぬものだった。
何故この班員が背負っているかと言えば、この班員が魔法主体の戦闘を得意とするからである。武器による戦闘が得意ではないため、普段はナイフしか持ち歩いていない。
エルフ族は弓と剣を訓練し、魔法も多彩に使いこなす種族だが、この班員に限って言えば弓や剣の才能は欠片も見受けられなかったのである。
しかしその分魔法の才能が溢れており、全く動く事なく敵を完封出来るほどの大魔法を連続して使用する事が出来る。そのため武器を使う班員の手が塞がらぬようにエルフの班員が戦士を背負う事になったのだ。
「分かっておりますとも。私が避けたりしても駄目なのでしょう?大丈夫。皆が私を、ひいてはこの方を護ってくださいますから。それに、手が使えずとも援護は幾らでも出来ますよ。ご安心を。」
陽を浴びぬ学者のように白い顔で治療員を見た班員は、優しげな表情でそう語る。そこには仲間への確かな信頼があり、それは言葉を返した治療員へも向けられていた。
立場上、一応言っておかねばという気持ちで言っただけの治療員も、分かっているなら良いと言わんばかりに頷いてから隊列に戻る。
「その点は心配しておりませんよ。貴方と背中の方は私達が護りますから。」
呟くように言ったその言葉は、果たして班員に聞こえたのだろうか。穏やかに微笑む班員の表情を見る限り、聞こえたのかもしれなかった。
「リーダー!敵さんだ!二時の方向!」
「よし、突撃陣形!牽制の後に突っ込むぞ!」
「了解っ!牽制でやっちまっても構わんのだろう!?」
「勿論だ!」
ゆいなはドワーフ族を中心とした小隊と支援担当の小隊を混ぜた班で指示を飛ばしていた。こちらは既に何度も戦闘に入っており、これも何度目か数えるのが困難な程頻繁に襲われている。
残念ながら生存者を確認する事は未だ出来ないでいるのだが、これだけの量の魔物がいる場所に生存者がいるとは思えぬ規模の魑魅魍魎が蔓延り、遺品が一つでも見つかれば奇跡だと言えるだろう。
気合十分なやり取りだったが、残念ながら牽制の魔法だけでは一網打尽とはいかず。近接戦闘を得意とするドワーフ達が前に出れば、魔法から逃れた魔物達が前衛に殺到した。
通路の広さがドワーフ三人分程度しか無いため乱戦にはなっていないが、彼らが抜かれればすぐにそうなってしまうだろう。乱戦になれば魔法の援護も一点に絞った攻撃に切り替えねばならず、殲滅速度が遅くなるのは目に見えている。前線の頑張りがダンジョンの探索の成否を決めると言っても過言ではなかった。
「おーおー、威勢が良いのぉ!」
そんな中元気に叫びながら勢いよく大鎚を振るうのは、ドワーフ族の集まる小隊を複数纏める中隊長だ。彼はこの瞬間、昨晩ゆいなを己が班に誘った事が、正に自分の大手柄だと心から思っていた。
それは出現する魔物の一匹一匹が討伐危険度BからAの魔物ばかりな事が理由で、零番隊と言わず五隊であっても単独の撃破が可能なそれだが、その数が尋常ではないとなれば話は変わる。
「部隊長がおると楽で良いのぉ!」
ご機嫌な様子でそう叫ぶ彼は、指揮より敵を殴りたい根からの戦闘好きだ。そのため、前線に出て部下と交代で魔物を蹴散らしていく事の出来る今を存分に楽しんでいた。
「他の任務で優先的に指揮を執らせるから今回は甘えておけ!」
中隊長の言葉に笑っていた班員たちも、ゆいなのその言葉で更に笑いを盛り上げる。彼らの中隊長が手痛いしっぺ返しを喰らったのが、余程面白いらしい。
ゲ…、と苦い顔をした中隊長だったが、笑いながら魔物を駆逐する部下に厳しい視線を向けると、額に筋を浮かべながら大鎚を振って魔物の頭蓋を砕いてからフンと鼻を鳴らした。
「お前ら分かってんのかぁ?俺が指揮ならお前らは前線に出れねぇんだぞ!」
中隊長が怒鳴るようにそう言えば、その言葉の意味を理解した者から順に不満の声が湧き出す。それは次第に大きくなり、不平不満の合唱がダンジョン内に響き渡るのだった。
「やかましい!お前ら全員待機にしてやろうか!」
我慢出来なくなったゆいなが怒声をあげれば、やんややんやと言う声はピタリと止むのだった。
それから数秒、班員が魔物を屠る音と魔物の悲鳴だけが虚しく響く。そして班員達は一斉に声を揃えた。
「後方任務、了解しましたぁ!!!」
なんとも悲しい連携もあったものである。そんな彼らに片手間のように屠られる魔物の心情たるや。




