211話
大陸中央の国グラナルドは、地方によって春の訪れの時期が異なる。そのため雪が溶けた時期に春告祭を行うのは領地毎に日付が異なり、南の国と隣接した領地から順に春告祭を開催する事になる。
春告祭は読んで字の如く、春の訪れを待ち望む民が厳しい冬を越えた事を喜び祝う祭であり、アルカンタで春告祭を行う時には南部領地は既に暖かくなっている。
街には数多の露店が立ち並び、様々な花で飾られた通りは見る者を和ませる。風によって舞う花びら、元気よく客を集める露店の店主。冬の間に作り溜めた刺繍や編み物を売る女性や小遣いを貰って何を買うか悩む子ども。
グラナルドの春告祭は何処に行っても同じように待望の春を喜ぶ民の笑顔で溢れていた。
アルカンタの春告祭は、他の街とは少し様子が異なる。一足早く春告祭を終えた南部領地や、南の国からの商団が多く訪れるためだ。
また、アルカンタに春が訪れる頃には同じく春が到来している東の国からも商隊が来訪しており、これは東の国との同盟が成ったからであろうか。
人々は慣れぬ東の国文化に困惑しながらも、近年多少なりとも東の国料理などの文化が少しずつ入ってきたこともあり、概ね好意的に彼らを受け入れていた。
西の国からも商隊は来ており、アルカンタの通りに露店を構えている。未だ王都は混乱が収まっていないようだが、これは国王を継いだ皇太子の求心力が低迷しているのが原因だろう。また、政治に深く関わっていた天竜教の教皇も同時に姿を消しており、教会が決定していた部分に新しい国王が手を出せないのも混乱の一因となっているようだ。
しかしそんな混乱中の西の国でも、商人というのは逞しいものである。こうしてグラナルドに来ては商売をして、グラナルドの製品を購入し西の国へ持ち帰る。そして平民でも裕福な者や貴族に売り、己の影響力を稼ぐ。
これが続けば、次第に高位貴族の力は弱まり弱小貴族がいつのまにか強大になっているということもあるだろう。
ドラグ騎士団団長ヴェルムはそれを放置する事を決めた。そもそも天竜教なるものが気に食わないという事もあるが、蝙蝠族の襲撃に対して援助したのだからこれ以上は良いだろう、という判断である。
そもそも、契約を交わしたグラナルド以外は特に興味がないのである。国の興りは滅亡までが組であり、グラナルドですらそれは変わらない。未来永劫グラナルドを護るつもりはヴェルムには無く、国王を友人として定めぬ限りは契約の更新を行うつもりはない。
これに関しては歴代国王も認めており、もし国が滅べばそれは子孫のせいであると明言している。
そのようなヴェルムが、隣の大国西の国の衰退を嘆く理由はないのだった。春告祭に西の国から商隊が来る事に対し、ヒトは健気で粘り強い生き物だ、と評価するくらいには気に入っていたが。
そして東の国と同じく、今年が初の参加となる商隊がいた。それはグラナルド南西に位置する小国、通称騎士の国からの商隊だ。
騎士の国と中央の国は国境線を接しておらず、その間には何度もグラナルドに侵攻した小国があった。しかし西の国による猛攻でその小国は滅び、その後西の国の王都が混乱した事で放置され無法地帯となった。南の国がそれを許さず、逆侵攻の形で小国の領地を全て接収。現在は南の国領土となっている。
騎士の国の商隊は、南の国の商団と共にグラナルドを訪れたのである。南の国の唯一の同盟相手である中央の国と通商出来るようになる事は、最終的に南の国とも同盟を結ぶ結果を手繰り寄せるかもしれない。そうなれば騎士の国にとって危険なのは北方の西の国のみ。これまで幾度も攻められ騎士を殺された記憶は新しく、西の国が復興する前にグラナルドか南の国に攻め滅ぼしてほしいというのが本音である。
だが騎士の国の思惑など大国からすれば手に取るように分かるため、南の国はグラナルドとの橋渡しはしても自身が同盟を結ぶつもりは今の所無い。それは、西の国による策で騎士の国も南の国を攻めた事があるためだ。
既に年月は経っているとはいえ、現在南の国でグラナルドとの交流を一手に引き受け成果を出し続けている王女が、その戦いで命を失うところだったのだ。
公式には残せないとはいえ、グラナルドの護国騎士団であるドラグ騎士団の団長が自ら王女を救った。その事実は南の国上層部では常識であり、獣人国からの人気も高い王女を救ったグラナルドがもしも騎士の国と仲良くするなら南の国も多少は融通してやっても良い、という考えがあった。
騎士の国とて過去の過ちは理解しており、原因が西の国にあったとはいえ出兵したのは事実と、南の国の態度を甘んじて受けていた。
南の国としては、寧ろその様な態度が気に入らない。単純でさっぱりとした性格の民が多い南の国からすると、はっきり言えばその態度は軟弱者なのである。仮にも騎士の国と自称するのであれば、もっと尊大なとまではいかずとも堂々としていてほしい。そう思う南の国と過去の過ちを理解している騎士の国の気持ちはすれ違うばかりであった。
話は戻り春告祭だが、騎士の国はグラナルドでの商売を許されるくらいには建国記念祭で交流をする事が出来たため今回の商隊を派遣出来た。
取り扱う商品は、グラナルドでは数少ない海由来の物や、騎士の国らしく武具などである。だが彼らは知らなかった。グラナルド国内に鉱山は複数あり、鍛治師の技術も相応に高い事を。
騎士の国側に国境を越えてまで売りに来る価値がある様な物は無く、寧ろグラナルドの武具を彼らが持ち帰る事で騎士王に献上しようかと悩んだ程だった。
予想が外れた商隊は意気消沈したが、代わりに海の物は喜ばれた。だがこれも思わぬ落とし穴があった。
グラナルドは魔法大国と呼ばれるほど魔法技術が進んだ国だ。それはドラグ騎士団が関係しないとは言えないが、それが無くとも大陸最新技術を生み出すのは常にグラナルドだ。
そんなグラナルドで魔道具が発達し、民にも普及する。グラナルド王家は建国時から民の暮らしを豊かにする事を念頭において政を行ってきた。
逆に騎士の国は魔法を忌諱する国柄であり、魔法は軟弱者が使う物という認識が強い。そのため、民に魔道具など流通しない。
商隊が見たのは、海から遠いアルカンタで海の魚が露店で売られていた事だ。しかも、干物やオイル漬けではない生の魚だ。これはどういう事だと驚き、南の国の商団に問えば。返ってきたのは何を当たり前の事を、という表情だった。
「グラナルドは生簀の魔道具を開発したんだよ。知らなかったのかい?あれは便利だぞ?うちの国でも使ってるし、我が商会でも買わせてもらったよ。無論、高いがね。だがその価格に見合う価値があると私は思うぞ?うちは主に獣人国に生魚を卸してるよ。これが大人気なんだ。」
明るく言う商団長は笑顔であった。グラナルドとの共同戦線である小国郡を滅ぼした戦争以来、南の国と中央の国は同盟を更に強化し、互いにかける関税を殆ど無くした。それによって商団規模の商人たちが自由に行き来し、経済はより発展した。その恩恵を多大に受けている一人がこの商団長だ。彼はよく、中央の国には足を向けて寝られない、などと言っていた。
驚く騎士の国の商隊は、ここにきて今回の商隊が目論見と大きく外れている事を悟る。彼らが運んできた干物やオイル漬けがアルカンタの民に喜ばれたのは、それらが既に民ですら簡単に買えない珍しい物に変わっていたからだったのだ。
店に並ぶのは新鮮な生魚ばかりで、干物やオイル漬けといった保存食は冒険者や傭兵の旅の供として買われるのみ。懐かしい味だと喜ぶ民や、それが好きだった者が購入したのを勘違いしていたようだった。
失意溢れる中、それでも持ってきた物は全て売らねばグラナルドの製品を買う資金すらない商隊は、南の国の商団が貸してくれた通りの一角にある露店で騎士の国産の品を並べるだけの時間が過ぎる。
だがそこに、思わぬ救世主が現れるのだった。
「やぁ、ここは騎士の国の店かい?」
それは見目麗しい男性と、明るい笑顔が人々を惹きつける小柄な少女の二人組だった。
これまで声をかけてきたのは保存食を求める客ばかり。騎士の国から来たと説明せねば聞きもしない彼らは、こちらがそれを説明しても興味を示さなかった。
だが二人組は騎士の国かと聞いた。初めての事に困惑しながらも、商隊長は逃してなるものかとばかりに鍛えられた営業用の笑顔で出迎える。
武具など一度も握った事がないように見える客は、身なりからして裕福にも見える。ならばこの店で買う物などないのでは、と嫌な予感が過ぎるが、それを押し殺して挨拶を返すのだった。
「いらっしゃいませ。おっしゃる通りこちらは騎士の国から来ました商隊で御座います。何かご要望の品は御座いますか?」
商隊長が言えば、見目麗しい男性は長い白銀の髪を風に揺らしながら隣の美少女を見る。するとその美少女は薄緑の瞳を細め、商隊長が耳を塞ぎたくなる事実を笑顔で述べたのだった。
「冬の間ですらある程度生の魚が食べられるアルカンタじゃあ、干物は売れないんじゃない?それに、そこにある武具もグラナルドの技術より劣るみたい。騎士の国から来るなら違う物持ってくれば良いのに…。」
上客かと思った相手はただのクレーマーだった。そう思った商隊長はすぐに笑顔を引っ込める。どう見ても子どもな美少女に言わせっぱなしにする訳にもいかず、保護者であろう隣と男性に目を向ける。
文句の一つでも言おうと思った彼は、それより先に男性が発した言葉でハッと我に返るのだった。
「リク。事実だけ先に述べるのは相手の気分を損ねるだけだと教えただろう?相手を批判するなら、その解決策も準備しなくては。まぁ、今回の解決策は彼らが自分で準備するべきなんだろうけどね。店主、失礼ついでに一つ言っておくよ。騎士の国には海産物がある。それに目をつけたのは良い事だよ。でも、保存食は民に向けた物でしかない。狙うなら貴族や富豪を狙わないとね。確か、べっ甲だったかい?亀の甲羅を使った。他にも、珊瑚を用いた装飾品。これはグラナルドではまだ流通していない貴重品だよ。」
クレーマーかと考えた己の頭を叩きたい衝動に駆られた商隊長。彼らはクレーマーなどではない。我らを救う天竜の遣いに違いないと態度を改めた商隊長は、すぐに礼を言おうと口を開く。
だがまたも先を越されてしまう。今度は先ほど事実を突きつけた美少女だった。
「でも団長、それだと次回にならない?今回は南の国が協力して連れてきてもらってるんでしょ?今回ある程度成功しないと、次回連れてきてもらえないんじゃないかな。少なくとも、この商会は選ばれないと思う。」
これもまた事実だった。見た目の割に突いて欲しくない事実ばかり突いてくる美少女に、商隊長はもう言葉も出ない。彼が唖然とする間に、不思議な二人組の会話は続く。
「そうだね。彼らは自力で来れない限り二度とグラナルドの地を踏む事はないだろうね。でも、それはリクの言う通り成功しなければ、だよ。さて、ではどうすれば良いかな?」
団長と呼ばれた麗人が隣のリクという美少女に問えば、彼女はその整った顔を傾げて頬に指を当てる。悩んでいる姿勢なのか分からないが、どうしても目が離せない魅力があった。
そんな事を考えていた商隊長は、この二人組の正体を高位の傭兵だと予想していた。傭兵は商隊や村落、貴族の護衛などを主な仕事とし、魔物相手の冒険者と違って人を相手に仕事をするという。商隊長も傭兵を雇った事は何度もあり、貴族の護衛をする高位の傭兵は身なりも富豪や貴族と遜色ない物であるという。
であればこの麗人が傭兵団の団長で、隣の美少女は団員もしくは使用人といった所だろうと予想した。
勿論それは大間違いなのだが、そんな事に気付かない彼は己の予想に自信を持っており、まさか外れているなどと思っていない。今は目の前の二人の会話を逃さず聞かねばと耳をそばだてていたため、近くに寄ってきていた知り合いに気付かなかった。
「おや、ヴェルム様とリク様ではありませんか!こんなところでお会いできるとは思いませんでした!こちらの店に用事ですかな?」
あれこれと会話する二人に近付いてきたのは、南の国の商団を代表する商団長だった。彼はここのすぐ近くに露店を複数構えており、その一画を借りているのが商隊長のため近いのも当たり前だ。
商隊長は焦った。このままではこの二人組を南の国の店に取られてしまう。しかも商団長は二人を知っているようだった。連れてきてもらった恩はあれど、客を横取りするなど許せない。そう思いながらも意識して笑顔を貼り付けたままそちらを見れば、彼らは呑気に挨拶など交わしていた。
「やぁ、久しぶりだね。今回は西からの道で来たんだね。通りでいつもより遅い訳だ。今ちょうど騎士の国の商隊と話をしていたところでね。どうだい?君もリクの勉強のために一緒に考えておくれよ。」
勘弁してくれ。商隊長は思った。これまで共に旅をしたというのに、こちらの商品について何もアドバイスしなかった相手なのだ。ここに来てやっとヒントを貰えそうなのに、彼に見られていてはやり辛いではないか。
そう考えるのは仕方ない事だった。しかし彼の感情は置き去りにして、商団長を加えた三人は話を拡げていく。周囲を歩く人々も、見目麗しい二人組が気になるのか集まりつつあった。
「わかった!」
突然、美少女が薄緑の癖っ毛を揺らして手を挙げる。それを穏やかな目で見ていた麗人は、まるで教師のように美少女を手で示し、どうぞ、などと言っている。商団長も笑顔でそれを見ており、授業を見に来た親族のような態度で見守る姿勢である。
「私がこれ全部買う!それで、そのお金で色々仕入れてもらって、次回団長が言ってたやつ持ってきて貰うの!」
この発言に驚いたのは、騎士の国の店側の者だけだった。彼らはこの少女の正体を知らない。店先が気になって出てきていた店員たちも驚いた様子で固まっており、一番最初に復活した商隊長が売る姿勢に入ろうとするがそれより先に麗人が却下を出すのであった。
「それはダメだよ。リクが全部買ってしまったら、他に欲しい人たちが買えないだろう?だからここは、リクが全種類一つずつ買うのが正解だよ。」
麗人に余計な事を言うなと睨みたい気持ちでいっぱいの商隊長だったが、いつの間にかすぐ側まで近付いてきていた南の国の商団長から耳打ちされた言葉がやけに心に残った。
「良かったな。これで全部売れるぞ。」
果たしてそれは全てその言葉の通りになった。
リクが全種類一つずつ買った事で、周囲にいたアルカンタの民がこぞってそれらを購入していったのだ。すぐに干物やオイル漬けが無くなり、後から来た冒険者や傭兵によって武具も全て売れた。
数日滞在の予定で組まれた今回の行商は、開始一日で全ての商品を売り尽くすという大快挙となったのである。
この件に関して、ヴェルムの意見が正しかったと言わざるを得ない。ヴェルムは知っていた。アルカンタにおけるリクの人気を。彼女が立ち寄った店は後に行列が出来る。そして客は必ず聞くのだ。リク様は何を購入しましたか、と。
その特需の恩恵を受けた事のある商人は多い。彼らはリクが街歩きする日を心待ちにしているのだ。
今回もそのリクの影響が大きい。彼女が購入した物を欲しがる民は多い。それによって店の在庫を空にしてしまうのだから、リクの人気の高さが窺えた。
結局、南の国の商団よりも早く売り尽くしたためゆっくり時間が確保できた騎士の国の商隊。彼らはその時間で鍛治師の店を巡り、吟味して国へ持ち帰る品を選ぶ事が出来た。
その武具一式は騎士王へ献上され、その功績により次回のグラナルドへ向けた商隊も同じ商会が務める事になる。
彼らは感謝を忘れなかった。授けられた助言に忠実に従い、海産物による美術品を手に入れてグラナルドへ持ち込んだ。これによりこの商会は南の国の商団を頼らずともグラナルドへ単独で商売出来るルートを開拓する。
だが最初の訪問で世話になった商団長との取引は続け、更に救世主とも言える見目麗しい二人組にはずっと、その時の目玉商品を贈り続けた。




