21話
「なぁ友よ。昨日の返事なのだが。これも一緒にまだしばらく世話になっても良いか。」
長夫婦が食堂に到着し、ヴェルムと執事の言い合いは終了した。そして神妙な顔つきで長に向き直り、ヴェルムが言った。
「もちろんだ!それと、この方は?ヴェルムの執事だろうか。この辺りでは執事は珍しい。どの国で出会ったんだ?」
長は喜び、妻と抱き合いながら喜びを共有する。
この地域は、まだ里が集合しただけの街が最大の規模である。そのため、階級制度も整っておらず、人の世話を本業でする者も滅多にいない。里長の家にはどこも執事のような存在はいるが、今目の前にいる老人はどう見てもその類いではない。なぜなら、里長達よりも上質な服を着ているからだ。
「あぁ、これか。これについては気にしなくていい。口煩いだけの老竜だよ。」
ヴェルムが素気なく言うが、竜であるという事実に長は驚く。
長の妻はある程度予想していたようで、やっぱり、と呟いている。
「これはこれは、名乗りもせずに失礼を。私、闇竜様の世話役を代々務めさせて頂いております、リンドブルムの一族の者で御座います。お好きなようにお呼び頂ければと。」
執事はそう言って頭を下げた。
「リンドブルム…?それって、闇竜の眷属という…?まさか、実在したなんて。」
長が驚きの中、なんとか言葉を口にする。ヴェルムはそれを見て笑う。
「ヒトの世では闇竜という言葉は使わぬのかと思っていた。君たちだけじゃなく、街の者も私を黒竜だと言うではないか。黒みがかった竜は存在するが、完全に黒の竜は闇竜だけだ。てっきり、ヒトの認識では黒竜が闇竜なのだと思っていたぞ。」
「いや、違うんだ。人族の中で黒竜は、闇竜以外の黒い竜たち、つまり闇竜の眷属を指すんだ。つまり、ヴェルムは闇竜で、この執事こそ黒竜…?」
どうやら勘違いをしていたようだ。ヴェルムは長に初めて会った時から黒竜を名乗っていたが、天竜であるとも告げていた。しかし、天竜という意味が長には分かっていなかったようだ。この時代、各属性を司る竜たちの存在は、六属性合わせて神竜と呼ばれていた。よって、本来の意味を知らずに過ごしていたのである。
「なるほどな。天竜というのを知らぬか。それで畏れられても君たちとは友になれなかったかもしれない。知らぬ事がうまく作用したか。」
ヴェルムは笑いながらそう言った。しかし、長はムッとなって反論する。
「違う!仮にヴェルムがその天竜というものだと知っていても、私はヴェルムに名を与えただろうし友にもなった!人の世に正しい知識がない事は残念だが、私はこの国の王となる男だ。この国だけでも正しい知識を受け継いでみせる。だから、君たち竜について教えてくれ。」
最後は国王になる男としての気迫があった。変わらずヴェルムを友と呼ぶ事を宣言し、妻もそれに頷いた。
「我が主人には勿体なき友であられるようで。誠、良い御仁ですな。それと、竜についてですが。属性に応じて頂点の竜が存在します。六頭の頂点の中でも、聖竜と闇竜は天竜と呼ばれ別格なのです。我ら黒竜は、闇の属性を扱う竜。闇竜の眷属に御座います。炎竜の眷属が赤竜であるように、属性ごとに眷属がおります。」
執事からの説明に、夫婦はなるほど、と納得した。
その後も竜についての説明があったが、ヒトの世に伝わるものとは大きく異なる事も多く、夫婦はこれからヒトの世に正しく伝えていくと約束した。
それから朝食を共にし、各々一日の仕事に出る。執事は街を回ると言って出て行った。夜にまた食事を共にする約束である。
長は国王となるべく準備が忙しく、妻は魔法隊の訓練や家の事などで忙しい。ヴェルムは、魔法隊の訓練以外では毎日特に決まった事をしていない。しかし、何かしらで外に出ていた。今日は魔法隊の一人に誘われて、焼き物の窯元に手伝いをしに行った。
「さて、朝の続きを話そうか。ヴェルム、君はまだこの国に居てくれるって事で良いんだよね?」
長が話し合いの音頭を取った。場は食堂、時は夕飯時だ。
ヴェルムは頷き、隣の執事を見てから答えた。
「そうだ。そして、その件についてこちらから提案がある。これからこの国はもっと大きくなっていくのだろう。友にその優しさがある限り、そこに救いを求める民がいる限り。だからこそ先に言っておく。私は攻める戦に協力はしない。しかし、この国を侵そうとする者から、君の家族を、家を護る事になんの異論もない。君は心置きなく民を救ってくると良い。帰ったら土産話でも聞かせてくれれば私は満足だ。勿論、たまに出かけさせてもらうがね。」
ヴェルムの言葉に長は驚いた。この国に残ってくれるだけで嬉しいのに、更に力を貸してくれるとは。
その夜、長は夫婦共々泣いてしまい、まともな話し合いにならなかった。しかし、ヴェルムの表情は温かかった。
「と、まぁこのような経緯があってね。ユリア王女の予想通り、この夫婦は初代国王。つまり建国王だね。最後の執事はセト。セトは建国王から名前を貰ったんだ。竜には個体の名など存在しないからね。不便だからと言って。」
騎士団本部の団長室で、話す間に冷めた紅茶を飲みきり、セトにお代わりを要求しながらヴェルムが言う。
サイは知っている内容だったのか、いつも通り聖母のような笑みを浮かべている。反対に、初めて聞くユリアはまだ固まっていた。
「おや、ドラグ騎士団の団長が、騎士団創設以来変わっていないというのは、街では噂になっていると記憶しておりましたが…?」
揶揄う気満々の表情でセトがユリアに言う。ユリアは慌てて首を振って、すみません!と謝った。
「いや、謝る事ではないんだけどね。まぁその時の契約が今も続いているって訳だね。それでだ。今回は契約が更新出来そうもない。だからどうしようかって話をしようと思ってね。」
ヴェルムが苦笑しつつそう言うと、更新…?と首を傾げるユリア。
契約は代替わりの度に更新される。それは、契約時に決めた事だ。つまり、初代国王とヴェルムの契約である。更新する時は、次代の国王とヴェルムが話し合う事で決める。内容を一緒に更新した事もある。基本は変わらないが、緊急時などの対処については細々と変えた事がある。
しかし、更新の条件だけは変えた事がない。最初の契約時と変わらず、ヴェルムが手を貸したいと思える次期国王ならば契約更新だ。もっと言えば、次期国王がヴェルムの友になっている事である。
そして代々、国王になる時にこの契約を聞かされる。それまで友だと思っていたヴェルムが実は闇竜であること、契約者であること、国が騎士団にお願いしている立場だということを知る。
今も昔も変わらず、国が騎士団に助力を願い出ている立場は変わらない。それが理解出来ぬ次期国王は今までいなかった。
だが、今回はそうはいかないようだ。ヴェルムの契約が終わろうとしている。
それを知ったユリアは慌てた。ユリアは知っていたのだ。ドラグ騎士団がどれ程この国にとって必要かを。ドラグ騎士団無きグラナルド王国など、すぐに滅びてしまうのではないかとも思っている。これでは祖国が滅んでしまう。必死に解決策を考えたが、政治の場に立ったことのないユリアには難しすぎる問題だった。
「失礼します。国王陛下がお見えです。」
ユリアが悩んでいると、団長室の扉がノックされた。そのあと聞こえた声に、ユリアは思考が停止した。
ヴェルムは困った顔で笑い、セトに頷く。セトが扉を開けると、そこには苦い顔をした国王、ゴウルダートが立っていた。
「失礼するぞ。どうせお主は知っておるだろうから説明はせんぞ。とりあえず紅茶をくれ。」
ズカズカと入ってきて紅茶を強請る国王。ソファに座りため息をついてからやっとユリアの存在に気が付いた。
「な、ユリアではないか!元気だったか?何故ここにいる?まさか、離宮に戻りたくなってヴェルムに相談に来たのか?それなら今すぐに…、いや。今はダメだ。ここにいなさい。」
一人で色々と結論付けている国王。ヴェルムはそんな国王を呆れ顔で見ていた。ユリアもこんな国王の姿は見た事がないのだろう。驚いて固まっていた。
「国王陛下、お久しぶりに御座います。あれから処方した薬は毎日飲んでおりますでしょうか。毎日飲まねば予防になりませんから。」
混沌とした雰囲気を打ち壊したのはサイだった。少し前に城に出向き国王に薬を処方していたため、その話で場の空気は元に戻った。サイのほんわかした雰囲気が功を成した形になる。
「あぁ、ブルーム隊長か。その節は世話になった。城の医師達には頼めなんだ。本当に助かっている。ヴェルムがくれた空間魔法付きの包みを、いつも持ち歩いておるよ。こればかりは召使いにやらせる訳にはいかんからな。しかし、この薬も必要となくなりそうだ。世話になっていながら申し訳ない事だが。」
ブルームとは、サイサリスの出身である西の大国の都市、花の街ブルームの事である。サイはそのブルームのに住む領主の家の出だ。数代前の領主の娘である。サイの本名はサイサリス・ブルームである。
国王は草臥れた顔でそう言ってヴェルムを見た。ヴェルムは相変わらず呆れ顔ではあるが、頷いて今後についての話を始めた。
「選択肢はいくつかあるよ。一つはこのまま彼らの思惑通りに進めて、契約は更新しないという事。他には、君が彼らを反逆者として断罪し新たな王太子なりを起てるというのも有りだね。あとは、穏便に退場してもらって、というのも出来なくはない。」
国王は俯いて悩んだ。ユリアはそれを心配そうに見つめ、サイはそんなユリアの肩を抱いていた。
数分、誰もが無言の時間を過ごしていたが、ふと国王が顔を上げた。その表情は、覚悟が決まった男の顔だった。ヴェルムにとっては、懐かしい友の顔とも似たそれがとても嬉しく感じる。
「ユリアを次期国王にしようと思う。いや、この場合女王か。そのために、カルム公爵の悪事の証拠の提出をお願いしたい。我が国の法律では、貴族の犯罪は当主の三親等まで斬首だ。つまり、妃や王太子をはじめ第一王女、第二王子もだ。今まで改心を促して来たが、ここらが限界なのだろう。私も隠居し、ユリアに全て託そうと思う。」
国王がそう言うと、ユリアは更に固まってしまい、ヴェルムは呆れ顔を困り顔へと変えた。
「いや、ゴウルはどうしてそういう発想になるのかな。今まで政治の場にも立ったことのない、伝手も知識もないユリア王女が、どうやったら女王になれるんだい?君の隠居は早すぎるよ。せめて立派な女王にしてから辞めればいい。摂政だろうとなんだろうと出来るのだから。セト、頼むね。」
ヴェルムがそう言うと国王はまだ俯いた。返す言葉もないようだ。指示を受けたセトは、礼をして部屋を出て行った。
「お、お父様?私は女王だなんてそんな。無理です。私は何も出来ません。そもそも、帝王学はともかくとして、政治についての知識が何もないのですから。お父様が普段どんなお仕事をなさっているのかも知りません。そんな私が女王などという立場に就けるとはとても…。」
ユリアが困惑した顔で国王にそう言うが、反論したのは国王ではなかった。
「あら、ユリアには政治について色々と教えたでしょう?隊員と一緒に勉強してるじゃない。あれはユリアが来たから増えた特別授業なの。団長の指示でね。貴女がいつか王となる日が来るだろうから、って。後は実践あるのみってとこまで来てるから、大丈夫よ。」
ユリアにとって衝撃の事実だった。ドラグ騎士団は政治とは無関係だが、騎士団の活動は政治が絡むことが多いため、隊としても知っておくべきだと言われて受けていた講義。まさか、自身のために開かれていたとは思いもしなかった。隊員たちは誰もそんな事言わなかったのだ。皆、新しく増えた講義だが必要な事だと言って真面目に講義を受けていたのだから。
衝撃を受けたのはユリアだけではなかったらしく、国王も驚いてヴェルムを見ていた。そして国王が口を開くよりも早く、ヴェルムが空間魔法から資料を取り出す。
「これ、ユリア王女が受けている講義の資料だよ。この国とって必要な部分は大凡理解出来ていると思う。これで足りない所はそちらで講義してやればいいと思うけど。」
そう言って国王に資料を渡すと、国王は凄いスピードで資料を読み始めた。途中、何個かユリアに質問を投げる。それに淀みなく答えるユリア。全ての資料を読み終わる頃には、国王は感極まった顔をしていた。
「なんだこれは…!この資料、是非くれないか。王族教育に使用したい。それからユリア、お前は何も出来ないと言ったが、そんな事はない。これが理解出来、対処法まで考えられるのなら、歴史に残る名君になれる!保証する。これで憂はなくなった。ユリア、お前を次期女王にしようと思う。どうだ、やってくれないか。」
資料はあげるから、とヴェルムに返され、大事そうに封筒に資料を仕舞う国王。しかしその目はユリアへの期待で輝いていた。
隊長に呼び出されたと思ったら団長が呼んでいると聞き、緊張してこの部屋に来たのはまだ小一時間前のはずだ。それが今、自分は女王にされそうになっている。ユリアには何がなんだか分からなかった。
「すみません、お父様、団長。お話の流れが見えません。そもそも、どうして私が女王になるという話になったのでしょう。お兄様方やお姉様もいらっしゃるのに。」
そこでこの場の全員が気付いた。そういえばユリアに説明していなかった、と。
「あぁ、すまない。説明していなかったね。実はね、今日王太子と近衛騎士団長、そして王妃がね、王に向かって座を退けって申し立てたんだよ。私の騎士団が謀反を企んでる、とか言ってね。ユリア王女を次期女王に推している、とも言っていたかな。まぁ、君がそう望むなら私たちは後押しくらいしてもいい。君が女王にならないのなら、私たちは国を出て行くだけだ。契約が切れるのだから仕方ない。」
ヴェルムの説明に、ユリアは顔を青くした。隣のサイも、ユリアの肩を抱いてはいるが、表情は暗い。
国王は改めて状況を他人の口から聞いて、眉尻を下げた。
ユリアが困惑していると、セトやアイルが利用する隣の部屋、通称控えの間からアイルが姿を現した。
「失礼します。ご依頼のカルム公爵に関する資料が揃いました。」
アイルがそう言うと、待ってましたと言わんばかりにヴェルムが立ち上がる。そのまま、実務机に資料を置いてからざっと精査する。そのあと一度頷き、国王に向き直った。
「ゴウル、カルム公爵を潰すのは実に簡単そうだよ。私が予想したよりも多くの犯罪の記録がある。何より、この国で重罪の人身販売に手を出しているのが頂けないね。これ一つで取り潰せる規模だよ。他にも沢山。興味があるのは、魔石を利用してスタンピードを人為的に引き起こしている事かな。後は横領だったりとか、君に毒を盛っていたりとかそういうのだね。」
今度は国王が固まる番だった。今は親娘で固まっている。
ユリアの隣で聞いていたサイも、あらあら、と眉尻をさげている。のほほんとしていてあまり困ったようには見えないが。
「まさかそのような悪行に手を染めているとはな。すぐに城に戻って会議を開く。ヴェルム、団員を貸してくれぬか。それからユリアもだ。この件を詳しく説明できる者が良い。」
国王が再起動すると、すぐに立ち上がり言った。それにヴェルムも頷いて返し、三番隊から隊員を送る、と言った。
ユリアも慌てて立ち上がり、ヴェルムに礼をした。
「団長、このような事態になっているとは知らず、ご迷惑をおかけしました。私も城に出向き、お父様の手伝いをしたく思います。お許し頂けますでしょうか。」
そう言うユリアの真剣な表情を見て、ヴェルムは微笑んだ。
「いってらっしゃい。政治に飽きたら帰っておいで。いつでも遊びに来ると良い。君ならいつだって歓迎だ。サイも待っているよ。今日は時間の猶予がない。ほら、行きなさい。アイル。」
ヴェルムはアイルを呼ぶ。アイルはヴェルムに目礼しつつ、ユリアの横に立ち、手を差し出した。ユリアは国王に手を出すよう言い、国王とユリアはアイルとそれぞれ手を握る。その瞬間、三人の姿は消えた。
「ふふ、団長はお優しいですね。全てこうなる事が分かった上で講義も指示されておりましたし。先だって国王陛下にお話に行かれたのも、ユリアを教育するためだったのでしょう?本当に、団長はこの国が好きですよね。やはり、特別ですか?」
サイが穏やかに笑いそう言うと、ヴェルムはなんて事のないような顔をして笑った。
「そうだね。私はこの国を愛しているよ。まだこの場所が街と呼ばれた頃からね。私にとっては約束の地なんだよ。私が愛するこの国で、愛する家族と共に過ごせる日々は、今まで生きてきた悠久の時よりも遥かに貴重で、幸せな時間なんだよ。」
ヴェルムの言葉にサイは頷き、幸せそうに笑った。ヴェルムも笑い、二人の間に幸せが溢れていた。そのあとすぐにアイルが戻り、二人の幸せな雰囲気に巻き込まれ、お茶の時間を共に過ごすことに。それからセトも戻り、リクが訪れ賑やかになった。
ヴェルムが得た家族は、笑顔の絶えない日々を作っていた。




