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闇竜と騎士団  作者: 山﨑
207/293

207話

「へぇ、じゃあその娘さんと恋に落ちたって事ですね!あ、でもそれなら義賊はどう関係するんでしょうか…?」


食事を再開した所長が楽しげに所員へ言う。義賊がどう絡むのか気になるようで、卵に包まれたカツを眺めながら考え込んでいる。

しかし分からない物は解明したくなる性分のため、興味津々といった風に所員と鉄斎を交互に見始めた。

それに鉄斎が笑うと、海が遠いアルカンタでは珍しい刺身に山葵を乗せ醤油を付ける。彼の食事は決まって東の国料理と決まっており、東の国からすれば洋食である大陸の料理は滅多に口にしない。

それはドラグ騎士団本部だけであり、任務で諸外国へ赴く際はそちらの食事を摂っているのだから、ここでくらい好きな物が食べたいという彼の偽らざる本音である。


そんな二人の視線に耐えながら己だけグラナルド発祥のパスタを食べる所員は、二人の食事に追いつかんばかりに大きな一口で食事を進めるのだった。


「所長も気付いておるかもしれんが、その女性こそ…」


「…ん、鉄斎さん!これからが彼女との甘い思い出なんですから言っちゃダメですよ!」


すぐに答えを言いそうになる鉄斎に、所員は慌ててパスタを嚥下してその発言を止める。所員の慌て様に、鉄斎は笑い所長は驚く。そんな二人に不貞腐れた様な視線を向けながらも続きを語り始めた所員に、二人はまた静かに食事を進めながら聞く体勢に入るのだった。









裏路地で看板娘と会って以来、二人の距離は急に縮まった様に感じたのは所員の彼だけではない。最早常連の一人と数えられるようになった彼を、女将や他の常連まで温かい目で見守るようになったのだ。

これを機に娘の尻を触ろうとする常連もそれを止め、初見の客が触ろうと動けば常連や女将がそれとなく守るようになっていた。

そんな店全体の協力に、気恥ずかしくもあり温かくもあるような気持ちを抱く彼は、今まで以上に居酒屋へと足を運ぶことになる。

週一だったそれが三日に一度になり、やがてほぼ毎日になった頃。店に来れば閉店までそこで過ごし、娘を家まで送る生活に慣れたと彼が感じ始めた時だった。


いつもと同じく娘の家まで共に歩く彼に、娘が雑談のような形で聞いてきた。


「そういえば先生って、領主様が主導する錬金術研究所の研究員なんですってね。皆んなが先生って言うから、てっきりお医者様かと思ってました。」


そう言われて、そういえば己の職業を伝えた事など無かったと思い出す。だがそれがなんだと言うのだろうかと疑問に思えば、すんなり言葉にしてしまうくらいには二人の心の距離は近付いていた。


「そうだよ。言ってなかったかな。別に隠してるつもりは無かったんだけど…。」


申し訳なさそうな表情で言う彼は、忘れていた恥ずかしさからか頬を人差し指で軽く掻いた。皆が知っているのは彼も把握しており、まさか娘が知らないとは思わなかったのである。

怒っているのかと娘の横顔をコッソリ覗くが、娘は進行方向を真剣に見ており怒った様子はない。だがいつもの明るく輝くような笑顔はそこになく、何か考え込んでいるのは隣の彼にも分かった。

まさか医者ではなく錬金術師だという理由で二人の関係が破綻してしまうのだろうかと焦った彼は、何とか挽回出来ないかと必死に言葉を紡ぐのだった。


「ごめんね、皆んな知ってるから態々口にするのも自慢みたいで変かなと思って。…その、怒ってる?」


悲しいかな今までほとんど女性と関わったことのない彼には、結局直接聞くしか手段を持たなかった。同じ研究員の中には女性関係にダラシない同僚がいる。その同僚を蔑んでいないで、手練手管でも教わっておけば良かったと思っても後の祭り。

彼の頭には、遠い東の国の諺と呼ばれる物が浮かんでいた。"後悔先に立たず"まさに己の事ではないか、と。

錬金術を研究するにあたり、北の国と交流のない国の薬を入手して解析する事も重要な資料集めとして必要になる。そんな中で東の国の書物を手に入れていた彼は、何故か紛れていた錬金術とは関係ない諺が載った書物を愛読していた。

そもそも東の国に錬金術などは存在しておらず、薬術として発展しているためその手の資料を集める事自体が難しかったというのが紛れた理由だろう。


こんな事を考えるのも、隣を歩く娘が返事をせず考え込みながら歩いているからである。一種の現実逃避とも考えられる彼の思考は、娘の家に着くまで続くのだった。




なんとも気不味いように感じる時間が終わり、やがて娘の家が見えてくる。居酒屋からすぐ近くという事もあって、その距離は大した時間をかけずに零となる。

いつもはもっと遠くても良いなどと思うこの距離も、今日だけは何故か有難く感じる彼だった。


「ほら、着いたよ。…どうしたの?まだ怒ってる…?」


家を通り過ぎようとした娘に、彼は娘の肩に手を置いて慌てて話しかけた。それでやっと気が付いた娘は、ハッと我に返ったように顔を上げる。そこで今自分が何処にいるのか把握した娘だったが、すぐに申し訳なさそうな表情で謝るのだった。


「…ごめんなさい!考え事してて先生の事無視するみたいになっちゃって…。今度お詫びします。」


ペコペコと何度も頭を下げる娘に、先ほどまで感じていた不安な気持ちなど何処かへ行ってしまった彼。寧ろ心配する気持ちが溢れ出し、外れてしまった手をもう一度娘の肩に置いて頭を上げさせた。


「いや、大丈夫だから。ね?お詫びなんていらないし、気にすることないよ。」


なるべく優しく見えるよう、細心の気を払って穏やかな笑顔を浮かべてみせる。それは正解だったようで、娘は少し肩の力が抜けたようだった。未だ眉尻を下げ申し訳なさそうにしているが、もう一度大丈夫と呟けば、やっと少し微笑んだ。

肩に手を置いていた関係で、その微笑みを至近距離で見てしまった彼が顔を紅に染める。それが可笑しかったのか娘が少し声を漏らして笑えば、彼も釣られるように笑うのだった。




「あの…先生。先生の研究所で闇属性魔法による精神汚染を治療する薬が研究されているって噂、本当ですか?」


やっと落ち着いた二人が、この日話せなかった分を取り戻すように立ち話をしていると、不意に娘が彼に問いかけた。律儀な彼はそれに疑問を挟む事なく、そんな薬があっただろうかと記憶を辿る。

やっと掠った記憶は、確かにそのような用途の薬があったという事実。

闇属性魔法は精神に関与する魔法が多く、それによって精神汚染された者は聖属性魔法でしか治療は出来ない。それをポーションによって回復が出来るようにならないか、という命題で始まった研究は、彼が招かれる前に中止になっていた筈だった。


「確かにあったらしいけど、今は研究も中止になってるはずだよ。先輩たちの話では、一度薬が出来たけど臨床試験に入る前に中止になったって。どうしてそんな噂が出回ってるのかは知らないけど、街の噂っていうのは凄いんだね。完成していれば商業ギルドで売り出されるだろうし、売られてないって事は完成してないって事だよ。完成前に外に漏らすような情報管理はしてないはずなんだけどなぁ。」


情報管理が甘いと言う彼は気付いていない。彼こそそうして機密を話してしまっている事に。だが彼は良くも悪くも研究者で、軍や機関の人間ではないのだ。

彼が語る情報に、娘は真剣な目をして聞いていた。その瞳が彼には何故か見てはならない何かのように見えたのは一瞬で。勘違いだろうと思った時にはいつもの娘に戻っていた。


「じゃあ、完成はしてないけどその薬はあるって事なんですね。うーん、私も何処で聞いたか覚えてませんけど、街の人たちって噂好きですもんね。先生みたいな研究者がお酒飲んで話しちゃったんでしょうか。」


彼はそれに否定を返さなかった。研究者のほとんどが研究室に籠りきりであり、外で酒を飲む暇があるなら研究する事を選ぶ。例外として先ほど思い浮かべた同僚などがいるが、彼や他の外によく出る者たちは全て、機密情報とは遠い研究をしている。彼が知っているのも極一部の事であり、他に同じような立場の者はいない。

であれば、娘の言うような情報の漏洩はあり得ないのだ。


だが、頭の良い彼にはとある予想が立ってしまう。想像したくないと感情がそれを否定するが、一度思いついた事は消えてくれず、研究者として気になる事は確かめずにいられない性が彼に答えを求めよと囁きかけてくる。

あの日、娘を送った後アパートに戻ると何故か研究所から使いが来ておりすぐ戻った事。そこで知った、己が出かけている間に入ったという義賊を名乗る怪盗。

怪我を負わせる事は出来たが逃げられたと悔し気に語る警備責任者。どこに怪我をさせたのか聞けば、足だと言う警備兵。思わず腰のポーチに手を伸ばした彼は、その時既に気付いていたのだろう。

だがそれを確かめる事ができなかった。居酒屋へ向かう頻度が増えたのは、最初は彼女を見張るためだったはずだ。


忘れようとした考えは、今ここで機密について聞かれた事で確信に変わる。

あぁ、目の前の彼女こそ世を騒がせる怪盗なのだ、と。薬が必要で働いているというのも、居酒屋であれば酒が入って口も軽くなると考えての事かもしれない。もっと言えば、外で食事など滅多にしない研究員から情報を集めるのなら、新人で腕もあり外食もする彼がちょうど良かったのではないか、と。


「先生…?」


暗い感情が彼を支配し始めた時、目の前に立つ娘の心配そうな表情が目に入る。二十センチほどの身長差は近付けば近付く程に目線の高さを変える。今は腕一本分の距離のため、自然と上目遣いになる彼女の瞳を上から覗き込むような形になっていた。

ドクンと鳴る心臓が煩いのは、想像したせいか瞳のせいか。呟くようにもう一度先生と呼ぶ彼女を、彼は気付けば抱きしめていた。


キャッと小さな悲鳴が胸から聞こえ、しかしそれでも彼女は抵抗しなかった。驚きによる声だったのだと安心すると同時に、彼の背中に回された彼女の両手にこの上ない幸せが湧き起こる。一方的な恋慕でない事を確信した彼は、彼女が何者であっても良いではないかと考えを改めた。

利用されていようが構わない。今この瞬間の幸せに身を沈める覚悟で抱きしめた両腕は、その気持ちの強さから女性を抱きしめるには多少強くなってしまう。

うっ、という呻き声が胸から聞こえれば、すぐに力を緩めて視線を下げ彼女を見る。ごめんと声をかければ、彼女は彼の胸に顔をつけたまま首を横に振った。それから彼の真似をするようにギュッと締め付けられたかと思えば、少し潤んだ瞳をこちらに向ける彼女と目が合った。


「先生…。私、幸せだよ。」


力を込めたからか少し上がった息と、幸せそうに笑って上がった紅色に染まった口角。小動物のように潤んだ瞳からは確かに幸せが溢れ出す一歩手前だった。

彼は彼女の背に回していた腕を一つ持ち上げ、彼女の小さな頭に手のひらを乗せた後頬へ沿わせる。それに合わせて目を閉じた彼女の顎は上がっていた。

それに視線を吸い寄せられた彼の顔がゆっくりと彼女の顔に近付いた。


月明かりに照らされた男女の熱い接吻は、まるで世界に二人だけのような気持ちにさせる。同時に雲間に隠れた月明かりは、まるで二人の行いを世界から隠すためのようだった。

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