202話
暗殺ギルドとの戦闘から数日。ドラグ騎士団の作戦によってグラナルド国内に残存する暗殺ギルド支部は残り一つとなり、ギルドの活動規模は更に縮小した。
全てを排除する事すら可能であったのにそれをしなかったのは、偏に大陸の安寧のためであった。
ドラグ騎士団団長のヴェルムは、支部を敢えて一つ残す事で暗殺ギルドの行動を制限しながらも監視する方法を選んだのである。
これにはグラナルド国王も賛同しており、暗殺ギルドの行動を監視する事で貴族の事も一緒に監視しようという魂胆もあるのは否めない。当然ながら暫くはグラナルド以外の国での活動が主になるであろうし、いつかは力を蓄えてグラナルドに進出してくるであろう。それでも見知らぬ組織が生まれて蔓延るより良いという判断もあった。
任務で出ていた五番隊や零番隊も既に戻っており、本部はいつも通りの日常が戻りつつある。だが五隊は変わらず零番隊による特訓を受けており、戦力強化に余念がない。
いつまた竜の力やそれに近い力を持つ敵が現れても良いように、というのが五隊の総意であり、ヴェルムもそれを認めたため継続となっているのだった。
しかし、そんな特訓も今日と明日は五隊全てが休みである。何故なら、竜の血に関する騒動がこれで一段落だからだ。
暗殺ギルドの上層部を捕らえて尋問したところ、薬の在庫は五指と精鋭に渡した分が最後だった。念の為大陸中で現在把握している全ての支部に潜入し調べたが、薬の在庫は無かった。
それどころか、グラナルド以外の国にある支部では薬の存在すら把握していなかったのである。流石にギルドを運営する上層部は把握していたようだが、その詳細はほとんど知らなかったようだ。これは他国にいる上層部の者全ての手紙や報告を調べたため確実だ。
僅か数日でそれを調べ上げた零番隊は、地竜救出も含めて本作戦における最大の功労者であるため、彼らが主役となる宴が今日と明日にかけて行われる。
発案者はヴェルムで、団員は誰一人反対する事なく迅速に宴の準備を進めていた。長年グラナルドを守護している騎士団とはいえ、彼らの本質は明るく騒がしい。宴なら誰の目も憚らず騒ぐ事が出来るため、ドラグ騎士団に宴が嫌いな者はいなかった。
零番隊も含めた本部勤めの団員は、今日という日を楽しみに過ごしてきたのだ。毎年何度かの宴はあるが、こういう突発的な宴も大歓迎なのがドラグ騎士団だった。前回の宴は新年の宴で、もうじき春が訪れるため花見酒も予定されている。
しかしそれまで待つのではなく、あくまで今回の作戦完了を労う宴をしようというヴェルムに団員たちは狂喜乱舞で賛同したのだ。
調理部はこの数日で宴に出す料理を作り溜め、五隊や零番隊は任務と特訓の合間にそれぞれで魔物を狩り食材を集めた。
準騎士はこれまで以上に巡回に力を入れ宴の開催を犯罪によって邪魔されぬようにし、内務官たちは仕事を前倒しにして二日間最低限の人数で業務を行えるように調整した。
制作科も同じく、納品期限などがある製作物は皆で協力し、錬金術研究所も何かあった時のためにポーションを作り溜めた。
ドラグ騎士団全体がこの日のために動き、二日間は全力で楽しむ。これは団員たちの自主的な行動であり、そこにヴェルムの意思は存在しない。騎士団創設時から似たようなものだったため、とっくの昔に注意する事をやめたのだ。一応、無理しない程度に、とは毎回伝えているのだが。
当然団員たちは無理などしない。ここで無理をして折角の宴に参加できないのでは本末転倒だからだ。
呆れたように笑うヴェルムはいつもの事で、宴になると通常の何倍もの速度で業務が進む家族に頼もしさと諦観を胸に抱くのだった。
「新年が明けてからこれまで、怒涛の毎日だったね。今までに無い危機もあったけれど、それでも私たちは勝った。全ては皆のおかげだよ。しかし今回、悔しい想いをした者たちがいる。それでも皆は諦めず上を見続けた。だからこその作戦完了だ。私は確信しているよ。皆と共に更なる上を目指せると。そして、そのために皆がもっと手を取り合えると。さぁ、各々違う場所で戦った戦友と杯を合わせよう。またこうして集えるよう、その時は更に一歩高みに昇った自分を見せられるよう、誓いを込めて杯を合わせよう。私の家族は最高だ!この宴を全力で楽しんでくれ!乾杯っ!」
本部の野外炊事場にヴェルムの声が轟く。決して大きな声ではないそれが全員に聞こえるのは、風属性による魔法の効果だ。
そんなものがなくとも団員たちはヴェルムの声を聞き逃すなどしないが、ヴェルムなりの気遣いである。それを知っている団員たちは、その気遣いに感謝しながらもヴェルムの言葉に耳を澄ます。その言葉が紡がれるにつれ自然と上がる口角を押さえる事もないまま、乾杯の言葉に合わせ全員が腹の底から乾杯を唱和する。
本部中に響き渡る乾杯の声と、そこかしこで鳴り続ける杯を打ち合わせる音の合唱に、中央に立つヴェルムも穏やかに破顔していた。
「なんて心地いい音色だろうね。私は皆の楽しそうな掛け声と、魔を祓うとされるグラスの音がこれ以上なく好きだ。これを聴くと、自然に頬が緩むんだ。ねぇ、セト。」
ヴェルムは斜め後ろに静かに控えるセトに声をかける。セトはそれに返事をするでもなく、ほっほ、と笑うのみ。だが十分に主人の気持ちは理解しており、寧ろ己も同じ想いなのだから良いのだ。そしてそれはヴェルムにも伝わっており、ふふ、と声を漏らすと手に持った杯を口に当て、それを一気に傾ける。
アルコール濃度が高いその酒は、地竜が今回の礼にと持ってきた物だ。入手の経緯は定かではないが、人化出来る程に回復した地竜がヒトの姿になって買ってきた物だ。ヒトの営みに馴染みのない地竜だが、数日この本部で団員と交流してすぐに興味を持ち、ヴェルムから小遣いを貰って出歩いていた。
礼を他人の金で買うのは申し訳ないと言いながらも、街歩きの土産も含めて買ってきたその酒はヴェルムの好みによく合った。元より礼など求めていないヴェルムは、その気持ちこそ有難く受け取って終わりとした。
そんな地竜もこの宴に参加しており、ヴェルムが地竜を助けた時にその場にいた精鋭の細目の男と談笑している。
細目の男は北の国での内乱の際、任務に文句を言った事で周囲から諌められ、自ら厳しい環境に身を置いて鍛え直しをしていた。それが今回の任務で呼び戻され、名誉挽回とばかりに働いたのだ。
地竜を救出した後も、薬の成分を解析するために錬金術研究所に入り浸り、彼の本職である錬金術師としての実力を遺憾無く発揮していた。
彼が精鋭たる理由は、まさにその錬金術にある。所長と並ぶ程の錬金術の実力を持ち、精鋭として世界中を移動する彼は様々な植物や鉱物に精通している。その知識で薬の成分を解析するのに大いに活躍したのだった。
そんな細目の男と地竜のすぐ近くでは、眼帯を着けた大柄の男アレウスが猪口を隣に座る翁と打ち合わせている。アレウスは今回水帝を捕獲するという大戦果を挙げた。水帝の確保によって事態は大きく進展を見せ、暗殺ギルドの暗躍を防ぐ事が出来たのだ。
アレウスは東の国で多用される刀という武器の、更に大きな大太刀と呼ばれる武器を使う。身体の大きなアレウスにとって大太刀が丁度よく、同じく太刀を使う暁の部隊長とは頻繁に手合わせをしている。
隣に座る翁は純粋な魔法使いで、彼が五隊にいた頃は虹の賢者と呼ばれる程の知名度があった。
その由来は、様々な属性を同時に展開する大規模魔法を好んで使った事である。他国からの侵攻に一人で立ち向かい、その全てを極大魔法で殲滅した。目撃したグラナルドの国民から畏怖と尊敬を込めてそう呼ばれた翁は、今でもその魔法を武器に精鋭として活動を続けている。
他の精鋭たちも思い思いに酒を飲み、団員同士で和気藹々と語らっている。そんな精鋭の話を聞きたがる団員たちは彼らを取り囲み、精鋭もそれに応えて任務地での話や団員の知らない昔の話を聞かせていた。
ヴェルム直属である精鋭部隊は、その実力の高さと経験、そして知識を求められて精鋭に入った。必然的にヴェルムとは長い付き合いであり、ドラグ騎士団創設から数十年の間に所属した者が殆どである。
そのため、建国王の孫であるアレックスなどはかなり遅い部類になり、二百年の間他大陸にいたとしても未だ新人扱いを受ける。無論、アレックスよりも後から入った者もいるのだが、彼の性格からして他を立てるため新人扱いを受け入れている節がある。
そんなアレックスが、ヴェルムの前に来たのは宴が始まって一時間ほど経ってからだった。
「よぉ、ヴェルム。飲んでるかい?」
機嫌良さそうに瓢箪を片手に歩いてきたアレックスは、芝生の上に敷かれたヴェルム専用の敷物に靴を脱いで上がる。胡座をかいて座ったアレックスに、ヴェルムの側にいたアイルは摘みのナッツが盛られた皿を寄せる。
アレックスはそれに手を挙げる事で礼をし、持ってきた瓢箪からヴェルムの持つ猪口へ酒を注ぐ。ヴェルムがトクトクと瓢箪が奏でる音に耳を澄ませながらそれを受ければ、透き通った酒が夜空の月を映し出していた。
それはまるで、夜空をこの手に閉じ込めたかのような美しさと虚しさを併せ持ち、猪口を口へ運ぶのを躊躇わせるような急かすような、そんな複雑な気持ちにさせる。
「美味いだろ?源之助と仲良くなってな。元王族としては話の合うとこも多くてよ。あいつから貰ったんだ。純米大吟醸、つったかな?意味は分からないが。」
美味ければ良かろう、の精神で飲んでいるアレックスには、東の国で清酒と呼ばれる酒の種類など調べるつもりはない。だが目の前のヴェルムなら知っているのではないかと淡い期待を持っているのも事実だった。
案の定、ヴェルムはそれを知っていた。源之助に聞かなかったのかい、と呆れつつも説明するヴェルムに、アレックスは満足気な笑みを浮かべるのだった。
「大吟醸というのはね、材料の玄米をどの程度磨いたかが関わるんだ。半分以上磨いたものは大吟醸、六割以下なら吟醸。七割以下なら本醸造だね。」
これは精米歩合と呼ばれる割合なのだが、そこまで説明してもアレックスは興味ないだろうと説明を省くヴェルム。
しかしアレックスは思いの外興味を示し、ヴェルムに続きの説明を求めるのだった。
「磨く?削るって事か?そしたら減っちまうだろ。それに、確か米って外側の方が栄養があるんじゃなかったか?」
アレックスは東の国料理に興味を持って食べ歩いた事がある。そのため東の国独特の主食、米についてもかなり調べていた。
ヴェルムはそれに感心するような目を向け微笑む。褒めるようなその表情に、アレックスは少し照れながらも説明を催促するように視線を返すのだった。
「米には蛋白質や澱粉、脂質が含まれているんだけどね。それらは食事としては大事な栄養だけど、酒にするには雑味の原因になってしまうのさ。だから精米が必須なんだね。」
ヴェルムがそう語れば、アレックスは納得したように頷く。そして他にも気になる事があるのか疑問を口にしようとするが、その前にアレックスの背後から声がかかった。
「純米大吟醸なら、醸造アルコールも使ってないな。私はフルーティな香りを引き立たせる醸造アルコールが入った大吟醸の方が好みだ。」
その声は零番隊亜人部隊の部隊長、ゆいなのものだった。近づいて来ているのは気付いていたため驚きはしないが、純米という言葉にそのような意味があるとは知らなかったアレックスは、へぇ、と猪口の中で揺れる酒を見つめる。
アレックスと同じく靴を脱いで敷物に上がったゆいなは、一升瓶を持っていた。
「これが大吟醸だ。アレックスのそれは東の国本島でも北部の米所で出来たものだ。私のこれも同じ産地だから、飲み比べてみると良い。団長もどうぞ。」
ゆいなはそう言って一升瓶をヴェルムに向けると、すぐにアイルが新しい猪口を差し出す。ヴェルムはそれに礼を言って受け取ると、ゆいなからの酌を受けるのだった。
「うん。美味しい。ゆいなの言う通り、まるで果物のように爽やかで芳醇な香りが鼻に抜けるよ。米、米麹、水というシンプルな素材から生まれるからこそ、朧酒は奥が深い。あぁ、また酒蔵巡りをしたいね。」
朧酒とは東の国で作られる清酒の総称である。一般的には十度から十五度ほどの温度で飲むのが最適とされ、東の国の民はお祝い事などで飲む。
ヴェルムは過去東の国本島を巡った事があり、その際に酒蔵を巡って飲み歩いたのだ。蔵に隣接した販売所で全ての種類の酒を買っていくヴェルムに、製造者は大喜びした。店を出るヴェルムに、心の底からまたのお越しをと言ったのは言うまでもない。
「これは…!どっちも美味いが全然違うな!純米大吟醸は雑味がないし華やかな香りが最高だが、大吟醸は口当たりも良いし二人が言うようにフルーティな香りがする。うーん、こりゃ色々飲み比べないとな…。」
アレックスが朧酒の魅力に惹き込まれているのを見て、ヴェルムは笑いゆいなは呆れたように見る。横で見ているアイルはその理由がわからず首を傾げていた。
そんなアイルに気付いたヴェルムが、こっそりアイルに理由を告げるのだった。
「アイル。アレックスは飲み比べが必要だと言うけどね。そもそも朧酒は大吟醸と純米大吟醸だけじゃない。特定名称酒と呼ばれるそれは、他にも六種類ある。更に言えば酒蔵毎に特色も変わるし、地域によって米の品種も変わる。そうなれば無限に存在するようなものさ。一括りに大吟醸は、などとは言えないんだよ。」
アイルは主人自らの説明に感謝を込めて頭を下げながら、朧酒の奥深さに驚きつつも二人がアレックスに向けた表情の意味を知った。
アイルは東の国本島へ行った事がない。そのうち行く機会でもあるだろうか、と考えるアイルの頭に重たくも温かい物が乗る。それが何かなど考える必要はない。何せそれは、アイルが最も慕う存在の手なのだから。
「いつかアイルも連れて行こう。お酒を美味しく感じるようになったら、ね。」
この日、アイルの目標にお酒を美味しく飲めるようになる事が追加されたのだった。




