201話
グラナルド王国南部には、大小様々な領地がある。それはどの方角でもそうだが、南部は少し特殊だった。
その理由は主に、近年勃発した南部戦線において滅ぼした小国郡にある。
小国郡が一つの国であれば問題は起きなかったのだが、困った事に小国郡は六つの国が隣接する地方だったのだ。そのためその地に暮らす民族も異なり、治める貴族は文化の違いに苦労する事になる。
だがそれよりも問題だったのは、その領地の分け方だった。
国王は小国郡の北半分を十二の領地に分割し、南部戦線にて戦功を挙げた貴族に恩賞として与えている。南半分は南の国が領地としたためグラナルドの取り分は北半分の三国になったからだ。
侵略戦争における一番の恩賞はこの領地だろう。だが、今回の戦争で活躍したのは爵位の低い貴族が多かった。そこでこんな例が起こる。
とある男爵家の三男が戦争に従軍し、敵国の王の首を持ち帰った。他にも主要な大臣たちの首も挙げており、まさに獅子奮迅の働きだったという。
国王はこの三男に男爵の地位と十二に分割した領地の一つを与えた。これにより三男は男爵家の三男ではなく、独立した男爵家の当主となった。つまり、父親と同じ立場になったのである。
この三男の実家は法衣貴族のため領地がなく、王城に勤める事で家族を養っている。稼ぎだけで貴族生活を維持するのは大変で、寄親とする伯爵家からの支援も厚い訳では無い。
三男が独立した男爵となるのは、当主にとって歓迎すべき事だったのだ。
しかし。長男の考えは違った。家を継いでも領地はなく。貧乏男爵などと陰で笑う者たちを見返す事も出来ない。そんな中、国軍に所属する弟が手柄を挙げる。
その功績で実家の法衣男爵の地位を上げるのかと思えば、独立した男爵、しかも自分と同じ男爵の地位を手に入れた。
同じ男爵位ではあるものの、その実態は天と地ほど違う。何故ならそれは領地があって収入が安定している男爵と、王城で必死に働いて僅かな給料で生きていくのでは大きく違うからだ。少なくとも、長男はそう思っていた。
結局、自身の力では何も出来ない長男は、同じ寄親を持つ子爵家の次期当主と接触。国王に直訴してもらうため寄親に意見申し上げたのだ。
その内容をざっくり言えば、子爵家よりも大きな領地を男爵が得るのは納得がいかない、というもの。貴族的な言い回しをしてはいるが、要はただの文句である。
これは国王に意見が行くはずもなく、寄親たる伯爵によって蹴散らされた。曰く、ならば子爵も戦争で手柄を挙げれば良かったのだ、と。
グラナルド南部ではこのような事が多く、国王としてもそれが分かっていて領地を与えたという側面もあった。それは南部諸侯を取り纏める大貴族に、グラナルドの英雄ファンガル伯爵がいたのが大きな理由だ。
しかし国王にとって予想外だったのは、当主フォルティスが引退してドラグ騎士団に入団した事だろう。これによってファンガル家は当主が変わり、南西部の掌握に数ヶ月の時間がかかった。
その間に南部戦線によって増えた領地は戦功によって子爵から伯爵に陞爵した家が取り纏めていたのだった。
結果、グラナルド南部には二つの巨大勢力が生まれることになった。ファンガル伯爵を辺境伯に任命し南部を纏めてもらおうとした国王の考えは外れる事になったのである。
そんな新しい伯爵領の領都には、暗殺ギルドの支部があった。支部はまだ新しく、領主どころか所属する国が変わる混乱に乗じて設置されたものだった。
これはギルド上層部が戦時中に出した指示で、まだ小国郡であった頃からギルド員を派遣しグラナルドによって国が滅ぼされるのを待っていたのである。そして上手く戦後処理を躱し、戦後復興に見せかけた商会のフリをして支部が出来上がった。
現在、新しい支部には五指の一人である妙齢の女性が入っていた。彼女は長くウェーブした髪を胸元まで伸ばし、娼婦が着るような派手なドレスを身に纏っている。
街を歩けばすぐに声をかけられそうなそれは、女を武器に暗殺を実行する彼女にとっての戦闘服だった。
「早くして。アルカンタまで遠いんだから。」
暗殺ギルド内でもトップの実力を持つ五指の一人に、ギルド員たちは多大な神経を使ってもてなしをする。それを当たり前に受け取りながらも更に要求を重ねる彼女に、そろそろ支部が持て余し始めていた頃だった。
彼女がこの支部に来たのは、上層部による発案の一大作戦に参加するためである。グラナルド北部で五指と精鋭たちによる陽動が始まれば、彼女はアルカンタに入って支部の機能を安定させる。
先に大手客からの依頼で現地入りした五指が二人いるため、彼女の一番の仕事は有力者との接触だった。
その大事な仕事のためにこれから馬車でアルカンタまで行こうというのに、その肝心の馬車が準備できていないという。ギルド員が顔を真っ青にして報告する姿に、同情など欠片も抱かない彼女がキツく当たるのは当然だった。
「馬車をこちらまで手配すると言ったサイス公爵と連絡が取れません。アルカンタに入るためにサイス公爵の客を装う作戦ですので…。」
そう言ったきり口を閉ざしたギルド員に、彼女は長いため息を吐く。そんな仕草であっても溢れ出る色香に、世の男は魅了されるのである。
「アンタねぇ。馬車が来ないなら先に彼方に向かえば良いじゃない。アルカンタに入る前に合流して乗り換えれば良い事でしょう?今のうちに少しでも寄っておかないと、作戦開始に間に合わなかったらどう責任とってくれるのかしら。」
末端のギルド員にとって、責任という言葉は重くのしかかる。商会でも重い言葉だが、暗殺ギルドとなれば更に重くなる。その責任の取り方が、己の命で償わなければならないからだ。
慌てて五指の言う通りに行動を始めるギルド員に、彼女はもう一度憂い気なため息を吐くのだった。
そして何の気なく窓から外を眺めれば、微かに支部が騒がしい事に気がついた。何事かと気配を探るも、部屋の外には何も感じない。だがそれこそが異常事態である事を察知した彼女の行動は早かった。
細く長いヒールの踵を、体重を乗せて窓に蹴り付ける。甲高い音を立てて割れた窓は外に向かってその破片を飛び散らす。
割れた窓に足をかけて外に出れば、直後には背後から扉が激しい音を立てて開くのが聞こえた。すんでの所で身の危険を回避した彼女は走り出すために息を吸う。しかしその足が前に出される事はなかった。
彼女の目の前に、グラナルドで知らぬ者はいない最強の守護者が現れたからだった。
数は四。全員揃いの服を着ており、その色は黒い。だが各所に差し色として茶色で、彼らの所属を表していた。
「ドラグ騎士団…!」
忌々しそうに呟く彼女の口から、目の前の襲撃者たちの正体が告げられる。それに肯定も否定もせず黙っている四人が、彼女には不気味に見えるのだった。
「何の用かしら?生憎、貴方たちに付き合ってる暇はないの。大事なお客様が待っているから。ごめんなさいね?」
低めの艶やかな声に思考を途切れされる男は多いが、目の前の者たちには効果がなかった。だがそれも予想の範囲内だ。彼女が話しかけたのは時間稼ぎと情報収集が目的だった。
返事が来るとは思っていないが、何か一つでも反応を見せれば情報は集まる。彼女は情報を扱うプロだからだ。
彼らは反応を見せない。しかし彼女の予想に反して返事が返ってきたのは行幸だった。
「お前の言う客は既に捕まった。今頃は王城の地下牢だ。」
そして重大な情報を得る事が出来た。彼女の頭に浮かぶ客と、目の前の敵が言う客がもし同じ人物なら、これから行う作戦の計画を一部変更する必要がある。
思わぬ情報を得た事で口角を上げる彼女は、目の前の者たちが何故その情報を自分に与えたのか考えていなかった。そのツケは、己の身で払わされる事になる。
急に動き出した一人に警戒を最大限まで高めた彼女は、最初から奥の手を出す。それは五指に与えられた一本の注射器だった。
水属性魔法によって四人を牽制した彼女は、ドレスの裾から手を入れ太ももに装備したナイフと注射器を取り出し、注射器を足に打つ。すぐに激しい痛みが身体を襲うが、彼女はそれに耐えながらも魔法を維持して四人を牽制していた。
もし彼女に普段の余裕があれば気付いただろう。目の前の四人が手を出せないのではなく、出していないという事に。
「ふふふ。良いのかしら?天下のドラグ騎士団がそんなに隙だらけで。薬を使わせたのは失敗だったわね。」
急に消えた水魔法の裏に、彼女はもういなかった。そして聞こえた声は最初に動いた隊員の後ろから。先ほどまでの彼女からは想像も出来ない速度だった。
だが、隊員は声から位置を把握し後ろに向かって魔法を放つ。それは地属性魔法では代表的な攻撃魔法で、石塊と呼ばれる魔法だった。
ドラグ騎士団は無詠唱を基本とするため詠唱はしないが、通常の冒険者や一般人は詠唱をする。この魔法は地属性を主軸に使う魔法使いが多用する魔法で、石の塊を魔力によって生み出すだけの魔法である。
それを戦闘に使用するため、少し改良を加える。詠唱として叫ばれるのは、石礫やストーンバレットといった掛け声が多い。その辺りは術者のイメージしやすい言葉が選ばれるため、同じ魔法でも詠唱が異なるのは確かだった。
隊員はそんな石塊の魔法を後ろを見ずに発言させ飛ばす。カランという音が聞こえたのは、それを五指が避けたからだった。
「五隊ともなれば無詠唱は当たり前かしら?でも、私には当たらないわ。」
その挑発とも取れる言葉で、隊員四人が同時に動き出す。
彼女がいた部屋は支部の裏側に面しており、そこから飛び出した彼女が今いるのは支部の裏庭だった。そのため一般人に見られる心配はない。それも計算しての襲撃だったのかは五番隊のみが知るところだが、何にせよ周囲に人がいないというのは丁度良かった。
数分後、倒れた五指の女を見下ろす五番隊がいた。彼女は既に息をしておらず、しかし身体に傷は殆どない。これは竜の血を用いた薬による効果だった。
「スターク隊長に報告を。五指を排除、支部は制圧したと。」
四人で一番位が上の者が指示を出す。それを受けた隊員が一人音もなくその場から消えた。
残った三人は現場を眺め、その凄惨さにため息を吐いていた。それもそのはず、五指の女と戦ったこの場所が、戦う前と今とで随分様変わりしていたからだった。
「しかしまぁ、薬一個でこうまで強くなりますかね。しかも水魔法で辺り一面ずぶ濡れにするし。斬っても刺しても傷が塞がる上に魔力も増えるんじゃあ、その辺の冒険者や傭兵じゃ相手にもなりません。」
隊員の一人がそう言えば、他二人もそれに渋面で同意する。五隊の隊員が四人がかりで倒した敵は、薬を使わねば一人で制圧可能な実力だった。
スタークからの指示と、過去の敗戦を払拭するために敢えて薬の使用を見逃したのだが、完成した薬はここまで効果が強いとは思っていなかったのである。
勿論、負けは万が一にもなかった。それは四人で十分対処可能だったという事と、それから支部を制圧した他の五番隊がこちらの様子を窺っていた事が理由だ。
それでも薬を使った彼女は耐久力が凄まじかった。最期の方は殆ど受けに回っていたが、幾ら攻撃しても倒れず回復するその生命力に、四人が辟易していたのは事実だった。
「元々実力のある者が使えばこうなる訳か。だが、副作用も酷そうだ。正に一発逆転の奥の手、といったところだろうな。」
冷静に分析する五番隊は、この戦闘の詳細を思い出しながら記憶に刻み込む。後に報告書に纏めなくてはいけないからだが、それ以外にもこの難敵との戦闘を自身の糧とするためでもあった。
「下手するとこの薬が大量生産されてたのか。五隊四人がかりじゃ、零番隊にばっかり仕事が回る事になるとこだ。それでは国内の治安維持を任されている五隊が無用の長物になってしまう。仮にまた同じような薬が現れても良いように、もっと訓練をしなくてはならんな…。」
隊員が呟いた言葉に、他の二人も無言ながら同意した。彼らは以前、グラナルド東部の伯爵領にて水帝と戦闘、敗戦している。情けをかけられたのか、より強い隊長を誘き出すためか、ギリギリで生かされたのは確かだった。
あの時は全部で九人いた。そして部分竜化もした。それでも勝てなかった水帝は、後に零番隊精鋭があっさりと無傷で無力化している。
倒すでも殺すでもなく、無力化したのだ。それが如何に困難な事であるのかを知る彼らは、特訓を経て多少強くなった今でも後悔の念が強い。
そんな過去があるからこそ五指に薬を使う隙を与えるよう指示を受けていたのだが、それに勝った今もその表情は曇ったままだった。
彼らの尊敬する隊長は、一撃で水帝を戦闘不能にした。それがその水帝より弱い五指の女に四人がかりで数分かかっている。
彼我の実力差がリアルに分かるからこそ、彼らは更に強くなる事を決意しながらも未だ遠き壁に気分を下げているのだった。
「ご苦労だった。お前たちなら勝てると分かっていたが、それでも初見の薬使用者を良くぞ封じ込めたな。流石五番隊だ。」
彼ら四人はスタークに報告し、このような言葉を貰った。スタークは褒めているというのに浮かない顔つきの部下を見て、フッと微かに笑うのだった。
それに疑問を感じた部下たちが伏せていた顔を上げると、スタークは改めて言葉を紡ぐ。
「良いか?私はゆいなからこう教わった。自分が弱い事を知るのが、強者になるための唯一の道だ、と。お前たちなら意味は分かるな?一番大事なのは、自分の目の前に立ちはだかる壁に挑むのか挑まないのか。世の中というのは存外単純で、やるかやらないかの二択でしかないんだ。私はゆいなという途方もない壁に挑み続けて久しい。それでも私は諦めるつもりなどないがな。」
スタークの言葉に、微かに光が灯った部下の瞳。それを満足そうに見るスタークは、ついでだと言わんばかりに自論を部下に語るのだった。
「そして団長は言った。絶対に出来ると断言できるさ、と。そして、何故なら私は出来るまで止めないから、ともな。いつだって、大事な事に気付くのは一人で考え込んでいる時じゃあない。誰かの言葉で気付いたり、関係ない事から学ぶ事も多いんだ。何より、私はお前たちを信じている。その壁に向かって突き進む事が出来るとな。お前たちはどうだ?」
珍しく長く語るスタークの言葉を、隊員たちはその瞳に力を宿らせ聞いていた。もう彼らは大丈夫だ。そうスタークが思うと同時、隊員たちは力強い敬礼をするのだった。




