197話
「さて、最後の仕上げをしないとね。」
団長室でポツリとヴェルムが呟く。既に賑やかだった諜報部隊の隊長二人は退室しており、今はセトと二人だ。
アイルはリクとスタークが食べた菓子の皿やカップ、ポットを片付けた後休憩に入っている。とは言っても、隣の部屋で待機しているのだが。
ヴェルムの呟きを拾ったのか、セトが意味深な笑みでヴェルムを見る。それは先ほどの報告会で敢えてヴェルムが話題にしなかった事だった。
「後は零番隊の仕事ですかな?そう言えば、カリンが暇を持て余していましたなぁ。」
チラチラとヴェルムを見ながら言うセトは、今日も短い白髪を後ろ向きに固めてキッチリと執事服を着こなしている。手には純白の手袋が嵌められており、これはセトが厳選した魔物素材による超高級品だ。手触りは滑らかでいて、手袋をしていないかのように持った物の感触を素直に指へと伝える。
執事にとって手袋は、鍛治師にとっての槌。剣士にとっての剣と同等である。
そのため手袋の素材には厳しい眼で自ら集めたのだ。
そんな手袋越しに顎を触り、何故かカリンを推すセト。ヴェルムはそれに呆れたような視線を向けながらも、一考の価値はあると考えた。
「カリンね…。うーん、まぁいいか。じゃあ今回の後始末はカリンに頼もう。出来ればもう一人くらい零番隊をつけたいけど。」
カリンの実力と相手になるであろう敵を考え、問題はないと判断したヴェルム。特務部隊が一人で行動する事が当たり前とはいえ、一人で行くのは手が足りないのではと人選を考えるヴェルムだったが、手が空いていてカリンの補佐を出来る者が浮かばない。
だが、それは思ったより近くに答えがあった。
「では僕が行きます。カリン一人では戦闘力は兎も角、後処理や連絡などに難があります。」
隣室で待機していたはずのアイルの声が聞こえたかと思えば、隣室と団長室を隔てる扉が開いていてアイルが無表情のまま立っていた。
セトはそれを微笑んで見ているため、賛成なのだとその雰囲気で分かる。だがヴェルムは困った顔を更に困らせてアイルを見るのだった。
「いやぁ、アイルは私の手伝いなどで忙しいだろう?」
一応反論してみるも、アイルの表情に変化はない。それどころか、少し落ち込んだようですらあった。
セトは、ほっほと笑っており二対一の形は崩れない。何故そこまで行きたがるのか、また行かせたがるのか。ヴェルムには理解ができなかった。
このままでは事態が動かないと判断したのか、セトがアイルに援護射撃を繰り出す。それはヴェルムが反論出来ない良い言い回しだった。
「カリンと一番に連携出来るのはアイル以外におりませんからな。それに、アイルにも外を見せた方が良い。以前、西の国に行かせましたがあれから随分経っておりますからなぁ。」
ヴェルムとてそれは分かっていた。それにアイルの戦闘力もカリンについていけるだけの物が備わっているのも知っている。何より、いつも冷静に周囲を観察する力があるため今回の任務には最適とも言えた。
アイルならカリンを上手にコントロールしつつ最良の結果を持ち帰るだろう。何より、アイル自身がやる気を見せている。
ならば親代わりとして見送らない訳にはいかなかった。
「…分かった。なら二人に頼もう。カリンを呼んでくれるかい?」
「既に呼んでいます。」
カリンが来るまでにそのよく分からない気持ちを整理しようと考えたヴェルムだったが、優秀すぎる執事によって既にカリンは呼び出されていた。
そして、カリンはヴェルムが呼んでいると言われれば何をしていても駆けつける。仮に食事中でもさっさと平らげて一分以内にその場を出るほどだ。何故食事を放り出さないかと言えば、以前同じことをしてヴェルムから注意を受けたからである。
大至急と言われなければ中断せずしっかり食べてから来なさい、と言われたカリンは律儀にそれを守っている。だが、ヴェルムは知らない。食事はゆっくり味わって食べるのが一番だと考えるカリンが、ヴェルムに呼ばれれば全てを吸い込む勢いで飲み込んで走って来る事を。
これはカリンなりにヴェルムの指示を優先しての事で、言いつけは守っているのだからこれで良いという判断だ。
今日は偶然、カリンは訓練場にて他の零番隊隊員と訓練をしていた。だがそこにアイルからの念話魔法を受け、全力で相手を投げ飛ばして礼をした後走り出している。
相手の隊員も念話魔法を受けた事など魔力視によって知っているため、急いでいてもしっかり礼を忘れないカリンに手で払うような仕草で追い出していた。
「あいつ、団長が関わった瞬間無茶苦茶強くなるの何なんだよ…。」
投げ飛ばされた隊員は周囲の仲間から笑われながらも、そう溢して更に笑いを誘っていた。
「遅くなって申し訳ありません!特務部隊カリン、到着しました!」
それはヴェルムが考える時間には足りなかった。先ほどの会話から二分という驚異的速度で団長室に顔を出したカリンは、訓練をしていたとは思えないほど身綺麗にしていた。
これはカリンの矜持の問題だ。ヴェルムの前に立つのに、失礼な格好をする訳にはいかない、という矜持。これは彼女の問題のため誰も言わないが、ほとんどの者が同じように考えるため寧ろ賛同してくれる者が多い事はカリンも知らない。
走りながらも足音は最小限に、そして手は乱れた服装を正しながら。魔法を使用して髪に風を受けないようにしながら整え、団長室の前で急停止して手鏡でのチェックを忘れない。
団員によっては、団長室に来る前に化粧をし直すものもいる。それに比べれば化粧をしない分カリンの方が手早い。
女性のその辺りの機微を理解出来ない者も団には一定数いるが、それを口に出すのは恐ろしい結果を招く事だけは知っている。皆、失敗しながら大人になるのだ。
そんなカリンの努力あってか、一切の乱れなく入室してきたカリン。全力で走っていたにも関わらず息の乱れすらないのは、日頃の鍛錬の賜物だろう。
ビシッと敬礼するカリンは、もう立派な零番隊だった。
「忙しいところに悪いね。任務を頼みたい。」
ヴェルムが何か書いている手を止めて視線を上げ、敬礼するカリンに何やら複雑そうな顔を向けながら言う。
カリンには何が何やら分からなかったが、任務があるならそれを受けないという選択肢はない。だがヴェルムのその表情が気にはなった。
「どんな任務でも誠心誠意果たしてみせます!どのような任務でしょうか!」
いつも元気で明るいカリンは、団員たちにも人気がある。その小さな身体から生み出される、溢れんばかりの元気に団員も元気を分けて貰っているのだ。
彼女は真剣な顔で任務詳細を聞いているが、同じ顔をしたアイルが横にいるためどうしてもニコニコしているように見えてしまう。それはアイルが無表情なのが主な原因だった。
「そんな訳で君たちにはサイス公爵領に行ってもらう。公爵は捕えられたから、すぐに王家直轄領に変わる。その前に暗殺ギルドの支部を叩いてもらう。現地には五番隊がいるから、彼らから情報の引き継ぎを。必要であれば彼らに手伝ってもらいなさい。その辺りはスタークにも伝えてあるからね。」
当然、この任務が行われる事は本部に詰めるドラグ騎士団全員が知っている。先ほどのリクとスタークによる報告会でこの話がでなかったのは、主導が零番隊に切り替わるからだった。
彼らの任務内容は五隊の者でも知らない者がほとんどで、五隊として活動するには不都合がある場合が多いという理由を知っているため文句は出ない。
万が一にでも団員が捕まった時、拷問によって作戦を漏らされては困るからだ。今回の件を皆が知っているのは、五隊が大きく動いた貴族街での作戦と繋がっているからだった。
だが詳しい作戦は知らない上、協力する五番隊以外にはほとんどの情報が回らない。これは組織として必要な情報統制だった。
双子に与えられた任務は、暗殺ギルドサイス公爵領支部の破壊。主導はカリンで補佐がアイルとなる。
任務説明を受けた二人は、そのままヴェルムから指示書を受け取る。カリンが到着した時にヴェルムが書いていたのがまさにそれだった。
二人は指示書を大事そうに仕舞う。アイルはマジックバッグに、カリンは空間魔法にだ。二人それぞれに渡したのは、それぞれ主となる任務に多少の違いがあるからだった。
零番隊は任務の多くが公に出来ないものが多く、任務を受ける際は指示書を読んで暗記し、その場で燃やすのが通常である。
だが双子は大事に仕舞い込む。本来なら怒られる場面だが、カリンは兎も角アイルはこうして指示書による任務受注をした事がほとんどない。
そのためヴェルムから貰ったものだと嬉しそうにバッグに入れられては、セトもヴェルムも何も言えないのだった。それが仮に無表情で行われていても、二人には嬉しそうに見えるのだから仕方ない。
「カリン、アイル両名、任務承りました!早速出発します!」
元気よく敬礼したカリンは、同じく敬礼したアイルの手を取って退室する。これから二人は出発の準備をして本部を出るのだろう。
ヴェルムは正反対な双子を見送ってからセトを恨めしそうに見た。しかしセトは変わらず好々爺然とした表情を崩さず、寧ろ勝ち誇ったような顔をしている気がした。
「若者の成長を見るのは楽しみですなぁ、我が主人よ。」
更にはそのように言いヴェルムを煽っている。セトは隙あらばヴェルムをこうして揶揄うため、ヴェルムも隙を見せぬように努力しているのだ。
ヴェルムが卵の時から側にいたセトに、とてもではないが勝てない事はヴェルムが一番分かっている。だがいつまでも揶揄われるのは癪に障るため、チクチクとやり返すのが日常だ。
今日もどうにかしてやり返せないかと思案するヴェルムに天啓が降りる。
「セト。アイルがいないから色々と忙しくなるけど、大丈夫なのかい?」
ヴェルムがそう言えば、セトは勝ち誇った顔を崩さず、ほっほと笑う。
どうやらこの言葉は予想していたらしい。
「アイルが来る前は一人でしていたのですからな。余裕ですぞ。」
実際にその言葉通りだったのだから、セトの余裕も頷ける。だが、ヴェルムは気づいている。近年アイルの成長のためと言ってほとんどの雑務を任せていた事を。
ヒトに限らずどんな生き物も楽を覚えると戻れない事を知っているヴェルムは、セトの余裕そうな笑みを崩せる日がくると内心楽しみにしていた。
性格の悪いこの二人に育てられた双子は、今のところ真っ直ぐ育っている。セトとヴェルムをよく知る初代国王やその妃は、アイルとカリンを見て奇跡だと言ったほどに。
双子が去った団長室には、セトの勝ち誇った笑い声が響くのだった。