185話
整列っ!敬礼っ!
ドラグ騎士団本部の地下。グラナルド王城が丸ごと入ってしまう程の広大な空間に、ヴェルム直属である零番隊精鋭部隊が並んでいた。彼らは零番隊と分かる隊服を揃いで身に付けているが、セトやヴェルムが口を揃えて癖が強いと言う彼らである。隊服を好きに改造している者も多かった。
ここに並んでいるのは精鋭部隊の一割程ではあるが、彼らは皆此度の事件を解決するために動いていた者たちだ。
ヴェルムが地竜を保護して一ヶ月ほど。地竜の血を原料として作られた薬を確保するために、精鋭達はグラナルド国内を中心に捜索する日々が続いていた。
部隊員である細目の男が捕縛した錬金術師の老人から聞き出した情報によってほとんどの薬は精鋭たちによる回収が成されたのではあるが、それでも未だ数個の薬が見つかっておらず手がかりもない。
錬金術師の老人は薬を作る担当なだけであり、また老人自身が組織の理念に賛同したから入った訳でもなかった。彼はあくまで研究がしたかっただけなのである。
組織とは今回の事件の黒幕であり、水帝や老人が構成員となる。互いに素性も知らずに活動しているが、組織である以上代表者がいるはずであった。
しかし老人は代表者にあった事がないらしい。彼はそれでも研究が出来るならそれで良かったようで、組織に入って以来ずっと研究を続けてきた。研究テーマを好きに決められないのは難点だったようだが、それでも研究を始めてしまえば未知の領域に心が踊り没頭してしまうらしい。
良くも悪くも研究者であったのがこの老人だった。
そんな事情もあり、行方が分からない薬が数個ある。そしてそれを持ち出したのが組織である以上、未来の犯罪で使用される事は分かりきっていた。
救いがあるとすれば、その薬を生み出す事が出来る者が老人しかいない事。そしてその研究データは全てドラグ騎士団が回収したという事だろうか。
少なくとも、残りの薬を研究して同じものを作ろうと思っても、その材料になる竜の血が手に入らねば作れない。血の提供者となっていた囚われの地竜はヴェルムが保護したからだ。
その地竜は現在、零番隊精鋭部隊の前でヴェルムの横に立っている。彼はこの一ヶ月で体力も随分戻り、魔力も回復したため人化の魔法でそのサイズを大きく落としていた。
しかしそれでもヴェルムの人化より大きい。二メートル以上あるその背丈と、筋肉に包まれた強靭な肉体。暗い茶髪はヴェルムと同じくらいに長いがその髪質は固く、全て後ろに流していた。
ドラグ騎士団本部では滅多に見ない、団服隊服以外の人物である。
彼が着ているのは南の国の民族衣装だ。巨大な布を一枚身体に巻き付けただけというものではあるが、その巻き方にも種類があり、たった一枚の布から様々な服に早変わりするのを面白がった地竜が、それから好んで身に付け始めた。
事の切っ掛けは、三番隊隊長のリクである。彼女が休日に街を歩いていた時に反物屋に偶々声をかけられ、そこでこの布の事を知った。
彼女の故郷はイェンドル織と呼ばれる布が名産であり、更には商業国であったために布や生地にも詳しかった。だがイェンドルはグラナルドより北方。南の国の生地はあまり見た事がなかった。
それで興味を惹かれて多量に購入したそれは、今現在地竜の服となっている。
南の国では平民がこの布一枚の服を愛用する者が多いが、富豪や町の名主などの貴族以下貧民以上といった懐具合の者は装飾の入った別の布を上から羽織ったりもする。
慣れた者は皆、パパッと布一枚の状況から見事な服に変えてみせる。そんな光景に驚き憧れ購入する他国民は意外と多いのだ。
グラナルドは南の国と盟友になって久しい。この布一枚の服がそれなりの数グラナルドに入ってきており、南部に行けば行くほどこの格好をしたグラナルド国民が歩いていたりもする。
リクは任務で南方に行った際に目にしたその光景を覚えており、反物屋で着方を覚えて地竜に見せたのだった。とは言っても、本当は団長であるヴェルムに見せるために団長室に行ったら人化した地竜がいた、というのが真相ではあるが。
「皆のおかげで私の同族たる地竜は安全を確保できた。まだ見つかっていない薬もあるけど、一旦この任務は終了とするよ。各自休暇を過ごした後、もう一度調査に出てもらう者もいると思う。その時はまた協力しておくれ。」
ヴェルムが整列した精鋭達にそう言えば、彼らは表情を変えないまま瞳に安堵の色を見せた。天竜が捕縛されるという前代未聞な事件によって、今後引き起こされる可能性があった事件を未然に防げたのだ。彼らが安堵するのは当然と言えた。
だがその可能性は潰えた訳ではなく。彼らもこれからの任務に気合を入れるかのように瞳に力を燃やしていた。
「今回は緊急任務だったという事もあるから、特別ボーナスを出すよ。後でそれぞれの部屋に届けるから確認しておいてね。」
ヴェルムが追加でそう言うと、精鋭達は思ってもみないボーナスに期待を膨らます。敬愛するヴェルムから貰える物は何でも嬉しいが、何より嬉しいのは自分たちをこうして労おうとしてくれるヴェルムの心意気だった。
言うだけ言って一歩下がったヴェルムは、隣に立つ地竜に目配せをする。ヴェルムを見ていた地竜はそれに頷きを返して一歩前に出ると、竜形態の時ほどではないにしても十分に低く響くような声で話し始めるのだった。
「闇竜の眷属、いや家族たちよ。此度は我の不手際によって迷惑をかけてすまなかった。事の次第は闇竜に伝えている為、お主達も知っているだろう。だがそれを言い訳にはすまい。危うく地を枯らし、世界を崩壊させるところであった。世界を司る天竜の一翼として、ここに深い感謝と尊敬を申し上げる。」
天竜がヒト族に頭を下げるなど、そう滅多にある事ではない。何より、天竜がヒトと関わる事自体が稀である。
代によっては好戦的で他の生物を襲う天竜もいたりしたが、その時は他の天竜から強制的に世代交代をさせられたとヴェルムは聞いている。当然、ヴェルムが生まれる前の話だ。
それをヴェルムに話したセトも、セトの生みの親から聞いた話だと言う。ヒト族からすれば遥か太古の話だろう。
頭を下げた地竜に対し、精鋭達は揃って困った顔をしていた。彼らの心境は複雑なのである。
自分たちが大陸中を走り回ったのは別に良い。ヴェルムに必要とされるのだからこれ程嬉しい事はない。
だがそのヴェルムに迷惑がかかったのは事実。それを怒りたい部分はあれど、ヴェルムと殆ど同格とも言える天竜相手にそのような事は言い難い。何より、ヴェルム自身が迷惑だと思っていない節がある。
ならば精鋭としては何も言う事はなく、頭を下げられても困るだけなのだった。自分たちは与えられた任務をこなしただけ、ともいう。
「地竜殿、皆さんは迷惑などと思っておりませんぞ。貴方や他の天竜の皆さんが壮健であってこそ、我らは主人と共に平和を享受出来るのですからな。」
ほっほ、と笑って言ったのはセトである。執事服をピシッと着こなした彼は白い手袋をつけた右手を胸に当てて綺麗な姿勢でそう言う。精鋭達の心を代弁したセトは心からそう思っているのが分かる程破顔していた。
今回の事件では余程苦労したのだろう。確かに、ヴェルムが団長室に戻った時の部屋の惨状は酷かった。笑顔でただいまと言ったヴェルムの表情がそのまま固まってしまう程には。
「セト殿か。うむ。其方たちの安寧を脅かさぬためにも、考えなければならんな。…我も闇竜のように眷属を作るか。」
地竜は眷属を持っていなかった。彼が普段過ごしていたのはこの大陸の秘境にある地底湖で、数十年に一度目を覚ます以外は寝て過ごしていたのだという。
だがそこで、ドラグ騎士団としては疑問が浮かぶ。水帝は竜の眷属ではなかったのか、という点だ。
ある意味、水帝の言っている事も地竜が言っている事も正しかった。
それは、錬金術師の老人が偶々生み出した薬が発端になる。
今回の事件で生産されていた薬は、竜の血を人体に効率よく吸収させ莫大な魔力や肉体強化を行うための薬である。
その効果は保って数分。その効果を引き延ばし、副作用である使用すると死に至るという部分を克服しなくてはならなかった。
そんな中奇跡的に生み出されたのが、竜の血による強化幅は減るが永続的に効果が続くという物だった。
水帝はその薬を飲んだのである。それによって彼の魔力と筋力は強化され、元々暗殺ギルドの下っ端として活動していた彼が急に頭角を現す。
裏業界で有名になる前に彼に目をつけたのが当時の暗殺ギルド、カルム領支部の支部長だ。支部長は彼に冒険者として潜入し手柄を立てる事を指示。瞬く間に水帝まで上り詰めたのだった。
つまり、地竜は随分と長くあの洞窟に捕まっていた事になる。それにも当然理由はあった。というより、地属性を司る地竜だったからこその理由かもしれない。
それは、地に伏せて寝ている間に捕まった地竜が一番よく分かっているだろう。
寝ていたのだ。
魔力を吸う魔法陣も、血を抜き取る管も。太古からそこにある岩のように動かない事が通常の地竜にとって、脆弱なヒト族が何かをする事は鳥や魔物がその身を休ませる事と大差なかった。
故に気づかない。魔法陣によって魔力が吸収され、回復するよりも多くの魔力が減っている事に。
魔力の量が危険域に迫った時にやっと気付いて動こうとするも、地竜単独で突破できる時期はとうに過ぎていたのだった。
あまりに情けない原因に、ヴェルムですら聞いた時はしばらく声が出なかった。そんな状況でものんびり茶を啜っていた地竜は、ヴェルムよりも遥かに天竜らしい性格をしていた。
この状態が続いて後継を作らずに地竜が死ねば、地属性を司る者がいなくなり世界は天変地異によって崩壊を迎えただろう。
闇属性を司るヴェルム一人では、当然その災害は防げない。だがヴェルムは他の天竜が過ごす場所を知らない。それは天竜同士で連絡を取り合う必要がないからでもあった。
そのせいで今回の地竜発見が遅れたのではあるが、今後こういう事件は起こらないだろうという予測もある。それは、ここまでのんびりと過ごしているのは地竜だけな事と、他の竜はおそらく、それぞれの力が使いやすい環境に身を置いているだろうという予測からだ。
地竜は地底湖がそれであり、今回はその地底湖が偶々ダンジョン化してしまったが故に起こった不運だった。
そのダンジョン化も、地竜が地脈に己の魔力を垂れ流した事が原因である。つまり、寝てばかりいないで働け、という事である。
地竜が眷属を作るか悩んでいるのには、その辺りにも事情があったようだ。眷属がいれば己が管理せずとも良い。そんな発想である。
「今回の事に懲りたなら、キチンと自分で魔力を管理しておくれ。もう二度と地竜を保護などしたくないからね。」
ヴェルムが笑いながら言えば、精鋭達も含めたその場の全員が笑うのだった。