184話
「天竜の威厳もあったものじゃないね。これはどういう事だい?」
そこは洞窟だった。
湿気が多く、一定のリズムでぴちょんと水の落ちる音が聞こえている。近くに人里は無く、魔物の楽園と化している樹海にひっそりと存在するこの洞窟は、ヴェルムが通って来た道の他にも様々な道がある。
風が抜ける感覚から出入り口は一つではない事が分かるが、それが何処に通じているのかまでは分からない。
そんな洞窟の最奥、開けた広間となっている空間でヴェルムは"それ"と対峙していた。
それの足元には魔法陣が仄かに光を放っており、六箇所に設置された特大の魔石から魔力を供給しているようであった。
また、"それ"の身体からは多数の管が伸びており、その先は透明の容器が繋がっている。中には赤い血が溜まっており、その容器からまた管によって別の容器に繋がっている。その管が赤く染まっている所を見るに、血をその容器で加工しているのだろう。
「もう話す元気もないのかい?お互いに会ったことはなかったけど、それでも君は私の同族だからね。何か望みはあるかい?」
一方的に語りかけるヴェルムに、"それ"は大きく鼻息を漏らすだけだった。もはや首を持ち上げる気力もないのか、"それ"は一切の動きを見せない。
互いに黙ったままの時が過ぎて行く。しかしヴェルムが思考を巡らせている時、急に視界が白く染まった。
急に魔法陣が光ったかと思えば、"それ"が苦しみの声をあげる。どこにそんな力があったのかと思わせる程にのたうち回り、しかしその動きも魔法陣によって阻害される。
ヴェルムが魔力の動きを見ればすぐに原因は分かった。
"それ"から六箇所に設置された魔石へ、大量の魔力が流れていたのである。この魔法陣は、"それ"から魔力を吸い上げ行動を阻害する、一種の封印魔道具となっているのだった。
光が収まると、そこには先ほど以上に苦しそうな"それ"がいた。鼻息は荒く、身体もぐったりとしている。
「なるほど。一応尋ねておくけれど、この状況は君が望んでなったものかい?」
この時、初めて"それ"はヴェルムの問いに反応を見せた。その目は怒りを灯しており、魔法陣によって動けないにも関わらず、岩のようなその身体を震わせヴェルムに牙を向ける。
グルルル、と低い唸り声をあげたかと思えば、最後の力を振り絞るように腕を持ち上げてヴェルムに叩きつけようとする。
しかし魔法陣の外にいるヴェルムには届かなかった。魔法陣から淡い光が漏れたかと思えば、結界魔法のように魔法陣の円に沿って透明の壁が出来たのである。
"それ"の攻撃はその壁によって阻まれた。ヴェルムはそれを興味深そうに見た後、一つ頷いてから"それ"を見上げた。
「では、一つ約束してくれればこの魔法陣を解くよ。どうかな?」
ヴェルムの提案に、"それ"は荒い息で返す。その目はまるで、お前に出来るならやってみろ、と言わんばかりの挑戦的な光を宿していた。
「うん、じゃあ約束なんだけどね。ここを出ても君をこうした犯人に復讐をしない事。守れるかい?」
ヴェルムと"それ"の間に、再びの沈黙が訪れる。"それ"はしばらく目に怒りを溜めていたが、やがて諦めたように瞳を閉じた。
それを了承と受け取ったヴェルムは、穏やかに微笑んで掌を魔法陣へ向ける。何をするのかと"それ"が目を開ければ、次の瞬間信じられない事が起こった。
眩い閃光、そして爆発。魔法陣によって外部からの攻撃も防がれたことで、"それ"からはヴェルムが煙に包まれるのが見えた。そして次に聞こえたパリィィンという何かが割れる音。その音が聞こえた瞬間、"それ"を押さえつけていた不思議な力がフッと無くなる気がした。
常に感じていた身体を押さえつけられるような感覚は消えたものの、失われた体力と魔力が戻るわけではない。未だ苦しさがあるためその場から動けずにいると、煙の向こうから穏やかな声が聞こえて来た。
「魔法陣が作動するからと思って強めに放ったけど、大丈夫だったかい?」
ヴェルムは無傷だった。あんな激しい攻撃をしては、この洞窟も無事ではないだろうと思って目線を上げる"それ"は、普段と変わらないままの洞窟を見て首を傾げようとするも、激痛が走ったため諦めた。
だが今までのように、力を抜けば押し潰されそうな感覚は既に無い。力を抜く事の有難さを再確認するように脱力した"それ"は、一度身体を震わせてから瞳を閉じた。
竜にしては短い首。巨大な顎。岩山のようにゴツゴツした背中には、申し訳程度の小さな翼がある。"それ"は地竜。世界の均衡を保つ役割を持つ、地属性を司る天竜が一頭である。
その巨体を横にしても尚余りある余地を残している魔法陣は、ヴェルムの攻撃によってその役目を終えたかのように光を失っていた。
地竜が脱力したのを見たヴェルムは、一つ息を吐いた後六箇所に設置されていた魔石を回収する。丁度地竜の周囲を一周する形となるため、外傷はないか確認しながらの回収だった。
魔石を回収した後、ヴェルムは地竜の顔の近くまで近寄る。その巨大な顎は、地についてなおヴェルムの身長よりも大きかった。
「今からこの管を抜くけど、痛かったら言っておくれ。」
優しく言うヴェルムに、地竜は軽く目を開いてまた閉じる。どうやらまだ話す気力はないようだ。それでも先ほどまでより随分と楽そうに見えるのは、ヴェルムの勘違いではないだろう。
竜であるために表情など読めないが、同族であるヴェルムには何となくそれが分かったのだった。
ブシュッという音と共に、地竜に刺さっていた管が抜ける。なんの技術もない、純粋な力によって引き抜かれたそれは先端に返しのようなものが付いていた。
地竜は管を引き抜かれる瞬間、グゥ、と苦悶の息を漏らす。だが閉じられた瞳が開くことはなく、また身体の上に乗ったヴェルムを落とそうともしなかった。
「悪いね。全て抜いたら治すから、それまで我慢しておくれ。…それにしても、よく君の身体に傷をつけられたものだね。血管に正確に管を刺している事といい、これを打ったのは随分と竜に詳しい者のようだね。」
全ての管を抜いたヴェルムは地竜を聖属性魔法によって治療すると、管や容器、謎の魔道具など周辺にある物を全て空間魔法に入れていく。その中には、錬金術研究所が総動員で調査した薬の成分表と違わぬ素材が大量に含まれていた。
「なるほど。これもこれも、こっちも。どれもがこの辺りで採れる薬草や魔物素材だね。やはり私の予測は正しかったのか。当たってほしくはなかったけれど。」
ヴェルムがここに辿り着いたのは、水帝から齎された情報があったからである。しかしその情報を得た時には既にこの付近に来ており、目視による捜索をしているところであった。
何故魔法による探知が出来なかったのかといえば、それは洞窟のこの広間にかけられた魔力遮断の結界が原因であった。
この場所をピンポイントで探知していれば、ヴェルムならば探し出せたかもしれない。
しかし、広い樹海は洞窟がいくつもあり、その一つ一つを探すのは至難の業であった。加えて、この樹海は魔力操作を阻害する不思議な場所である。
如何に方向感覚に優れた者でも方角を迷わされ、次々に襲いかかる魔物と戦いながら歩かなければならない。人がこの樹海に入るのは、自殺のため以外に理由はないと言われる由縁である。
空間魔法に物を入れる作業を続けていたヴェルムは、こちらに近づいて来る気配を感じて顔をあげた。その方向はヴェルムが来た道とは違う道で、そして来ているのはヴェルムが知っている者だった。
ヴェルムと同じく気配に気付いた地竜が警戒するが、ヴェルムはその身体を優しく叩いてから撫でる。気配の方へ向けていた視線をヴェルムに向けた地竜は、ヴェルムのその表情を見て警戒を薄めたようだった。
「ありがとう。近づいているのは私の家族だよ。皆で君を探していたんだ。」
ヴェルムがそう声をかければ、地竜は微かに残していた警戒すらも解いた。同じ天竜の言う事であれば信用する気になったのか。それとも最悪の状況から助け出したヴェルムを信用したのかは分からない。
だがヴェルムにしてみれば、己の家族に警戒してほしくないだけであるため、その理由は何でもよかった。
「団長!」
駆けてきたのは、細身の男だった。髪はボサボサで、線のように細い目が特徴的な精鋭部隊の男である。
細目の男は圧倒的巨躯の地竜に一瞬驚いた様子を見せるも、隣に立つヴェルムに安堵したような表情を見せた。
「やぁ、お疲れ。随分と遅かったけど、何か収穫はあったかい?」
ヴェルムは細目の男が洞窟内に入った段階でその存在に気付いていた。それはヴェルムが地竜の足元で光る魔法陣を壊す直前の事であり、それから小一時間が経っている今になって現れた彼を責める様子はない。
何故なら、ヴェルムが入ったのと違うルートで彼が入った事と、そのルート上に何者かの気配を感じていたからである。
「時間がかかって申し訳ありません。こちらに団長がおられるのなら、僕に出来るのは情報収集だけですから。こちらのルートでは製薬用の道具や錬金術に用いる素材などが多数保管された倉庫を見つけました。また研究者らしき錬金術師を一名確保しております。資料等の手がかりになりそうなものは全て回収しました。」
敬礼しつつ報告する彼の腰には、マジックバッグが提げられている。彼の言う資料や素材などは全てその中だろう。
ヴェルムはその報告に、ご苦労様、と言ってから地竜を見た。地竜もまた、ヴェルムを見ている。
「そんな訳で、色々と事情を聞きたいから私たちの本拠地に招待してもいいかな?」
穏やかな笑みは崩さないままヴェルムが問うと、地竜は地につけた首を持ち上げる。長い時間その姿勢だったのか、パキパキと音を立てて土や砂が頭からこぼれ落ちる。
その量はまるで、地竜がここで動けなかった期間の苦しみのようであった。
「我は力が尽きておる。人化など出来ぬがよろしいのか?」
低く響き渡るような声が、この広間に充満する。それは確かに地竜の声であり、それを聞いたヴェルムは嬉しそうに破顔した。
「声が出せるほど回復したならよかった。魔力が足りないだけなら私が分けるけれど、君には無理をしてほしくない。幸い、私たちの本拠地は君が何頭いても大丈夫な敷地があるからね。そこに案内するよ。」
ヴェルムがそう言えば、地竜は喉を震わせた。まるで笑っているかのようなそれは、単に固まった身体を解す行動である。喉から首、そして頭を震わせた地竜は、その身体に積もった土や埃を振るい落とす。
それを察知して避けた細目の男と、結界魔法で防いだヴェルムは埋もれずに済んだ。
「おぉ、すまぬ。まさかこんなに積もっていたとはな。通りで身体が重い訳だ。さて、闇竜よ。助けられた恩に上塗りする形にはなるが、世話になる。我でよければ何でも話そう。」
またも地鳴りのような低音が響く。彼の声は腹から震えるような圧があった。
「よし。では錬金術師を連れてきておくれ。揃ったら帰ろう。」
細目の男に指示を出したヴェルムは、敬礼をしてから指示に従うために駆け出した細目の男を見送る。
戻ってきた細目の男の手には、意識のない痩せた老人が抱えられていた。それを確認したヴェルムは地竜を含めた全員に触れると、転移魔法でその地を後にするのだった。