179話
アルカンタの冬は他の街と違い、住民が閉じこもって春を待つという事はない。それ故に人通りもそこそこあり、当然ながら準騎士の見回りも行われる。
今日も準騎士は二人一組で巡回していた。
「んー、暇じゃのぉ。丁度良い訓練相手でも出ないかの。」
ボヤいているのは老年の騎士。ドラグ騎士団の団服を着こなし、背中には大剣が存在を主張している。
彼の名はフォルティス。過去、東の国との戦争で先陣を切って獅子奮迅の働きで英雄となった男である。
「フォルティスさん、そう簡単に手強い相手が街中に出たら嫌ですよ。平和が一番です。」
ボヤくフォルティスを諌めているのは、まだ若い少年だ。歳の頃は十五歳ほどに見えるが、準騎士となってから施された訓練によって筋肉もつき、入団した頃とは別人な程に体躯が変わっている。
それでも長年鍛えてきたフォルティスと比べれば細く見える辺り、フォルティスの筋肉が如何に発達しているのかが分かる。
孫でもおかしくない年齢の少年に諌められたフォルティスは、頬を膨らませて無言の抗議を少年に送る。だがそんなフォルティスに慣れてしまった少年に届く事はなかった。
「僕たちが暇なのが一番平和なんですよ。きっと、団長もそれをお望みのはずです。」
団長、つまりヴェルムの事を言われては頬も元に戻すしかないフォルティス。相棒たるヴェルムが望む事など、少年に言われずとも分かっていた。
しかし、戦いたいものは仕方ない。戦士としての血が疼くフォルティスには、相棒の願いが分かっていても鎮められるものではなかった。
「だって、ここ最近実戦がないんじゃもん。」
やはり諦め切れないフォルティスがそう言うと、隣を歩く少年から数秒後にため息を吐く音が聞こえてきた。
この人、英雄って言うよりは戦闘狂なんだよなぁ。
少年がそう思っているとは知らないフォルティスが疑問に思って少年をチラリと見る。それに気付いた少年は慌てて思考を中断し、辺りを見るフリをした。
「じゃもん、じゃないんですよ。どうしてフォルティスさんは戦いたがるんですか。貴方はもうたくさん戦ってきたじゃないですか。」
この際だから聞いてしまえ、と日頃から気になっていた事を聞く少年。言ってしまってから、フォルティスを怒らせたかもしれないとコッソリ横顔を盗み見るも、彼は特に気にした様子もなく笑っていた。
数秒笑った後に急に真面目な顔をしたフォルティスは、普段の大きな声を小さくして言う。
「そんなもん、相棒のために決まっとるじゃろ。今までは国の為に、領民のために戦ってきたがの。余生はこの剣を相棒に捧げると誓ったからの。相棒が夢見る世界を実現する手伝いをするのが、今の儂の生き甲斐じゃからな。」
ヴェルムの事を想って語るフォルティスの目には、少年には見えない景色が浮かんでいるに違いない。少年はそんなフォルティスに尊敬の目を向ける。
普段は脳が筋肉で出来ているのではと疑うほど戦いに偏った物の考え方をするフォルティスだが、こういう姿を見れば英雄と呼ばれるのも分かる気がした。
アルカンタから離れた農村で生まれ育った少年にとって、フォルティスというのはお話の中の存在だった。偶に村に立ち寄る冒険者や、行商から帰った父から騎士の話を聞くのが好きだった少年。
彼がフォルティスと出会ってすぐに、フォルティスは南の国の鉄壁将軍と名高いバルバトスと共に血継の儀を受けた。
少年にとってそれは衝撃的な光景で、自ら人族である事を捨てるなど考えられなかった。もしかしてドラグ騎士団は怪しい宗教団体なのではないかと疑った事もある。
だが、儀の後にフォルティスと話した時から、やはりこの人は英雄なのだ、と思うようになったのだ。
それから数ヶ月経つが、同じ準騎士として訓練や講義の時間を共にする事で随分とフォルティスの為人を見てきた。
普段は失礼ながら馬鹿ではないかと疑う行動が多いフォルティスだが、少年の前で偶に見せるこういう姿が少年には眩しくて憧れた。
「普段からこんな風だったら良いのに…。」
思わず口をついて出た言葉は、少年にとっては幸運な事にフォルティスの耳には届かなかった。というより、フォルティスは何かを集中して見ていたため聞いていなかった。
「…フォルティスさん?」
「シィ!…あそこにおる二人組。怪しいな。尾けるぞ。」
平和な街の筈だったのに、怪しい者はいるものだ。考え事に集中していて周囲を警戒するのを忘れていた少年は、その行いを恥じて反省すると同時に、警戒心を一気に高めた。
「あまり力を入れて見るな。視線に力を入れると、見られていると感じるんじゃ。二人組を視界に入れるくらいにしときなさい。」
フォルティスは好奇心旺盛な性格のため、専門技術の講義にも意欲的に参加している。
準騎士たちが受ける講義の中には、将来自分が所属したい部署の専門講義が存在しており、それは選択制になるのである。
少年は実家が商人ということもあって内務官を希望しており、数字に強い彼は専門講義の教官からも覚えが良い。
だがフォルティスは興味を持った講義全てに参加しており、訓練よりも講義室にいる時間の方が長いのではと他の準騎士から言われた事もある。
そんな講義の一つ、諜報部隊についての講義でフォルティスが習得したのが、先ほど少年に伝えたコツであった。
三番隊や五番隊は、対象の気配や魔力を辿って追跡する。視野に入れて追うのは余程の事態にならねば実行しない。
しかし最初からそのような技術が素人に出来るはずもなく、最初のステップとしてこの方法を教わるのだ。
因みに、フォルティスがこの技術を習得した理由は一つ。魔物や動物を狩る時にバレるのを避けるためである。
本人はそう言っているが、少年は疑っていた。団長の力になるために手当たり次第に技術を身に付けているだけなのでは、と思っているのである。
「何か手渡しとるな。…あれは、薬、か?禁製品の可能性もあるのぉ。もう少し様子を見るか…。」
少年は頷くだけで返事とした。このような時に存在がバレるのは良くない。私服ならともかく、今は二人とも団服を着ている。姿を見られただけでドラグ騎士団だと分かってしまう。
もし禁製品を扱う闇商人ならば、捕まえて国軍に突き出さねばならない。アルカンタには衛兵の詰所が幾つもあるため、突き出すのは容易だろう。
完全に余談ではあるが、街に衛兵がいるのにドラグ騎士団が巡回をするのには理由がある。
単純に、衛兵が巡回するだけでは手が足りない事や、事件が起こった際に対処する実力があるという事。だがそれだけならドラグ騎士団だけで良い、となるのだが、衛兵にも大事な役割がある。
それは、組織自体が国の運営かそうでないかの差だ。
ドラグ騎士団が捕まえた犯罪者は、ドラグ騎士団に裁く権利がある。それはドラグ騎士団が国の組織ではなく、ヴェルム・ドラグ個人の持ち物だからである。
本部の敷地はある意味治外法権となっており、国が裁きたい犯罪者をドラグ騎士団が捕まえた場合は、国から引き渡し要請が来るのだ。
しかし、ヴェルムが罪人の処理を嫌うため、捕まえたほとんどがその場で衛兵に引き渡される。ドラグ騎士団の任務によって捕まえた犯罪者を自ら裁くための制度と思ってくれれば良いだろう。
そんな事情もあるため、法的に民を護るのが衛兵、直接的な危険から護るのがドラグ騎士団だと捉えられている。
その捉え方のおかげか、衛兵は衛兵で民から頼られ、ドラグ騎士団はドラグ騎士団で民から人気があるのだった。
「よし、動き出した。どうやら別れるらしいがの。少年よ、お主はどっちを尾ける?」
「え、僕も尾行するんですか!?」
怪しい二人が行動を開始した時、フォルティスが唐突に少年に問うた。あまりに急に聞かれたため、混乱してしまった少年の肩を叩くフォルティス。
時間は無いが混乱したまま行かせる訳にもいかない。実戦経験が豊富なフォルティスが少年をリードする必要があった。
「大丈夫じゃ、落ち着きなさい。今歩き出した方はおそらく客。身なりが良いから何処ぞのお屋敷の使用人かもしれん。少年にそちらの追跡を頼みたいが、良いかの?」
混乱する少年を落ち着かせたのは、フォルティスの目から伝わる信頼だった。数ヶ月とはいえ寝食を共にし、訓練や講義、プライベートの時間も共有した二人には、確かな絆があった。
そして少年は知っていた。目の前の元英雄は、人を見る目に長けている事を。ならば少年にとってこの追跡は無理な事ではないのだと、信じる事が出来た。
目に力が戻った少年を見て頷いたフォルティスは、少年の背を軽く叩いて送り出す。そんな何気ない行動に勇気を貰った少年も、力強く頷いて身なりの良い男を追跡し始めた。
独り残ったフォルティスは、追跡対象を視界に捉えたまま少年を見送る。それに合わせたかのように動き出した対象を追って、自らも動き出したのだった。
フォルティスが追っている男は、冬で人通りが減った大通りをしばらく歩いたかと思えば、職人たちの工房が並ぶエリアへと方向を変えた。
そしてその後すぐに細い道に入ったのを確認したフォルティスが少し急いで追うと、曲がった先には誰もいなかった。
追跡がバレたかと考えたフォルティスは、周囲をくまなく観察する。何処かに隠し扉でもあるかと思ったが、それらしい物は発見できなかった。
諦めて元の道に戻ろうと踵を返したフォルティスだったが、すぐに違和感を感じて背中の大剣を振り抜く。
ガキンッと金属のぶつかる音がしたかと思えば、フォルティスが振り抜いたはずの大剣を受け止める物があった。
「大国の英雄が何をしているかと思えば…。大国の犬から大国の犬の犬にランクダウンしたか?」
先ほどまで行動を共にしていた少年の、入団当初と変わらない重さの大剣を短剣一つで受け止めた男がいた。
その男はフォルティスが追っていた男であり、そこでフォルティスは己の追跡がバレていた事を悟る。可能性として浮かんではいたが、やはり即席の追跡術ではその道の者には劣るらしい。
「さて…。儂はいつでも己の思うままに生きてきたがの。」
男が言っているのは、フォルティスの格好を見ての事だろう。ドラグ騎士団の団服を着るフォルティスは、一目で団員だと分かる。国に仕える騎士から、更に下に行ったと言いたいのだとフォルティスは理解した。
大剣を受け止めた姿勢のままニヤリと笑う男に、フォルティスの惰力を受け止める程の筋力があるようには見えない。
しかしフォルティスは知っている。見た目だけで強さを測る事など出来ない事を。
「人避けの結界を張っていたというのに、まさか見つかるとは思わなかったぞ。だが尾行が素人だ。もう一人いたガキは今頃死んでいるだろうな。」
男の言葉に、フォルティスの表情が変わる。まさか見張っていた時から察知されているとは思わなかったのだ。
鍔迫り合いでは埒が明かないと判断したフォルティスはスッと大剣を引き戻し、その行動に眉を上げた男に向かってもう一度大剣を叩きつけた。
だがその一撃は男に軽く躱されてしまう。地面を抉る程の威力を伴った一撃も、当たらなければどうという事はないと言わんばかりにニヤリと笑う男。
「甘いな。終わりだっ!」
大剣の特性上、一撃は重くとも取り回しが鈍い。その隙を突いてフォルティスに短剣で斬りかかった男は内心、英雄も大した事がないな、などと考えていた。短剣はただ真っ直ぐにフォルティスの心臓に向かう。
だが男にとって予想外な事が起こる。
ガラ空きの胸に吸い込まれるはずだった短剣は、下から受けた衝撃によって男の腕ごと空へ舞ったのだ。そして遅れてくる痛みに、男は人生最大の混乱を引き起こす。
男の短剣を腕ごと飛ばしたのは、地面を抉ってつき刺さったはずの大剣だった。
「…ふぅ。大剣使いが大剣の弱点を克服しとらん筈ないじゃろ。甘いのはお主じゃよ。元英雄なめんな、ってのぉ。」
両刃の大剣を振り下ろし、そしてそのまま振り上げる。言葉にすれば簡単なそれを容易く行える者は多くない。
アルカンタの国軍で大将軍を務め英雄と呼ばれた男が、いつか相棒の背を任せられる実力を得たいと鍛錬に勤しんだ男が、この様な技術を習得していないはずがなかった。
大剣をナイフの様に扱える様になれ。フォルティスが若い頃己に誓った目標である。それは当時ヴェルムに言われた言葉から導き出された結論だった。
大剣の使い方を教えて欲しい?大剣も小剣も、長剣も細剣も。どれもナイフと同じじゃないか。
太陽は東から登る、とでも言うような気軽さで言ったヴェルムに、当時のフォルティスは反論したものだ。しかしそれが今でも彼の真髄となっている。
「き、きさまぁぁぁぁあああ!!!」
昔を思い出していたフォルティスに、目の前の男は斬られていない腕を使ってナイフを突き出してくる。先ほどは持っていなかったそれは、おそらく服に仕込んでいたのだろう。
しかし利き腕でない手に握られたナイフの握りは甘く、振り上げたままだった大剣の一撃で残った腕も飛ばす。フォルティスからは男の目から力が抜け諦めが浮かんだのが見えた。
膝をついて戦意を喪失した男にフォルティスは近付き、最近習得した付与魔法で大剣に魔力を通す。通した魔力は火属性の魔力だ。
付与魔法によって発熱した大剣を、男の肩に当てる。男は痛みで叫ぶが、フォルティスは眉間に皺を寄せただけで傷を焼く作業はやめなかった。
もう一方の腕があった場所を焼く作業が終わる頃には、男は気絶していた。
「やれやれ。…さて、少年を助けにいかねばの。」
そう呟いたフォルティスだったが、後ろから気配を感じて振り返る。発熱したままの大剣をそちらに向けるが、現れた者を見て降ろす。
現れたのは三番隊の隊員二人組だった。
「ご苦労さん。遅れて悪いな。少年なら三番隊で救助済みだ。そいつは俺らに任せてフォルさんは帰って良いぜ。」
一人がそう言うと、フォルティスは明らかに安堵した表情を浮かべた。そして付与魔法を解くと、大剣は少しずつ冷めていくのだった。
「フォルティス、良い処置だ。傷を焼いて意識を奪えば死なないし大人しくなる。だが戦闘になるなら瞬殺しないとな。まぁ、こんな狭いとこでその大剣一本で勝ったんだ。流石だよ。」
倒れた男を縛りながら言う隊員に、フォルティスは笑顔を見せる。見た目こそフォルティスの方が随分上に見えるが、彼らはフォルティスが生まれる前からドラグ騎士団にいる。
騎士としても、人としても先輩なのだった。そんな二人から褒められて嬉しくない訳もなく。更にドラグ騎士団に入る前のフォルティスではこの戦闘に勝てなかっただろうという予測が立つため、自身の成長を実感出来たのも大きいだろう。
「ではお言葉に甘えるとするかの。発見からお二人に引き継ぐまでの経緯は報告書にして教官に渡しておけば良いのかの?」
フォルティスの言葉に、三番隊の二人は揃って頷いた。それを確認したフォルティスは、二人に敬礼をしてから去って行く。
大通りから帰るのには団服についた血が目立つと気付いたフォルティスが、浄化の魔法を使う。ドラグ騎士団に入ってからメキメキと伸びたのは剣の実力だけではない。魔法も随分と上達したと独りニヤけるのが止められない。
「少しは相棒の手助けが出来たかの?」
空を見上げてポツリと言うフォルティス。彼の頭にはドラグ騎士団に入ってからの日々が思い浮かんでいた。
そしてその中に、孫とも呼べるような歳の差の少年の顔が浮かぶ。報告書を書くより、少年が無事だった事を褒めるべきか。
そんな事を考えながら歩くフォルティスは、これからの事を考えると心が躍る。やっと相棒の隣を目指すスタートラインに立てたのだと、実感が湧いてきたのだった。