177話
ドラグ騎士団で特訓が流行して数日。五隊が特訓を始めた影響か、本部を歩く隊員は疲れた顔をしている者が多い。
しかしそれを仕事に持ち込む程愚かな者はおらず、特筆して事件も起こっていないため本来の活動に支障が出る事もなかった。
そんな中、ヴェルムにとって予想外な事が起こる。それは、内務官や研究者などの裏方の団員や、準騎士たちもが特訓したいと言い始めた事である。
まさかの願い出に、当初ヴェルムは困った顔で笑ったものだ。だが、言いに来た内務長官や準騎士の教官などの目は本気だった。
そこで、五隊の特訓が落ち着き次第、順次裏方や準騎士の特訓も予定に組み込む事になった。
「どうして皆急に特訓などと言い出したのだろうね?」
そう言うヴェルムは心底不思議そうな顔をしていたが、問われたセトはほっほ、と笑うだけだった。アイルはいつも通りの無表情で、ヴェルムは答えを得る事ができなかったのである。
「んで?お前らも特訓を願い出たって訳か?やる気だねぇ。」
ガハハ、と笑いながらパスタが乗った皿を差し出すのは料理長。受け取りながら黙って頷いたのは制作長である。
制作科の長である彼女は、普段からモノづくりの閃きを得る為に街に出る。食事も外で済ます事が多いが、今日は本部で摂る事にしたようだ。
彼女の後ろには他にも制作科の面々が並んでおり、何やら機嫌良さげである。理由は単に、特訓が許可されたからである。
ヴェルムとしては何故特訓が嬉しいのかさっぱり分からない。だが団員は皆共通の意識で特訓を願い出ていた。
「まぁ分かるがな。お前らもアレだろ?ヴェルムの奴に見捨てられたくないんだろ。違うか?」
そう、裏方の団員が特訓を願い出た理由。複数ある理由の中でも、誰も口に出さずとも共通の思いとしてそれがあった。
あまりに弱ければ、竜の血を継いだ自分にヴェルムが愛想を尽かすのではないか、という不安である。
勿論、そんなことはあり得ない。仮に弱くともヴェルムが家族を見捨てるなど起こらないのだ。しかし団員の心に不安は残る。そして何より、自分たちが弱者だと認識されてしまえば、尊敬する団長を支えるどころか護られる対象になってしまう。足を引っ張りたくない団員たちが特訓を願い出るのにはそういった理由があった。
血継の儀を受けていない準騎士にしても、ただでさえ力の差が明白な五隊との間をこれ以上広げられたくないという思いがある。
グラナルドの英雄フォルティスや、南の国の鉄壁将軍バルバトスを筆頭に、特訓の参加を表明したのだ。それに乗っかる形でどんどん希望者が増え、教官同士で相談した結果ヴェルムに願い出る形になった。
準騎士に関しては、現在受けている講義や訓練に支障が出てはいけないという理由から、余裕がある者に限定して特訓の許可が出た。
準騎士といってもその力の差は広く、五隊へ入隊出来そうな者から、Bランクの冒険者ほどの実力しか持たない者もいる。何よりも個人の戦闘能力が最低限無いと特訓には参加できない。手加減しても死んでしまう可能性があるためだ。
フォルティスやバルバトスは入隊一年に満たないが、戦闘力以外は既に合格が出ている。個人戦闘力に関して合格が出ないのは、彼らが長年指揮を執る立場にいたためだ。
二人の個人戦闘力は他の準騎士と比べても中位に位置するが、それでも五隊に入る程の実力は無い。まずは教官や裏方に勝てるようになってからだ。
料理長の言葉は随分と語弊があったが、意味を理解出来ない制作長ではなかった。
お洒落に改造した団服の裾を揺らしながらテーブルへ向かう制作長の後ろ姿を見ながら、へっ、と笑う料理長だった。
「調理部は特訓の願い出はしたんですか?」
後ろに続いていた制作科の者が料理長に尋ねる。料理長が声の方に視線を向けると、そこには背の小さい男性がトレイを持って立っている。
彼は制作科、とりわけ魔物素材を使用した服飾関係のエキスパートである。妖精族と呼ばれる種族で、背は小さいが手先が器用なのが特徴だ。彼も例に漏れず手先が器用で、針と糸を渡せば一日中でも何か作っている職人なのだ。
「んー、ウチはちゃんと訓練やってるからなぁ。多分、五隊よりは強いぜ?調理部はな。」
自信あり気に言う料理長の顔に嘘は無い。本気で思っていそうだと感じた彼は、その訓練を想像した。
ドラグ騎士団が出来る前からヴェルムと関わりがある料理長。その実力は確かで、昔は食材を採りに自ら出かけていたという。
毎日数千人の食事を準備する調理部に訓練の暇などあるのか疑問に思う彼だったが、そういえば調理部の訓練を見た事があった。
「あぁ、確かに厳しい訓練をされていますね。アレを頻繁に行っているなら五隊より強いのも頷ける気がします。」
そう言う彼の頭には、とある光景が浮かんでいた。
彼が見た訓練というのは、魔物の指定された部位のみを持ち帰る訓練。倒して剥ぎ取るのではなく、生かしたまま必要部位のみを最善の保存方法で持ち帰るという訓練だ。
当然、魔物は襲ってくる。更にその追跡を躱し無事に素材を持ち帰るのは困難極まる。
訓練なのだからと、対象の魔物は討伐危険度A以上である事が殆どで、その魔物が生息する場所に向かうまでがそもそも危険な道程になる。しかもそれを一人で行うというのだから、調理部はサバイバル技術を自然に身につけていく結果になる。
「んだろ?ウチは色んな訓練をやってるからな。個人戦闘力じゃあ敵わんかもしれんが。だがそもそも俺たちはお前らの腹を満たすって仕事に誇りを持ってんだ。戦闘力が足りねぇくらいでヴェルムが捨てたりしないってのは分かってんだよ。」
「それは僕たちも分かっていますよ。でも、どうせならこれを機にしっかり戦えるようになっておきたいじゃないですか。他の竜の眷属に負けたくないですしね。」
あーだこーだ言いながら、彼の言う事が一番の理由なのかもしれない。他の竜の眷属に負けたくない。
五番隊が負けたからこそ、更に強い眷属が敵となった時に戦えるようにしておきたいのだ。そして強すぎる仲間意識が、家族の仇を討ちたいと己を鼓舞する。
目に強い光を浮かべた彼に、料理長はハンバーグの乗った鉄板を渡しながらフッと息を吐いた。
「その気持ちは分かるがよ。誰よりもそう思ってんのはお前らじゃねぇだろ?見ろよ。スープの一滴すらも自分の血肉に変えて力にしようと躍起になってるアイツらを。」
顎で指してみせた方向には、鬼気迫る勢いで食事をする五番隊の隊員たちだった。そこに普段の和やかな食事風景は無く、そしていつもならそれを注意する恰幅の良い女性、通称食堂のおばちゃんも寧ろ温かい目で見守っている。
「アイツらが倒すって決めてんだ。次いつ他の竜の眷属が現れるかしらねぇが、アイツらに譲ってやれよ。」
そう言う料理長の目も柔らかく、ガツガツと食べる五番隊を優しく見守っていた。
「なるほど。でもやっぱり僕も強くなりたいので。特訓は受けますよ。もしかしたら、飛び散る血を見て制作の閃きがあるかもしれませんしね!」
彼の目にも何やら決意が見える。だがその考え方は料理長にとっても嬉しいものであったようだ。
「そりゃあいい。ぜひ新作期待してるぜ?ほら、冷めねぇうちにとっとと食ってこい!」
時間にして数十秒の会話だったが、彼の後ろにいた者も含めて制作科は気持ちが良い意味で切り替わった。
後にこの会話を料理長から聞いたヴェルムは首を傾げたという。
「だから、どうしてそこまで特訓したがるんだい…?」
グラナルド王国は、新年が明けてすぐ新年祭を小規模ながら行う。小規模なのは冬だからであり、雪の積もらないアルカンタ内では民が大騒ぎするくらいには盛り上がる祭りである。
そんな新年祭も既に過ぎ去り、今は長い冬を乗り切るだけで特に何も無い。そのため、民の頭には次のお祭りを待ち望む者が多いが、その祭りは春が近くなってからである。
冬のアルカンタは特筆すべき催しが無く、寒いのもあって民の気持ちは沈む一方であった。
それは市場などの賑わいにも直結し、春から初冬まで毎日大賑わいだった通りも、今は寒風が吹く人通りの少ない場所となってしまっていた。
それでも冬に獲れる野菜や保存食などを売る店はあり、食材の買い足しに出る主婦などで多少なりとも賑やかではあった。
そんないつもより人通りの少なくなった市場を歩く男が二人。
片方は随分と背が高く、二メートルを越える身長はその存在感をこれでもかと主張している。細身だが背負った十字剣が大きすぎて、更にその男の存在感を増していた。
隣を歩くのはこれまた存在感のある男で、背は標準的で体型も標準だが、格好が奇抜だった。何処となく零番隊の隊服に似てはいるものの、その布面積は圧倒的に少ない。真冬だというのに鳩尾から臍下まで布が無く、また太ももから踝までも布がない。更には二の腕から先も露出している。加えてチグハグなのが、分厚い手袋とモコモコのマフラー、毛糸の帽子を被っているところが防寒したいのかしたくないのか分からない。
そんな謎の二人組は、人通りの少ない市場で特に目立って注目を浴びていた。
「オイ、ダカラ言ッタジャネェカヨ。オレハコノ街にクワシクネェンダカラヨ。案内デキルッテ言ッタノハオマエジャネェカヨ。ヨォ。」
片言の言葉で話す奇抜な男は露出した肘で隣の男を突く。腹を突いたつもりのそれは、身長差によって腰に突き刺さった。
「…痛いぞ。この街は俺が知っている物と随分変わったようだ。こんな場所、俺は知らない。よって案内出来そうもないな。」
奇抜な男の言う事が正しければ、長身の男は開き直っている事になる。
ケッ、と不貞腐れた様子の奇抜な男は、周囲を見回してから一部へ目を留める。そしてそこへツカツカと歩み寄ると、一つの林檎を掴んでまじまじと見つめた。
「店主、コレモラウゼ。」
そう言ってポケットから銅貨を取り出して投げる。注目を浴びている二人組が寄ってきたのに驚いていた店主は、慌てて銅貨をキャッチした。そして顔を上げた時にはもう、二人組は店を離れてしまっていた。
お釣りを渡す事すら忘れてしまっていた事を思い出した頃には、二人は見えなくなっていた。
「オマエノホウコウオンチモタイガイダナ。マサカ古巣ニカエルダケデコンナニ時間カカルトハナ。ナァ。」
怪しい二人組はアルカンタ西部まで来ていた。二人の目的地はもう目の前だ。
「俺の唯一の弱点が方向音痴だ。仕方あるまい。」
悪びれもせず言う長身の男に、奇抜な男はケッ、と息を吐いた。長身の男はそれを無視して歩みを進めるが、奇抜な男もそこまで気にしていないようだった。
そんな怪しい二人が目的地に着こうかという時、彼らの後ろから声がかけられた。
「お?お前らも戻ってきてたのか!久しぶりだなぁ!」
その声は幼い子供のように高く、声の主の見た目も幼い子供のようだった。真っ黒なロングコートど全身を隠している長身の男と同じように、黄色一色のロングコートで首から下を隠している。だが身長がアイルやカリンよりも小さいため、その布面積の差は膨大だろう。
寧ろ奇抜な男の布面積といい勝負である。
更には真っ赤なマフラーをしており、地面につくかつかないかといったところまで垂らしている。
「ン?アァ、オマエカヨ。チイサスギテミエナカッタヨ。アイカワラズチイサインダヨ、オマエハヨ。ヨォ。」
奇抜な男が小さな子供に言う。男の子、としか見えない彼だが、別に子供ではない。妖精族の成人である。
「何だよ。相変わらずなのはお前もだろ?良い加減言葉覚えろよ。なんで片言のまんまなんだよ。お前がちゃんと教えれないからだろ?」
妖精族の男はそう言って長身の男を指差す。彼が手を伸ばしても絶対に届かない位置にある顔を指したその指は、長身の男の小指にも満たない長さだった。
「俺は言葉を教えるのが得意じゃない。俺の唯一の弱点だからな。」
そう言って腕を組んだ長身の男。その動きで背中の十字剣がカチャリと音を立てた。
「はいはい。まぁいいや。団長に報告があるからよ。また後でな。」
早々に見切りを付けた妖精族の男が二人を追い越して歩いて行く。怪しい二人組は顔を見合わせ、ヤレヤレ、と首を竦めた。
そして歩き出した二人組。ものの数秒で妖精族の男を抜き去ってしまう。脚の長さが違う。当然の結果だった。
「ぅおい!俺が先に歩き出しただろうが!そこは気を利かせて後から入ってくるとこだろ!」
やいのやいのと煩い妖精族の男に、二人組は立ち止まって振り返る。たった数歩で随分と距離が空いてしまったようだ。ちょこちょこと駆けてくる彼が追いつくのを待ち、長身の男が口を開く。
「すまない。脚が長いのが俺の唯一の弱点なんだ。…お先にどうぞ。」
そう言って道を空け、手で進む先を示してみせる。その先にはドラグ騎士団本部南門があった。
「モウイイカラコイツハコンデヤレヨ。時間ガモッタイナインダヨ。ヨォ。」
奇抜な男がため息を吐いて案を出す。妖精族の男は少し嫌そうな顔をしたものの、歩いて行けば時間がかかる事は分かっていたため大人しく長身の男に抱えられた。
しかしすぐに暴れだす。
「おい!せめてもう少しマシな抱え方しろってんだ!俺は荷物じゃねぇぞ!」
長身の男は妖精族の男の腹に手を回し、脇に抱えるような持ち方をしていた。それが嫌でジタバタと暴れられては、長身の男も抱え方を変えるしかない。だがどう抱えて良いか分からなかったのか、隣に立つ奇抜な男を子犬のような目で見た。
「コウスリャイインジャナイカ?ホラ、イイカンジジャナイカ。カァ。」
そうして出来たのが、お姫様抱っこである。される側の妖精族の男の表情は無である。最早さっさと行って降ろしてくれ。そう言わんばかりに虚無感漂う彼を見て、奇抜な男はゲラゲラと笑うのだった。
「すまない。気が利かないのが俺の唯一の弱点なんだ。」
妖精族の男は既にツッコむ力もない。大人しくお姫様抱っこされて運ばれるその姿は、いっそ哀れでもあった。