173話
「では、国王はこちらの要求を飲むと?」
革命軍のリーダーは驚いた顔をして目の前に座る絶世の美女を見つめていた。
場所はこの領都を治める伯爵家の住む館。領都で最も大きなこの館は街の中央から少し北側にある。
そんな館の客間で始まった交渉は、リーダーが思うより遥かにスムーズに進んでいた。
「えぇ。こちらが国王より預かった親書。どうぞごゆっくり確認なさって?」
身内に見せる気安い態度は鳴りを顰め、名家出身らしい貴族然とした態度で座るサイ。ただゆったりと座っているだけにも関わらず、それだけで周囲を惹きつける凛とした雰囲気がそこにあった。
出された茶を無警戒に飲むその仕草でさえ、テーブルの周囲に立つ革命軍の主要人物達が目を離せない程美しい。
主要人物たちは国王からの親書を回し読みし、全員が読み終えたところで無言になった。しばしの沈黙が部屋を支配したが、リーダーが唸り声をあげた事で全員の視線が集まった。
「これが本当なら、俺たちは何のために…!」
おそらく、それが革命軍の総意なのだろう。皆の気持ちを代弁したかのように顔を歪めたリーダーが拳を握ってそう言うと、周囲にいた面々も同じ様に顔を歪めた。
何も変わらないのはサイだけである。敵地に一人でいるにも関わらず、黙って薄く微笑むサイはいっそ異様ですらあった。
「リーダー。だがこれはチャンスじゃないか?俺たち民衆の声がちゃんと政治に届くんだって事が証明出来れば…!」
大柄な男がそう言うが、その意見には賛否両論があった。
「でも、それって結局、国王の手のひらで転がされるって事じゃないの?親書の通りに行動しちゃえば確かに私たちの目的は達成出来るけどさ!」
「まずは目的を達するのが先だろう!そうなれば俺たちの念願も叶う!国王の思惑がどうだろうと関係ないじゃないか!」
突如賑やかになった部屋で、サイは変わらず微笑んでいた。実は内心、早く帰って温かい布団で寝転がりたい、などと民衆から"女神"と呼ばれる彼女が考えているとは誰も思うまい。
「お前たち!客人の前だぞ。」
騒がしい部屋はその一言でシンと静まった。無法地帯かと思えば、そこそこ統制は取れているらしい。
リーダーは全員の視線を集めると、一呼吸入れてからもう一度口を開いた。
「失礼、ブルーム嬢。まさかこの様な展開になるとは思っていなくてな。少し話し合う時間を貰いたい。意見が纏まればまた交渉を再開したいと思うのだが、如何だろうか。」
慇懃に腰を折って提案するリーダーだが、それは国王からの使者だから丁寧に接したという訳ではなかった。どちらかと言えば、民衆から絶大な人気を誇るサイに対して、そしてドラグ騎士団に対してのものだった。
しかしそんな事よりも、サイにとって看過できない言葉が混ざっていた。それによりサイの表情がストンと抜け落ちる。
一体何に機嫌を損ねたのか分からないリーダーと周囲の者たちは、一瞬慌てた顔をして直ぐに取り繕おうと口を開く。だが遅かった。
「二つ。貴方たちに言っておく事があります。」
傷一つない細くて長い指を二本立ててサイが言う。その動きと言葉だけで革命軍の面々の口を閉じたサイは、それを確認すると音も立てずに立ち上がる。
そして続けて言葉を放った。
「一つ。ブルーム嬢などと呼ばないで頂けますか。わたくしはブルーム家ではなく、ドラグ騎士団四番隊隊長としてここに来ているのです。そしてもう一つ。貴方達が話し合う時間を持つ必要はありません。何故なら、その親書は提案ではなく決定事項だからです。つまり、書いてある通りに動けば良い。そもそも今回の件を大枠だけ見れば、貴方達による内乱でしかありません。つまり、武力による制圧が基本的な対処となるのです。お分かりですか?貴方達に選択肢など有りはしないのです。」
そう言うサイの眼差しは鋭く、それでいて美しいのだからより恐怖感が増す。誰もが見惚れる美貌で睨まれれば、動けなくなるのだとリーダーは身をもって知る事になった。
だがそこは革命を先導した男。強い精神力で邪念を振り払い、睨むサイを真っ直ぐ見つめ返した。
「…つまり、俺たちは国王の言う通りに動けと?それが今までと何が違う?俺たちはずっと圧政に苦しんできた。無念のまま散っていった同胞達になんと言えばいい?俺たちの苦しみを知らぬ国王に何が分かる!ここでこの紙切れの通りに動いた所で、俺たちを苦しめる存在が領主から国王に変わるだけだろう!ふざけるな、何が親書だ!俺たちは俺たちの思うままにやる。出ていけ!」
語る内に熱くなったのか、どんどんと心の内を吐露するリーダー。革命軍の面々はそれを痛ましそうに見るが、誰も異を唱える事はなかった。
つまりはそれが総意で良いのか、と視線を寄越すサイに、リーダーは睨む事で返した。
はぁ、とため息を吐いたサイはゆっくりと扉へ向かう。そしてノブに手をかけた所で止まり、振り返って笑顔を見せた。
「では、只今を以て貴方達は反逆者として国賊認定が為されました。法に照らし合わせれば、国賊は一族郎党処刑と定められています。何時ぞやのカルム公爵と同じ刑ですね。公爵と同じ裁きを受けるのです。喜びなさい。」
その言葉を革命軍の面々が理解するのに、数瞬の時間が必要だった。その間にサイは扉を開けて外に出ており、入り口前で待っていた部下を連れ歩き出していた。
「…!一族郎党だと…!?そんな、リーダー!俺たち殺されるのか!?」
「聞いてないよ!この街で革命軍に参加した人は多いんだよ!?皆んな殺されちゃう!」
「リーダー!なんて事したんだ!今直ぐに謝って来いよ!」
好き放題騒ぎ出す部屋を後にしながら、四番隊隊員は扉を閉めた。この騒ぎを聞けば交渉がどうなったかなど聞かずとも分かる。
隊員二人を連れて館の出口へ向かうサイもそれを気にする事なく歩いており、そんな隊長を見て隊員は革命軍に哀れみの気持ちを向けた。
「そういえば、地下はどうなったかしら?スタークが向かったのは分かっているし、倒したのも分かっているのだけど。治療には向かったのかしら。」
「はっ。既に副官殿の指示により治療班を出動させております。また二番隊大隊長殿が指揮を執り、万が一のために民の避難誘導をしています。四番隊はその支援にまわっております。追加の指示は御座いますでしょうか。」
いつもと変わらない様子の隊長に、隊員もいつも通りに返す。後ろを歩く部下を振り返り、必要ないわ、と笑顔で言ったサイ。
扉の前で待機していた時に感じた、サイの怒りが籠った魔力。それに震える姿を見られなくて良かったと心から思う隊員。しかしホッとしたのも束の間、前を向いたサイから声がかかった。
「あのくらいで震えるようでは困るわ。訓練のやり直しが必要かしら?きっと、帰ったら五番隊が特訓をすると思うから。貴方たちも混ぜてもらいなさいな。」
こちらを見ていないというのに、敬愛する隊長の飛び切りの笑みが見えた気がした。背中に感じた冷たい何かは、きっとこの寒さのせいだけではない。
それは慌てた革命軍の者が館からサイを追いかけて来るまで続いた。
ヴェルムは今、王城にいる。国王が日の大半を過ごす執務室のソファで、のんびりと紅茶にブランデーを垂らしていた。
「ヴェルム…。忙しいのが見て分からんか?」
呆れた様に息を吐きながらヴェルムに文句を言うのは、この国の王ゴウルダートである。しかしヴェルムは王が何と言おうとお構いなし。我が家のように寛いで紅茶の香りを楽しんでいた。
「邪魔はしていないだろう?それとも君は、紅茶の香りがしていると集中できないのかい?」
ヴェルムの性格は基本的に穏やかで優しい。だが、友とのやり取りは揶揄いを含む事が多く、そんなヴェルムに振り回される国王は若干可哀想でもある。
しかし本人は少しも嫌がっておらず、困ったやつめ、とため息を吐くだけだ。そんな二人のやり取りを眺める宰相も、既にこの光景に慣れてしまった。
年末で色々と忙しい国王と宰相の執務室をヴェルムが訪ねたのには、勿論理由がある。だが突然現れたものだから国王の仕事が一区切りつくのを待つため、こうして紅茶など飲んでゆっくりしているというわけだ。
国王としては、友が見ている中仕事をするのは何だかやり難い。それが例え書類にサインをするだけであってもだ。
しかしそんな国王に救いの手が差し伸べられる。それは執務室の外からやってきた。
コンコン、というノックの音が執務室に響く。次いで外からかけられた声は、ヴェルムの相手を任せるのに大変丁度いい者の来訪を告げた。
「失礼致します。王太女殿下がお見えになっておりますが、如何なさいますか。」
ノックしたのは侍女長だった。城に勤めて数十年。執事長と夫婦で国王の暮らしを支えてきた忠臣である。
「おぉ、ユリアか。入って良いぞ。」
国王の顔に笑顔が戻る。先ほどまでの拗ねた様子は何処へやら、娘が来たというだけで機嫌が回復するのは国王と言えどただの親であるという証左であろうか。
失礼致します、と控えめな声を発して入室して来たのはユリア王女。王太女となってからは正式に公務に参加する様になり、多忙な日々を送っている。
手に書類を持って入って来たという事は、父というより国王に用があるのだろう。
「へい…、ヴェルムさまっ!」
陛下、と言いかけた言葉は、視界に入ったヴェルムに切り替わる。国王としてはショックな光景だった。
唖然とした表情で固まった国王をそのままに、ユリアはススっとヴェルムへ歩み寄り綺麗なカーテシーを見せる。離宮で暮らしていた頃とは比べ物にならない程美しく洗練された所作となっていた。
「やぁ、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ、ユリア王女。いや、王太女殿下とお呼びするべきかな?」
まるで久々に飼い主に会った犬のようにヴェルムに嬉しそうな顔を見せるユリアに、ヴェルムはウィンク混じりでそう言った。
そんな会話一つでも、ブンブンと振る尾が幻視出来そうな程目を輝かせるユリア。宰相は苦笑して斜め前に座る国王を盗み見ていた。
「そんなっ!ユリアで構わないと再三お伝えしているではありませんか。立太子の儀を終えてからは毎日公務で大変ですが、陛下は毎日これ以上の仕事をなさっています。弱音など吐いていられません。今こうして耐えられるのも、全てはヴェルム様を始めとしたドラグ騎士団の皆様のおかげです。」
そう言って微笑むユリアの顔は、迷子としてリクが本部に連れ帰った頃からすると信じられない程別人に見えた。
ヴェルムは温かな眼差しでユリアを見た後、ユリアの視線を誘導するように国王を見る。そこには未だ固まった状態の国王がいた。
「へ、陛下…。失礼をお許しください。」
慌てたユリアがそう言うと、やっと動きだした国王は見るからに落ち込んだ。それもそうだろう。愛娘が自分より男を優先したのだから。
これは愛する娘がいる父親でないと分からない感覚かもしれない。生憎、ヴェルムにはそれが分からない。
しかし妻子持ちの宰相はそれが痛いほど分かってしまうのだった。
「私は拗ねてなどおらぬぞ?別に愛する娘が父である私よりも男を優先したからと言って、そんな事で拗ねる程狭量ではないからなぁ。」
誰がどう見ても言葉と表情が一致しない国王だったが、ユリアはそんな国王に必死に謝っていた。そんなユリアに構ってもらえて嬉しいのか、国王の頬は緩んでいるものの拗ねた態度は崩さない。
同情の視線を向けていた宰相でさえ呆れた表情を隠さなくなった頃、ずっと黙っていたヴェルムがやっと口を開いた。
「ゴウル、そろそろ止めたらどうだい?その気色悪い頬の緩みは見ていて気持ち良くないよ。それから、親バカも大概にしておかないと、ユリア王女に嫌われるよ。」
国王から鋭い視線を向けられたヴェルムだったが、ユリアを目線で示すと国王はその眼光を戻す。怖いと思われたくないらしい。
誤魔化すように咳払いした後、国王は胸を張って声を出した。
「ユリア、私の仕事が落ち着くまでヴェルムの相手をしてくれるか。その後お前にも聞かせたい話がある。」
急に国王として話し始めた父に、ユリアも頷いて了承の意を示した。
「ではヴェルム様。わたくしがお相手では物足りないかと存じますが、陛下の仕事が一息つくまでお茶でも如何でしょうか。」
ふわりと微笑むユリアからは、確かに次期女王の教育レベルの高さが窺えた。ヴェルムは満足そうに笑って頷くと、空間魔法から菓子を取り出した。
「じゃあゴウルが仕事を終える前にこれを食べてしまおう。茶菓子として持って来たんだけど、まだ仕事が終わりそうにないからね。それに、おじさんと食べるより美しい令嬢と食べる方が美味しいに決まっているからね。これに合いそうな紅茶を頂けるかい?」
ヴェルムの言葉を聞いて書類から顔を上げ睨む国王はさておき、ユリアは出された菓子を見て少し考えた後、ヴェルムに断りを入れてから魔法を発動した。
ヴェルムがその魔力を見ればどんな魔法を発動したか分かる。今回ユリアが使用したのは念話魔法だった。
おそらく侍女に送ったのであろう。果たしてどんな茶が出て来るか。ヴェルムは自身が取り出した菓子、月餅を眺めながら笑顔を浮かべていた。