172話
「やっぱり来やがった。だが予定より早くないか?早馬が到着するのに五日か六日くらいはかかるはずだ。それから準備して出てきたにしたって、二日くらいしかかかってねぇ事になる。もしや、俺たちの動きを知っていた…?いや、それなら決起前に制圧されたはず。どういう事だ?」
「リーダー。今はそんな事考えてる暇はないっすよ。"女神"が来てます。対応しないと。国の守護者たるドラグ騎士団を待たせたとあっては、世論で負けちまいます。」
「んなこたぁ分かってる!ここに呼べ。四番隊なら戦闘しに来た訳じゃないはず。俺たちにとって最高の展開になってるんだからな。あくまで俺たちが優位にいるって見せつけるためにも、この館に呼ぶぞ。」
領都で一番大きな館を、革命軍のリーダーが革命の本部として利用していた。捕えられた伯爵家は全員纏めて一室に入れられており、見張りの数も多い。その中には伯爵家の私兵の者もいた。
そう、今回の革命軍の行動が私兵よりも先を取れた理由。私兵団の者が内部にいたからである。
己を見張る者が己の部下である事に気付かない伯爵家の者たちは、哀れにも私兵達に罵倒の言葉を浴びせるだけの置物と化していた。
伯爵家を捕える場所が牢屋ではないのは、革命軍の要求の一つに関係する。不当に扱うつもりはないのだ。
国によって伯爵家が裁かれる事こそが目的なのだから。
「この私を誰だと思っている!ドラグ騎士団が到着すれば貴様らなど即刻処刑にしてやるからなぁ!」
怒鳴り散らす伯爵家当主の男は、そのドラグ騎士団が既に到着しており己の発した言葉を天井裏から聞いているとは思っていない。
五番隊の隠密は地面や石などの上に立てば容易に発動できる魔法で姿を隠し、相手も地続きで立っていれば声も拾える魔法を併用する事で諜報をこなす。
冒険者の中には同じ様な魔法を使って魔物に接近する者もいるが、五番隊のような練度は持ち合わせていないようだ。
今回もすんなり潜入に成功したように見えた五番隊だったが、予想しないアクシデントというのはいつだって発生するものだ。
この館の執務室で不正の証拠を探していたスタークは、近寄ってきた己の部下の気配に顔をあげた。
「隊長。地下を捜索していた小隊が発見され敵と交戦。二名が重症です。」
「なにっ!?」
これまで五番隊は任務で傷を負った事などほとんど無い。あっても魔物相手の戦闘であったり、戦争の時に不意を突かれた場合くらいなものだ。
このような潜入任務で負傷した例は、スタークが隊長となってからは初めての事だった。
「見つかったのか?ならば何故館が騒がしくなっていない…?敵は倒したのか?」
まずは正確な情報を把握するため、冷静になる必要があった。一度深呼吸してから部下に問うスタークだったが、その顔には緊張感が溢れていた。
「近くにいた小隊が合流して戦闘を継続。現在も戦闘中かと。遮音結界にて戦闘音は漏れていませんが、敵はかなりの手練です。指示を。」
普段から平坦な話し方をするこの部下を見て、スタークは自身の心が落ち着いていくのを感じていた。そして隊長である己が動揺してどうするのだ、と喝を入れる。
一度伏せた目がまた上がると、既に動揺は微塵も見られなくなっていた。
「よし、私が行く。四番隊に負傷者を預けろ。それから私の代わりに誰かこの部屋の捜索を。」
緊急事態のため略式の敬礼を返した部下はその場からスッと姿を消す。スタークもそれを見送ると即座に行動を開始した。
「ふむ。闇竜の眷属とは斯様に弱かったのか。数だけ増やして質が低くてはな。地属性ばかりで見飽きて来たぞ。そろそろ終いにしよう。」
地下では謎の男と五番隊の戦闘が続いていた。比較的広いこの空間は、客席に囲まれたコロシアムのような様相だった。
中央の何も無い空間では、大剣を肩に乗せて欠伸をする男性が。その周囲で五番隊が攻撃の隙を窺っていた。
端には肩から腰にかけてバッサリと斬られた跡から出血が続く隊員が二人。隣には一人の隊員がついており、水属性の魔法で必死に血止めをしている。
「ん?なんだ、時間稼ぎに切り替えたか?ふむ…。となれば次に来るのは隊長か?しかし土遊びの隊長ではな。お前達とそう変わらないではないか。」
狙いを分散させるために大剣の男を囲む様に位置取る五番隊に違和感を感じた男はそう言った。だがその言葉に反応を見せるような素人はこの場にはいない。
なんの反応も見せない五番隊を詰まらなさそうに眺めた男はため息を吐き、肩に乗せた大剣を握る手に力を込めた。
五番隊に緊張感が走る。彼らでも目で追うのがやっとな速度で振るわれるその斬撃で、端に寄せた二人の隊員は血飛沫をあげて倒れたのだ。
「隊長が来るならお前達は必要ないな?寧ろお前達が全員地に伏せていた方が楽しい戦いが出来そうだ。ならば時間はない。お前達全員、死ね。」
言い終わるか否かといったタイミングで動く大剣の男。狙われた隊員はすぐに魔法で土壁を作るが、あっさりと上下に分断されてしまう。それを見る事なく移動していたおかげか、大剣の錆にならず済んだようだ。
まるで零番隊を相手しているかのような戦いに、小隊長が遂にハンドサインを出した。
それを見た隊員たちの雰囲気が変わる。大剣の男は振り切った姿勢から元に戻ると、ニヤリと口角をあげた。
「そうだ。最初からそうしていれば良かったんだ。さぁ、見せてみろ!竜の力を!この俺に…」
叫ぶ男は咄嗟に大剣を身体の前に出して防御姿勢を取る。言葉の途中で吹き飛ばされた男だったが、大したダメージはないようだ。地面を削りながら己の足で踏ん張って衝撃を受け止めた男は、先ほどまで自身がいた場所を見る。
そこには竜の様な腕を振り下ろした姿勢の隊員がいた。
「良いね。もっとだ。もっと見せてみろ!闇竜の力はこんなものか!」
吹き飛ばされたというのにテンションを上げる男に、次々と襲いかかる五番隊。
彼らは身体の何処かを竜のそれに変え攻撃してくる。その速度や惰力は先ほどまでとは比べ物にならない。遮音結界が張られているため地上には音が伝わらないが、魔力に敏感な者ならば激しい魔力のぶつかり合いに気付いただろう。
事実、地上で革命軍との交渉に入った四番隊もそれに気付いており、負傷者の可能性も考え地下に隊員を走らせていた。
二番隊の大隊長はサイの副官から許可を取り、地下が崩壊した時の事を考え館周辺にいる一般人の退避を誘導し始めた。
スタークが地下に着いた時、コロシアムは凄惨な光景になっていた。
いたるところに散る己の部下の血。そして転がる部下達。どうやら全員命はあるようだが、放っておけば死んでもおかしくない。だがそれよりも、中央に立つ男の正体に気付いたスタークは驚きが勝っていた。
「何故お前がここにいるんだ。水帝っ!」
水帝。冒険者のトップ六人の内一人に与えられる呼称である。普段は認識阻害の魔法が織り込まれたローブを着ている筈の水帝は、今はそのローブを着ていない。
しかしスタークはその顔を知っていた。
「おや?俺の顔を知っている?更には表向きの立場まで知っているとは。お前が隊長か?」
男はスタークを知らないようだ。意外そうにスタークの顔を見る男は、己の立場を言い当てられた事が不思議だったようだ。
しかし待っていた相手が来たと分かると、嬉しそうに口角をあげる。地面に刺していた大剣を抜き肩に乗せると、スタークに向かって好戦的な笑みを向けた。
「私の部下をよくもここまで…。何故私たちの邪魔をする?」
怒りに身を任せないスタークを意外に思ったのか、男は笑みを消して真顔に戻る。だがその質問への回答は斬撃だった。
姿が消えたかと思う程の速度で駆け出した男。スタークを間合いに入れるまで刹那の時間もかからない。五番隊を斬り伏せたその斬撃は、スタークの身体に吸い込まれるように胴を捉えた。
ガキンっ!!
とても身体に当てたとは思えない音がした。だが実際にその音は男の耳に届き、その手には獲物を斬った感触が伝わってこない。
途轍もない程堅い何かを斬った時の感触に似たそれは、スタークの身体ではなかった。
「その程度の斬撃ではこの護りは突破出来ん。大人しく地に伏せろ。」
ほんの一瞬呆けていた男は、その声が聞こえたと同時に後ろに飛び去るつもりだった。だが、気付けば己の身体は宙を飛んでいる。後ろに飛ぶ筈だった身体は何故か真上に飛んでいた。
そして遅れて感じる痛み。そこでようやく、己は顎を下から殴られたのだと気付いた。
ドサッという音と共に地面に叩きつけられた男は、すぐに大剣を構え直して先ほどまで己がいた場所を見る。
するとスタークは既に次の動作に移っていた。
男は大剣を盾にしてスタークへ向ける。いつの間にかスタークの両手には籠手のようなものが着けられていた。そして腰を落として右手を引いている。
男はこの構えに見覚えがあった。徒手空拳で最強と呼ばれたとある流派の、"居抜き"と呼ばれる技である。
その技は"遠当て"と違い衝撃を遠くへ飛ばす技ではない。もっと密度を上げて貫くのだ。
瞬時に己の死を予感した男は大剣を盾にする事をやめた。魔力を練り上げ氷の盾を生み出す。しかしその衝撃は盾が完成する前に届いた。
ドン!という鈍い音がしたかと思えば、男は左手で構えた氷の盾に穴が空いているのが見えた。防げたと喜んだのも束の間、身体に力が入らないことに気付いた。
「やめておけ。治療せねばお前も死ぬぞ。腐っても水帝。回復魔法くらい使えるだろう。」
既にスタークの両手に籠手は無い。スタークの武器は数多あるが、一番使用頻度が高いのがこの籠手である。
ヴェルムの牙を使って作られたこの籠手は、普段は腕輪としてスタークの腕に収まっている。魔武器と呼ばれる類の武器はアクセサリーとして姿を変える事が出来る。
その素材になったヴェルムの牙が大変な貴重品である事は確かだが、ヴェルムはそのような事は気にしない。家族の安全が買えるならば安いものである。
スタークは負傷した部下達を魔法で一箇所に集め、マジックバッグからポーションを取り出して一人ずつ飲ませていく。
薬では劇的な治療は難しい。四番隊による魔法が必要なのは確かだが、まずは応急処置としてポーションを飲ませたのだった。
このポーションは当然、錬金術研究所の作品である。小隊長以上になるとポーションを常備する事が義務付けられる。隊長クラスになるとマジックバッグに時魔法が付与されるためポーションの劣化は無いが、それ以下だと空間魔法のみ付与された鞄であるため使わなければ劣化していく。
定期的に交換しなければならないため数を準備できず、小隊長につき四本、つまり一人一本という按配になる。
スタークは十本ほど在庫を持ち歩いていた。任務の都合上、治療部隊の援護を受けられない場所に行く事が多いからだ。
だが、こんなにたくさん一度にポーションを使ったのは初めてだった。
「これはいかんな。訓練内容も緊急時の備えも、もっと徹底しなければ。見直しが必要だ。」
既に念話魔法で部下は呼んでいる。直ぐにでも隊員が駆けつけるはずだ。
部下の命を守るためにこれからの日々の過ごし方を考えるが、何事もやりすぎは良くないと思い直す。隊で話し合う必要があるなと結論付けたスタークだった。