168話
冬が明けるまでアルカンタに滞在する商人は多い。かなりの数が使節団と共に帰国したが、それでもまだ特設屋台が並ぶ市場の一画では、周辺諸国の物産展のようになっていた。
まずはそこへ足を運んだリクとヴェルム。リクが考えたコースで始まったヴェルムへの慰労は、まずは買い物らしい。
しかし、国外の物ばかりのためリクも知らない物が数多く並んでいる。ヴェルムの丁寧な説明を聞きながら商品を見て歩くリクだが、寧ろリクの方が楽しんでいる節すらあった。
「へぇ…!こんなの見た事ない!」
リクが若干の興奮と共に興味深々で眺めているのは、東の国の人形職人が作ったという絡繰人形である。
様々な機能が搭載されたその人形は、人形にしては随分と大きい。小さな人形が並ぶ店の前に立ち、時折動いては道行く人を驚かせていた。
「東の国では人形を使って戦闘をする者もいるんだよ。人形使いや絡繰師なんて呼ばれているね。魔力で強化した糸を自在に操って人形を動かして、その人形に戦わせるんだよ。人形には呼吸がないから、間合いや呼吸、目線で攻撃を予測するのが難しい。」
ヴェルムがそう解説を入れると、店主は驚いたようにヴェルムを見た。
お兄さんはよく知っているねぇ、などと朗らかな笑みを見せる店主に、ヴェルムはニコリと微笑むだけで返した。
「てことは、団長も戦った事ある?」
少しヴェルムを見上げてリクがそう言うと、ヴェルムは苦笑しながら頷いた。何やら人形使いとの戦いに嫌な思い出でもあるのかもしれない。
団長?と首を傾げる店主は放っておいて、二人は店を後にする。まだまだ沢山店は出ている。
「人形使いは倒すの大変だった?」
店から離れた所でリクが聞くと、ヴェルムは苦笑したまま懐かしむような表情を見せた。
「初めて戦ったのはリクも知っている者だよ。何せ、今は零番隊にいる。彼と初めて会ったのは東の国で、戦闘もその時に。あの時は大変だったんだ。彼が操る人形を全て一撃で破壊してしまったものだから、彼が戦闘中にも関わらず泣き始めてね。丹精込めて作りメンテナンスもしてきた、謂わば子どものような存在だったらしくてね。なんだか申し訳なくなってしまったよ。」
聞いたリクは当時のその様子を想像した。現在リクが知る零番隊の人形使いは一人。確かに、人形を愛している彼なら全て破壊されれば泣きそうだと思った。
そして、その光景がすぐに想像出来たリクはヴェルムへ同情の視線を向ける。それは大変だったね、と。
「まぁ、絡繰が気になるなら彼に聞けば良いよ。私などより余程詳しい。でも、壊さないようにね。」
最後の一言はウインクしながらのお茶目な発言だった。リクとヴェルムは笑いながら歩き、次の店を探す。基本、リクが気になった店を訪ねるスタイルだ。
「お、やっと来たな。」
珈琲が美味いという喫茶店に入ったのは、周辺諸国物産展となっている市場を抜けた後すぐの事だ。
何故かガイアが客として席に座っており、リクが驚かない事から事前に知っていたのだと予想するヴェルム。ガイアの横にはアズもいた。
「随分と散策してましたね。何か良いものはありましたか?」
アズがヴェルムに問うと、ヴェルムは微笑んで頷いた。リクの好きな所を回っただけだが、ヴェルムもそれなりに楽しめていたようだ。
「大方、姫が興味向いたもんに連れ回されただけってとこだろ。まぁ、その分俺たちもゆっくり待てたけどな。」
ガイアの言う事は的確に事実を捉えていた。流石に付き合いが長いと予測も立つらしい。
しかしそれから直ぐにガイアから、あだっ、と悲鳴が上がる。どうやらテーブルの下でリクがガイアの足を蹴ったようだ。
ヴェルムがリクを見ると、リクは満面の笑みを浮かべてヴェルムを見ていた。何か言おうとしてやめたヴェルムは、果たして正しかったのか。
「失礼します。こちら珈琲とココアです。ごゆっくりどうぞ。」
そんな戯れが続いていると、マスターがカウンターから出てきてヴェルムたちが座るテーブル席に飲み物を二つ置いて行った。
ヴェルムはここに来てから注文をしていない。既にガイアが頼んでいたのだろう。リクのためのココアも準備している辺り、ヴェルムたちが来る前に注文をしていたに違いない。
ヴェルムは目の前に置かれた珈琲の入った白いカップを口元に運び、湯気と共に立ち昇る芳醇な香りを吸い込んだ。
鼻腔に広がる珈琲の香り。濃い目に淹れられた珈琲からはなんとも言えない奥深い香りが広がっていた。
マスターが立つカウンターの前にはサイフォン式の道具が置かれている。これだけの香りが出せるマスターだ。その道具にも並々ならぬ拘りがあるに違いない。
そもそも、ガイアがよく来ているであろうこの店を疑う事はしていない。それだけガイアが珈琲に煩い事は知っている。
流石はガイアが認めた店、などと思いながら一口珈琲を口に含む。
香りから想像した味わいとは違う味がして驚いたヴェルムは、思わず手に持ったカップを見る。そして珍しくもう一口続けて飲むと、何やら少し考えた後にガイアを見た。
「珍しいね。南の国、それも獣人国の珈琲と西の国の珈琲のブレンドだ。方向性が違うから合わないのかと思っていたけど、ここまで合うものなんだね。」
ヴェルムがそう言うと、ガイアは笑っていた。隣に座るアズは微笑んでおり、リクは興味がなさそうだ。
笑うガイアがカウンターへ目を向けると、そこには大変驚いた表情のマスターがいた。
「ほら、言ったろ?産地まで当てられるぜ、ってな。」
その一言で、ヴェルムたちが来る前にどんな会話があったか予想が出来たヴェルム。だが自分にとって新しい出会いがここで出来たのだ。文句はない。
「お見それしました。こちらケーキになります。」
驚きから復活したマスターが出してきたのは、フルーツケーキとチョコレートケーキだ。この季節までフルーツを保存出来る店は多くない。だがその理由にヴェルムは気が付いていた。
「マスターも珍しい方だね。もしかして、自分で仕入れに行っているのかい?」
ヴェルムが声を落としてガイアに問う。するとガイアは苦笑して頷いた。どうやらガイアも知っているようだ。
「僕たちはこのバッグがあるから良いけど、マスターはカリンみたいに自前って事だよね。自分で直接行かなくてはいけないけど、これが買えない人にとってはそれでも大したアドバンテージだよね。」
アズも声を落としてそう言った。リクは何のことか分かっていない様子だったが、アズのその言葉を聞いてマスターを見てから、納得いった様子でココアに息を吹きかける作業に戻る。彼女は猫舌なのである。
そう、この喫茶店のマスターは世にも珍しい空間属性魔法使いだ。ヴェルムはそれを魔力を視る事で知った。普段から魔力を視るという行動はしないため、視れる者でも気付かない事が多い。
リクはアズの言葉を聞いて魔力を視たのだ。
「ここのマスター、良いだろ?まぁ、ちょっとばかり通な奴が来るとこんな事して試す、ちょっと性格悪い人だけどな。」
ガイアがそう言うと、アズはふふ、と笑う。ヴェルムもそれをされた側だが、特に気にするような事でもない。同じく穏やかに笑った。
「煩いですよ、ガイアさん。」
カウンターから聞こえる文句に、三人はまた笑った。
それから四人はケーキを食べ、飲み物を一度おかわりしてから店を出た。支払いはガイアだ。どうやら、今日はヴェルムに支払わせるつもりはないらしい。
ヴェルムは有難くその申し出を受けた。
「じゃ、俺らは仕事に戻るからよ。姫、あんま予定より遅くなるなよ?あと、迷子にもならんようにな。」
「ならないよ!さっきはちょっといつもと違う店があって楽しくなっちゃっただけ!ほら、ガイちゃんとあーちゃんはさっさと戻って!」
そんな二人のやり取りを微笑んで見ていたヴェルムとアズ。賑やかながらもガイアとアズは本部に帰って行った。どうやら仕事の都合をつけてここに来ていたらしい。休憩を纏めてこの時間に充てたという事だろう。
ヴェルムの記憶する限りでも、今日休みの隊長はリクだけのはずである。
二人が去った後に残されたヴェルムとリク。互いに目を合わせると、ヴェルムはスッと肘を曲げた。それに慣れたように手を添えるリク。
エスコートは男性が先を歩きほんの少し斜め後ろを女性が歩くものだが、リクがあちこちに興味を示すためあまり形になっていなかった。
周りから見れば、彼女に振り回される彼氏そのものだろう。もしくは、妹に振り回される兄、か。
だがリクはアルカンタでは有名人だ。そして民はリクの仕事を知っている。何せ普段は隊服で腕章も付けたまま街を歩いている。
そんな彼女が団長と呼ぶ相手は一人しかいない。ヴェルムを見た事がない民も、あんなに若い方が?などと思いはするが不思議と納得出来た。
ヴェルムからは何か神々しいまでのオーラがあるような気がした。それは二人が去った後の街で民が話し、同じ認識を持つ者が多かった事から、流石団長はオーラが違う、などと言われるようになる。
それからも様々な店を冷やかして歩く二人。偶に気に入ったものは買っているが、リクは今日マジックバッグを持ってきていない。ヴェルムはそもそも持っていない。が、空間魔法がある。二人が買ったものは全てヴェルムの空間に入れている。
アルカンタの中央広場から少し行った所に建つ、大きな時計塔がある。それは民に時を知らせ、日に三回鐘の音を鳴らす。朝六時、昼十二時、夜六時だ。六時間毎に鳴らされるそれは、建ったばかりの頃は夜十二時にも鳴っていた。
しかし既に寝ている民が多く、煩いと苦情が来た。僅か二日で夜の鐘は鳴らなくなったが、今でも観光名所としてこの塔を訪れる者は多く、案内の者はこの話を聞かせる。アルカンタの民なら知っている話だ。
そんな時計塔から昼の鐘が鳴る。
午前の仕事はこれで終わり。飲食店にとっては忙しくなる戦いのゴングだ。
様々な店から人が出てきて、通りは急に騒がしくなる。それまでも人はいたが、それとは比べ物にならない人の数に埋め尽くされた。
二人は先ほどケーキを食べた為、腹は減っていない。そして二人が向かっているのは、逆に昼になって人が減ったとある店だった。
「いらっしゃいませ。ご無沙汰しております。お待ち申し上げておりました。さぁ、どうぞ。」
丁寧に二人を出迎えたのは、この店のオーナーである。二人が来たのは服飾店だ。店には様々な衣装が飾られている。他にも、服に合わせたアクセサリーや靴なども置かれており、それ専門の店が複数入った店になっている。
「久しぶりだね。まさかここに来るとは思っていなかったけど、話は通っているんだね。」
ヴェルムは途中でリクを見ながら言う。リクは笑顔で頷いているし、オーナーもヴェルムと知り合いであるらしい。
「暖かくしておりますので、是非中でお寛ぎください。」
そう言って案内されたのは、特別な客を案内する別室だった。
ごく稀に貴族が買いにくることもある店のため、そういう部屋は必ず複数準備している。というのも、貴族は自分で足を運んで買い物などしない。呼びつけるのだ。
だが、偶に来る事もある。更に、金の無い貴族は直接来る事もある。呼びつけるだけでかなりの金額がかかるからだ。
その部屋に暖炉は無かった。しかし部屋は温かい。部屋の隅に置かれた魔道具の効果だ。魔道具が買える程にこの店は稼ぎがあるようだ。
暖房の魔道具と呼ばれるそれはドラグ騎士団発祥である。
薪を大量消費するのは勿体無いのでは、という意見から生まれたそれはもう随分と前の事になるのだが、今でも材料費などがかかるため庶民では中々手が出ない金額だ。
しかし安価な設計の暖房魔道具が世に出た為、今では街の者ならほとんどが入手している。持っていないのは村の者や安価なものでは寒さに耐えられない極北の者たちくらいだろう。
外国では税がかかるためあまり普及していない。グラナルドの特権だろう。
二人はソファに座り、オーナーの歓待を受ける。ヴェルムはここに来た理由が分からなかったが、リクのする事に口を出すつもりはない。
「ヴェルム様のおかげをもちまして、現在このように広い店を持つ事が出来ております。あの時、学園長から紹介されたヴェルム様に我ら従業員一同救われるとは思ってもおりませんでした。私たちに今があるのは、全て学園長とヴェルム様のおかげで御座います。改めて礼を言わせてくださいませ。」
そう言って丁寧に頭を下げるオーナー。近くに立っていた秘書と思わしき女性も深々と頭を下げていた。
リクはそれを笑顔で見ており、事情を知っているのだとヴェルムは気付いた。
「私は少し思いついた事を言っただけだとあの時も言ったよ。こうして店が流行しているのは君たちの実力に他ならない。どうしても感謝したいのなら、それは君たちを育て私を紹介した学園長に。」
ヴェルムが穏やかに微笑んでそう言うと、オーナーは頭を上げて勿論と頷いた。
「学園長には毎年当店から服をプレゼントさせて頂いております。しかしその度にお知り合いの貴族の方を紹介して頂いておりまして…。恩を返すつもりが更に恩を重ねているので御座います。ですのでご家族の分も全てお贈りする事で少しずつお返ししております。ヴェルム様にも何か出来ないか、と考えていた所に、こちらのリク様よりご連絡があったものですから。今回は当店の全てをもってヴェルム様に似合う服を準備させて頂きました。」
そう言われてやっとここに来た理由を知ったヴェルム。リクを見れば、相変わらず満面の笑みを浮かべている。
普段、ヴェルムは私服を着ない。毎日隊服を着ているためだ。だがこうして出かける服が無いわけではない。
あって困るものでもないため、ヴェルムは有難くこの申し出を受ける事にした。
オーナーの合図によって部屋に入ってきたのは、この店の職人たち。
ヴェルムの提案によって集まったこの職人たちは、当時売れ行きが低迷して食うに困っていた者たちだった。
素早い行動で綺麗に並べられた服や靴、アクセサリーの類。それはどれもヴェルムのために誂えられたもので、サイズなど全て完璧だった。
これは事前にリクがアイルに頼んで入手したもので、半年前には既に連絡を受けていたのだ。
慰労会の日のリクが発した言葉は、この店にヴェルムを連れて来るためのものだった。それに他の団員も便乗した結果、先ほどの喫茶店のようなイベントまで追加された。
リクとしては元々、この店で着替えて一日デートをするつもりだった。だがこうなったらこうなったで良いか、と切り替えて今日を楽しんでいる。
アイルによってコーディネートされた服は制作科の力作だが、最新の流行を生み出し続ける服飾店には今ひとつ敵わない。
制作科が作った服は戦闘でも耐え得る防御能力を有するが、その点に関して負けるのは仕方ない。
そもそも、戦闘にも耐え得るオシャレ着という時点で矛盾が生じる。防御能力を上げようと思えば、デザインがシンプルになるのが当然だからだ。
早速着替えを、と別室に案内されるヴェルム。リクはそれを笑顔で見送った。