165話
「申し訳ございません。現在、陛下は東の国との会議中です。緊急のご用件でしょうか。」
舞踏会が無事に終わったかと思えば、国王はすぐに会議を始めたらしい。相変わらず忙しない事だと正装のままのヴェルムは思う。
しかし、国王がそうして身を粉にして働いているからこそ、国民は安定した生活を送る事が出来るのだ。
ヴェルムは扉の前に立つ近衛騎士に首を振ると、元来た道を戻り始めた。一人で歩く城内は久しぶりな気がした。
しばらく歩いていると、舞踏会から帰る客の最後の方がまだ城内にいる事に気が付いた。
最初にグラナルドの王族が退場し、それから外国の使節が退がる。会場入りした逆の順番で帰り始めるのだが、これは王宮のロータリーで馬車が混雑するのを避けるためだ。
上の者が帰らねば家に帰れないのはどこの世の中も一緒である。
まだ残っているのは、騎士爵や男爵、それから平民であろう。最後まで残らなくてはならない者たちだが、それによる益もある。最後までいるということは、身分が近いのだ。初めましての挨拶は他貴族の紹介がないとしないのが貴族のルールだが、こんな場では偶々舞踏会で会ったと言い訳が効くため自由に挨拶をしてまわる事ができる。
こうして舞踏会終了後に顔繋ぎが始まり、有力な平民とも繋がりを持ちたい爵位の低い貴族がこぞって残る。
ヴェルムはそんな貴族たちから意識を戻し、己が向かう方向へ目を向けた。すると、一人の女性が供も連れずに城の内部へ向かうのを見かけた。
現在ヴェルムは城の奥から出てきたところだ。そして女性が向かうのも城の奥。つまり、このままだとすれ違うだろう。
ヴェルムは少しだけ何かを考えた後、放置する事に決めた。
いざその女性とすれ違う時、女性はヴェルムを見て顔を真っ赤に染めて驚いていた。服装でドラグ騎士団だという事は分かるだろうが、それだろうか。などと考えながらもヴェルムは軽く会釈して通り過ぎる。
その後もしばらく女性はヴェルムの後ろ姿を見つめていた。それが分かっているヴェルムはなんだか背筋が寒くなったような気がした。
無事に本部へ戻ってきたヴェルムは、寄ってきたセトとアイルに正装のマントや上着を預ける。
このまま座り込みたいところではあるが、そんな事をすれば二人からなんと言われるか分からない。ヴェルムはすぐに着替えていつもの隊服に戻った。
「国王へは顔見せ出来ましたかな?」
着替えて戻った団長室では、セトが珈琲を淹れていた。アイルはいない。もう夜遅いからだ。正装を片付けたらそのまま休むよう伝えた。
「どうもパーティーの後すぐに東の国との会議を始めたようだね。やっぱり忙しいみたいだ。今日はそのまま寝るかもしれないね。」
そう言って熱々の珈琲に口をつける。南の国から輸入された珈琲だ。濃い黒の珈琲が、真っ白なカップの中で揺れる。隣に置かれた小さなバタークッキーは何故かクマの形をしている。
そんなクマを手に取り口に放り込んで噛むと、香ばしいバターの香りが鼻腔を駆け抜ける。そしてまた珈琲を飲めば、苦い味がバターの香りと混ざり合いコクが生まれる。
ヴェルムの気に入っている組み合わせだ。セトはそれをよく分かっている。
「左様ですか。ではまた後日にいたしますか。急ぐ用事でありませんしなぁ。」
そういって笑うセトも立ったまま珈琲を飲んでいる。普段なら絶対にしない仕事中の飲食だが、二人の中で何か互いに労うような事があれば二人で茶や珈琲を飲むくらいはするのだ。
今回は舞踏会おつかれさま、という意味である。
アイルには見せられないため彼がいない時だけ、という条件付きでセトが合わせている形だ。ヴェルムとしてはソファに座ってくれていいのだが、セトはそこだけは譲らない。よって執事が立ったまま珈琲を飲むという謎な光景が出来ているのだが、これが二人の形であるならばそれで良いのだろう。
「ゴウルはしばらく忙しいだろうから、王城関係はしばらく放置だね。年が明けたらすぐに動き出すから、そちらの準備を頼むよ。」
既に一杯飲み干したヴェルムは既に仕事を始めている。舞踏会に出ていたため今日見なければならない仕事がまだ少し残っていた。
セトも珈琲をクイっと飲み干すと、ヴェルムが飲んでいたカップと自身が使用したカップを魔法で綺麗にして棚に戻す。
それからヴェルムの仕事に必要な書類などを取りに部屋を出て行った。
「最近は毎年何かしらあるね。あぁ、何もない平和な一年を過ごしたい。」
ヴェルムの呟きを拾う者はいない。静かな部屋に、時計が時を刻む音とペンが文字を刻む音だけが響いていた。
建国記念祭が終わり、行事は全て無事に終わった。
最終日のパーティーでは周辺諸国の使節が集まり、それぞれ与えられた王城内の一室で休んだ次の日。
ドラグ騎士団の本部には客が来ていた。
「お主は歳を取らんのか?見た目がまったく変わっておらんではないか。」
団長室のソファで寛いでいるのは、壮年の男性だ。彼の後ろには筋骨隆々の騎士が立っている。そしてその横には零番隊隊員のシドが暇そうに立っていた。
「そう言う君は随分と老けたね。もう世代交代の時期かい?」
ヴェルムは男性に軽口を返す。後ろに立つ騎士の形相が一気に怒りの表情に変わるが、ヴェルムはそれを無視した。
言われた男性も笑っており、然り、然り、と言いながら手を叩いている。
シドは相変わらずつまらなさそうだ。
「今回来たのはそれだ。お主に私の後継候補を紹介しておこうと思ってな。本当はそこのシドに頼もうと思ったのだが、此奴既に主君がおると抜かしおった。だが無理に連れてきて正解だ。お主なのだろう?此奴の主君とは。」
当たりである。シドもヴェルムも態度に出したつもりもないし、そもそもヴェルムはシドの主君になったつもりなどない。他の団員と同じ家族である。
しかしシドはそう思っていない。やり取りこそ友達のような話し方をするシドだが、心の底からヴェルムを敬い慕っている。
どうやらそれがこの男性には分かってしまったらしい。
「へぇ。流石は騎士王。忠義を見抜く力は健在だね。昔よりも鋭い。それで?後継候補とやらは後ろの彼かい?」
ヴェルムはシドとの関係に関して明確な肯定はしなかった。ヴェルムはシドの事を臣下だとは思っていないからである。しかしその気持ち自体はありがたく受け取っており、互いの気持ちのちょうど良い関係が今のシドとヴェルムのフランクな関係なのだ。
ヴェルムはそう言って騎士王の後ろに立つ騎士を見る。彼は候補と言われ明らかに機嫌を良くした。そしてシドをチラリと見てどうだと言わんばかりに鼻を大きく膨らませた。
シドはそれ自体見ておらず、呑気に欠伸などしている。それが気に障ったのか、騎士は自慢げな表情から一転、鋭い眼光でシドを睨みつけた。
表情がコロコロ変わって面白いなぁ、などと思っているヴェルムは騎士王へと視線を戻すと、騎士王は給された紅茶を飲んでいるところだった。
大きな手に持ち上げられたカップは普通のサイズだというのに小さく見える。武人とはいえ一国の王。その飲み方は綺麗で洗練されていた。
「候補の一人だ。だが、実力という意味では我が国でも屈指だろう。後はこの性格さえどうにかなれば良いのだが。上には上がいると最近シドに教えられたばかりなのだがな。どうにも分からんらしい。それでは王にはなれないと何度言っても伝わらぬのだ。」
カップを音も立てずにソーサーに戻した騎士王は真っ直ぐにヴェルムを見て言う。
つまり、本部へ来た理由は彼を叩き直せという事なのだろう。力業でいいなら簡単だ。だが最悪の場合こちらが恨まれるだけに終わる可能性がある。
そんなヴェルムの考えを察知したのか、騎士王はソファに背を預けて笑った。行儀が良かったり悪かったり忙しない王である。
「分かっているなら言うけどね。その子じゃうちの非戦闘員にも勝てない。それどころか、準騎士にも完封されてしまうよ。それなのに同じ目線でしか測れない子なら、田舎でお山の大将をしているといいよ。私たちに迷惑をかけないでほしい。」
ヴェルムはハッキリと拒否した。騎士王はその言葉に笑いが更に強くなる。既に腹を抱えて笑っており、息を吸うのも大変そうだ。
当然、後ろに立つ騎士は顔を真っ赤にしている。これだけ侮辱されて怒らない者など滅多にいないだろう。
彼の反応は普通だ。そして、普通では王とはなり得ない。
この反応こそ彼が王の器ではない事の証明だと分かっているのは、彼を除いたここにいるすべての者だ。故に騎士王は笑った。これも一種の試験なのだろう。そしてその結果が出る。
「何故貴様に私の実力を非難されなくてはならない!私の力を見た事もない奴が!確かにそこのシドに私は敗れた。だがシド程の戦闘力があれば人間とは呼べん!あれは人外の力だ!騎士の国は人間の国。であれば人間が王となるのは当たり前ではないか!」
怒りで言っている事が支離滅裂な騎士。彼にとってはシドの文句が言いたかっただけなのかもしれない。しかし、シドは退屈そうな表情から一変、急に嬉しそうにヴェルムを見た。
「おい、聞いたか?俺、人外だってよ!一般人から見ても人外なのかぁ。これで一歩ヴェルムに追いついたんじゃねぇか?」
人外と呼ばれて喜ぶシド。彼にはヴェルムの血が流れている。そう、既に人外なのだ。性格な種族名などないが、シドは元々ヒト族だ。竜の血が流れたところで竜人族とはいかない。
竜の血が流れたヒト族、というのが良いところだろう。しかしある意味人外なのは確かである。
ヴェルムは喜ぶシドを呆れた表情で見ていたが、それ以上に騎士が驚いていた。自身の渾身の罵倒がまさか喜ばれるとは思ってもいないだろう。
ようやく笑いを収めた騎士王が咳払いをするまで、騎士は呆気に取られた顔を晒していた。
「まぁ此奴が王に向いていないのは重々承知しておる。実はな、もう一人候補を連れてきとるのだ。そちらも顔合わせしてやってくれんか。」
騎士王の言葉に、そちらが本命なのだろうとヴェルムは気付いた。人の素質や忠義を見抜く力を持つ騎士王が、こんな俗物を後継に据える筈がない。実力は国でも上位かもしれないが、これでは王たり得ないとは誰でも分かるではないか。
しかしもう一人会わせたいと言われれば流石にそちらが本命だと嫌でも分かる。
そして何か協力を求められれば、先ほどの騎士が王になるよりはマシだ、と手を貸す気になる。
騎士王は策も上手くないといけないらしい。
しばらく待つと扉がノックされ、団長室前に立つ護衛の零番隊隊員から声がかけられた。
「失礼します。騎士の国よりお客様がお見えです。」
最近セトが仕込んだため普段とは違う紹介をする護衛。彼は頑固で融通が効かない。どのように仕込んだかは分からないが、毎回身内すらも肩書きから紹介するのは時間の無駄だとヴェルムも思っていたところだ。
今回は少しユーモアを含んだ紹介になった。この紹介ではわざわざ騎士の国からここまで旅して来た客が到着したような言い方だ。
しかしヴェルムはこれを気に入った。嬉しそうに、どうぞ、と声をかけると静かに扉が開く。
入ってきたのは青年だった。
「来たか。紹介するぞ。もう一人の後継候補だ。ここで鍛えてもらおうと思ってな。数日滞在する予定だ。頼む。」
既に決定事項のように話す騎士王に、ヴェルムは呆れた視線を向ける。だが騎士王の真剣な様子に、一度だけため息を吐いてからセトを見た。
セトはニコリと笑って頷き、静かに部屋を出ていく。客人たちの部屋を準備するためだ。
念話で指示すれば良いのだが、客がいる前で魔法を使うのは失礼に当たる。例えそれが気付かれない程の実力で隠されたとしてもだ。
気安い相手なら兎も角、この様に気性の荒い騎士がいるところでやるには向かないと言えるだろう。
「そうだね。君に足りないのは剣の実力かい?」
唐突に始まったヴェルムの質問に、焦る事なく青年は頷いた。自身の弱点を曝け出すに等しい質問にも素直に答えるその姿勢は、事前に騎士王から聞いていたにしてもどこか危ういところを感じさせる。
「一番得意なのは槍だろう?どうして剣でないといけないんだい?戦争では槍の方が多く殺しているだろうに。」
ヴェルムがそう言うと、青年は驚いた顔をして騎士王を見た。
騎士王は真剣な表情で頷く。青年はそれを受け一度深呼吸をしてヴェルムを見た。
「槍を他の騎士たちに見せたことはありません。槍を使用するのは許されていますが、槍使いが王になった事はないからです。しかし僕には剣の才能がなかった。王様は槍で王位を掴めと仰います。でも槍使いが王になった事がないのには理由があると思って…。」
青年がそう語るのを、ヴェルムは微笑んで見ていた。いつだって悩むヒトたちは美しい。ヴェルムはそう思っている。
悩むというのはある程度の知性がないと出来ないからだ。本能に従って生きているうちは迷いも悩みも無い。
ヒトは悩みに打ち勝ち進化してきた。だからこそ面白いとヴェルムは考える。
「分かった。では取り敢えずその槍の実力を見せてもらおうか。」
ヴェルムの一言で状況は動き出した。