163話
「国王陛下、並びに王太女様のご来場です!」
会場の裏方である従僕やメイドの統括、侍従長の声が響く。賑やかさを取り戻した広い会場でもその声はハッキリとよく通った。
よく見れば侍従長の胸元には過去ドラグ騎士団の研究員たちが開発した拡声の魔道具が見える。ドラグ騎士団が世に送り出した発明品は、ここでも活躍の場があるようだ。
既に最初の客が来てから一時間は経っている。身分が下の者から入場するため、騎士爵や平民の商人、冒険者などはかなり待たされているだろう。
ようやくか、といった空気にならないのは、粗相があれば二度とこの会場に足を踏み入れる事が出来ないからである。
他国の王族とドラグ騎士団以外は頭を下げて国王と王太女が来るのを待つ。二人のために最奥に置かれた豪奢な椅子に王族二人が腰掛けると、宰相が歩み出て祝詞を唱えた。
「国王陛下、そして王太女様。建国三百五十年、心よりお祝い申し上げます。新たなグラナルドの歴史に歩み出すべく、わたくし共臣下一同、身を粉にして尽くす所存で御座います。これからのグラナルドに幸あれ!」
他国からの来賓が来ているため、国王陛下万歳、などとは言わない宰相だったが、言いたそうにしているのは下げた頭に隠れた表情が物語っている。
三百五十年という節目に、代表として国王に挨拶出来たこと。宰相からすれば格別の想いだろう。
万雷の拍手に包まれた宰相が王族の前を離れると、機嫌良さげに頷いた国王は立ち上がり手を挙げて拍手を鎮めた。
「今宵は建国記念祭最終日。この日のためにお集まり頂いた諸国の方々も、特別に招待された冒険者や傭兵、商人も。三百五十年という歴史に想いを馳せ、共に祝おうではないか。グラナルドはこれから四百年でも千年でも続く国家となろう。しかし忘れるな。それにはこの場にいる者をはじめ、皆の家族、友人、そして民達があっての事だと!さぁ乾杯を。グラナルドに!!」
「「「「「グラナルドに!!!」」」」」
国王の乾杯の音頭に続き、一斉に唱和される乾杯の声。貴族はグラスを合わせる事はしないが、一般の民にはグラスを合わせる事で魔を払うと信じられている。
唱和の後は静かな時が訪れるが、グラスに口をつけた後は自由な時間だ。これから大変なのは王族二人で、この場にいる者たちの挨拶を受けねばならない。
余談だが、国王が話しはじめてから全員にグラスを配った給仕たちは一仕事したと達成感に溢れた顔をしている。しかしそれも束の間、乾杯で飲み干したグラスを交換する者があちこちにいる。給仕たちは慌てた素振りも見せず、次の戦場に散らばって行った。
「おぉ、アイシャ王女。息災か?西の国の件は災難だったな。しかし、援護が間に合ってよかった。王女の父上や祖父殿にもよろしく伝えてくれ。」
グラナルド国王、ゴウルダート・ラ・グラナルドは目の前に立つ南の国の王女アイシャに合わせ立ち上がり、娘を見るような慈愛の表情で話している。
それに対したアイシャ王女も、親密な笑顔で応えている。
最初に王族への挨拶に上がったのはアイシャ王女だ。それには当然理由がある。
今年は事情があり来ていない西の国や、北の国、東の国はグラナルドとそこまで仲が良くないのだ。それどころか、以前は北の国の内乱に巻き込まれ、西の国からは蝙蝠族の乱で間接的に被害を受けている。
また、東の国は数十年前まで戦争をしていた相手だ。今はどこも戦時中ではないが、同盟を結ぶでもない。互いに多少の貿易はしているものの、そこまで結びつきが強くないのも確かだった。
その点、南の国は昔からグラナルドと強い同盟関係である。そのため、変わらず二国間の同盟はうまく行っていますよ、と内外に示すために最初に挨拶をするのだ。
だからこそ、国王と王女が親密な様子は他国への牽制にもなる。これを見た諸国は、グラナルドだけでなく南の国にも手を出せば大国二つを相手にしなければならないと警戒するだろう。
気軽なやり取りの中にも様々な思惑が入り乱れるのが政界である。
「我が国の陛下も前国王様も、お二人にお会いできない事を随分と悔しがっておられましたわ。…まぁ、一番はとある殿方にお会いしたかったようですが?」
アイシャ王女は後半だけ少し声量を落としてチラリと後方を見る。その先にドラグ騎士団の集まりがある事は言うまでもないが、急に会話が聞こえなくなった周囲は何かしら勘違いをするだろう。その直前に南の国の国王の話が出ていただけあり、それはもう様々な憶測が飛び交う。
こういった事でさえ政略に利用するのだから、王女というのは可愛いだけではやっていけない。
口を挟まずとも黙って聞いているユリア王太女は内心、アイシャのその社交術を参考にしようと前のめりになっていた。
「ユリア様も。お元気そうで何よりですわ。お話はこれでもかとしたい所ですが、後がまだたくさんありますものね。わたくしは此処で下がらせていただきますわ。では陛下、最後にもう一度。グラナルド建国三百五十年、誠におめでとう御座います。これからも我が国との悠久の友としてよろしくお願いしますわ。」
南の国らしい暖かな色合いのドレスを翻し去っていくアイシャ王女は、会場の視線を大量に集めた。
若くも美しい完成された可憐で優雅な美に、グラナルドの貴族達は釘付けだ。早速、お近付きになりたいという下心の見える貴族の若者が歩み寄って行く。
それはまるでフラフラと光に集まる羽虫の如き光景だった。
それは、諸国の来賓やグラナルドの上位貴族の挨拶が終わった頃だった。
ドラグ騎士団団長ヴェルムは、挨拶に来た貴族や仲間達と会話しそれなりパーティーを楽しんでいた。その時は丁度、カサンドラと話をしている時の事だった。
「あの、ドラグ騎士団の団長様でよろしかったでしょうか。」
控えめな声でヴェルムの横から声をかけたのは、東の国の袴という着物を来た青年だった。
ヴェルムには心当たりのない青年だったが、尋ねられたのならば応えねばならない。ヴェルムはカサンドラへ軽く手を挙げると、カサンドラはフッと笑って青年を手で示した。どうぞ、という事だろう。
「確かに、私がドラグ騎士団の団長ヴェルム・ドラグだよ。君は?」
通常、身分が下の者が上の者に話しかけるのは礼儀知らずだと言われる。だが、それは国内の話であり更に言えば他国から見ればヴェルムはただの騎士団長。この青年が身分の高い者なら無礼とは言えない。
しかしそれでも話しかけておいて自分から名乗らないのは礼儀が無いと言われても仕方ない。そういった意味でヴェルムは敢えて固い表情で返した。
「す、すみません。名乗りもせずに。わたくし、朧の王子付きの者で御座います。その、王子が是非団長様と話がしたいと仰せでして。なんでも、兄が世話になっている礼が言いたい、とか…。」
普段ならヴェルムはこれを断っただろう。他国の王子とはいえ、呼ばれてホイホイ着いていくような下っ端ではない。それで国際問題にでもなればゴウルから叱られもしようが、仮にそうなっても気にしない。
ヴェルムは基本的に国と国のいざこざに興味がない。必要だから情報を集めるだけだ。
しかし今回はそうならなかった。何故なら、その王子が言う兄とやらに思い当たる事があるからだ。
「もしや、王子とは竜司殿下かい?」
ほとんど確信を持った表情で聞くヴェルムに、お付きの者は大層驚いた顔をした。まさか主君の名が出るとは思わなかったのだろう。
しかし知り合いなら話は早い、と安心したお付きの者は頷き、あちらでお待ちです、と彼の後方を示す。
ヴェルムはチラリとゴウルの方を見ると、国王ゴウルダートはこちらを見ていた。そして微笑んだまま頷いた。
東の国の王子とグラナルドの護国騎士団が接触したとなれば、他国に変な誤解を与える心配もある。特に今年は、大陸南西の小国、通称騎士の国が来ている。
国同士のいざこざに興味のないヴェルムだが、国の長である友が自分のせいで余計な仕事を増やして困るのも避けたい。しかし許可が出れば堂々と接触出来るではないか。ダメなら裏で接触するところだったが。
「では案内してくれるかい?二人とも、また後で。」
カサンドラと爺に断りを入れるヴェルムに合わせ、話を中断してしまったお付きも共に頭を下げた。
カサンドラは既に半身を料理が並ぶテーブルへ向けており、片手でシッシッと追い払うような仕草をした。彼女にしてみれば、ヴェルムは本部でいつでも話せる相手だ。余計な気遣いはいらないから行ってこい、という事だろう。
爺はそんなカサンドラに呆れた表情を向けたが、すぐにヴェルムに向かって頭を下げた。普段はカサンドラと同じく他人にはぶっきらぼうな言葉で、顔も厳ついため恐れられる爺だが、基本は気遣いの出来る礼儀正しい男だ。特にアイルとカリンの二人を相手にする時はその厳つい顔もダラシなく緩む。
そのギャップが可愛い、と語るのはリクである。
ヴェルムはそんな二人に苦笑しながらお付きの後をセトと共に歩き出した。
「あぁ!貴方がヴェルム殿ですか!兄がお世話になっているとか。一度ご挨拶をしたいと思っていたのです!申し遅れました、わたくし、朧の使節団代表の皇竜司と申します。父である天皇の代わりにグラナルドとの友好関係を結ぶべく参りました。どうぞ宜しく頼みます。」
竜司は皇族にしては腰が低かった。普段からもそうという訳ではなく、敬愛する兄が慕う相手と聞くものだから敬った話し方をしているだけだ。
その証拠に、周囲にいる東の国の華族たちは驚いた顔をしている。
「あぁ、源之助から話は聞いているよ。とても良くできた弟がいる、とね。彼と私の出会いは聞いているのかい?」
ヴェルムはそんな竜司に友好的な笑顔を浮かべ親しげに話しかけた。だがそれが気に食わない者もいる。周囲の華族たちだ。
その者たちは驚きから憤怒の表情に変わりヴェルムを睨むが、ヴェルムは気にもしない。寧ろ、背中に目があるのかと言わんばかりに竜司が背後に向けて手を振ると、彼らは渋々ながらも怒りの表情を収めた。
「臣下の躾がなっておらず恥ずかしい限りです。ヴェルム殿はグラナルド国王とも対等だと聞きます。つまり、一国の主と同じ待遇で間違いないと伝えてはいたのですが…。」
竜司はそう言って軽く頭を下げる。公の場のため深くは下げなかったが、それでも周囲からどよめきが起こるのは避けられなかった。
ある意味、東の国がグラナルドに頭を垂れた事になる。
流石に慌てた華族たちが竜司を取り囲んで隠し、すぐに頭を上げさせたためそれ以上の騒ぎにはならなかったが、自分たちのせいで主君に頭を下げさせた事は分かったのだろう。彼らは急に大人しくなった。
「私は気にしないよ。それより、これからグラナルドと友好を結ぼうという時に君がそれでは周囲に不安を与える上、余計な誤解を招く。私が私でいるように、君も君らしくいなさい。私が相手でも、謙る必要はないよ。それに、君たちの国からすれば私はいない方が良い存在だろう?」
ヴェルムの言葉の意味は華族には分からなかった。
だが竜司にはその意味がよく分かる。源之助から聞いているためだ。
東の国、朧は天皇を頂点としそれに仕える貴族(華族)たちが支配する国である。そして、天皇は天竜の生まれ変わり、という事を国是としそれが当たり前に受け入れられている。
だが、ヴェルムは本物の天竜だ。天竜が生きていては生まれ変わりも何もない。天竜は他にいるが、どれもこの世に存在している。そしてヴェルムはその事を知っている。
つまり、朧にとってヴェルムの存在は危険だった。
「そ、それはそうですが…。しかしわたくしはその様な制度は必要ないと考えます。そんな事よりも、わたくしの大事な兄を救ってくれた貴方を、兄が心より慕う貴方を信じたい。まぁ、そんな事を言ったら追放では済まないので言いませんが…。いつか中から国を変えてみせます。兄も気軽に里帰りできる様な国に。見守ってくださいますか?」
竜司の瞳には決意が見えた。そして同時に、兄への深い愛情も。
私の家族は愛されているね、などと考えているヴェルムは穏やかに微笑んだまま頷くに留めた。
それを了承と見た竜司はあからさまに安堵した表情を見せるが、そういう所はまだ若いと言えるかもしれない。歳は子どもとは言えない歳だが、幼い時分に別れた兄の事を思い出すと心も童心に帰るのであろう。
「大丈夫。私も源之助も君を応援しよう。家族の兄弟だからね。ドラグ騎士団一同、何か困った事があれば手助けする事を約束するよ。」
それはある意味世界で一番安心出来る言葉だった。天下無双の騎士団が後ろにつく。それは竜司にとってなによりも大きな後ろ盾に違いない。
セトがヴェルムの後ろで微笑んでいるが、偶に国王の方を見ている事をヴェルムは気付いていた。しかし国王が何も言ってこないのだから、これから控えている東の国との同盟は結ぶつもりなのだろう。敵国のままならばこのような邂逅は許さないはずだ。
公の場でそれが許されたなら、それはヴェルムが好きに判断して良いという事だ。
政治には関わらないと再三言っているにも関わらず、利用できるものはなんでも利用する友の事を思い思わずため息が出そうになるヴェルム。
だが今は新たに出来た知己との会話を楽しもう。ヴェルムは給仕から受け取ったグラスを竜司に向け掲げるのだった。




