161話
「では、毎年この日にお会いされていたのは初代国王夫妻だという事でしょうか。」
「うん。そうだね。二人は誰に会っていると思っていたのかな。」
今は建国記念祭二日目の夜。毎年この日の夜にセトを伴って出掛けるヴェルムが、いつまでも出掛けない事に疑問を持ったアイルが尋ねた事から始まった。
ヴェルムはアイルを見てキョトンとした後、セトを見てその隣に立つカリンを見た。そしてこう言ったのだ。
「今年は二人とも本部に到着したからね。あの二人がまた旅立ちでもしない限り、私が出掛ける事もないよ。」
と。それに対するアイルの返答が先ほどの言葉である。
これにはカリンも驚いた表情をしており、セトは悪戯が成功したかのような表情で双子を見ている。
アイルは無表情ながら驚いているようで、一瞬だけカリンを見た。カリンも同じタイミングでアイルを見ており、この一瞬で双子は何かやり取りをしたのかもしれない。
「なぁんだ、予想と違ったかぁ。」
カリンがポツリとそう言うと、ヴェルムはカリンを見て片眉を上げた。
「二人は誰に会いに行っていると思ってたんだい?」
気になったヴェルムは少し機嫌良く二人に聞く。その表情は何処となく二人の反応を楽しんでいるようだ。
「師父と同じ天竜に会いに行ってるんじゃないか、って思ってたんですけどー。だって、恋人ならじーじ連れてく理由がないし。」
カリンは正直者だ。特にヴェルムに対しては思った事を何でも言う。そのため、カリンの予想にヴェルムがどんな気持ちになるかは考えていない。
ヴェルムとセトに育てられたと言っても過言ではない双子だが、カリンなりの二人への甘えなのだろう。
「恋人か。いや、私は竜だから、恋竜?でもこの姿ならヒトとも恋が出来そうだね。うん、一考の価値はあるかもしれない。」
ヴェルムは不機嫌になりもせず、カリンの回答に半分だけ応えてみせた。この時点でカリンは、ヴェルムに天竜の話題は避けようと思ったのだった。
ヴェルムが敢えて流したのなら、それは触れてほしくない話題に違いない。
何でも思った事をすぐに口に出してしまうカリンだが、それくらいは分かる。なんせ次はもう十四歳になるのだ。
「恋竜ですか。良いですなぁ。我が主人に番が現れれば、私の仕事も減って大助かりですなぁ。」
ほっほ、と笑うセトにヴェルムは鋭い視線を投げる。だがこれも家族間の戯れのようなもの。またもセトがほっほ、と笑う頃にはヴェルムの視線も温かいものに変わっていた。
「ヒトとも恋愛出来るなら、リク様やサイ様は如何ですか?お二人も師父の事大好きですし。」
めげないカリンはドラグ騎士団の中でも上位のヴェルム好きな二人の名を挙げる。しかしヴェルムは困ったように笑うだけだった。
「カリン。ヴェルム様を困らせるなよ。それにもうすぐレクス様とフロース様がいらっしゃる。用が無いなら退がって。」
片割れからの厳しい言葉に、カリンは肩を落として不貞腐れた。しかし、はぁい、と返事してから綺麗な敬礼を見せてヴェルムとセトに挨拶してから団長室を出ていく辺り、切り替えが早い。
そんなカリンを見てヴェルムは笑った。
奔放なカリンが寡黙なアイルを振り回しているかと言われればそんな事はない。寧ろ、アイルがカリンの手綱を握っていると思われる場面はいくらでも見る事が出来る。
その度に周囲から、アイルはしっかりしてる、という評価を貰うが、カリンはその事に不満を持っている。
私だってしっかりしてる!と団員に食ってかかるのまでがセットの光景である。
こうして周囲からも愛されて育った二人。今では立派な零番隊だ。
カリンは既に何個も特務を終えているし、アイルは執事業に精を出している。性格も行動も考えも違う二人だが、見た目は瓜二つな双子。
何度か髪型を変えて入れ替わるドッキリを団員にしていたが、それすらも団内のちょっとしたイベントだ。
「さて、アイルは二人に珈琲を淹れたいんだったね。その後はどうする?待機以外で、だけど。共に過ごすか、下がって休むか。好きな方を選んで良いよ。」
ヴェルムがアイルに尋ねる。アイルは無表情のまま、考え事もなく即断した。
「ではお言葉に甘えまして下がらせて頂きます。」
そう言った後、チラリとセトを見る。セトは黙って頷いた。
今のやり取りは、執事として同輩に後を任せるという合図である。つまり、師匠であるセトが残るのだから後の給仕は任せましたよ、という意味だ。
こんな一動作でも成長を感じられる事に、セトは内心で大喜びしている。だが折角同輩と扱ってもらえたのだ。ここでニヤけてしまっては師匠として格好がつかない。
セトは努めて平静を保った。
「うむ!アイルは珈琲を淹れる名人だな!美味い!」
「本当に。美味しい珈琲をありがとう。」
アイルが淹れた珈琲は初代国王夫妻の舌に合ったようだった。
「恐れ入ります。」
そう返して頭を下げるアイルは、どこか誇らしげに見える。
珈琲を淹れた道具を片付けてから退室したアイルの表情は、相変わらず無表情だったが。
「そういえば、二人の焼き物を売っているんだって?店は繁盛しているかい?」
アイルが部屋から出て最初の話題はこれだった。そう、夫妻は記念祭の間ドラグ騎士団が所有する店舗で陶器の販売をしているのだ。二人が焼いた焼き物は、アルカンタ焼きと呼ばれる物の中でも最高級品。
数も多くないため値段は天井知らずになった事もある。
何故か二人の作品が辺境の小さな村で発見されたりするため、陶器を集める蒐集家は辺境を巡ったりもするようだ。
「まぁそこそこ、だな。あまり来られても困る。」
レクスはそう言うが、実は店は大繁盛しているのである。混乱が起きていないのは、二人の陶器を取り扱うのがドラグ騎士団所有の店だからだ。
横柄な貴族が、店内の全ての陶器を買い占めようとした事もあった。
「騎士団の子が手伝ってくれるんです。本当に助かってますわ。」
フロースがそう言うと、ヴェルムは微笑んだ。二人は零番隊への加入が決まっている。ならば騎士団は二人にとっても家族だ。家族が家族の手伝いをするのは何らおかしい事はない。
だがそれでもちゃんと礼を言うフロースにヴェルムは微笑んだのだった。
「そういやぁ、変な貴族が来たな。あんなバカは昔いなかったはずだ。誰の子孫だ?」
レクスがそう言うと、ヴェルムは首を傾げる。バカだ変だと言われても、顔も特徴も分からないのでは判断しようがない。
フロースはレクスを困ったように見てからヴェルムを見た。
「ごめんなさいね。この人変わってないでしょう?」
謝ったフロースにヴェルムは穏やかに微笑んで首を振る。変わっていないから嬉しいのだ。
「二人共変わっていないよ。そしてそれが私には大変好ましい。まるであの頃に戻ったかのようだ。」
二人でやり取りするのが面白くなかったのか、レクスは大袈裟に拗ねて見せる。王として在った時はそんな姿は見せられなかった。しかし時折ヴェルムとセト、フロースの前でのみこうして子供じみた態度をとった。
それはレクスがこの三人を信頼しているからこそ。口には出さないが、レクスはあの頃からこの三人を家族だと思っている。そしてそれはフロースも同じだ。
セトも二人の想いには気付いているが、果たしてヴェルムはそれに気付いているのか。
案外鈍いお方ですからなぁ、とセトは語る。
四人の語らいは遅くまで続いた。貧しい村に夫妻が滞在していた時などは、灯りを点けるための蝋や暖を取るための薪も少なく、ヴェルムの魔法で一晩維持したりもした。
今年はそういった心配もなく、寧ろそんな昔話を肴に、遂には酒にも手を出した。
村では身なりの良い二人を客として出迎えた夫妻の家に物盗りが入ってもいけないため酒は控えていたのだった。
ヴェルムとセトもだが、この夫妻も一般的に大酒飲みと言われる部類だ。
東の国では、ザル、ウワバミ、などといった表現をされるが、グラナルドでは辺境の森に生息するキングスネークという大蛇がいるため、大酒飲みをその名の通りキングスネークと呼ぶ事が多い。
そんなキングスネークである夫妻と、竜族である二人が共に飲むのだからそれは凄い量になる。
無限に出てくるのではないかという程の量がヴェルムの空間魔法から取り出され、団長室は四人の大宴会になった。
セトもソファに座り、四人で囲むテーブルには酒と摘み。そしてその四人を囲うように空いた酒瓶や樽が転がった。
この大宴会は、建国記念祭の二日目が三日目になり、鳥が鳴き出す頃にやっと終わった。夫妻はソファで沈み込むように寝てしまった所をヴェルムの転移魔法によって部屋に送られている。
夫妻は揃って幸せそうな寝顔をしていた。
記念祭三日目は、最後の日である。王城では連日パーティーが開かれ、二日目の昼は王族だけの儀式がある。
三日目の今日は最終日ともあって、一番大きなパーティーが開催されるのだ。そして、それにはドラグ騎士団も招待されている。
ヴェルムは散々飲んだ後だというのにケロッとした顔で着替えをしていた。その世話をするセトも同じくである。
キングスネークも本物の竜には勝てなかったようだ。
「正装はたまに着ると気持ちが引き締まるね。しかもマントは去年リクが作ってくれた特別製ときた。私は幸せ者だよ。」
正装を纏うヴェルムは、まさに王子様といった風貌である。普段の零番隊隊服ではなく、式典用に誂えた団服の上からマントを羽織る。マントの留め具は魔石で作られ、セトの闇属性の魔力が入っている。
これは四番隊隊長サイサリスの叔父である鍛治師(正確には彫金師)が、三番隊隊長リクの要請によって作った物である。五隊の隊長たちはそれぞれの属性を示す魔石が使われた留め具を着けており、それを見るたびにお揃いなのだと嬉しそうに話すリクの姿が脳裏に過ぎる。
「勿論ですとも。我が主人にはこの世で最も幸せな竜になっていただかなくては。」
セトが穏やかな顔でそう言うと、ヴェルムは穏やかに微笑んだ。朝日が入るこの部屋で、日光に照らされたヴェルムはまるで後光が差したかのような出立ちだ。
白銀の長い髪に光が反射し、まるで救い主の顕現のような神聖さを思わせる。
そんな光景にセトは一度頷き、ほっほ、と笑った。
「セトがいなくては私の幸せは維持できないんだ。これからも頼むよ。」
ヴェルムが輝く姿を見て自画自賛していたセトに、ヴェルムから不意打ちの言葉が届く。
普段のセトなら絶対にしない一瞬だけ呆気にとられるという醜態に、セトは恥いった。
「まだまだ我が主人には私が必要、と。これは長生きしなくてはいけませんなぁ。」
どうにかいつもの軽口で返してみせたものの、ヴェルムは変わらず微笑んだまま。それが余計に恥ずかしくなったセトはヴェルムを急かした。
「さぁさぁ、お時間が迫っておりますぞ。既に皆様お集まりの頃かと。団長が遅れては笑い物になってしまいますからな。さぁさぁ。」
照れ隠しなのは一目瞭然だったが、ヴェルムはそれを突っ込んだりしない。ヴェルムとしては思った事を素直に言っただけなのだから。揶揄うのが目的ではない。
だからこそセトが珍しくも照れているのだが、それに気付いているのかどうかはヴェルムのみぞ知る。
「分かったよ。さぁ行こう。レクスが王として立ってから三百五十年の節目だ。この記念すべき年に未だ此処に在れる事に感謝を。」
歩き出すヴェルムの周囲に光の粒子が舞う。長い髪をハーフアップにして留めているのは、リクからプレゼントされたバレッタである。
竜が花を抱きしめている絵が彫られたバレッタで、この世に一つだけの逸品だ。
背中のマントにはドラグ騎士団の紋章。二の腕には団長を示す腕章。腰には刀が。全ての準備が整った。
五隊の隊長たちと共に、向かうは王城。普段はあまり行きたくない王城でのパーティーだが、今日は家族がたくさんいる。毎年のこのパーティーだけは出ても良いかと思えるのだった。