160話
大陸では共通言語が存在する。理由は判明していないが、この島国"朧"も似たような体系の言語を使用しているようだ。
しかし、細かな所に違いが多数あり、一人称や物の名称など様々な所にその差が出る。
老婆はそこに疑問を感じ、朧の言葉を話す人物が知り合いにでもいる可能性を考えたのだろう。
事実、爺が朧の言葉を教わったのは朧出身の零番隊隊員である。
「そうだ。この国出身の者が仲間におる。この国に来るにあたり、細かな違いを聞いて来たのだ。」
老婆への警戒心を解いた爺は正直に理由を話す。すると老婆は、えっえっえ、と笑い声をあげて爺を見た。
「よし、これでいい。アンタもゆっくりしてればいいさね。」
漁村と言えど、漁師だけが住んでいる訳ではない。老婆の様な薬師もいれば、森や山に入って肉や山菜を獲る狩人もいる。村と老婆の家までは畑や田んぼがあり、野菜や米も育てられている。
規模で言えばそこそこ大きい村のようだ。そんな中で薬師として生活している老婆の家を見る限り、裕福とは言えなくとも貧しい暮らしという訳でもなさそうだ。
爺は老婆の提案に感謝し、エルフの青年の熱が引くまで世話になる事にした。
小隊員たちが近くで待機している事を伝えるかは悩んだ。
一晩休んで問題がなければ伝えても良いかもしれない。そう考えると、まずは仲間に無事を伝えるために念話魔法を使うのだった。
「東の国料理が苦手になった理由はあとどのくらいでしょうか。」
アイルは無表情でポツリと呟く。別に飽きた訳ではない。
ヴェルムに頼まれたお遣いは、東の国周辺の海で獲れる海産物だ。それを扱う店はもうすぐそこ。買い物を始めてから話のオチが来てしまっては、聞き逃す可能性もある。
しかしそんな心配は必要なかった。
「アイル坊が買い物始めりゃあ止まるだろ。気にしないで買い物していいぞ。」
アイルの呟きを拾ったカサンドラが言う。アイルはその大きな身体を見上げてから頷く。
二人の後ろを歩く爺の話はまだ続いていた。
エルフの青年の熱が下がったのは、それから二日後の事だった。それまで小隊員と共に老婆の手伝いをしていた爺だったが、熱が下がったためこの一日だけ様子を見るという判断をした日の夜、老婆に礼を告げていた。
「世話になった。任務が終われば必ず礼をしに寄る。村人たちからは嫌われてしまったようだが…。この先問題はないか?」
老婆と孫娘は外国人を泊めたことで村の者から避けられていた。
老婆は村で唯一の薬師。何かあれば頼れるのは老婆しかいないため大丈夫だとは思うが、と爺は思う。しかしそれでも村八分というのは起こる。自分たちのせいで老婆と孫娘が生きていけなくなるのは許せないため、帰りには必ず寄るつもりでいた。
しかし老婆はいつものように、えっえっえ、と笑った。
「なぁに、人の命を救うのが薬師の仕事。アンタたちがウチに来たのは必然だったのさ。それで村から追い出されても、あの子とアタシだけなら生きていけるさね。」
そう言う老婆の瞳には決意が見えた。そして、外国人を救った事に後悔などない事も分かってしまった。ならば爺から言える事などない。朝には出ていく身だが、必ず礼をすると決めた。
朝、エルフの青年が外でストレッチをして身体の具合を確かめ、問題ないことが分かるとすぐに出る事にした。
小隊員たちは老婆と孫娘に何度も礼を言った。終いには老婆が鬱陶しそうに手を振って追い出す形となったが、それでも仲間を助けられた小隊員、そして自身が助けられたエルフの青年は気持ちが抑えられなかったようだ。
「任務終了後、この村に寄れるようにお嬢に頼んでみる。礼ならその時にしろ。」
遅れを取り戻すために全速力で移動する小隊。しかしその表情は晴れやかだった。
「この昆布とわかめ、鰹節を。それからひじきはありますか。」
「いらっしゃい!ひじきかい?もちろんあるとも!坊ちゃんは家族で買い物かい?折角の記念祭、美味しい東の国料理を母ちゃんに作って貰いな!」
「ありがとうございます。あと、そこの箱に入っているのはなんでしょう。」
「ん?これか?なまこだよ、なまこ!美味いんだ!見た目はその、ちょっと、あれだけどな?」
「なるほど。ではそれを。」
「お?坊ちゃん良いのかい?ならこっちのウニもオマケしとくよ。きっと好きだと思うぜ。」
アイルと店主のこの会話を、爺は聞いていない。買い物が始まると分かった途端、隣の店を見に行ってしまったからだ。店主はそんな爺の姿を見ていたため、三人を家族だと思ったのだろう。間違ってはいないのだが、店主の想像する家族とは違う。
アイルは買い物を終え、全てマジックバッグに入れた。しかしウニとナマコが入らない。まだ生きているためだ。
「そいつらどうすんだい?すぐに本部に戻るか?」
カサンドラがアイルにそう聞くが、アイルは無表情のまま首を横に振った。そして海水ごと入った箱を地面に置くと、魔法を発動した。その瞬間、箱がその場から消えた。
「お。遂に覚えたのか?やるじゃあないか!」
カサンドラは興奮した様子でアイルの頭を撫でる。アイルは無表情だが、どこか誇らしいような表情をしているようにも見えた。
そうこうするうちに爺が戻って来た。手には何も持っていないが、マジックバッグに入れたのだろう。なにやら満足そうな顔をしている。
アイルとカサンドラを見るなり嬉しそうにまた昔話を始めた爺に、カサンドラはため息を漏らした。
「また始まった。アイル坊、次はどこへ行く?」
「少し遠いのですが、甘味用の材料を買いに行きます。やっと東の国料理が苦手な理由が分かりそうなので少し楽しみです。」
「ん、そうかい?なら良いんだけどねぇ。」
三人の散歩は続く。
カサンドラ隊の全ての小隊が任務を果たしたのは、村を出て四日後の事だった。
カサンドラに寄り道を打診した爺だったが、カサンドラはすぐに許可を出した。
「家族が世話になったんだ。そりゃあ皆で狩りでもして礼をしなきゃだろう!」
結局、カサンドラと爺、エルフの青年を含む小隊、それからカサンドラと行動を共にした小隊が村に礼をしに行く事になった。
村に近づいたのは夜になっていた。流石に今から訪ねるのは失礼になる。近くで野営でもしようかと話していたところだった。
「お嬢!村が賊に襲われてる!助けに行こう!」
カサンドラが動くより先に動いたのはエルフの青年だった。
爺はそれを止めようとしたが、爺の手を掴んで止めたのはカサンドラだった。
「行くよ。恩人を見殺しになんか出来ない。爺の心配は分かってる。後でヴェルムにはアタシが怒られてやる。寧ろ、このまま見てみぬふりはアタシが許さないよ。」
カサンドラの言葉に、爺は深く頭を下げた。
ドラグ騎士団は密入国者である。派手に戦闘をしてこの地域の領主に見つかってしまうのは本意ではない。この国の侍は他国を許さないという。侵入者には切れ味に特化したその刀で容赦なく斬り捨てるとも言われている。
負けることはないだろうが、問題になるのは避けたい。しかし恩人を見捨てる事は出来ない。迷う爺の心はカサンドラの言葉ですぐに晴れた。
「行くよ!先走ったバカのフォローに二人!あとは賊をやるよ!」
カサンドラの号令で全員が動く。小隊員から二人がすぐにエルフの青年を追った。
賊はこの辺りで有名な山賊だったという。漁師の朝は早いため、夜は早く寝てしまう。その夜の間に村を襲った山賊だったが、早い段階で見知らぬ外国人に襲撃を阻止されてしまった。
「なんだこいつらは!強ぇぞ!」
「おい!お頭がやられた!撤退だ!」
「なぁにが撤退だ?恩人の村を襲いやがって。降伏なんかすんなよ?全滅以外に選択肢はねぇよ!」
ぎゃああぁぁぁぁ!!
やめろ、やめてくれー!
山賊が村を襲った事で、何故か山賊から嘆願の声が響く。
村の者たちは襲撃で既に目を覚まし、村の中央に集まっていた。
何人かは寝ている所をやられたようで、数人の犠牲者が出た。殺されたのは男が数名。女性や子どもは後で売り物にでもするつもりだったのか、縛られているだけであった。
「外国人か…。だが我らの村を救ってくれた救い主だ。皆の者、宴だ!明日は漁を休む!亡くなった仲間の弔いを!」
村長によって発された指示によって、夜中の宴会が始まる。
エルフの青年と小隊員二人は遅れて村の中央にやって来た。老婆と孫娘を連れた姿を見て、爺は大きな安堵の息を吐いている。
「無事だったか!あぁ、よかった!」
爺が老婆と孫娘に言うと二人は声を揃えて、えっえっえ、と笑った。
そんな二人にカサンドラ隊へ笑いが伝染する。何事かと集まって来た村人たちにも笑いは伝染し、村中に笑いの渦が巻き起こる。
「おぉ!?なんだこれうめぇ!」
「それは蟹だぁよ。茹でても焼いても美味ぇだろう?ほら、これも食べてみねぇ。」
「んおぉぉ!これ美味い!持って帰りたい!」
「なぁに言ってんだぁ!こりゃあナマ物だぁ!持って帰っても国さ帰る頃には腐ってるやな!」
宴は朝まで続いた。村の広場の端で部隊員がトラウマを植え付けられているとも知らずカサンドラは酒を飲み騒いでいた。
広場の端では。
爺とエルフの青年が老婆と孫娘と共に村人たちと美味い料理に舌鼓を打っていた。料理とは言っても、すぐに出来る焼いただけ、煮ただけといった簡単な料理である。その中に、見慣れない物が混じっている事に気付いた爺。
しかしどれも美味い料理ばかりのため、躊躇いなくそれを口に入れた。
何やらコリコリしていて美味い。捌いたばかりなのか多少口の中で動くそれは、つけた醤油と相まって不思議な味がした。
「これはなんだ?」
気になったので聞いてみた爺だったが、それが悪夢の始まりだった。
「こりゃあナマコさね。刺身で食うのもこの辺だけだろうさ。」
「ほう、ナマコ…。魚か?」
聞いても想像出来ない姿に、爺は少々混乱しながら聞いてみた。だが返ってきたのは、えっえっえ、という笑いのみ。エルフの青年と目を合わせれば、彼も首を傾げるだけだった。
そう、老婆ではない。爺にとっての悪魔は。
「これだよ、これ!」
爺の隣から孫娘が声をかける。首を向けたその先にそれはいた。孫娘の手にガッチリと掴まれたそれ。ナマコである。
「な、なんだそれは!魔物か!?」
違う、ナマコだ。
「え、ナメクジのデカいの!?」
エルフの青年が驚いて声をあげる。
しかし違う、ナマコだ。
「ナマコだって言ってんだろう?アンタが食べたのはそれの刺身さね。」
「なるほど。それで東の国料理が苦手に…。確かにナマコは見た目が可愛くありませんね。」
納得したアイルは先ほど購入したナマコを思い出す。ハッキリ言えば食べれるようには見えない。店主も売れると思っていなかった様子だった。
「それで材料の元の姿が分かるやつしか食べれなくなったのさ。バカだろう?」
「お嬢!バカとはなんだバカとは!」
「バカだろう。知らなきゃ幸せだったのに。というか、ナマコ見た事無いとは思わなかったよ。」
騒ぎだした二人を避けるように道行く人々は、その間に挟まれたアイルを見て哀れんだ表情を浮かべる。
アイルを知らない者は、両親の仲が悪くて大変ね、などと考えているに違いない。
炎帝のローブを着ていないカサンドラは、大柄で派手な髪色の女性である。爺も身体が大きく、二人に囲まれたアイルはより小さく見える。
「お二人とも、あちらが目的の店です。買い物を済ませてきますので、この辺りでお待ちください。」
騒がしい二人を容赦なく置いていくアイル。そんなアイルに呆気にとられた二人だったが、そのおかげで二人の口喧嘩は止まった。ある意味アイル様様である。
「そういや、さっきアイルがナマコ買ってたぞ。」
「な、なんと!何故止めんのだ!」
「知るかよ。ヴェルムの遣いだって言ってたじゃねぇか。爺はヴェルムがナマコ買ってこいって言ってたらどーすんだよ。」
「くっ、しかしだな!」
「しかしもカカシもねぇよ。アタシに口を出す権利はねぇ。嫌なら今日はどっかで飯食って来いよ。」
また始まる口喧嘩。二人の服装がドラグ騎士団だと一目で分かるため誰も通報しないが、そうだと知らない他国の旅人や商人は驚いている。
二人の喧嘩はアイルが店から出てくるまで続いた。