159話
「ほう、これがトーフ…。東の国料理は中々食わないからな。何より、お嬢が好まん。」
「何言ってんだ。アタシのせいにすんじゃないよ。アタシは東の国料理は嫌いじゃないよ。嫌いなのは爺の方だろ?」
建国記念祭では様々な国の使節団が来る。それに乗じて各国の商人たちもその護衛を当てにして後ろに着いて来るのだ。
自身で護衛を雇う必要が無く、王族や大臣などの重要人物を護るのが優先とはいえ国民を蔑ろにも出来ないため騎士団が護ってくれる。
実に小賢しい発想ではあるが、ある意味パレードを大きくする事にも繋がるため黙認されている節がある。
そんな各国の商人たちがアルカンタで商売をするため、小通りと呼ばれる大通りから外れた数多の通りでは、まるで外国物産展のような様相になるのだ。
この時期限定になる子通りの物産展は、アルカンタの民にとっても重要な催し事だ。当然、使節団が到着せねばこの商隊は到着しないため、今は昨日到着した東の国の商人ばかりが店を構えている。
店舗もなく屋台の形ばかりではあるが、それはそれで趣あって良い風景だと言えるだろう。
零番隊のカサンドラは休暇を利用し建国記念祭を楽しんでいた。
共に行くのは側近であり祖父でもある爺。それからお遣いを頼まれたアイルである。
カサンドラと爺の会話に、アイルは首を傾げて二人を見上げている。東の国料理が苦手だと聞いた事が無かったからだ。
「ん?アイル坊。爺が東の国料理が嫌いなのは意外かぁ?そういや、アイル坊は東の国料理が好きだったなぁ。」
カサンドラは己を見上げるアイルを見て微笑み、アイルの頭に大きな手を置いて言った。
そんなカサンドラを爺は横で睨みつけているが、カサンドラはどこ吹く風だ。そんな二人にアイルは無表情のまま問いかけた。
「カサンドラ様は東の国料理がお好きかと思っておりました。以前、ヴェルム様御用達の店で所長様たちと食事をされていましたので。」
アイルが言っているのは、五隊から特別編成で組まれた特別班を護衛に採取に出掛けた所長が班員と打ち上げをしていた時の話である。
カサンドラはこの班員たちがドラグ騎士団に入団する切っ掛けとなった人物のため、この打ち上げに乱入した経緯がある。
この打ち上げの会場こそ、ヴェルムの友である元軍人の料理人が営んでいる東の国料理屋である。つまり、東の国料理しか出さない。
東の国料理が苦手なら行かないだろう。
「あぁ、そんなこともあったねぇ。たしか、去年だったかい?だから言ってるだろう?アタシは嫌いじゃないんだって。嫌いなのはこの爺さ。」
カサンドラそう言ってやれやれと首を振ると、隣に立つ爺を見た。そう言われて思い返してみれば、爺が東の国料理を食べている姿を見た事がない事に気付くアイルだった。
「お好きではないのですね。そういえば、見た事がありません。しかし、東の国料理といっても様々ありますが。何が苦手なのでしょう。」
アイルが無表情のまま爺に問う。カサンドラ隊で可愛がっているだけあり、爺もアイルとカリンを物凄く気に入っている。
そんなアイルに問われて答えないなど爺としてはあり得なかった。しかし。カサンドラの前で、そして子どもの前で己の苦手な物を言うのは少し、いやかなり気が進まない。
爺は数秒悩んだ上、カサンドラからアイルの見えない所を抓られて観念した。
「その、なんだ。昔…な。東の国で任務があった時の話だ。」
爺が語る東の国料理が苦手になった理由。
それは聞くも涙、語るも涙(爺談)の壮絶な物語だった。
「オラッ!さっさと移動しねぇか!ここは鎖国国家!アタシらの上陸がバレたら即捕縛だよ!雨如きに負けてんじゃないよ!」
それは雨の季節。この島国の民は梅雨と呼ぶその季節は、毎日長い雨が降り、次に来る夏を更に暑くする湿度を齎す。
植物にとっての恵みの雨も、量が過ぎれば根腐れを起こし、吸いきれない水は道を泥濘ませ足を取る。
カサンドラ率いる零番隊の一部隊は、鎖国中の島国に潜入していた。潜入方法は簡単。ヴェルムによる転移魔法である。
しかし、簡単に潜入したものの任務としてこの地を訪れた彼女たちは、時期悪く梅雨の季節に村や町に寄れぬ野宿を強行していた。
理由は明白。鎖国国家であるこの島国で、どう見ても大陸人であるカサンドラたちは明らかな侵入者。つまり密入国者である。物資を補給するにしても、山賊のように村を襲う訳にもいかず、只管人気のない山道を走っていた。
大人数で行動してもすぐに見つかってしまう。ならばと小隊ごとに分け各々が任務を遂行する事にした。
そんな時である。小隊が雨宿りに使用していた洞穴で一人が熱を出した。彼はエルフ族で、見た目こそ青年だが歳は百を越えていた。しかしエルフ族の中では若者という認識もあり、立派な大人になってから血継の儀を受けたいという本人の希望で、部隊の中で唯一ヴェルムの血を継いでいない者だった。
「どうする!医務官は別行動中だぞ!」
小隊の一人が叫ぶ。そう、この小隊の医務官はエルフの青年である。必ず医療の知識や回復魔法が使える者が小隊に所属する決まりになっているが、その医務官が倒れては元も子もない。
既に仲間は近くにいない。助けを求めるにしても遠すぎるため時間がかかる。それまでに青年の熱が上がれば、彼らだけでは対処出来ない。
小隊長は顎に手を当て、隣に立つ男に問うた。
「どうしますか?奴だけ置いていくわけにも行きません。そして任務には皆の力が必要です。奴が治るまで待つのも賭けになる。」
そう言って視線を向けたのは、"戦場の悪鬼"と畏れられるカサンドラの側近であり参謀、そしてカサンドラ隊で二番目の実力を持つ男だ。見た目は厳つい爺だが、仲間想いで情に厚い。仲間を見捨てるという選択肢は無い。
「お前たち。儂がそいつを背負って近くの村に行く。この辺りは薬草も数多く生えている上、住人に採取された形跡もある。そしてその採取は恐ろしく綺麗で丁寧だ。あんな採取方法は薬を扱う者くらいだろう。であれば、此奴の病気についても知っているはず。」
小隊員が驚く中、雨が止むのを待っても仕方ないという事で一人動き出す爺。この辺りは海からすぐで、山の高さもそこまで高くない。村と言えば漁村になるのだろうが、爺はそこを目指すと言うのだ。
流石に、一目で密入国者と分かる風貌の彼らが行くには危険が過ぎる。
しかし爺は反対する小隊に目を向けて言い放った。
「ではこのまま仲間が苦しむのを見ていろと言うのか!仲間を救って叱責される騎士団なら、とうに辞めておるわ!」
自身が危険な目にあうかもしれない。そしてその時は部下も更に危険になるだろう。だが爺にはそれだけで目の前の可能性から逃げるという選択肢は無かった。
ならば私も、と着いてこようとする小隊員たちを止めた爺は、一人雨避け結界を維持したままエルフの青年を背負って山を降りた。
結果から言えば、村の外れで村民に見つかった。そして二人とも保護されたのである。とは言っても、それは村から少し離れた場所に立つ一軒のあばら屋であった。中は老婆と少女だけ。
「ばぁちゃん!薬草持ってきたよ!」
「ありがとさん。んだら、お武家さんの薬ばつくりましょうかねぇ。」
えっえっえ、という笑い声と共に調剤道具を並べて何やら始めた老婆。孫らしき少女は働き者で、熱の上がったエルフの青年の額に濡らして絞った布巾を乗せている。
この二人が村から離れた場所に住むのは、何も村八分にされている訳ではない。聞けば、薬草を取りに行くには森と山に近い方が良いのだとか。
逆に村は漁村のため、海に面した場所に村を作る。いつか村が大きくなれば、この場所も家に囲まれるさ、などと老婆は話していた。
「あー、爺の長い話が始まった。アイル坊、聞き流しながら遣いを済ませな。アタシらはブラついてるだけだからよ。アイル坊に着いていく。」
カサンドラがそう言えば、アイルはカサンドラと爺を交互に見てから無表情で頷いた。爺の話は続いており、カサンドラの言葉も耳に入っていないようだ。
寒いと思えば街の外は雪がチラついているのが見える。
アルカンタは中心の大広場に結界魔道具が置いてあるため、内部に雪が降ることは無い。
しかし寒いものは寒い。ただ立って昔話を聞くよりは、遣いを済ませながら聞く方が良いだろう。
そう判断したアイルはスタスタと歩き出す。話しながらも周りを見ていた爺は、話をやめないままアイルに着いて歩き出した。
「まったく。歳をとると昔話ばかり増えていけないねぇ。」
カサンドラの呟きは冬の寒さに溶けて消えた。
「で?この別嬪さんはどこでこんな病気さ貰って来たんだい?」
老婆は爺へ問うた。老婆曰く、この病気は隣領で一時流行った病だという。この村がある領では発症は珍しく、しかしいない訳でもないため薬の作り方を知っていると言う。
それに安堵した爺は悩んだ。ヴェルムに転移魔法で送られたのは隣領なのだ。しかし、領と領の間には関所があり、そこをどう見ても外国人の爺たちが抜けたとは思われない。
ならば違法に移動して来た者か。しかしそれがバレては治療をしてもらえないかもしれない。そう悩んでいた。
しかし、老婆はそんな爺の考えなど見通すかのように爺を見て、えっえっえ、と笑った。
「なぁに、アンタたちゃ海の向こうから来たんじゃろ?んだら、周りは海しかねぇこの国はどっからでも入れるんじゃから、入りたい放題じゃの。アンタたちゃそこらの悪そ共とは違うっちゅうんわ見りゃ分かるでな。アンタらの目ぇは、何かを護るための決意が見える。違うかの?」
驚く爺に対し老婆はまた、えっえっえ、と笑った。それを見ていた少女も子供らしい高い声で、えっえっえ、と笑う。
爺は仲間を助けて貰いながらも警戒を解いていなかったが、その言葉と老婆の瞳に警戒を解いた。どの道、薬と偽って毒を飲ませる事も可能なのだ。爺には信じるしか道は無い。
爺は胡座をかいて座ったまま、両手の拳を床に付けて頭を下げた。
「かたじけない。」
老婆はそれを見てまた、えっえっえ、と笑う。そして爺に投げかけた言葉は全く予期せぬ言葉だった。
「アンタ、この国の言葉が上手さねぇ。大陸に朧の民がいんのかい?」
爺はまた驚いた。