156話
「ようやく二人も来たし、後で皆に紹介するよ。さて、アイル。この二人は何者だと思う?」
唐突なヴェルムからの質問に、アイルは慌てる事なく無表情のままヴェルムを見て、それから夫婦を見た。
アイルの視線を受けた夫婦は、男性はニヤニヤと笑い女性は穏やかに微笑んでいる。どちらもアイルの回答を楽しみにしているようだ。
数秒だけ考えたアイルは一度頷くと、もう一度ヴェルムを見て言った。
「騎士団創設時にいた方で、しかし任務に出ていた訳ではないのですよね。アレックス様が王族であるのに零番隊である事を考えれば…。初代国王様と王妃様、でしょうか。」
アイルの答えは夫婦の表情を変えた。ヴェルムは変わらず微笑んでいるし、セトも同じく。
夫婦は共に驚いた表情を浮かべ、アイルとヴェルムを交互に見ていた。
「素晴らしい。そのヒントでよく辿り着いたね。そう、この二人はグラナルド初代国王とその王妃。私と最初に契約を結んだ二人でもある。」
そう、二人は建国王とも呼ばれる伝説の王とその妻。天竜であるヴェルムと出会い、街から国へとグラナルドを育てた筆頭である。
彼らは息子に国を預けると、大陸を巡る旅に出た。途中で違う大陸に渡ったりと、目的地の無い旅を三百年続けたのである。
今代国王のゴウルダートが子育てに失敗した事から、ドラグ騎士団とグラナルドの契約も今代までとなる可能性があった。それを伝えた所、二人は子孫を叱るべくアルカンタまで足を伸ばしたのだ。
元々、そろそろ一度くらいアルカンタを観に来る予定ではあったのだが。
まだ次期女王として立ったばかりのユリア王女がどのような人物か分からない二人は、今代で契約が終了する可能性も踏まえて一度アルカンタを訪れる決心をしたらしい。
ヴェルムはアイルの回答に満足したのか、アイルを手招きで呼び寄せ、その頭を撫でた。
「ほら、一般人だろう?もう国王でも王妃でもない二人は、私の血が身体に流れているとはいえ団員じゃあない。いや、フロースは一応団員なのかな?」
そう言って女性、フロースを見るヴェルム。フロースは穏やかな微笑みに戻っており、その視線を柔らかく受け止めた。
「そうですね。ヴェルムさんにこの命を救ってもらって以来、病気もなく元気に過ごせております。世界中を見て回るという夢も叶いましたし、魔法隊、いえ今はドラグ騎士団ですか。に協力しますよ。」
フロースの言葉に、隣に座る男性、レクスも力強く頷いた。
「俺も参加しよう。今から参加するなら五隊からか?いや、その下にまだ下っ端がいるのだったか?」
ハッハッハ、と笑うレクスの豪快さは、どこかアレックスにも似ていた。グラナルドの王族は笑い方を遺伝しているようだ。
「おや、レクスは準騎士からやるのかい?それも良いけど、レクスがいると準騎士たちがやり難いから却下だよ。フロースと同じく、私直属の部隊に入っておくれ。」
レクスも冗談で言ったのだろう。建国王はそれだけグラナルドの民に広く名が知れている。レクス・ラ・グラナルド。この名を知らないグラナルド国民はいない。
一時、建国王のレクスの名にあやかって子どもに名付ける親が増えた。そのため、世代によってはレクスという名が多い事もある。
事実、ドラグ騎士団にもレクスという名は多く所属している。
女性はフロースの名が付けられ、初代王妃のように立派な人になってほしいという願いを込められる。
二人の名はそういう意味でも有名だった。
「いやぁ、懐かしいな!それでその時ヴェルムが極大魔法をぶっ放してな!」
「あれは仕方なかったんだよ。他に手が無かったんだから。」
「他に手がなくても、城壁から数メートルのところが焦土になるのはおかしいだろう!流石は我が友だと褒めれば良いのか、呆れれば良いのか迷ったんだぞ?」
団長室での団欒は続く。
そして楽しい時間はすぐ過ぎるものだ。
「皆様。ご歓談の途中に失礼します。夕食の時間となりますので、食堂ホールにご移動お願いできますでしょうか。」
会話の切れ目を狙った絶妙なタイミングでアイルが話しかける。
話が盛り上がっていた夫婦は壁にかけられた時計を見て驚くが、アイルに笑顔を向けて頷いた。
アイルがこういった会話の割り込みに慣れていないのを知っているセトは、弟子の成長を噛み締めていた。
そう、セトは時間に気付いていながら敢えて何も言わなかったのである。
それはヴェルムも同じようだ。セトと同じく嬉しそうに笑っている。
「では、こちらです。」
夫婦の準備が出来たのを確認したアイルは、ここに来た時と同じように案内を開始する。
これまでの会話で双子が騎士団に来た経緯を聞いていた夫婦は、その成長ぶりに驚いていた。
「こんなに良い子がいるんだもの。きっと騎士団の皆んなは良い人だわ。」
フロースがそんな事を呟くと、レクスはそちらを見て何度も頷いた。
後ろを歩くヴェルムとセトも、その言葉を聞いて嬉しそうに頷いたのだった。
「おう!お二人さん!元気そうで何よりだ!今日は二人のために懐かしいもん作ったからな!いっぱい食べてけよ!」
食堂ホールに入り、団員たちが並ぶ列に加わった一行。ヴェルムたちが料理を受け取る番になると、厨房から大声が聞こえてきた。
声の方へ視線を向ければ、料理長がカウンターから顔を出している。
「おぉ!君もここにいたんだったな!元気にしてたか?君の料理が食べられるならもっと早く戻ってくればよかった!」
レクスは大袈裟に驚いて見せるが、これは彼の普通である。言葉の通じない他国や他大陸に行きコミュニケーションを取るために身についた癖だ。
声がデカいのは標準装備だが。
フロースも同じく料理長の存在に驚き、そういえば騎士団にいたか、と思い出して納得している。存在をほとんど忘れていたのを気取らせない辺り、王妃だった時の癖は残っているのだろう。
「お二人にはこれだ!ヴェルムとセト、それから俺が生み出した至高のレシピ!グラタンだぁ!」
二人が持つトレイに料理長が置いたのは、宣言通りグラタン。先日懐かしくなってヴェルムたちと共に作った記憶も新しいため、今回は料理長一人で作った。
多少改良はしているものの、生み出した当時の形を残したまま作っている。
二人のトレイの上では、真っ白な陶器に盛られたグラタンがグツグツと音を立てている。
皿の中はチーズ以外見えない程に山盛りのチーズが溶けており、所々が茶色く焦げ目がついたそれは、今にも齧り付きたい気持ちが湧き上がってくるようだ。
グラタンの横にはスープが置かれ、炙ったバゲッドが乗った皿も追加で置かれた。
「いいか?グラタンは美味いが乳と小麦粉しか入ってねぇ。スープだけは残さず食えよ?」
料理長はグラタンを給する時に必ずこう言う。
この言葉はグラタンを生み出した時にも言ったのだ。
美味い!美味いが、こりゃあ乳と小麦粉しか入ってねぇ!料理人としてこの最悪な栄養バランスは許されねぇ!
当時はヴェルムが料理長を宥め、野菜の入ったスープを作れば良い、と言ったおかげで落ち着いたのだ。
今もグラタンを作る時は必ずスープを作る料理長。彼にも譲れない何かがあるに違いない。
レクスとフロースはアイルに案内されて席に座る。食堂ホールには多数の円卓が並んでおり、カウンターから遠い場所には長いテーブルが並ぶ。およそ半分が円卓で埋められているが、その円卓は主に零番隊や五隊の役持ちが座る傾向がある。
当然、準騎士だろうと誰だろうと円卓に座って構わない。内務官や研究所員、制作科も円卓に座る。
ヴェルムが普段から円卓に座るため、そういうシステムになってしまったのだろう。
誰も文句は言わないが、何となく円卓に座るのは気が引ける。というのは、とある準騎士の言葉である。
「お二人ともお久しぶりです。お元気そうで何よりです。」
レクスとフロースの座る円卓の椅子を引く者がいた。身体にフィットするニットとパンツ、上から白衣を羽織り瓶底メガネをかけた女性だ。
「あら、そのメガネ、まだ使っていたの?そうか、ヴェルムさんからもらった宝物だものね。大事に使っているみたいで何よりだわ。」
フロースが白衣の女性、所長に話しかける。所長も建国前からのメンバーだ。当然知っている。
「そうなんです!新しいのを作ると何度も言われましたが、私はこれが一番なんです。もうこれは私の目ですよ。」
所長はそう言ってヴェルムに視線を向ける。ウインクをしたようだが、残念ながら瓶底メガネでは見えない。
レクスも所長に気付いたようで、懐かしいなぁ、などと言っている。
所長はレクスが国王になる前から街のために錬金術の研究をし、ポーションなどの作成を只管にこなしていた。外敵からの侵略が多かった当時、怪我をした軍は彼女のポーションに随分世話になったものだ。
かく言う、レクスもその一人である。
「邪魔するよ。お二人さん、おかえり。随分と長いハネムーンだったねぇ?」
次に現れたのはカサンドラだった。隣には側近の爺もいる。
カサンドラはドラグ騎士団の前身、魔法隊に所属していた。爺もだ。
そのため特にフロースと交流があり、彼女が王妃として政務に忙しくなる中も、よく二人で茶を楽しんでいた。
「まぁ!カサンドラ!貴女もこっちにいたのね!」
フロースが驚いてカサンドラを見れば、してやったり、とばかりの笑みを浮かべるカサンドラ。
今は任務明けの休暇で部隊ごと本部にいるカサンドラだが、しばらくは遠出の任務がないためフロースと茶でもしようと企んでいる。
「しばらくこっちにいるからな。旅の話でも聞かせてくれよ。特にレクスの失敗談なんかが良い肴になるな!」
カサンドラの挑発に、レクスは顔を赤くして立ち上がろうとする。しかしそれは隣に座るフロースによって阻止された。
「いててて!おい、何をするんだ。痛いじゃないか。」
「貴方、すぐに席を立とうとしないでくださいな。団員の方々がこちらに注目しているというのに…。ほら、大人しく座ってください。」
「お、おう…。すまん。」
そんな夫婦のやり取りを見て、額に手を当て天を仰ぎながら笑うカサンドラ。ツボの浅い彼女には大笑い出来るポイントがあったらしい。
「くっ、カサンドラ…!何がおかし」
「あなた?」
「ぐっ…。カサンドラ。後で覚えておれ。」
これにはついにカサンドラの横に座る爺も、所長も。ヴェルムやセトも笑いはじめる。
それからも建国前からの知り合いが集まる円卓だったが、食べ始めてからもたまにレクスを見ては笑うカサンドラに、レクスは噴火直前になるのだった。
「あぁ、やっぱりこの二人がいると当時のようにヒトの営みを強く感じるね。何も変わっていなくて嬉しいよ。二人も、私たちも。」
「左様ですなぁ。きっと変わった所も多くございますが、根の部分は変わらないのでございましょう。」
「そうだね。でもそれこそが、ヒトの面白さだと私は思うよ。」
「ですな。」
「おいヴェルム!なぁに二人で哀愁漂わせてる!三百年経ってるのは俺たちだけじゃないぞ?お前たちもなんだからな!」
「おや、私にしてみれば三百年などあっという間の時間だよ。」
「ほぉ?さすが天竜は言うことが違うなぁ!」
「それは違うよ。君たちと過ごした三百年はあっという間だった、という話さ。」
「なっ!おい、ヴェルム!泣かせにくるのは無しだろう!」
「泣かせにくるもなにも…。レクス、君とは年一でしか会っていないじゃないか。私が言ったのは団員の皆の事だよ。」
「おいっ!感動を返せ、感動を!俺たちじゃないのか!」
「冗談だよ。君たち夫婦と過ごした時間だってあっという間だったさ。」
「ゔぇ、ヴェルムぅ〜!」
「あぁ、汚いから近寄らないでくれ。食事に鼻水がついてしまうよ。」
「誰が汚いだコラぁ!!」
今日はいつも以上に騒がしい。
しかしこれがドラグ騎士団だ。任務だろうと食事だろうと、休息だろうと全力だ。
楽しい事は全力で楽しむのが、誰が言わずとも自然にルールになった。
だがこれを見れば誰がその発端なのかは分かる。
創設時には生まれていなかった団員たちも、この円卓の騒ぎを見れば一目瞭然だった。