155話
「そろそろレクスが来るね。盛大にお迎えしようか。」
ヴェルムがポツリと言うと、アイルは無表情ながらに首を傾げた。だが、この場にいた他の二人は身体を固めた。
特に、建国記念祭について話をしに来ていた料理長は見る者が驚くほどにビクリと肩を揺らした。
「お、おい。いま、レクスって言ったか…?」
まるで東の国のからくり人形のようなぎこちなさで、ギギギ、と言いそうな程カクカクに動いてヴェルムを見た料理長。
ヴェルムはそれに頷いて見せ、更に微笑んだ。
その時、ほっほ、と気持ちいつもより大きな笑い声が団長室に響いた。セトである。
「我が主人は相変わらず人を弄ぶのが好きで御座いますなぁ。彼らが来ると?確かに今年中に来るとは聞いておりますが、まだもう少しかかるのでは?」
どうやらセトにも言っていないらしい。ヴェルムは悪戯が成功した子どものような無邪気な笑みで三人を見た。
「言ってなかったかい?レクスとフロースの反応が直ぐそこまで来ているよ。今は南門近くの商店で買い物をしているみたいだね。」
ヴェルムがそう言うなり、セトはすぐに動いた。ヴェルムに向かって丁寧な礼を忘れず、それでいて迅速に部屋から出ていった。
無論、ヴェルムの言葉を実現するためである。
料理長はやっと混乱から抜け出したのか、黙って顎に手を当てて何やら考えている。
アイルは未だ現状を把握出来ていない。無表情で黙っている。
「アイル、お客さんが来るから出迎えるよ。この部屋に案内して、飲み物はサイフォン式で淹れた珈琲が良いよ。人数は二人。頼めるかい?」
アイルはヴェルムにしっかりと頷いた。己の役割さえ分かれば客の正体などどうでも良い。ただ、ヴェルムが嬉しそうな顔をしているのだから良い客なのだと勝手に判断した。
「飯はここで食うよな?何日滞在だ?特別なもん出した方が良いか?」
ヴェルムから必要な情報を聞き出そうとする料理長。彼の頭はこれから作る料理で一杯になっている。先程まで建国記念祭で出す料理についてだったというのに。
「しばらくいると思うから、料理はいつも通りで構わないよ。そうだ、もし可能なら昔のレシピでグラタンを出してほしいかな?彼らはグラタンが好きだったはずだよ。」
「よっしゃ!それなら間に合う。出迎えには行けねぇが、しっかり準備してくるからよ!」
料理長もヴェルムとの会話を切り上げ、迅速に出て行った。
残ったアイルはヴェルムと共にお出迎えの準備である。とは言っても、零番隊の隊服を着たヴェルムに、正装となるマントを装着するだけなのだが。
アイルがマントを準備する間、ヴェルムは何やら魔法を発動しているようだった。アイルはそれを気配で感じたが、おそらく念話魔法だろうと予想している。
そしてその予想は当たっていた。
「ちょっと!彼らが来るって本当!?」
団長室に駆け込んで来たのは白衣を着た女性だった。
ドラグ騎士団が誇る錬金術研究所所長、その人である。
団長室の前に立つ零番隊の扉番の制止でも止まらず、団長室に突撃してきた彼女は、分厚い瓶底メガネのズレを直しながら開口一番にそう言った。
「あぁ、本当だよ。君もお出迎えに行くかい?どうせなら盛大にお出迎えしてあげようと思ってね。」
ヴェルムのお誘いに、所長はニヤリと笑って頷いた。二人して何やら企むような笑みを浮かべ、二人同時に頷く。
「よし、なら別人になりすまして来るわ。着替えるから行くわね!」
嵐のようにやって来て、嵐のように去って行った所長。彼女の言う別人になりすますとは、諜報部隊のような変装の事ではない。白衣を脱いで団服を着て、メガネを外すだけである。
団員にも気付かれないほど別人に見える事から、彼女は正装になる事を別人になりすますと言う。
自虐なのか面白半分なのかは本人しか分からないが、楽しんでいるなら全て良しである。
「よし、じゃあ行こうか。私たちがこれから会うのは、ドラグ騎士団を作った二人だよ。一人は初代団員でもあるね。」
ヴェルムがサラッと言った言葉に、アイルはやっと事態を把握した。
ドラグ騎士団が生まれたのはおよそ三百年前。グラナルド建国当時は魔法隊という名だったと学んだ。
その時の隊員と、ドラグ騎士団創設に携わった人物の来訪。
もしかしなくとも、ヴェルムと血継の儀を交わした者である事は予想できる。
つまりはアイルにとって大先輩にあたるはず。
そこまで思考を一気に巡らせ、普段から真っ直ぐ伸びた背筋を意識してしっかり伸ばす。
そしてふと気づいた。
そんな二人に珈琲を淹れるのか…?と。
急に不安になったアイルはヴェルムを見上げる。およそ五十センチの身長差がある二人だが、アイルはヴェルムの顔を見ようとすれば必然的に見上げる形になる。今は隣に立っている分余計にだ。
するとヴェルムもアイルを見ていた。その顔は穏やかで、どんな失敗も許される気がする慈愛の笑みを浮かべている。
アイルはそれだけで緊張が過ぎ去っていくのを感じた。
「ありがとうございます。」
何が、とはヴェルムも問わない。アイルの緊張が解けたならそれで良いのだ。
そうして二人は団長室を出て行く。誰もいなくなった団長室にいつもの平穏が戻った。
「まさか騎士団揃って正装で並ばれるとはなぁ!偉くなった気分だ!」
ガハハと豪快に笑う男性と、その隣で嬉しそうに微笑む女性。
二人は夫婦で、旅慣れた冒険者のような格好をしている。
昨晩はアルカンタの宿屋に泊まったという二人に、それならばまずは飲み物でも、と団長室に案内する。
勿論、案内はアイルである。
「先程急にお二人のご来訪を告げられましてなぁ。いえ、ご来訪ではなくご帰還、と言うべきでしたかな?」
ほっほ、とセトの元気な笑い声も廊下に響く。男性と二人で笑うと煩い。
ヴェルムはアイルの後ろを歩きながら、二人の笑い声に呆れたように肩を竦めている。それを見て女性も笑うのだから打つ手無しだった。
「私たちの正装でお出迎えなんて、この世の何人が受けられるのだろうね?一般人がこれをされたのは初めてじゃないかい?」
一般人、という部分を強調して言うヴェルムに、夫婦はまた笑った。セトも笑っており、アイルは変わらず無表情だ。
だがアイルの胸中は複雑である。何故なら、ドラグ騎士団創設時にいたこの二人が一般人の訳がない。ずっと本部を離れて任務に就いていた零番隊だってこんな出迎えはしない。これで一般人なんて嘘だ、とモヤモヤした思いが渦巻いている。
そんなアイルの胸中を察したのかは定かではないが、ヴェルムが唐突に先頭を歩くアイルの頭を撫でた。
整髪料をつけていないアイルの髪はサラサラで気持ちがいい。ヴェルムは何も言わずにただ頭を二往復ほど撫でて手を離した。
だがそれを見ている者がいた。
「さっきから気になってたが、その子はヴェルムの執事か?セトは用済みか?」
男性の方だった。揶揄いも含んだ質問に答えたのは、ヴェルムではなかった。
「その子はアイル。私の弟子で御座います。我が主人のお世話は一人ではとてもとても…!」
セトがアイルを紹介すると、アイルは一度立ち止まって二人に顔を見せてから深々と礼をする。その姿はベテランの執事と比べても遜色ない完璧な礼だった。
「あらあら。随分と礼儀正しい子なのね?ヴェルムさんの側にいるのだから、見た目通りの年齢じゃないのかしら?」
女性がそう言うと、今度はヴェルムが口を開く。
「いや、彼は双子の姉も含めてまだ十三歳だよ。彼らの強い希望で儀は交わしているけどね。」
ヴェルムの言葉に、夫婦は再び歩き出したアイルの背を見る。しかし二人の目には同情や哀れみの色は浮かんでいない。寧ろ、感心や尊敬の色が強かった。
夫婦も儀を交わした者ではあるが、双子や団員たちとは少々事情が異なる。
「さぁ、ゆっくり旅の話を聞かせてくれるかい?こちらもきっと、たくさん話す事があるよ。」
団長室に着いた一行は、夕飯の時刻まで語らいを続けた。
勿論、アイルはサイフォン式で珈琲を淹れてみせたし、夫婦からも大絶賛を貰った。
それでも無表情が変わらないアイルに妻が心配したりとひと騒動あったものの、ヴェルムとセト、そして夫婦の話は尽きる事がない。
アイルから食事の時間を告げられるまで、その会話が途切れる事はなかった。