152話
「おやぁ!アイルちゃんじゃないかい!珍しいねぇ。今日はお遣いかい?」
三角巾を頭に被りはち切れそうなエプロンを着けた恰幅の良い女性が、遣いに出ているアイルに大声で話しかけた。
あいも変わらず無表情が標準装備のアイルは、女性に対しペコリと頭を下げた。
「里芋を頼まれました。こちらに御座いますか。」
里芋はグラナルドではほとんど作られていない。スタークの菜園でも作っていないため、ヴェルムに頼まれたのである。
この女性が営んでいる八百屋は、外国から仕入れた輸入野菜を主に扱う店であり、アイルは里芋を求めてここに来ていた。
女性は大きく頷くと、店の一角を手で示す。そこには様々な根菜と共に、里芋だけ入ったケースがあった。
「あれしか今ウチには無いけど、足りるかい?」
女性が申し訳なさそうに眉尻を下げるが、アイルはしっかりと頷いた。
「結構です。あれば御の字と伺っておりますので。」
東の国との国境に近いほど手に入りやすい里芋だが、それでも何処にでもあるという訳にはいかない。アルカンタで手に入れられるのだから文句はない、という事だ。
アイルの言葉にまいどあり、と返した女性は笑顔で里芋の入ったケースを持ち上げる。アイルの前にドンと置くと、何個か取り出して検品し始めた。置いていた間に悪くなっている物がないか調べているようだ。
その間に、アイルはお遣いで使用するためにリクから贈られたガマ口の財布を取り出す。中には銅貨から金貨まで幅広く入っており、今回使用するのは銀貨である。
アイルが銀貨を数枚出すのと、女性が検品を終えるのはほとんど同時だった。
慣れた様子でアイルから銀貨を受け取った女性は、店の奥にあるカウンターしたの金庫に銀貨を仕舞う。
その間にアイルはマジックバッグへとケースを入れた。
「ほんとに便利だねぇ、その鞄。ウチも仕入れに使いたいんだけど、なんせ高いからねぇ。ドラグ騎士団は皆んな持ってるんだろ?羨ましいねぇ。」
アイルの腰に提げたマジックバッグを羨ましそうに見る女性に、アイルは無表情のまま首を傾げた。
アイルは空間魔法を使えないが、転移魔法が使える。自分の持てる物なら触った状態で跳べば良いし、魔力を多く使用すれば周囲の物も一緒に跳べる。
マジックバッグの有用性に関して特に感じていないのだった。
「全員ではありません。準騎士は貴重品をぶら下げて歩けるほど強くありませんので、支給されていないはずです。」
しっかりと女性の勘違いを正すアイルは変わらず無表情である。それは知らなかったのか、女性は大袈裟に驚いてみせた。
「そうだ、アイルちゃん。先日お客さんとその鞄の話になってね。準騎士を襲って鞄を手に入れられないかって話してる馬鹿がいるって噂を聞いたんだよ。注意するように言ってくれないかい?準騎士ったって、アタシたちからすれば強いんだろうし大丈夫だと思うんだけどね。何処にでも馬鹿はいるからさ。」
いつでも大声で元気な女性が、アイルに顔を近づけ小声で注意を促す。それは内緒話をするような仲の良い親子のようであったが、内容は犯罪が絡む可愛くない話であった。
手で口元を隠しながら言う女性に、アイルは瞳を向け頷く。女性が話し終わって顔を離すと、頭を下げて礼を言った。
「ご協力ありがとうございます。国民の皆様が不安にならぬよう、調査し解明致します。情報提供ありがとうございました。」
アイルが歳相応の話し方をしない事を女性は知っている。
丁寧に頭を下げるアイルを慈愛の目で見る女性はまるで、やんちゃだった子ども時代を知っている子が大人になって立派にやっている姿を見たようである。
アイルは頻繁にお遣いで街に出ているため、アルカンタの商業ギルドでは有名人だ。リクとアイルの二人は様々な店が見守っており、特にアイルは身長も小さく供もいないため、店の前を歩くと頻繁に声をかけられるのだ。
リクは三番隊隊長である事が周知されているが、アイルは従僕か何かだと思われているのも理由の一つかもしれない。
以前、まだ小さい子どもに何度もお遣いを頼むとはどういう事かとドラグ騎士団にクレームが入った事がある。
しかしその時はセトがクレーマーに対し説明を丁寧にした事で事なきを得た。
アイルがお遣いに出されるのには理由がある。
転移魔法ですぐ帰って来られるのもその一つだが、一番大きな理由は情操教育である。
小さな頃からドラグ騎士団で育ち、十三歳になった今は既に一般人とはかけ離れた能力を有するアイルとカリン。
カリンはヴェルムに着いて大陸を周り、零番隊として様々な地へ任務で出掛けている。社交性もありコミュニケーションに問題のない彼女は、街の人々から常識を学びつつ元気に育っている。
だが、アイルは元々引っ込み思案な所がある。仲間内にもめったに見せない笑顔は貴重で、会話もほとんどしない。
執事業を学ぶ傍ら、休みの時間を与えられても部屋で座っているだけ。それを無駄だと感じたのか、休みの時間はヴェルムやセトのいない所で仕事をするようになっていた。
それを知ったヴェルムが、気晴らしになるようにと街歩きをさせているのだ。
当然、街歩きしておいで、と言われればただ街を歩くだけになるのは目に見えている。
そのため、敢えて遠い二ヶ所の店にお遣いでアイルを出す事で無理矢理散歩させているのである。
最初はヴェルムと知り合いの大店に行く事が多かった。本部からも近く、店員は優しい。
商会長への手紙を預け、返事を貰うまで待たせてもらいなさいと言付けた。
アイルはその約束を守り、応接間に通され飲み物とお菓子を出されて一時間ほどそこで待ったのだ。
手紙には、アイルを休ませるために遣いに出したと書いてあった。その意向を読んだ商会長は、新商品をアイルに試食してもらったり、子ども好きな従業員に任せてみたりと様々に協力してくれたものだ。
今ではアルカンタの何処にでも一人で歩いて行けるアイルである。
街の人々に愛され、少しずつ言葉も返せるようになった。
無表情で無口なアイルは、ドラグ騎士団で虐待されているのではないかと疑われた事もある。
しかしその時はアイル自身が大声で否定したのだ。
「僕はこの騎士団を愛しているんです!僕の家族は彼ら全員だ!騎士団に愛され、街の人からも愛される、今の僕は幸せなんです!」
本部南門で起こったその騒ぎは、しばらく騎士団内で噂になった。
アイルとすれ違う団員からよく声がかけられるようになった。
「お、アイル!俺だってお前を愛してるぜ!」
「私もよ。アイル、愛しているわ。」
揶揄うでもなく、茶化す訳でもない。ただ本音を言葉にして伝える彼らに、アイルは嬉しそうに頷く。
そして満足そうに去っていく団員に、アイルは頭を下げたのだ。
「ヴェルム様。里芋は厨房に運んでおきました。全部で二十キロほどしかありませんでした。」
お遣いから帰ると最初に食堂に寄り、その後すぐに団長室へ来たアイル。報告をするとヴェルムは笑顔でアイルの頭を撫でた。
「ありがとう。それだけあれば十分だよ。」
撫でられたまま軽く頭を下げたアイルは、そういえばと記憶を掘り起こす。
「準騎士を襲ってマジックバッグを奪おうと画策する民がいるようです。装備はしておりませんが、襲われる可能性を考えると通知しておいた方がよろしいでしょうか。」
唐突に別件の報告を始めたアイルに、ヴェルムは少し驚いた顔を見せた。だが直ぐに笑顔になると、止まっていた頭を撫でる手をまた動かして言う。
「大丈夫。それなら既に準騎士が襲われているよ。ただ、襲われたのが巡回中のフォルティスだったのが災いしてね。返り討ちに遭ったは良いけど、怪我は無いのに心が折れてしまったようでね。他に仲間がいるかは聞き出せていないんだ。」
フォルティス・ラ・ファンガル。アルカンタから南西方面にある、西の国と国境沿いの伯爵領の、元当主である。東の国との戦争で多大な戦果を挙げたグラナルドの英雄だが、今は本人の希望でドラグ騎士団に入団し準騎士から鍛え直している。
既に解決していたと分かれば問題はない。アイルは余計な報告をしたかと不安になったが、それを察したように頭を撫でる手が自身の頬に添えられた事で我に返る。
「報告ありがとう。八百屋さんが知っているのだから、余程広がったんだろうね。あの店は輸入品を扱う関係上、一般のお客さんはほとんどいないはずだから。」
そう言われては確かにそうだ。噂を何処で拾ったのかも情報としては大事になる。その事に気付いたアイルは、また一つ自身が成長した事を知った。そして、その事に気付かせてくれたヴェルムにまた深く感謝の気持ちが浮かぶ。
ヴェルムは不思議だ。アイルが不安になれば直ぐに察して解決し、アイルが一歩踏み出そうとすれば後ろから優しく見守ってくれる。無口で無表情な自分でも、これだけ見ていて導いてくれる存在を他に知らない。
沢山の感謝を込めてもう一度頭を下げた。今度はしっかりと。
ヴェルムはそんなアイルの気持ちすら分かっているかのように、穏やかに微笑んでみせた。
アイルはそれすら嬉しくなって、理由も分からず大きく頷いた。するとヴェルムも笑顔で頷く。
「さて、私はこれから宴に出す料理を作りに行くけど。アイルはどうする?」
これまでアイル自身がどう動くかをヴェルムに問われた事は何度でもあった。
しかしその度に、自身で決める事の難しさにアイルは直面していた。命令してくれたらそれをするだけで良いのに、と考えた事はもう数えきれない。
だが最近のアイルは違う。ヴェルムの問いに迷う事などない。
笑顔でアイルを見るヴェルムに向かって、間をおかずに答えた。
「お手伝い致します。本日は何をお作りになりますか?」
頷いてから歩き出したヴェルムに着いて行きながら、無表情で見上げるアイル。
今日は寒いから、豚汁を作ろうと思っているよ。
そう言うヴェルムから団員に向ける愛情を感じ取って、ほんのり胸が温かくなった気がした。そして視線を前に戻す。
それが何か分からないが、分からなくても良いと結論付けたアイル。
そんなアイルをヴェルムは穏やかな笑みを浮かべて見ていた。
アイル。愛が彼に沢山留まるようにと名付けられたその名は、正に今の彼を表しているようだった。
双子の成長を心から喜ぶヴェルムの足取りは軽い。
すれ違う団員も、敬礼した後綻ぶような笑顔を見せる。団長が幸せそうで、その隣にアイルがいる。
団員たちはすぐに理由に思い当たり、ふふ、と笑いながら思う。アイルのおかげで今日も団長は幸せそうだな、と。