149話
三番隊は今、四番隊と共に市民街の富裕層が住む区画に来ていた。
大人数で動けば民が混乱するため、小隊単位で所定の配置につく。今この場にいるのは各隊から中隊一つずつである。
それにサイサリスが陣頭指揮として加わったのが本作戦の実行メンバーだった。
リクや他の中隊はここから離れた別の場所で同時進行の任務に就いている。
「三番隊がここまでお膳立てしてくださったんですから、私たちがここで失敗する訳にはいきませんわ。では皆さん、作戦開始。」
サイの言葉で士気を上げ、屋敷を囲むように配置された小隊が一斉に動く。
外から他者の侵入を防ぐために出入り口を封鎖する小隊、屋敷内部に侵入する小隊。そして正面から堂々と屋敷を訪ねる小隊などだ。
「失礼、ドラグ騎士団です。扉を開けて頂けますか?」
サイと共にいた四番隊の小隊長が扉を叩く。よく通る声でかけられた声は、ひどく優しい響きを含んでいた。
相手に緊張させないためである。
治療部隊として活動する四番隊が特に気をつけるのは、治療の技術の向上と治療相手の精神面での緊張を解す事である。
魔力とは不思議なもので、他者に作用する魔法は相手の拒絶があればかかりにくいのである。
闇属性の魔法には他者の精神に作用する魔法も多々あるが、まず相手の思考を鈍くする事で精神に作用するのである。そのため、闇属性での精神関与の魔法は使用魔力が多い。
反面、聖属性の回復魔法は精神にも安らぎを齎す。何か温かい物に包まれているような気持ちにさせる聖属性の回復魔法は、相手が拒絶するとほとんど効果が得られないのである。
闇属性に比べ、相手の思考を鈍くさせたりする効果が無いからだ。
そのため、魔法医師たちは患者の精神状態を安定させる事を優先させる。
無論、魔力によるゴリ押しで錯乱状態の相手を治療する事も可能ではある。しかしそれが出来るのは魔力量の多い医師だけだ。
この小隊長は一般に比べれば多いがドラグ騎士団の中では魔力が多い方ではなく、より効率的に魔力を運用するためにまずは声質を研究した。
その結果、会話した相手に安らぎをもたらす声質がある事を発見。男性である彼は少し高い地声を訓練によって低くし、戦地で治療する際もよく通るよう発声を変えた。
今では彼の治療は人気で、サイと共に救護院へ出向いて治療する際は街のご婦人たちに囲まれる程の人気がある。
それはさておき、小隊長が声をかけた扉の向こうから人の動く気配がした。扉に向かってくる気配は二人。扉の向こうで姿を隠している者が二人。扉を開けたら死角になる場所に潜んでいるようだ。
その事から、どうやら扉は開けてもらえるようだ、と胸を撫で下ろす小隊長。
ここに中の注意を集中させている間に内部を探らねばならない。
行方不明者の全てがまだ確認出来ていないからである。
もしもここにいる者とは別の理由で行方不明ならば、別の事件として捜査せねばならない。
そんな事を考えながら扉をもう一度叩く小隊長。すると中から若い男の声が返って来た。
「はい!今開けます!」
元気そうなその声に緊張はない。内部の動きを感じるに、緊張しない訳がない状況ではあるものの、それを声に出さないくらいには感情を隠す事が出来る相手だという事だ。
気が抜けない相手のようだ。
そんな事はおくびにも出さず、小隊長はチラリとサイを見る。頷き返したサイに微笑み、扉がゆっくりと開くのを見つめる。
僅かに開いた扉から顔を出したのは青年だった。
多少の警戒を顔に出しているのは、見知らぬ人が訪ねて来た事に対する警戒を表しているのか。もしそうなら余程の役者である。
「ドラグ騎士団の方が何の用ですか?事件か何かですか?」
ドラグ騎士団が民の家を訪ねるなど聞いた事がない。青年が暗にそう言っている事をサイは感じ取った。やはりこの青年はやり手のようだ。一筋縄ではいかない事がすぐに分かってしまう。
だが、こちらは何百年も国を護る護国騎士団である。若者に悟られるような表情は浮かべない。何より、サイは貴族出身である。
商人になるべくして学校に通っている程度の青年が、何を隠そうとお見通しであった。
「実は、今アルカンタで事件が起こっておりまして。住民の方々に聴き取りをしているんです。多くの方に協力頂ければこちらも助かります。どうかご協力頂けませんでしょうか。」
実は、グラナルドの法の中にはドラグ騎士団に関する物がある。かなりザックリと言えば、"国民は協力を求められた場合はドラグ騎士団の要請に従う事。"というものである。
青年はそれを知っているのか、一瞬だけ迷う素ぶりを見せた。しかし意を決したように顔を上げ、小隊長に向かって口を開いた。
「構いません。平和なグラナルドを実現しているドラグ騎士団の皆様に協力するのは国民の義務です。しかし、一つ質問があります。」
そう言ってから青年はサイを見る。そして眉尻を上げ警戒心を剥き出しにした。
「なぜ四番隊の隊長様が此方へ?聴き取りは隊長様が出なくてはならないような仕事とは思えません。本当に地域住民全員に話を聞いているのですか?ドラグ騎士団が聴き取りをしているなど聞いた事がありません。あなた達はドラグ騎士団を騙る偽物ではありませんか?四番隊隊長様に似た人ならば騙せると思っているのではありませんか?」
一つではない質問は、青年も口から次々と出てしまったという印象だった。
一番質問したい事は、お前達は何者だ、という点なのだろう。サイは何か言おうとする小隊長を手で制し、一歩前に出て敬礼を青年に向けた。
その一連の流れは美しく、所作だけで人の視線を釘付けにする魅力があった。
「名乗りもせず失礼しました。私、ドラグ騎士団四番隊隊長、サイサリス・ブルームと申します。事件の聴き取りは昔から頻繁に行っております。此方がドラグ騎士団だと明かす事もあれば会話の中で窺う事もありますが。今私が此処にいるのは、隊長も隊員も関係なく任務が下るからという理由以外にありません。それと、私たちドラグ騎士団を騙る事はこの国では重罪に当たります。しかし、それは不可能です。何故なら、この隊服はドラグ騎士団以外では生産する事が出来ないからです。これを着ている時点で私たちの身分は証明されております。貴方ならこれが模造品などではない事が分かりますね?」
隊服は脅威度Aの魔物の素材から出来ている。更にヴェルムの鱗による魔法付与など、値段が付けられない程の価値がある。
商人になろうという者がこれを一目で見て分からないなど、商人への道を諦めた方が良いだろう。それくらいに模造品との差は大きい。
青年は質問に対する解答がしっかりと返って来た事に、一瞬狼狽したように見えた。
だがそれも一瞬で元に戻り、先ほどよりかは多少彼の実年齢を感じさせる表情を見せた。
「隊長が聴き取りなんて、余程人手不足なんですね。まぁ良いです。これ以上貴女方を偽物扱いしては僕の眼まで偽物になってしまう。」
青年の言い回しは独特だったが、つまり彼の観察眼はサイたちを本物だと判断しているという事だろう。
やっと本題に入れる、とサイは柔らかな笑みを青年に向ける。数多の男性を虜にしたその笑みは、年頃の青年である彼にも多少効果があったようだった。
青年は頬を紅くして目線を伏せる。それを見て小隊長は呆れた視線を一瞬だけサイに向けた。
「ではお聞きしたいのですが、この数ヶ月の間に国民が行方不明となる事件が続いております。最近ですと、大通りの南の国料理の店に勤める女性の行方が分かりません。ドラグ騎士団としてはこれを事件の可能性もあると判断し情報を集めています。何かご存知ないでしょうか。噂やちょっとした情報でも構いません。」
小隊長がそう言うと、青年は露骨に安心したような顔を見せた。
これは小隊長のちょっとした誘導尋問である。三番隊から教わったというその技術は、敢えて質問の情報鮮度を落とすというやり方だった。
実は、行方が分からない料理店の女性というのは目の前の青年たちと同時に挙げられた未だ見つかっていない行方不明者である。
彼らがここに集まっているのは把握しているが、この女性だけは行方が分からなかった。そこで青年たちと関わりがあるのかどうか軽い揺さぶりをかけたのである。
青年の安堵した表情を見る限り、彼らとは関係ない失踪のようだ。別の事件として扱う必要がある。
それを報告するのは後にして、小隊長は青年の様子を観察していた。サイは今、魔力の波をごく僅かに広げて、扉で見えない位置にいる二人と、青年に寄り添うように扉に隠れている人物の心拍を測っている。
此方の声は聞こえているはずで、その言葉でどんな反応をするか観察しているのである。
諜報部隊なら必須の技術であるが、諜報部隊と合同任務が多い四番隊にも使用できる者は多い。犯罪を犯した怪我人を治療しながら情報を集める役目があるからだ。
青年が目を逸らした一瞬でサイへ視線を向けた小隊長は、サイが頷くのを見た。それを確認して青年へ視線を戻すと、青年は先ほどよりも警戒が薄らいだ表情を向けて来た。
「ご協力したいのは山々ですが、僕はその件について何も知りません。その女性がはやく見つかる事をお祈りしております。」
そう言って扉を閉めようとする青年を、小隊長は声をかけて止めた。時間稼ぎが必要なのだ。
「失礼、親御さんか同居人はご在宅ですか?同じ質問をさせて貰いたいのですが。」
そう言うと青年は動揺をほんの少し見せた。こちらは中に人がいる事を知っている。青年はそれを見抜かれぬよう表情を取り繕ったのが分かった。
「いえ、今は僕一人です。帰ってきたらドラグ騎士団が来た事は伝えておきます。では。」
どうやらこれ以上の足止めは難しいようだ。更に警戒させてはいけないと、サイと小隊長は丁寧に敬礼を青年にした。
「ご協力感謝致します。国民の皆様が不安にならぬよう、迅速な解決をお約束致します。お休みのところ失礼致しました。」
小隊長がそう言うと、青年はペコリと頭を下げてから扉を閉めた。そして二人は見た。あからさまに安堵した表情を浮かべた青年を。
商人として勉強してきた彼は、確かに取り繕うのが上手かった。だがドラグ騎士団には通じない。多少やり難い相手ではあったものの、貴族や商会長などといった大物よりは楽だった方か。
サイと小隊長は顔を見合わせて頷く。その瞬間、念話魔法で屋敷に侵入した小隊が無事脱出できた事を知る。
これにて作戦終了である。あとは三番隊と五番隊の仕事だ。
今回、何故四番隊がこの作戦に参加したかと言われれば。
行方が分からない生徒や卒業生の健康状態のチェックが主だった理由である。
玄関に来ていた四人は二人が診た。中にいた他の者も、侵入した二小隊のうち一つは四番隊で、姿を見られずに診察出来たはずだ。
魔力投射によって病気の有無などしか把握出来ないが、ベテランである彼らは見れば病気かどうかくらい分かる。少なくとも、食事は満足に摂れている事が判れば十分だ。
ドラグ騎士団が訪問した事で警戒度が上がった屋敷に三番隊を残し、合流した五番隊に引き継いで四番隊は引き上げた。
「そっか。健康状態が良いなら心配はいらないね。さて、じゃあ大詰めに入るよ。」
ヴェルムは目の前に並んで座る五人と、その後ろに一人ずつ控える五人に言う。
ヴェルムの後ろにはセトがいつもの執事服で立っていた。
「こちらでも関係者は洗い出しました。その全てに監視を付けています。動くなら今夜かと。」
「うん、こっちもそんな感じ。今日さっちゃんと接触したから、拠点を変えようとするはずだから。」
スタークとリクが続けて言う。二人は連携を取るため三番隊と五番隊を混合編成で任務に当たらせており、今回の指揮はリクが執っている。事前に二人で情報の擦り合わせをする暇がなかった為、ここで互いに報告しているようだ。
それだけ今回の件は迅速に動いている。
「じゃあ、僕たちは待機になるかな。」
アズがガイアに顔を向けてそう言うと、ガイアはつまらなそうにため息を吐いてから頷いた。国を護る騎士団としては非常事態に直ぐ動ける部隊は本部に常駐したい。五隊揃って動く事など滅多にない。
今回は戦闘ではないため一番隊と二番隊は必要ない。四番隊は一般人に怪我人が出た時を考慮し班単位で中隊につく。他は待機だ。
「適材適所、だね。大丈夫、ガイアには後日別件で動いてもらうから。」
ヴェルムがそう言うと、ガイアは片眉を上げて反応する。それから楽しみそうな表情になると、ドヤ顔をアズに向けた。一々癪に触る仕草であるのに、渋みのある整った顔でそれをされると様になるのだから困る。
アズの爽やかな高貴さとは違い、野生味があり自信が滲み出たその態度は二人を並べて女性が騒ぐだけの理由がある。
真逆だからこそ二人の特質がより顕著になり引き立て合う。女性達の中には、二人並んでこそ良いのだ、と臆面もなく言う者もいるとか。
「私たちが動くなんて事がないのが一番なのよ?特にあなた達二人が動くなんて事態はね。」
サイが困った子を見るように眉尻を下げて苦言を呈す。
ガイアはそれに、はいはい、と適当に返す。しかし、ガイア?と一言発したサイの顔を見て背筋を伸ばした。
別にサイの顔が怖かった訳ではない。寧ろ柔らかな笑みを浮かべたいつものサイだ。
だがガイアは何か背筋に冷たいものが触れた気がした。
そんないつものやり取りを挟みつつ、今日は時間がないためセトが咳払いをして全員の注目を集める。
隊長達のやり取りを黙って見ていた副隊長たちもその視線をヴェルムに向けた。
「じゃあ、今夜この任務を完遂させるよ。各隊、己の役割を果たしてほしい。あぁ、そうだ。建国記念祭が終わったらまた皆んなを労う宴をやろうと思っているから、全力で楽しむ為にも成果を出してほしい。君たちなら任せられると知っているからね。では、解散。」
真剣な表情で聞いていた皆は、ヴェルムの言葉に顔を輝かせる。
言葉だけで人は気分を上下させる。ドラグ騎士団の気分はヴェルムの言葉によって簡単に上げられるようだ。
折角真剣な雰囲気だったのに、と苦笑するセトの顔はヴェルムに見えない。だがその気配を感じてヴェルムも苦笑するのだった。