146話
グラナルド王国首都アルカンタ。
街の中心には幅の広い大通りがあり、その周囲には様々な商会が店を構える。
ここに店を持てるという事は商人にとって夢であり、アルカンタに店を持っていると言えば貴族との繋がりもあるのだと直ぐに分かる。
商業区と呼ばれるその地域は、一本裏に入っても豪勢な店構えの店が多く、客や従業員などの人の出入りも激しい。
市民にとってはそんな大店に勤務出来ることは一種のステータスであり、しかし従業員になるにも中々難しい現実があった。
田舎から出稼ぎに来た者などは余程のコネが無いと就職出来ず、コネがあっても読み書き計算、そして礼儀作法が出来ていなければ働けない。
大店で働きたい者は多いため、一から教育を施すような店が無いのも理由の一つだろう。
大抵は数年どこかの店で修行し、大店の就職試験を受ける。
弟子入りとも呼ばれるこの流れは、アルカンタの商人なら当たり前の感覚である。
そんな中、大店に就職するために働きながら勉強をさせる事を主軸に置いた商会が出て来た。
その商会は雑貨を扱う商会で、大陸中の物を集める中規模の商会だった。
商会長はアルカンタ生まれの壮年の男だ。彼は親からこの店を継ぐまで、大陸中を旅して回った過去がある。
そんな商会長が目をつけたのは、商売の才能があるのに読み書きや計算、作法が十分でないために大成しない商人やその卵たち。
弟子入りして勉強しても良いが、それだと働く事に時間を割き過ぎて勉強の時間が足りなくなる。
そう考えた商会長は、別邸を改装し寮にした。そしてそこに従業員を住まわせ、給料から天引きで寮費とした。
仕事も毎日ではなくシフト制となり、他の時間は寮にいる専属の教師から教えを乞う。
そうして一般的な弟子入りよりも少ない時間で基礎を固め、ある程度身に付いた所で商会の仕事に携わらせる。
そこで会う客と顔繋ぎをしておく事で、後に大店に勤めたり自分の店を持ったりする時に有利にしようという商会長の優しさであった。
この事業を始めてから数年、商会と取引のある大店は商会長の人柄の良さも手伝い、商会から一人雇った。
雇われたのはこのシステムで最初の従業員であり、二十歳の男だった。
大店に勤め始めた男は、商会で学んだ事を活かし次々に成果を挙げていく。大店に元々居た者からはやっかみを受けたが、持ち前の明るさと商会長から学んだ優しさでもって次第に他の従業員とも打ち解け、十年もする頃には支店を任されるようになった。
そして大店の店主の娘と結婚し、子を授かる。
一層仕事に熱を入れた彼は、どの取引先からも凄いと褒められる。
その度に、お世話になった商会長の事を話した。
するとどうだ、彼が下積みをしていた寮には人が入りきらない程の入寮希望者が溢れた。
商会長の店は様々な大店から従業員を求められ、本業の雑貨屋も連日人が賑わった。
大店の若旦那から良い店だって聞いて。
口々に客がそう言うが、商会長はなんのことやら。
後日、卒業していった元従業員の事だと知って商会長は涙を流して喜んだという。
そうやって優しさの連鎖によって商会は更に大きくなり、増えた資金で寮を増設。
更にたくさんの従業員たちがそこを羽ばたいていき、彼の教えを受けた従業員はいつまでも感謝を忘れなかった。
そんな大店の仲間入りした雑貨屋に目をつけた貴族がいた。
当時の財務大臣である。
財務大臣は商会長を長とする商業の学園を開設する事を提案した。
しかし商会長は何度も断り続けた。
私の本業は商売であり、人を育てる事ではありませんので、と言って。
だが、その話を聞いて黙っていられない者たちがいた。
雑貨屋を出て出世した元従業員たちである。
彼らは各々その話を耳にし、師の元を訪れた。そして口々に、己と同じ環境にいる才あれど学の無い若者たちに光を!と説得した。
結果、教え子たちからの説得に折れた商会長は息子に店を任せて学園の長となる。
そうして出来たのが、アルカンタ東方に建つ商業学校である。
「いやぁ、懐かしいですな。それで貴族の地位まで頂いて。私には分不相応だと申し上げたのですが。」
学園長は今、ドラグ騎士団本部本館の団長室で高級な紅茶を飲み目の前の男と談笑していた。
その相手は勿論、この部屋の主人ヴェルムである。
ヴェルムは貴族になっても変わらない腰の低さを持つ学園長に苦笑しながら、皿に盛られた菓子を学園長へ差し出す。
「ほら、君の教え子が作った新作だよ。人気で行列が出来てるらしいじゃないか。」
学園長が来ると聞いてアイルがお遣いに飛んだのは先ほどの事。ドラグ騎士団の制服を着てお遣いをするアイルは街では有名である。
三十分ほど並んで買えたその菓子は、わざわざ店主が包んで持たせてくれた。
学園長が来るから、とアイルが伝えれば、店主は金を受け取ろうとしなかった。だが、団長がもてなす為にと言われれば渋々金を受け取る。
言われた金額がかなり少なかった事にアイルは気付いたが、店主も自身の新作を学園長に食べて欲しいのだ、と思ったためそれ以上は何も言わなかった。
「うん、美味しいねぇ。私はこのような菓子はもう食べられなくなってきたけど、教え子が作ったといえば食べれるし美味しく感じられる。なんとも分かりやすい体になってしまったね。」
学園長は多くの皺が刻まれた顔をくしゃりと崩す。その微笑みは、昔を懐かしむ老人そのものだった。
「君の教え子たちはグラナルドを支える根幹となっているよ。君は作り上げたんだ。商業の神と呼ばれるのも間違っていないね。何せ、アルカンタの大店の殆どに君の教え子がいる。しかもその誰もが成果を挙げていると聞くよ。」
ヴェルムがそう褒めると、学園長は照れながら頬を人差し指でポリポリと掻いた。
今はもう、学園長とは名ばかりで教壇には立っていない。しかし学園長として出来ることはあるはずだと言って生徒たちの頑張りを見守っている。
学園長室に来る生徒たちを拒む事なく、様々な話を聞かせるのが彼の日課になった。
「神とはまた…。神話の天竜から言われると面映いね。」
彼はヴェルムの正体を知っていた。
ヴェルムは照れ笑いをする学園長に微笑みを向け、教え子の新作だというマカロンなる菓子を一つ摘んで口へ入れる。
「うん、美味しい。色彩豊かに着色されたクッキーのような菓子か。見た目も味も楽しめる良い菓子だね。しかし作るのは難しそうだ。」
その通りである。マカロンは焼きの段階で潰れてしまう事もあり、生地の作り方から相当な気を遣って作らねばならない。
だからこそ、他の店では真似できない人気の新作として今行列が出来ているのだろう。
「ほんとだね。幸せの味がするよ。彼は上手くいってるみたいだ。それが我が事のように嬉しい。」
そう言う学園長の顔に嘘は無く、心から思っているのだと伝わってくる。
ヴェルムは紅茶を一口飲むと、音を立てずソーサーに戻してから言った。
「それで?私を訪ねて来たのには理由があるんだろう?勿論、古い友を訪ねた、というのも理由なのは分かるけどね。」
ヴェルムの雰囲気が変わった事に気付いた学園長も、紅茶を飲んでからソーサーに戻し、若い頃と変わらぬ綺麗な姿勢でヴェルムを見た。
数秒躊躇うように手を触っていたが、意を決したのか息を吸い込んで話し始めた。
「実はね、学園の卒業生が数名行方不明なんだ。そして、最近では在校生も二人行方が分からない。寮にも帰っていないんだ。行方不明となった卒業生が在校時に仲良かった子でね。もしかしたら事件に巻き込まれているかもしれない。勿論、騎士団には連絡したよ。だけど調査が何も進んでいないみたいでね。」
学園長が言う騎士団とは、国軍の事である。アルカンタに所属する騎士団のため、そのままアルカンタ騎士団が正式名称なのだが、アルカンタにはドラグ騎士団もあるため騎士団と言えば通常はドラグ騎士団を指す。
学園長は国軍を騎士団と言い、ドラグ騎士団はドラグ騎士団と言う。
学園長の悩みは学園での事件のようだった。
ヴェルムは真剣にその話を聞いていたが、一度話を止めた学園長を見ながら何か考えている。
「そこで君に頼みがある。もし彼らが事件に巻き込まれているなら助けてやってほしい。頼む。」
学園長はソファの上で腰を折る。年老いたといえどその姿勢はとても綺麗だった。
商人は礼を使い分ける。相手によって腰を折る角度を変えるのだ。
今彼がしている礼は、座ったままでするには最高の礼だった。
「うん、いいよ。他でもない君の頼みだ。それに、グラナルドの民を護るのが私たちの仕事だ。だけど一つ聞かせてほしい。」
「ん、なんだい?」
ヴェルムからの言葉に顔をあげた学園長は、疑問符を浮かべて聞く。
「もし、生徒や卒業生が自ら行方をくらましていた場合は、法に則って対処する事になる。それでも良いかい?」
そう、連れ去られたのではなく、逃亡という可能性もある。様々な可能性があるため、救出というだけの任務になる訳がなかった。
「もちろん。その辺りは私も考えたよ。でもね、万に一つでも彼らが危ない目に遭っているのなら、私はこの頭を何度でも下げる。私にはそれしか出来ないからね。」
そう言った学園長の顔には決意があった。
人を育てる事が本業じゃないと言いつつも、随分と変わったね。などと考えているヴェルムはいつもの微笑みを浮かべている。
それを見て引き受けてくれるのだと理解した学園長は、ホッと息を吐いた。
「じゃあ諸々片付いたら報告に行くよ。」
ヴェルムがそう言うと、学園長は頷いて立ち上がる。
セトに案内され部屋を出ていく時、彼はしっかりと頭を下げて生徒の事を頼んだ。
学園長が去った団長室で、ヴェルムは執務机に戻り紙を取り出す。早速指示書を書いていた。
「最近の行方不明と言いますと、アレの事ですかな?」
指示書を書き上げたヴェルムにセトが声をかける。ヴェルムは苦笑しながら頷き、指示書を側に寄ってきたアイルに手渡す。
封筒に書かれた文字を見て宛先を理解したアイルが、行ってきます、と呟いて消える。
行ってらっしゃい、と返したヴェルムの声は聞こえていないだろう。
「まぁ予想通り学園長がお願いに来たね。さて、次はあちらが動くかな?」
そう言ったヴェルムの顔にはいつもの穏やかな笑みが浮かんでいた。