139話
「魔法隊、撃て!」
「弓兵隊、撃て撃て!点ではなく面を意識しろ!奴らを近づかせるな!」
「報告っ!渓谷からの侵入部隊は殲滅!繰り返します、渓谷からの侵入部隊は殲滅!」
「お前たちっ!ここを守らねば家族に明日は無いぞ!気を張れ!」
南の国と小国の国境線では激しい戦いが繰り広げられていた。
広大に伸びる石壁の上には魔法兵がズラリと並び、眼下に広がる無数の軍勢に魔法を浴びせている。弓兵が撃ち出す矢は雨のように降り注ぎ、軍勢の数を減らす。
しかし途切れる事のない軍勢の増援に、魔法兵の魔力は底をつく者が増え、矢の雨だけでは防ぎきれないのは誰でも分かった。
「一体、何万の兵を連れてきたというのだ…!」
国境砦を護る最高責任者は南の国の将軍である。今国境砦には二人の将軍が詰めており、魔法隊を率いる女性将軍は石壁の上に上がり指揮を執っている。
「おう、別働隊は仕留めて来たぜ。」
そこに獣人の男が部屋に入ってくる。彼の胸には勲章が複数飾られており、その身分が将軍である事を表していた。
獣人部隊の将軍である。彼は己の部下を率いてこことは違う国境線に出撃していた。
騎士の国との国境線に程近い、山々の合間にある渓谷である。
そちらから少数の軍が侵入の気配ありと報告を受けた彼は意気揚々と出撃し、見事打ち払って帰還した。
謂わば凱旋のような気分であったのだが、国境砦の戦況を見てそんな気分は霧散した。
慌てて指揮所に来てみれば、案の定同僚の若い将軍が頭を抱えていたのである。
「あぁ、本当に助かるよ。だがこっちはそろそろ魔法隊の魔力が尽きる。矢だって無限じゃない。そろそろ歩兵の出番かな…。鉄壁将軍がいればあんな敵…。」
倒しても倒しても減った気のしない軍勢というのは恐ろしい。
兵たちの士気も見るからに下がって来ており、いつこの石壁に敵が取り付くか判ったものではない。
そんな恐怖が刻一刻と近付いている気がして、魔法隊は焦りから無駄な魔力を消費し、弓兵の射撃はタイミングがズレる。
そうなれば敵も侵攻が楽になるのだから悪循環だろう。
しかし、ここにいるのは将軍だけではない。部屋の隅に立っていた人物が、長い沈黙を破り言葉を発した。
「ではそろそろ今日の戦闘は終わりにしましょうか。食事、睡眠に充てて体力を回復しましょう。」
サラリと言ってのけたのは将軍ではなかった。
ドラグ騎士団零番隊の隊服に部隊長を示す腕章。胸には特殊魔法部隊を示すバッジ。アベルだ。
コンコン、とノックの音がした後、外から声がかかる。
「失礼します。こちら準備完了しました。いつでも本日の戦闘を終了させられます。」
入って来たのは背丈の小さな女性。彼女もアベルと同じく零番隊の隊服を着ており、胸には特殊魔法部隊を示すバッジがある。そして副部隊長を示す腕章があった。
「ありがとう、ルル。では始めてくれ。今日はもう店仕舞いだよ。」
ハッ!
敬礼して出て行く姿はまるで初等学校に通う女子が軍の真似事をしているようにも見える。
だが彼女は立派な成人であり、なんなら血継の儀を受けたのも二十代後半である。
話には聞いていたが、一体どうやって戦闘を終了させるのか解らない獣人部隊の将軍は、どれどれ、と言いながらルルに着いて出て行く。
部屋に残った若い将軍も気になるようだが、どちらかと言えばホッとしたような雰囲気を醸し出していた。
焦っていたのだろう。魔法隊の魔力が切れてしまえばあとは歩兵と歩兵のぶつかり合いになる。だが相手も馬鹿ではない。
あれだけの数の軍があるならば、必ず魔法隊が存在する。今は温存しているのか出て来ていないが、出て来れば激戦になるのは想像に難くない。
ただの砦を護る責任者ではない。この戦に負ければ後ろにある街や村は破壊されて民は死ぬ。いつもそうだが、彼は民の命を背負って戦ってきた。しかし今回は更にその責任が思い。
昨日入った情報によれば、西の国の軍は小国での戦闘で民を含めた全てを皆殺しにしているというではないか。
今までの防衛とは違う。
そう気を引き締めたは良いが、若い将軍も他二人の将軍も、このような大軍勢と戦った経験はない。
そのため何日にも渡る持久戦などやった事がない。
正直なところ、不安で一杯だった。だがそんな姿は兵に見せられない。
昨年のグラナルドとの共同戦線で顔見知りとなった零番隊の二部隊も合流してくれた。今はそれぞれ別任務で出ているが。
それでも若い将軍にとっては心強い。欲を言えば鉄壁将軍バルバトスに帰って来て貰いたいが。
そんな想いも急に辺りが静かになれば否応なく現実に引き戻される。
変わらず外から敵の怒号が聞こえるが、味方の焦ったような叫び声は聞こえない。一体どういう事だとアベルに目を向ければ、アベルから爽やかな笑みが返された。
「大丈夫。今敵軍は幻覚を見ています。ちゃんとこちらと戦っているように見えていますから。残念ながらこちらから攻撃すると解けてしまいますが、こちらが休む間は継続出来ますので。また体力や魔力が回復したら始めましょう。」
簡単なように言っているため若い将軍はただアベルに感謝した。
しかしそれで済まない者もいた。魔法隊の将軍である。
彼女は魔法隊を率いる将軍として魔法には自信がある。幻覚を大人数に見せるところまではまだ納得した。しかし理解出来ないのが、食事と睡眠を摂れるほどの長時間その魔法を維持出来る異常さだった。
通常、幻覚魔法は対象が一人である。それを複数人に及ぼそうとすれば消費魔力も当然増える。更に効果時間は一人を対象にしても凡そ数分が限界なのが一般常識だ。
複数人を相手に使えば一人の魔力では数十秒から一、二分。
考えずとも導き出せるその結果に、将軍は混乱した。
誰が、何を、どうやって、と混乱する将軍を無理矢理休ませたのは彼女の部下である。
しかし何を言っても中々休まない彼女は遂に、彼女の部下から助けを求められた零番隊によって魔法で眠らされた。
あーだこーだ言いながら食事はしていたのでもう眠らせてください、と言われて。
何か違う意味に聞こえてやだ。と言ったのは将軍を眠らせた零番隊隊員の言葉である。
南の国の王都から、東に進んだ所にその場所はある。
南の国でありながら自治領として存在する獣人たちの楽園。
獣人国とも呼ばれるその場所に、彼らはたどり着いた。
「何度見ても可愛いですね。部隊長の猫耳。」
「何度も言うな。貴様の尾を切り取るぞ。それから部隊長と呼ぶな。」
「ゆいなちゃん、その可愛い猫耳は団長に見せないのかい?」
「いやぁ、ゆいなちゃんの猫耳最高!鋭い目つきとのギャップが堪らねぇ!」
完全にセクハラ親父との会話である。
そう、ゆいな率いる亜人部隊の内、獣人を連れてゆいなは獣人国に来ている。
獣人国の中にはヒト族も普通に暮らしている。だがより獣人国に馴染む為、という理由でゆいなは猫の耳と尾を生やしていた。
これはドラグ騎士団が誇る錬金術研究所の偉大なる発明である、獣人化ポーションによる効果だ。
今までの実験では変化して戻るまでの時間が使用者によって疎で、とても任務で使えるような代物ではなかった。
しかし所長がそれに興味を持ち、たった一月で完成させたのだ。
効果はなんと、元に戻る為のポーションを飲まねば戻らない、というかなりぶっ飛んだ性能である。
自然に戻る事を前提に考えていた研究所員たちはまさに目から鱗といった様子でその発想を讃えた。
戻るまでの時間に個体差がある?なら、戻らなければ良いじゃない。
そう言った所長の姿を真似する所員がしばらく増え、何故かドラグ騎士団内で流行った。
勿論、所長に見つかればどうなるかなど考えていない。
急にドラグ騎士団内に獣人族が増えた事でその流行も去った。
「馬鹿を言っていないで行くぞ。半数は情報収集、残りの更に半数は拠点へ。残りは着いてこい。」
ゆいなが猫耳をピコピコ動かしながら言う。普段は無い耳と尾があるだけで威厳というものがゴッソリ抜け落ちたゆいなの指示だが、部下はニヤニヤした表情を隠さぬままそれぞれに散った。
しかし、着いてこいと言われた部下は残ってまだニヤニヤしている。
そんな部下たちにゆいなは静かに歩み寄る。
ゴツッ!と鈍い音がした。
ゆいなの尾がクネクネと揺れる。音を拾っているのか耳は時折ピクリと動いている。
彼女は目的地へと歩く。その後ろにたんこぶだらけの部下数名を連れて。
「さて、我らの本懐を遂げる時が来た。明日は満月。我らの牙をより鋭くより強靭にするだろう。さぁ行け!我らをこのような辺境に押しやった獣共に復讐を!」
「「「「「復讐を!!!」」」」」
大勢の歓声が湧き起こる。叫び声や怒声も混じる歓声と、バサバサという羽音が騒がしい。
しばらく騒がしさは落ち着かなかったが、少しずつその音が離れていく。一人、また一人とこの場を離れていった。
「待ってろよ、獣共っ!俺が、俺様がぁ!お前らを皆殺しにしてやるからなぁ!」
夜闇に夥しい数の蝙蝠が羽ばたく。
その密度は月明かりを覆い隠すほど。最後に一斉に飛び立った蝙蝠は真っ直ぐに南東を目指す。
ガランとした城に残ったのは少数の人物たち。
彼らはその紅い目を一人の人物に向けている。それは先ほど演説をしていた彼らの盟主であり始祖。
整った顔だというのに顔色が青白く、不健康そうな印象が拭えない。
しかしそれは周りの者も同じく。始祖に近ければ近いほど顔色が悪いという何とも不思議な集団だった。
「我らも動かねばなりませんな。本懐を遂げるために。」
「ですなぁ。そのための布石は打ってきましたからな。」
「やっと、だ。永かった。」
「そうね。でも始祖が教えてくれたじゃない。復讐とワインは寝かせる程美味い、って。」
「そうだな。始祖の命に従ってれば良い。やれる事をやるまでだ。」
長老と呼ばれる彼らは実力者揃い。そしてその目に帯びる狂気もまた溢れ出る程の禍々しさがあった。
彼らの本懐が遂げられる時は近い。その高揚感でもって顔色の悪さがほんの少し改善されたようにも見えた。