137話
その知らせが首都アルカンタを駆け巡ったのは昼の事だった。
ここ数十年で小国から大国まで急成長した西の国の皇都が陥落したという噂だ。
一体どこからそんな知らせが来たのかは誰も把握していない。しかし噂とは得てしてそんなものだろう。
誰が誰に聞いた、などと遡るような真似をする者などいないのだから。
噂は様々あったが、共通するのは皇都陥落という一点のみ。その原因や現在の皇都の状況などは面白おかしく想像されており、尾鰭背鰭が付いて元の姿が分からぬ怪物のようになっていた。
西の国では国民を実験台にした魔法の研究を行っていた、天竜教が私利私欲に利用され天竜の怒りに触れた、魔物によって滅ぼされた、敗戦国の内乱で占拠された、など。
実に多様な噂がアルカンタで出回っていた。
これに困ったのは王城である。
昼過ぎから事の真意を尋ねる市民が数多く城に来ては門番に追い返されるという状況になり。午後から登城した貴族など市民に囲まれて身動きが取れなくなった。
グラナルドと西の国は同盟関係ではないが、敵国という訳でもない。国境を接している分、貿易などで互いに利益を得る関係である。
市民の中には西の国に知り合いがいる者もいるのだろう。
後日正式な発表がある、と宥める事に成功したのは陽も落ちた夜の事だった。
「へぇ?それで街が騒がしかったのか。準騎士たちが巡回中に市民から囲まれたって話してるのは聞こえたが。そーゆーことか。」
ドラグ騎士団本部本館の食堂ホールは今、夕食時だけあって大変混雑していた。
普段五隊の隊長が使用するテーブルには、いつものように五隊の隊長が席に着き食事を進めていた。
勿論、話題はこの日街で噂となった西の国の件。
ガイアが口に入れたハンバーグを飲み込んでからそう言うと、隣に座るアズもスープを飲んでから頷いた。
「噂になるのが早いよね。それに、皇都は今魔法陣の効果で洗脳状態なんでしょう?その状況を見て帰って来れる人がどれくらいいるのか、と思って。」
コバルトブルーの瞳を宙に向けて疑問を浮かべるアズに、ガイアは納得の表情を見せた。
確かに、精神支配の魔法が展開されている皇都の状況を見る事が出来たなら、当然精神支配の魔法にかかっているはずである。つまり、西の国皇都の状況は出回らないはずなのである。
「お前らは何か情報握ってないのか?」
ガイアが正面に向かって問うと、アズもそちらに目を向けた。
二人の正面には大柄な男と少女が座っている。
男はゴツい手でパンを掴んでいる。今まさに口に入れようとしていた所を、ガイアの声によって止めた。そしてその手をゆっくり下ろし名残惜しそうにパンを見つめる。
しかしそれも一瞬の事。すぐにその目をガイアに向けた。
「うちの隊では噂の出所を探った。リクの隊は国民の誘導だ。結果から言えば出所は分かった。だが、新たな疑問が生まれた。今はそちらの謎を追っている。今日中には分かるだろう。」
大柄な男スタークはそう言って隣に座る少女リクを見る。
リクは美味しそうにオムライスを食べるのに夢中で話など聞いていないように見える。だがその実しっかりと聞いており、今はスタークが話しているから食事に集中しているだけだ。
「出所は何処だったんだ?」
スタークに釣られてリクを見ていたガイアが我に返り質問を投げる。
その見事な視線誘導でガイアの視線を逸らしていたスタークは、その隙にパンを二つ平らげた。
「グラナルド貴族だ。子爵家の人間だな。ほら、南の国と領地を隣接させた…。」
スタークはそこまで言って眉間に皺を寄せる。どうやら名前が浮かばないようだ。
「ワイズマン子爵家。古くからあるけど現当主の妻は西の国の貴族出身よ。どうも匂うわね。」
ガイアも子爵家の名など知らない。だがそこに助け舟が出された。アズとリクの間に座るサイサリス。四番隊隊長だ。
円形テーブルにはあと一席空きがある。しかしそこに今日は人はいない。そこに普段座る人物は今頃、城に行っているはずだった。
「サイ、詳しいんですか?」
アズがサイに問う。サイは西の国の都市、花の街ブルーム出身である。そこを踏まえての質問だろう。
「彼女もまた西の国がまだ小国の頃から続く名家の生まれなの。それに、彼女の生家は諜報を得意としていたはずよ。と言っても、世論操作とかそういう方向だけどね。」
サイは音を立てずにナイフとフォークを上品に使いステーキを切りながら言った。難しい顔をしているが一口ステーキを食べれば眉間の皺も取れ頬が緩む。
今日も料理長の腕が光っているようだ。
「世論操作?あぁ、それで今回の流れか…。なら、そのなんとか子爵家は嫁さんの実家の力を使ったってか?だけどよ、何のために?」
ガイアは納得顔から一転、また疑問が浮かんだようで宙を睨んでいる。
「だから言っただろう?新たな謎が生まれたから今はそちらを追っている、と。どうせ団長が戻られたら隊長会議だろう。その時には分かっていると思う。待っていてくれ。」
そんなガイアにスタークが言う。もう一度納得の表情を見せたガイアはハンバーグをまた一口食べた。
「ガイちゃん、最近東の国料理にハマってたんじゃなかった?」
唐突に、今までオムライスと格闘していた少女リクが声をあげる。ガイアがそちらを見れば、そこにオムライスの姿は無い。既にリクの胃へと消えた後だった。
「そうなんだけどよ。やっぱり偶に食うから美味いんだなと思ってよ。俺には大陸料理が向いてるってこった。」
その回答にリク以外の三人の視線がかち合う。三人の脳内は同じことを考えていた。
あぁ、飽きたんだな。と。
基本飽き性な所はガイアとリクは良く似ている。二人は何にでも興味を持つが飽きるのも早い。そんな二人は頻繁に最近のブームを共有しており、ガイアに聞いたリクがそちらに興味を持つ、というような事例は幾らでもある。勿論、逆もまた然りだ。
「東の国料理と言えば…。先日、部下たちからタコパ?なる物を開催すると誘われたんだけど。どんな物か知ってる?」
アズがガイアに尋ねる。しかしガイアはなんだそれ、と言わんばかりに片眉を上げており、答えを聞かずともその表情が全てを物語っていた。
だが、アズの疑問は違う所から答えを得られる。
元気よく手を挙げ自身をアピールするリクだった。
「はいはい!タコパ知ってるよ!たこ焼きパーティー、略してタコパだよ!」
はいはい!と元気に手を挙げる度薄緑の癖っ毛が肩で揺れる。元気いっぱいなリクを表すかのように左右に揺れるポニーテールは今日も元気にあちこちに向かって跳ねている。
何故リクが知っているのか、という疑問はさて置き。アズは一番気になった事をまずは聞く事にした。
「たこ焼き、かぁ。どんな物か知ってる?たこを焼くんだろうけど。」
基本的にこの大陸では蛸を食べない。漁師もデビルフィッシュと呼び敬遠する程である。
蛸の吐く墨はその見た目から毒だと信じられており、海洋生物学者くらいしか毒ではない事を知らない。
しかし東の国本島では昔から食べられてきた事もあり、大陸側の東の国でも食べられている。
これを知った外国人が驚くのはよくある事で、味見をした勇気ある外国人が地元にその情報を持ち帰るなどして局所的には蛸の食用が広まっている。
だが、蛸という存在その物を知らない者が多いのもまた事実だった。
「ただ焼くんじゃないんだよ!あーちゃんが想像してるのと絶対違うから!楽しみにしたらいいよ!」
蛸自体知らないアズが驚く姿を想像してほくそ笑むリク。
何故リクが蛸を知っているのか。それは偏にリクの出身に理由はある。
リクは北方の亡国、イェンドル王国の生まれである。
イェンドル王国は商人の国。大陸中の様々な物が集まるその国で、珍味として給された事があるのだ。
勿論、リクもその時は大変驚いた。見た目がグロテスクなのも、動きが珍妙なのも。そして墨を吐く姿を見て毒だと勘違いしたことも。
そう、リクは既に凡そ一般の人が取る反応をした後である。
つまりは自分の事を棚に上げてアズの驚きを楽しもうとする愉快犯であった。
「へぇ。じゃあ楽しみにしておこうかな。料理長に聞こうかと思っていたんだけど。リクの感じからして知らない方が楽しめそうだね。」
リクの反応から楽しい事になると確信するアズは予習無しでタコパに向かう事を決意した。
アズとしては、リクのこの反応には覚えがある。何か悪戯をした時の反応だ。
となれば、きっと己はそのタコパでビックリするような物を目にするのだろう。でも、良いじゃないか。その反応で家族が喜ぶなら。
そんな風に考えるアズ。そしてその考えは他の三人に筒抜けだった。
お優しい事で。そう三人は同時に思ったが、最後まで誰も口にはしなかった。