133話
「この国はなんでまた天竜なんぞを信仰してるのかねぇ。アタシらが大変な時に助けもしなかった竜なぞ、信じたところで救ってやくれないのに。」
真紅の煌びやかなドレスに身を包んだ美女が夜道を歩いていた。まだ時刻は深夜とまではいかないが、十分に遅い時間だと言える。
天竜国はグラナルドほどに魔道具が発達しておらず、アルカンタでは庶民も使うような魔道具が貴族にしか行き渡らない。
畢竟、陽が落ちれば仕事を止め帰宅し、燃料費を節約するためにさっさと寝る。そして日の出と共に動き出しまた働く。
そんな生活スタイルが当たり前な民がほとんどのため、月明かりを道しるべとして歩くこの美女は大層浮いていた。
誰も見ている者がいないため止める者はいないが、もし見ていれば確実に悪意によって襲われるか善意によって保護されているだろう。
美女は一人で歩いているが、ポツリと溢す言葉に反応する声が聞こえる。
「そりゃあ、バカだからサ。縋れる対象があればなんだっていいのサッ!」
姿は見えない。だが確実に何かと会話をしていた。その声は若い男の声で、やけに語尾を強調した話し方だった。
「まぁ、愉しめるならなんでもいいよ。先日の起動点設置は失敗したらしいからねぇ。天竜なんているかも分からない存在に縋るだけの雑魚かと思えば、いるじゃないか。強いのが。」
ドレスの裾を捌きながら歩く美女はニヤリと笑う。ドレスと同じく真紅の口紅が塗られた唇は、月明かりに照らされ妖しく輝いた。
「我が主人を愉しませるくらい強いといいのサッ!ダメなら俺が食ってもいいカ!?」
姿なき声はけたたましく。しかし静かな通りにこだます事は無い。
美女の周囲には遮音結界が張られていた。他にも、気配を絶つ結界や防御結界など、多種の結界が美女を中心に展開されていた。
「アンタの餌になるくらいなら素直に死ぬんじゃないかい?それがヒト族ってもんさね。」
見た目は何処かのパーティーから帰る途中だと言われれば誰もが信じる、そんな容貌の美女。しかしその口調は荒く、貴族令嬢だとは誰も思わないだろう。
そもそも、笑うたび唇から覗く鋭い犬歯を見て、ヒト族では無いと直ぐに分かるであろうが。
「我が主人、あと少しで目的地だゼッ!そこの角曲がったら…!!」
姿なき声が途切れる。同時にパリーンとガラスが割れたような音が響き渡った。
美女は声が途切れた方向へ顔を向ける事なく、ドレスとは思えない速度でその場から距離を取った。そして先ほどまで自身が立っていた場所へと目を向ける。
「ん?なんだこれ。とりあえず潰したが…。」
そこには一人の女が立っていた。月明かりが照らし出す通りに、真紅が浮かび上がる。
「よぉ。お前さんが今日の魔法陣係かい?」
咄嗟、美女は魔法を発動する。数瞬後にはその手に真っ赤な細身の剣が握られていた。
その目は血走り、先ほどまで余裕を見せていた姿はない。
「あ、アンタ…。何者!?アタシの可愛い眷属を一瞬で…!」
剣を構えながらも突然の襲撃者に話しかける。先ほどの奇襲はしてやられた。結界が容易く突破され眷属が死んだ。
美女は最大級の警鐘が頭で鳴り響くのを感じていた。全ての己の能力が口を揃えて逃げろと言っている気がする。背筋からは多量の汗がながれている。しかしそれに気を取られる訳にはいかない。
極大の緊張を面に出さぬよう、努めて冷静を装って話しかけた。
「眷属…?あぁ、コレかい?大事なペットならこんな夜更けに連れ歩いちゃダメじゃないか。…それとも?炎帝にこんな雑魚をぶつける程人手が足りないのかい?ヴァンパイアはさ。」
真紅の襲撃者。炎帝。その名を聞き、その力が自らに向かうと分かっていて平静でいられる者はそういない。
それほどまでに冒険者最強格である帝の名は大きい。
「先日の設置を邪魔したのはアンタか!大人しく陣の完成を震えて待っていれば良いものを…!」
相手が炎帝と知れたならば、その情報を持ち帰らなければならない。例えこの身が朽ち果てようと、仲間の誰かに話さねば。
そんな一心で逃げる隙を窺いつつ会話を試みる美女。
彼女の脳内は如何にして逃げるのかという事にのみ集中していた。目の前の存在があまりに圧倒的故に、それしか選択肢が無かったとも言える。
だが、この選択が誤りであった事を、この時の美女はまだ知らない。
「あの程度の魔法陣で何をするんだい?この国の国民は兎も角、アタシに効くとは思えないね。そして、アタシ一人いればこの国、いやこの大陸からヴァンパイアを一掃する事だって不可能じゃない。アタシがこの国にいるのは周知の事実じゃないか。なのに、何故手を出したんだい?」
当然、炎帝が天竜国にいるという情報は掴んでいた。
だが知らなかったのだ。まさかここまで圧倒的存在だなどと。
これは作戦の練り直しが必要か。美女がそう思考を誘導された事に気付かないまま考えた時、突如胸が熱くなる感覚に襲われた。
「グッ…!」
目の前の脅威から目は離していない。だが現に今、美女の豊満な胸から剣が生えている。
胸の熱さは貫通した剣による痛みだった。
何故、何時、何処から、などと考える余裕は無い。
暗くなる視界と急に抜けていく力と共に、後ろから男の声が聞こえた気がした。
「お嬢、情報は聞き出せましたかい?」
カサンドラの部隊員が、ヴァンパイアの背中から剣を引き抜き血を魔法で綺麗にしながら問う。
腰の剣帯に差した鞘に音もなく納刀すると、死んだヴァンパイアから目を離し己の上司へと視線を向けた。
「アタシがいる事は知ってたみたいだけどね。強いとは思ってなかったみたいだよ。それと、この子の反応で魔法陣の効果が大体予想できた。となれば奴らの作戦も分かるだろ。爺なら。」
先ほどまで命のやり取りを始める一歩前だったとは思えぬほどの余裕でカサンドラは言う。
隠れていた己の部下たちがゾロゾロと姿を現すのを視界の隅に捉えながら、ここにはいない側近であり祖父である爺に丸投げする。
そんな部隊長には慣れたもの。部下たちも頭脳労働は苦手なのか、揃って頷いている。
軍にいれば軍師ではなく猛将となったであろう爺が見れば、きっとため息の一つでも吐いて見せただろう。
「しかしまぁ、この国も哀れな事だよ。天竜教なんてものを前面に押し出してるせいで、こんな策で崩壊を迎える一歩手前なんだから。」
ポツリと呟いた言葉は、耳の良い零番隊にはハッキリと聞こえた。
だが頭脳労働は爺一択、というこの部隊ではその言葉の意味を理解出来るはずもなく。
部隊員たちの空気を読み、先ほどヴァンパイアを刺した部隊員が問うた。
「お嬢、どういう意味ですかい?」
「ん?あぁ、なに、簡単な事だよ。おそらく奴らが作ろうとしているのは精神支配の魔法陣。この大陸では禁忌とされている魔法だね。精神支配によってこの皇都に住むヒト族を支配し、部下にでもしてから何処かの国でも攻めるつもりなんだろうさ。ここ西の国は天竜教を国教にしてるからね。精神支配の魔法は自立心が強ければ効かない事もあるが、この国のもんは皆んな天竜に縋り祈る生活をしてるだろう?そういう奴はこの魔法にかかりやすいのさ。」
はぁ、とため息を吐きながらも説明するカサンドラに、周囲の部隊員たちは納得の表情を見せた。
分からなくても少しくらい考える努力をしたらどうだい、などとは言わないカサンドラ。言っても意味などない事はこの数百年で骨身に染みている。
カサンドラ自身も考える事は苦手であるが故に、どうしても爺に頼ってしまう自分を恨む事もある。
だが、そんな時は必ず思い出すのだ。
ヒトには適材適所という言葉があるじゃないか。カサンドラの適所は何処だい?
そう言ってくれた敬愛する団長、ヴェルムの姿を。
それはそれ、これはこれ。そう思う自分もいない訳ではないが、それにしても部下たちは考える事を放棄し過ぎである。これは本部に戻ってからしばらくは講義を増やすべきか。
そんな事を真剣に考えながら帰り始めるカサンドラ。
遺体の処理を担当する部隊員以外は、そんなカサンドラの姿を見てこう思う。
また真剣に次の行動を考えてるんだろうなぁ、と。
違う。まさか己らの馬鹿さに対する対処法を考えているとは欠片も思っていない。
ヴェルムがこの場面を見ていればこう言っただろう。
知らぬが仏、と。