132話
天竜国ドラッヘ。通称西の国。
この国では天竜教を国教とし全ての国民が信仰する事を義務とされている。
元は小国だったドラッヘがここまで大きくなったのは偏にこの天竜教の存在があった。
そのため天竜教の教皇は政治に口を出せる程の権力を持ち、王子が国王となるには教皇から王冠を授けて貰わねばならない。
ある意味国王よりも権力のある教皇。だからこそ起こる問題もあるが、今までは上手くいっていたのだ。今までは。
「はぁ!?本当だろうね!?」
真っ赤な長髪を編み込んで一つに束ねた大柄の女性がとある屋敷で叫んでいた。
彼女の出身部族の特徴的な化粧を顔に施し、普段から恐ろしい見た目が何割か増しで恐ろしくなっている。
彼女の機嫌の悪さは別の事に向かっているとはいえ、報告をした部下は自身がいつ斬られるかと冷や冷やしていた。
「第二小隊からの報告ではそのように…。確認も取れています。」
なんとかそこまで言えたものの、部下はさっさとこの部屋を出て行きたかった。しかし指示を貰わねば動けない。早く指示を出してくれ、と心の底から祈っている。序でに、この部屋にいるもう一人の人物に目線で助けを求める事も忘れない。
「なんだってこのクソ忙しい時に。いや、今だからこそか。皇太子の護衛を少し減らして構わないから、そっちに人数使いな!」
「ハッ!失礼します!」
やっと指示が出た。部下の使命はこの瞬間、仲間にこの指示を伝える事に変わった。喜んで部屋を出ようと立ち上がる。そして扉に手をかけた。
「待て。」
低い声が部下にかかる。聞こえぬフリをして出て行くか、コンマ何秒の世界で何度も考える部下。結局後が怖くて振り返る事にした。
「ハッ!なんでしょう。」
無視するか悩んでいた事などおくびにも出さずに敬礼してみせた。
「うむ。おそらく次は皇都西部の倉庫街だ。重点的に見張れ。」
「…!!は、ハッ!」
今度こそ部屋を出た部下は少し混乱していた。
部屋に部隊長の他にもう一人いたのは、部隊長と同じ部族出身の爺。齢三百を越える爺だが、同じく三百を越える歳の部隊長を頭脳で支える重鎮だ。
この部族出身の者は部隊長を今でもお嬢と呼ぶ。
そんな頭脳派に見える爺だが、戦闘になると部隊長も信頼する悪鬼となるのだ。
最近立て続けに起こる奇妙な事件。
これが吸血鬼の一族によるものだと推測したのも爺だ。しかし何故次の犯行現場が分かるのか。
いや、俺は任じられた任務を果たすのみ。そう思考を切り替え部下は伝令に走った。
「で?なんで次は倉庫街なんだい?」
こちらではしっかり理由を尋ねられていた。この部隊の部隊長として理由くらい知っておかねばならない。
部隊長カサンドラは側近であり祖父である爺に顔を向けた。
先ほどまでの怒りは鎮まったらしい。
「お嬢。昔所長から魔法陣について学んだ事は覚えておるか?」
「魔法陣ん?なんでそんなもんが…。ッツ!おい、地図持ってこい!」
何かに気が付いたカサンドラが地図を要求するのと同時に、部隊長の執務机に地図が差し出される。それは西の国皇都とその周辺の地図だった。
一般人では絶対に手に入らないそれがここにあるのは、部隊員が任務としてこちらに来てすぐに正確な地図を書き上げたからだ。
これは持っているだけで国家反逆罪として捕まってもおかしくない代物である。
更にその地図には数箇所に点が付けられている。それを脳内で線で結ぶ。やはり予想通りだった。
「そういう事かっ!東の国の、ほら、なんていったか。アレじゃあるまいし!」
「三文小説、か。」
「そう、それだ!こんな話の中にしかねぇような事誰がするかと思ってたが…。あの黒マント共…!」
二人で地図を見下ろす。そして自然と二人の視線が向かうのは、ここに点を付ければほとんど完成という位置。つまり倉庫街だった。
「だがよ、何で倉庫街なんだ?もう何箇所かあるだろ。」
そう、まだ数点魔法陣の起点になりそうな場所がある。未だこの段階では何の魔法陣なのかは予想がつかないが。
「だから所長に学んだ事を覚えているか、と聞いたのよ。お嬢、覚えとらんのか?」
爺の言葉に考え込むカサンドラ。考える時はいつも顎に拳を当てる。まだヴェルムの血を継ぐ前からの癖だ。
「あ、そうか。順番か。うん、確か魔法陣は書く順番が決まってたな!」
「ご名答。よく覚えておったな。その書く順番が次に来るのが倉庫街。それだけだ。」
得意気なカサンドラを微笑ましく見ながらも、爺は次の行動の予定を立てる。そして防ぐ手立ても考えなければ。そのことを進言するか数瞬悩んだが、杞憂だと理解させられた。
「爺、これは既に打たれた点は消せんのか?」
そう、気付いたならば消せば良い。魔法陣として使うつもりなら、そこで起きた事件によって何かしら残されているはず。それを無くしてしまえば魔法陣としては機能しない。
「そう思って既に部下に向かわせたんだがな。なんと何も見つからなかったのよ。不思議じゃなぁ?」
カッカ、と快活に笑うその姿は全然困って見えない。それはカサンドラも同じなようで、一瞬で額に青筋が浮かんだ。
「なぁにが不思議じゃなぁ、だ!砂粒一つ見落とさぬくらいに探してこんか!もしくは目に見えない物の可能性を…。魔力か!」
魔力や魔素が視覚的に見える者は少ない。魔法を訓練し戦闘で魔法を主体に戦う者ならば動きが見える事はあるだろう。
ドラグ騎士団も五隊にもなれば全員そのくらいは出来る。零番隊なら言わずとも。
しかし、捜査の中それこそ砂粒一つ見落とさぬよう目を更にして探したのだ。
だがここに落とし穴がある。魔力を追おうと思っていなければ、巧妙に隠された魔力は見つけられない。物を探している時に魔力など視界の邪魔になる。故に見つけられなかった。
そういう事だろう。
「ならば今すぐに探させろ!」
カサンドラが叫ぶが爺は微笑むのみ。そして壁にかけられた時計を顎で示す。
「時間…?待て、いつも事件が起きるのは…」
「そう、いつも午後九時。あと十分だな。」
チッ、と鋭い舌打ちの後、カサンドラは椅子に掛けていた隊服を手に取り羽織る。それから直ぐに飛び出して行った。
「部隊長が飛び出したら儂がここにおらねばならんだろうに。いつになったら儂に戦わせてくれるんか。」
爺の呟きは誰の耳にも入らない。
心なしかしょんぼりした様子の爺は、何時でも部下が報告に駆け込んで来れるよう待機する事にしたようだ。
部屋の隅に置いている珈琲を淹れる魔道具に魔力を流す。数十秒で珈琲の良い香りが部屋を支配した。
「なに!?炎帝が戦闘した!?しかも皇都内で?」
灰色の巨城に住むのは天竜国ドラッヘの王族たち。
とは言っても、国王と妃、それに養子となった新しき皇太子の三人しか住んでいない。
後は住み込みの侍女やメイド、侍従といった使用人。それと城を守る騎士たち。
日付が変わるかという時間帯に、使用人から報告を受けた皇太子が飲んでいた酒を置き立ち上がる。部屋には他に誰もいないが、部屋の前や周囲にはその炎帝の部下が何人かいるのを皇太子は知っている。
「おい、お前たちは何か知っているか?」
扉の前に立つ護衛に声をかける。しかし返ってきたのは、何も、という素っ気ない返事だけだ。
「よし、ならば向かうぞ。炎帝が戦闘をした理由を聞かねばならん。冒険者から選ばれる帝の地位は、安易な市街地での戦闘は禁止されているはずだからな。」
めげない皇太子は使用人に着替えを指示している。必死に宥める使用人が哀れだが、一度言い出したら聞かないという事を良く知っている。渋々ながらも着替えを持ってきた使用人の表情は諦観に染まっていた。
しかし。皇太子の行動に口を出せる者がいた。
「お坊ちゃん。俺たちの仕事はお坊ちゃんをこの部屋から出さねぇ事なんだ。悪いな。」
護衛だった。彼らはカサンドラとヴェルムの命令しか聞かない。それを間接的に伝える上司の命令も聞くには聞くが。
皇太子だろうが国王だろうが関係ない。そもそも冒険者だと思っている皇太子からすれば、冒険者など命令して動くような生き物ではないことを知っているはずなのだが。
「なに?お前たちは私の護衛だろう。その私が出ると言うのだ。お前たちも着いてきて護衛するのが当然だろう?」
何を言っているんだ、と言わんばかりの表情で言う皇太子に、護衛はため息を吐いて懐に手を入れる。
取り出されたのは一枚の羊皮紙だった。
「ここにちゃんと書いてあるだろ。お坊ちゃんが勝手な行動をした場合護衛に就かなくても良いって。それでお坊ちゃんが死んでも俺たちにはなんの責任もないって。国王と炎帝が交わした契約だよ。」
羊皮紙を渡されてその内容を読んだ皇太子は次第に渋面をつくる。しかし、とある一文で目を輝かせた。
「ここに如何なる状況でも護衛として死力を尽くし護る事とあるぞ!如何なる時も護るのがお前たちの仕事だろう!」
曲解ではあるが、貴族の世界では良くある事。無理矢理己に都合のいい解釈にするのは当然の行動である。
だが相手が悪い。彼らは零番隊だ。
「そう、だからさっき言ったじゃないか。俺たちの仕事はお坊ちゃんを部屋から出さねぇ事だって。こんな時間にホイホイ外で歩いてみろ。死ぬぜ?だから俺たちはお坊ちゃんが出てかないように死力を尽くして防ぐってわけよ。ほら、出て行きたいなら出てみろよ。」
こう言われては皇太子は動けない。散々煽り倒されても何も返せないのだ。何故なら、炎帝の部下を突破出来るような力を持たないから。そして彼らの言い分が完全に正しいことを理解しているから。
己の我儘が通らない事に機嫌を悪くした皇太子はそのまま天蓋付きベッドに飛び込む。
使用人が心の底から護衛に感謝の礼をしているのに気付かないまま。