130話
「おいおい、結局俺はいらなかったじゃねぇかよ。」
ため息を吐きながらそう言うのはアレックス。彼は髪をガシガシと乱暴に掻きながらヴェルムを見る。
それに苦笑を返しながらも、飛び出したのは君だろうに、などと呟いている。
「さて。では問題も解決したようだから、序でにもう一つ片付けておこうか。」
広間に蹲ったままの豪商を見ずに店主と看板娘に向かって言うヴェルム。その眼差しは柔らかく慈愛に満ちていた。
話しかけられたのが分かった看板娘はすぐに姿勢を正すと、ヴェルムに向かって顔を上げる。広間にいる娘は背も低い。小上がりになっている場所からヴェルムに見下ろされては、視線を真っ直ぐにするとヴェルムの臍の辺りしか見れない。
「もう一つ?なんだよそりゃ。」
怪訝そうに尋ねるアレックスに、ヴェルムはニコリと微笑んだ。
まぁた何か考えてやがる、などと思うアレックスを他所に、ヴェルムは笑顔でアレックスを見つめている。アレックスが、なんだ?と言う前にその口が開かれた。
「先日、侯爵領でお袋の味を知ったと言っていたね。」
「あぁ?…あれか。そういやこの店に来たのもそこで東の国料理の話題に触れたからだったな。」
「そう。その話だよ。そこに出て来た息子の事を私は知っている。」
「はぁ!?どういうことだよ。」
アレックスが驚くのも無理はなかった。ヴェルムは自由な性格をしているが、家族を守るために色々としている事を知っている。つまり、場末の定食屋の息子の事など知りようがない。
「正確には、彼の妻と妹の事を知っている。彼は東の国のグラナルドとの国境に出来た街で東の国料理を学んでいた。そしてそこの看板娘と恋に落ち、結婚したんだよ。妻となった女性には妹がいてね。その妹も別の男性と結婚し娘も出来た。だがその頃かな。住んでいた家に強盗が入った。父も母も子を守るため死んだ。幸い、元軍人の料理人がその子どもを保護した。そして養子として仲良く暮らしている。血の繋がりはないけど、侯爵領の老夫婦はその娘の叔母の義両親だよ。無理に言えば義理の祖父母かな。」
ヴェルムの説明は色々なピースを繋げるような話だった。
話を聞いていた店主と看板娘は目を見開いている。アレックスも開いた口が塞がらないようだ。
ヴェルムに着いて来て陰でコッソリ様子を見ていたガイアも、この話に驚愕していた。
「さて、もう一つあるんだけどね。その娘の叔母夫婦の事だよ。彼らは今でも東の国の街に変わらず住んでいる。今では店主も引退し、店を継いで二人で暮らしているそうだよ。噂では、一度旦那の故郷に帰ろうかという話もあるみたいだね。でも、そこでの食事を当てにしている客もいる。長く休みは取れないという事で中々動けずにいるようだね。因みに、子どももいる。先ほどの娘にすれば従姉妹という事になるかな。」
「なんでそんなに正確に知ってんだよ…。」
呆れたように言うアレックス。彼のそれは本音か、それとも現実逃避か。
だがあの老夫婦が気にしていた息子の行方が分かってよかったではないか。それにここでその話をするという事は、この看板娘と店主は…。
アレックスはそこまで考えて思考を放棄した。ここはヴェルムお気に入りの店。悪いようにする訳がない。
ある種の信頼でもってそう考えたアレックスがホッとすると同時に腹がグゥと鳴る。
そういえば昼を食べに来たのだったと思い出せば、店の二人もそれに気付いて慌てて厨房へ戻る。
豪商と取巻きはいつの間にかいなくなっていた。
「じゃあゆっくり待つとしようか。ほら、戻るよアレックス。」
既に思考を放り出し面倒くさくなってきていたアレックス。渡りに船とばかりにその言葉に飛びつき、ため息を溢すガイアと三人で予約席へと戻って行った。
騒動が落ち着いた広間では、空気となっていた客たちが息を吹き返す。
「おい、王族って言ってたぞ。しかも、その王族にタメ口きける人なんてそうはいねぇ。しかもあの制服はドラグ騎士団のだ。もしかしたら、あの人が団長かもしれねぇ。そんな人のお気に入りの店に入り浸ってあの娘に手を出したなんてバレたら…。」
「お、おい、脅かすなよ。俺だってあんなのが後ろにいるって知ってたら手なんか出さなかった。さっさと帰ろう。」
「あぁ、そうだな。帰ろう。」
こうして厄介な客は纏めて一掃された。
ヴェルムがそれを意図して話を聞かせたかどうかは分からない。
だがそれでも確かなことがある。
この日随分と遅い昼食になったヴェルムたちが、フルコースかと言わんばかりにサービスがついた豪勢な食事を摂ったという事。
三人が店を出る時、義親子が三人の姿が見えなくなるまで頭を下げていた事。
義親子はその後涙を流しながら喜んだ事。
「どこまで計算通りかわかんねぇのがこえぇよなぁ。」
とはアレックス談。
数ヶ月後、アルカンタで東の国料理を出す店は臨時休業していた。
店の裏側にある義親子の家からは明るい笑い声が響いている。どうも来客があっているようだ。
「うぉぉぉぉ!よがっだなぁ!お前にもぢゃんど、ぢのづながっだお人がいでよぉぉ!」
濁声で泣いているのは店主。筋骨隆々の元軍人であり、今は料理人である。
それを見ながら困ったように笑っているのは養子である娘。
テーブルを挟んで向いに座る夫婦の内、妻はその娘に良く似ていた。
「しかし不思議だね。私たちに手紙をくれた方も、休む間店を借りたいと言ってくれたあの人も。不思議な事だらけだ。」
そう言って微笑む夫の顔は、ガイアたちが出会った定食屋の厨房に立つ老人に似ている。しかしその柔らかな目つきは腰の曲がった老婆を彷彿とさせた。
「本当よね。でも、この子の事を見つけてくれた方だしあなたのご両親にもご挨拶出来るんだから感謝しなくちゃ。」
夫婦は昨日、二人の子どもである三人の子どもを連れてこの家を訪れた。
店主は一体誰だと首を捻ったが、妻のその顔を見て一瞬で理解した。あぁ、本物が来た、と。
それから今日のこの時まで、事あるごとに店主は泣いている。まったくお父さんは、と言いながらもタオルを渡す娘を見て、夫婦は同時に気付いた。
あぁ、この二人は本物の親子だな、と。
苦しい生活をしているようなら姪を引き取ろうと思っていた妻だったが、昨夜夫とも話をしてここなら大丈夫だと安心した。
今ではこの義親子のやり取りもすっかり気に入ってしまい、明日出発だというのに行けそうな気がしない。
何より、子どもたちが義親子に懐いてしまった。
どうしようか、などと二人で話していると、国境越えからずっと護衛としてついて来てくれた若い男が声をかけてくる。
「帰りにも寄れば良い。首都なら色んな食材もある。ちょっと勉強がてら首都に滞在するのも悪くねぇと思うぜ。」
「アリーさん。そうだね。侯爵領からの帰りにもまた是非寄らせてほしい。良いかな?」
アリーと呼ばれている事に義親子は最初戸惑いを見せた。だが、夫婦や子どもからは見えない位置から彼の唇に人差し指が当てられたのを見て、二人はすぐに察した。
「もちろん!また寄ってください。こちらに来られる時はここを拠点にしてくださって構いません。東の国のお話もお聞きしたいですから。」
「こいつもこう言ってるんで、お二人さんもチビたちも、いつでも寄ってくれ。アレ…アリー。君もな。」
二人で頭を下げる姿はそっくりだった。
下げるタイミングも、スピードも。それから顔を上げてニコッと笑うその仕草も。
「これで血が繋がってないなんて嘘だわ。」
「本当にね。彼女を思い出すよ。」
毎食、料理人の父二人が競い合うように料理を作るため豪華だ。
美味いし味も好みだけどそろそろグラナルドの料理が食べたい。アリーことアレックスがそう考えるのは自然な流れだったのかもしれない。
何せ、東の国からアルカンタまで、数週間かけて馬車に揺られ。勿論野宿が多い。その間簡素ながらも東の国料理を食べ続けた。そしてアルカンタに着いてからは豪華な東の国料理だ。
街の宿に泊まる時しか(アレックスにとっての)普通の食事を摂っていない。
「これ、帰りもなのか…?」
自分で提案したとはいえ、既に帰りの事を考えてゲンナリする姿があった。
それから数年後、侯爵領で愛された一つの定食屋が閉店した。
数多の常連客から惜しまれながらも、最終営業日には店の外まで埋める程の客が来て声をかけて行った。
腰の曲がった老婆は終始笑顔で、最後には涙も見せた。
厨房にいた亭主も、厳しい顔は変わらないものの何処か口角が上がっていたように見えた。
これからどうするんだい?
常連客は皆そう聞いた。
すると老婆は笑顔で言った。
息子がね、一緒に暮らそうって呼んでくれたのよ。
そりゃよかったなぁ!
ずっと探してた息子さんかい!?
客は皆喜んだ。誰もがお袋の味を思い出しにくるこの店で、肝心のお袋さんを置いて出て行った息子の事は皆が知っている。
やっと親孝行する気になったか、と安心する客もいれば。そんな息子に俺たちのお袋さんが!と嘆く者もいる。
だがどんな客も嬉しそうな老婆と老人を見れば、おめでとう、と声をかけていくのだ。
更には、涙を流して閉店を悲しむ者もいる。
「そ、そんなぁ…。数年に一度の楽しみが…!これから僕はどこでお袋の味に出会えばいいんだぁ!」
その客は泣き崩れていた。朱色の髪を振り乱し地面に腕を叩きつけている。
黒を基調に赤の差し色が美しい隊服を着ており、その者の身分を表している。
その隣には同じ隊服を着ており隊長を示す腕章を付けた男が立っている。
「おい、みっともねぇからやめてくれ。そもそも俺たちは任務で此処に来てんだろうが。まったく。あの人も長期間の馬車が嫌だからって押し付けて。」
ボヤく隊長はどこか不機嫌そうだ。隊長の不機嫌は自身の身に直接関わる事だと深く理解している彼の副官はすぐに立ち上がる。涙と鼻水で汚い顔面をゴシゴシと袖で擦り、ニカっと笑ってみせる。
それはもう輝いた笑顔で。
直後、ゴツンっ!と良い音が鳴る。
「いってぇぇぇー!!」
またも地面に舞い戻る副官。良い音が出たのは彼の頭からだ。
副官の頭を楽器にして拳で音を奏でたのは隊長。
理由は単純。なんかウザかったから。
怒り、八つ当たり。タイトルが付くならそんなところだろうか。
「あぁ、そういや気になってたんだけどな。」
「ん?どうされました?」
ふと何か思い出したように副官を見下ろして呟く隊長。燃えるような紅髪をかきあげながら言った疑問に、騎士人生を捨てる覚悟で副官は鋭く突っ込んだ。
「そういや、お袋の味っつってもよ。作ってんのあのムキムキのジジイだろ?」
お読みいただきありがとう御座います。山﨑です。
最近は投稿ペースが乱れに乱れており大変ご迷惑をおかけしております。
県外への仕事で朝三時に出発するなど、中々に整わない生活をしております。自己管理の甘さを恥じるばかりで御座いますが、これからも更新していけたらと思っております。
今回は130話という事でキリも良く、東の国料理編の完結でございました。
総PVも8000を越え、ブックマークも12人もの方に付けて頂いております。感謝、感謝で御座います。正に神の如き読者の皆様に見守られながら、この作品は少しずつ成長しております。
応援してくださる皆様、誠に有難う御座います。
本作品が皆様の日常の一つの華となりますよう。