123話
「お?アレックスじゃねぇか!随分久しぶりだな!ここにいるってこたぁ、任務は引き継いだんか?」
その日、本部で朝食のために食堂に現れたアレックスに声をかけたのは、食堂の主である調理部の長、料理長だった。
既にアレックスが帰還して数日が経過しているが料理長は本部を不在にしており顔を合わせていなかった。
料理長が本部に戻ったのは昨日の事で、アレックスに関する話をまだ聞いていなかったのだろう。今気付いたと言わんばかりの驚きを大きく見開いた瞳が表している。
「あぁ、料理長。先日帰還したところだ。料理長の飯はやはり世界一だと思っていたのだが、聞けば料理長は出かけていたとか。しっかり弟子が育っているようで何よりだ。」
アレックスは料理長をその記憶の中にある姿と変わらないなどと考えながら、鋭い目つきを和らげ再会を喜ぶ。
彼の言うことは一々本当の事で、それが本音であることを料理長は知っている。
貴族のような回りくどい話など一切無縁なその話し方を好む者は多い。
アレックスが任務に出てからドラグ騎士団に入団した者も、見かけによらず面倒見の良いアレックスが訓練を見たりする事で簡単に馴染んだ。
「おぉ?お前さん、そんな殊勝な事言う奴だったかぁ?…いや、まさかお前さん、あっちでまともなモン食ってねぇんじゃないだろうな…?」
百年会っていない仲間に会い嬉しそうな表情から一変、料理長の顔がまるで東の国に伝わる般若の如く恐ろしい形相に変わった。ような気がする。
アレックスは背中に冷や汗が流れる感覚を覚えながらもなんとか否定する。
「い、いや。確かに大陸に着いたばかりの頃は碌な物は食べられなかったが…。ここ数十年は街に拠点を構えていたからな。その地方の郷土料理などをよく食べていたぞ。」
そんなアレックスの発言に料理長は訝し気にしつつも一つ頷いて一応の納得を見せた。
何とか一難去ったかと肩を竦めるアレックスだったが、その後は何もなく朝食を摂る事ができた。
アレックスが選んだのは丸いパンにスープ、サラダにベーコンエッグというメニューだった。
首都であるアルカンタに住む事が出来る平民でも朝からこんなに豪華な朝食は食べない。
寧ろ貴族が客を招いた翌朝に出すような朝食のメニューである。
無論、朝から大量に食べていく団員もいる。アレックスが座ったのは零番隊が利用する事が多い席だが、近くで食べている零番隊隊員はパンをカゴで山盛りにしている。彼がパンに塗っているのは、スタークの菜園で採れた果物を調理部がジャムにしたものだ。
アレックスがその隊員をぼんやり見ていると、すぐにその視線に気付いた隊員。ジャムが入った瓶を掲げ、いる?と首を傾げる。
アレックスはそれを苦笑で受け、別にそういう意味で見ていたわけではないが、と思いながらも感謝を述べ受け取る。
瓶に入っていたのは無花果のジャムだった。
通常、果物とは果樹になる実を指す。一般的には無花果は果物の扱いだが、実は蕗のような葉をつける草から採れる実であり、厳密に言えば野菜だ。
グラナルドを含むこの大陸では樹からできる実を果物、草からなる実を野菜と分類してはいるが、とある学者が一つの仮説を出した事でその境界は曖昧となった。
それは、草も元は皆等しく樹だったという説である。
遥か太古の昔、この惑星に生きる生物は全てが巨大だったとされている。今で言う竜や巨人族のようなサイズの生物が闊歩し、当然植物も大きかった。
しかし、何かしらによってその生物たちは絶滅し、この惑星には陽の当たらぬ氷の時代が訪れる。
その後四季が生まれ、一年で季節を巡るようになってからは植物も進化の仕方を変えた。
四季を巡る事で一年の命とし、毎年子を成す事で子孫を増やしていく方法を選んだのだ。
つまり、この説が本当なら樹も草も元は同じであるという事になる。
よって、果物と野菜に大きな違いなどない、という事にも無理矢理だがする事が出来る。かなりこじ付けではあるが。
現代の子どもたちなどは、甘いのが果物でそうでないのが野菜、などという判断をしている場合もある。一部大人もそういう判断をしているところもあるため、正確なところは専門家でもないと分からないだろう。
そんな話をどこかで聞いたか、などと無益な事を考えながらパンを食べ終えたアレックスは、混雑してきた食堂を出て部屋に戻って行った。
「あぁ、料理長と会ったんだね。ちゃんと食べてたか、なんて言われたかい?」
「あぁ、言われた。料理長の飯は美味いし本人も面倒見が良いのはいいんだがな。まるでお袋のようだ。」
「うーん。私にその感覚は理解出来ないけど、ヒトは子どもに口煩く言うものなのだろう?それも母親の愛情というものだ。それを彼に感じるのかどうかは置いておいて。」
朝あった事をのんびりと話しているのはアレックスとヴェルム。二人は本館横にある菜園の中にあるガゼボで紅茶を飲んでいた。
そんな二人に近付く人影が一つ。その人物はひどく甘い匂いと共に現れた。
「なぁんだぁ?二人で俺の悪口かぁ?」
料理長だった。手には焼きたての菓子が乗った盆がある。どうやらお茶会に乱入するつもりのようだ。
「料理長がお袋みたいだって話だよ。ちゃんと食ってんのか、ってな。」
五隊の隊員でも料理長には敵わない。厨房の守護神たる彼のお節介に反抗出来る者などいないのだ。
彼にしてみれば五隊の隊員など子どもや孫と変わらず、食事の全てを司る料理長に文句を言える者など極一部を除いて皆無である。
「おぉん?お前もガキどもみたいな事言ってんのか。だぁれがお袋だよ。せめて親父にしろってんだ。」
「おや、そういう問題なのかい?ならば今度から親父と」
「ヴェルムは却下だっ!なぁにしれっと俺を親父呼ばわりしようとしてやがる。おめぇさんは俺より年上だろうが。」
「だめか…。」
口調は怒っているようだがその表情からは怒りが見えない。いつものやり取りとなっているのがよく分かる。
そんな二人にくくく、と笑い声を溢すのはアレックスで、笑われても気にせず二人は楽しそうだ。
料理長はまだこの国が街だった頃、グラナルドの初代国王の治めたこの地で料理屋をしていた。
国になった頃に国王の住む屋敷の料理長となった事で料理屋は弟に譲ったが、実はその店は今でも首都アルカンタで営業を続けている。
グラナルド最古の料理屋として人気があり、そのオーナーは料理長の弟の子孫である。
実はヴェルムも料理長も一定の頻度でこの店に行っており、懐かしい当時の味を守る料理に舌鼓を打っている。
料理長としては弟の味を感じられる機会でもあるため、なんとなく元気がない時などに行くようになった。
「そういえば、久しぶりにヴェルムの料理も食いたいな。今度何か作ってくれよ。」
思い出したかのように言うアレックスに、ヴェルムは苦笑を返す。その理由はニヤニヤと笑っている隣の料理長から齎された。
「おぉ?お前知らないのか?ヴェルムは昔全然料理が出来なくてなぁ。ありゃあ大変なんてもんじゃなかった。」
ドラグ騎士団でヴェルムの料理は最早伝説となっている。だからこそ誰も考えない。天竜であるヴェルムがいつどこで料理を覚えたのか、という疑問を。
料理長は知っているのだろう。だからこそ、料理長の前でヴェルムの料理について言われた瞬間に苦笑したのだ。
「私が初めて包丁を握った時、隣には料理長がいたんだよ。アズのように師匠と呼ぶほど教わった訳ではないけれど、猫の手は教わったかな。」
「…猫の手…。」
元々、初めて料理を食べたのが初代国王と会った時だ。それを作るという発想にならなかったのも無理はない。
ヴェルムが初めて料理に興味を持った時を思い出しながら顎に手を置く料理長。
アレックスもそれには興味があるようで、既に聞く体勢に入っている。
「いや、そんなに楽しい話ではないのだけどね…。」




