122話
その日、ドラグ騎士団のとある団員は当番である西門の門番として立っていた。
本部の西門は首都アルカンタに繋がっておらず、門を出れば首都近郊の草原である。真っ直ぐに敷かれた街道が目の前に続き、しかしその街道を使って西門を目指す者はほとんどいない。大抵の者は途中で南下しアルカンタの西門から入る。
偶に知らずにこの道を来る旅人がいるが、丁寧に説明すると引き返していく。
更に少数、悪意ある者が旅人を装って西門に来ることもあるが、そういう者に引き返す運命など無い。
この門から本部へ入る事が出来るのはドラグ騎士団関係者のみ。つまりは、団員専用門と言っても過言ではない。
そんな西門の門番はハッキリ言って暇である。理由は前述の通り、そもそもの通行が少ないからだ。
だがそんな西門に向かって歩いてくる人影が見えた気がした門番は、珍しい事もあるものだ、この時間に帰る部隊はいなかったはずだが、などと話し合う。
どこの門でも四人で門番をするのがドラグ騎士団のルールである。外を担当していた二人の門番は、内側にいる団員へと報告しながらも向かってくる人物の観察を止めない。
遠くの者でもハッキリと表情が分かる者が多い騎士団でも未だボンヤリとしか見えない距離から歩いてきたその人物は、近付くにつれその異様な雰囲気をこれでもかと門番に突きつけてくる。
ボロボロのマントに身を包み、髪は伸びてボサボサ。風が吹くとチラリと見えるその顔は髭で覆われており、唯一分かるのはその人物が男という事だけ。旅人というよりは浮浪者ではないかという風貌だ。
ドラグ騎士団の団員になると最初に与えられる地位が準騎士である。
その準騎士は巡回や街の警備に就くが、他にも本部の門番や雑用にも使われる。その他は講義と訓練漬けの日々だ。
その講義の中で、巡回や門番で役立つ術も教わる。その一つに、不審な人物は足元を見よ、というものがある。
どれだけ綺麗な格好をしていても、革靴を履いていなかったり。仮に履いていても履きなれていないのが分かったり。
まるで犯罪捜査の基本のような情報ではあるが、これが意外と馬鹿にならないものなのだ。
少なくとも、今ここで門番として立つ準騎士はその知識で街の揉め事を解決した過去がある。
遠くに見える浮浪者のような人物も、全身がマントで隠されているとはいえ足元は見える。段々と近付いてくるその人物が履いているブーツを見て、彼らの中に警戒度が一気に引き上げられた。
その人物が履いているのは戦闘用ブーツだ。つまり、旅人ではなく冒険者が軍関係者。
荒っぽい者が多い冒険者がこの門に辿り着き、一悶着起こした事は数知れず。こちらは軍施設だと言っているのに、早くアルカンタに入りたい一心でゴネる冒険者と剣を抜く寸前までいく事もある。
今回もそんな展開にならなければ良いが、と内心を共にする門番二人。
そんな不安は彼らが予想していない形で裏切られた。
「すみません、こちらはドラグ騎士団本部となりますので一般の方はここから入場は出来ません。アルカンタの西門がここから南に行ったところにありますので、そちらに向かってください。」
爽やか笑みを浮かべながら話しかける門番。
目の前まで来たその人物は、遠くから見るよりも遥かにボロボロだった。だが、よく見ればそのマントは高級品だという事が分かる。危険度Aランクの魔物から獲れる素材で作られたそれがここまでボロボロになるところを、門番は初めて見た。
街を巡回する時もこの笑顔で話しかければ女性たちから黄色い声を上げられるし男性も笑顔で返してくれるというのに、その人物は黙って門番を見た後、引き返すでもなくマントの中でゴソゴソとし始めた。
偶に賄賂を渡して中に入ろうとする者もいるため今回もそういう手合いかと思って断ろうと口を開くが、声を発する前にそれを突き出されてしまった。
「いえ、何を戴いても通すわけには…」
「おい、これは…!」
突き出された物を見る前に言葉を発した門番に待ったをかける相方。その声を受けマジマジと見た途端、二人揃って見事な敬礼をしてみせた。
「こちらをどこで…?」
驚きの中疑問を口に出せたのは流石だろうか。
そこでやっとボロボロの人物が口を開いた。
「俺のだ。通るぞ。」
あまりに低い声が聞こえた気がした。まるで地を這うようなその重低音だったが、不思議と嫌悪感は無い。寧ろ全身を包む様な蠱惑的な重低音だった。
声だけで門番を無力化した男は、敬礼したまま動けない門番を素通りして門へと向かう。
西門はドラグ騎士団が隊列を組んで出撃する際にも使われるため、かなり大きな門である。普段使いするのは横にある通用口だが、そんな事は関係ないとばかりに男は門に手を触れる。
そしてフッと息を吐いたかと思えば、グッと力を入れて門を持ち上げ始めた。
敬礼したまま固まっていた門番もあまりに非現実的な光景に目をこれでもかと開けている。
内側にいた二人の門番もこれには大変驚愕したようだ。そろって開いた口が塞がらない。
そんな門番たちを嘲笑うかのように、男が更に力を込めると門が持ち上がり始める。そして人が一人通れる程の高さまで持ち上がったと思えば、スルッと身を捩らせ中に入ってしまった。
手放した門は重力に従って激しい音と共に地面に突き刺さる。
その音で我に返った門番たちが男を見たが、すでにそこに男はいなかった。
「…っ!不審人物が本部内に侵入って伝えた方が良いか!?」
内側の門番が外にいる二人に話しかける。しかし二人は首を横に振った。
「今のは零番隊のネームタグだった。実物見た事ないから正確じゃないが。一応本館に連絡を入れてくれ。」
「あ、あぁ。分かった。」
内側にいた二人はネームタグを出した瞬間を見ていない。何か問答をしていたのは見たし何かを取り出すところも見たが、それがネームタグだとまでは分からなかったのだ。
報告を、と言われればするしかない。内側にいた門番は念話魔法で本館に連絡をとった。
「聞いたよ。髪も服もボロボロになって帰ってきたんだって?まさか途中で着替えもしないなんて思いもしなかったよ。」
「いや、着替えようとは思ったんだがな…。やはり人は愛着の湧いた服を着るものだろう。」
「うーん。君の場合は着すぎだよ。こんな事なら途中で替えの服を持っていけばよかったかな?」
「ヴェルムにそんな遣いのような真似はさせられん。そもそも俺がヴェルムの遣いだろう。」
「それもそうか。しかし随分長い遣いだったね。昨日はゆっくり休めたかい?」
「あぁ。まさか俺の部屋なんてものがまだあるとは思ってもみなかった。しかも建物は違うのに部屋の中が変わってない。あれはどういう魔法だ?」
「あぁ、君の部屋は魔法で現状を維持したんだよ。家具なんかは新しくしたけどね。後は、新しい魔道具なんかが支給される度に部屋に置いてたくらいかな?」
「ん?そんなもの無かったぞ。…いや、何やら小さい鞄があったか。」
「あぁ、それだよ。マジックバッグと言ってね。要は空間魔法を鞄に取り付けた物だよ。今は五隊までは支給が完了しているから、君も使ってみて。おそらく今まで君がいなかった間の支給品は全部そこに入ってるから。零番隊には時魔法を付けた物を配っているから、中は時間が停止しているよ。気をつけて。」
「ほう…?俺のいない百年くらいで随分と様変わりしたな。昨日も門番のヒヨッコたちに悪い事をした。疲れてたからか、声に魔力が乗っちまったらしい。後で謝っといてくれ。」
「それで、ね。うん、分かったよ。さ、まずは色々と報告を聞こうか。」
団長室で話すのは昨日門番を大変驚かせたボロボロの人物だった。
今はその面影すらない。髪は短く切られ、髭も剃られている。服は新たに支給された零番隊の隊服をキッチリ着こなしている。
そこに浮浪者じみた不審者はいない。寧ろ端正な顔つきに鋭い眼差しがクールで痺れると女性から黄色い声をあげられるような容姿をしている。
彼が本部に戻ってきたのは凡そ百年振り。とある任務で外に出て、それからずっと遥か遠方の任務を一人で受けてきた。彼もそんな生活がずっと続くと思っていたのだが、一度戻っておいで、とヴェルムに言われたため帰ってきた。そうでもなければ帰ってなど来ない。
最早知った顔は零番隊以外にいないのではないかというくらいには、本部にいる者の顔が分からない。
やっと知っている顔に出会えたのは昨日帰ってきてからしばらくして、部屋に訪れたセトを見た時だ。
「爺さん、まだ生きてたか。」
「なんの、百年ぽっちでは死にようがありませんな。」
百年振りの会話としては随分雑ではあるが、こんなものだろう。
そんな事より、彼は新しく支給された隊服を部屋で一人眺めて過ごしたかった。百年振りの再会よりも、ヴェルムの魔法が織り込まれたその隊服を見て目をキラキラさせていたのだ。
それで時間を忘れたせいで昨晩の食事は摂り損ねた。後悔はしていない。
「やはりヴェルムの予見したように、あちらはそろそろ限界なのだろう。この大陸に狙いを定めている。まだ航海術がそこまで発達しきっていないのが救いか。」
「うーん。やっぱりか。では予定を少し早めないといけないかな。悠長に小競り合いを眺めている暇は無くなってきたみたいだね。」
「あぁ。俺があちらに行った後に零番隊に入ったという小隊に引き継いでは来たが。彼らは大丈夫なのか?」
二人が話しているのはグラナルドのある大陸の話ではない。西の国から更に西、海を越えた先の大陸での話だ。
ヴェルムともう一頭の竜が司るのはこの大陸だけではなく、この惑星全体だ。
そもそも天竜の役目は世界の維持であり、ヒト族に肩入れする事ではないが、ヴェルムはそんな事は知らんとばかりに肩入れしている。勿論、ヒト族だけではないが。
世界にとって害となるものから世界を守るのが役目ではあるが、天竜の力が必要な程危機に陥る事もそう滅多にあるものでもない。寧ろ、その害となるものが魔物であるためそれを狩るヒト族を助けるのは理にかなっていると言える。
ただ、この大陸だけ見ていても世界を守る役目は果たせないため、ヴェルムはいつも世界中に感覚を広げて大まかな異常を探るようにはしている。
地上に姿を現さない聖竜などより余程仕事をしていると言えるだろう。
魔力的異常はここから探れるにしても、現地のヒト族や魔物がどういう動きをしているかまでは分からない。そのため、信頼できる実力と思考力を持つ仲間を送るのは情報収集に大きな益を齎す。
「そんなこと言って。君もちゃんと実力を見て引き継げると思ったから帰ってきたんだろう?そうでなければ仮に私が帰還命令を出しても帰ってこないじゃないか。」
「…まぁな。中々に気の良い連中だった。アイツらに引き継いだのも一年近くになるのか。」
「そうだね。私は二年近く会っていないけど、彼らも行く時は大喜びしていたよ。"あの"アレックスに会えるのか、ってね。」
可笑しそうにクスクスと笑うヴェルム。対面に座る男は不満気な表情を隠さず、出された珈琲を飲んだ。
「ねぇ、アレックス。久しぶりに手合わせでもどうかな。この百年の時間、無駄にはしなかったんだろう?」
「あぁ?そりゃ願ってもないことだが、着替えてきていいか?」
「ん?その服は戦闘に対応した作りになっているよ?」
「いや、ヴェルムと戦うなら汚れるだろ。全力出すし。」
「服は汚してこそ、だよ。」
「貰ったばっかなのに汚せるか!」
「んー、破れたり解れたら新しいのあげるけど。」
「それでも嫌なもんは嫌なんだ!」
「…まぁ、君がそう言うならいいけど。地下で待ってるからはやくおいで。」
「あ?まだあったのか、あれ。てかまだ使ってるのか?」
「勿論。皆んなで作った秘密基地じゃないか。」
地下、とはこの本部が作られる前からある、ドラグ騎士団の前身となった魔法隊の訓練場の事である。
今では零番隊専用の訓練場となっているが、それも激しい戦闘をする時だけだ。
地上では出来ないような破壊を伴う戦闘を行う時に使用される。つまり、ヴェルムがちゃんと力を使おうと思えばそこしかない。
地下はヴェルムが全力で張った結界が存在している。
まるで地下とは思えないほどの高い天井と、ただただ広い空間がある。
そこで擬似戦争が出来るくらいには広く、敷地としては本部の敷地とほとんど変わらない広さだ。
支えもなく地盤沈下が起こらないのも、偏に魔法のおかげだ。
この地下があるため地下空間と地上の間には水脈などが通してあり、色々と天竜の力でゴリ押した結果の産物である。
そんな地下を作った時の光景を思い出したのか、アレックスは呆れ顔をヴェルムに向けてから部屋を出て行った。