121話
「はいはい、そこまでです。」
荒ぶる生徒たちを鎮めたのはパンパンと手を打つ音と共に聞こえた若い男の声だった。
そこに人はいなかった筈だが、と不思議そうな生徒たちだったが声の主を一斉に見て驚きの表情を浮かべた。
「何を不思議そうにしているのか分かりませんが、僕はさっきからずっとここにいましたよ。部下もね。この距離で気付かないとなると、将来が心配になりますね。暗殺者などのように気配を断つ事に特化した存在は、今のように分かりやすく隠れたりしないですから。それともう一つ。ガイアは平民ではありませんよ。彼はランフォードですから。」
気配を元に戻したアズの言葉で生徒達は不愉快そうな表情をする者とバツの悪そうな表情をする者に分かれる。だが、最後の言葉で驚愕と疑問の表情に変わった。
「なっ、ランフォードだと…!?北の国で一番の魔法の権威でありその力は魔法大国と呼ばれる我が国の宮廷魔法師よりも強いと言われる、あのランフォードか…?」
見事なまでの説明をどうもありがとう、などと考えているアズだが、その説明で疑問の表情を浮かべていた生徒たちもやや遅れて驚愕の表情に変わったのだから手間が無くて何よりだ。
確かに、生徒にはガイアとしか名乗っていなかったが、教官にはキチンとフルネームで名乗っていたはずだ。
それ故に教官はそこまで驚いていない。が、ガイアの風貌を見て魔法の大家出身だとは誰も思わないだろう。それ程に野生味のある眼差しと態度である。
無事にガイアの正体が伝わったようだと判断したアズは、未だ思考が纏まらない生徒達に畳み掛けるように言葉を発す。
「そう、君たちが平民だの不敬罪だの宣った相手は他国の名家の人間で、ガイアがそれを実家に言えばランフォード家から愚か者の首を要求されるか、最悪戦争になってもおかしくはない。もし仮にそれで戦争になった場合、ドラグ騎士団は護国騎士団として動かない事を保証するよ。身内に無礼を働いた者を護るための騎士団ではないからね。君たちも知っているでしょう?ドラグ騎士団に命令など出来ない、と。」
アズが言っているような戦争にはなり得ない。確実にだ。
そもそも北の国は小国との戦争や内乱の直後であり、大陸最強のグラナルドに手を出すような力も金も、思惑すらも無い。
グラナルドとしてもそうしょっちゅう戦争がしたい訳でもなく、何か文句を言われれば平気で原因となった生徒の首を差し出すだろう。それが国の貴族の息子とはいえ、嫡子でもないスペアの息子であれば親も文句は言わないはずだ。
それどころか、親である貴族の責任にならぬよう率先して息子の首を差し出すのではなかろうか。
騎士学校にいるのは爵位を継げぬ次男三男の子息ばかり。ある意味、ここでしっかりと結果を残せば家との繋がりは保てるがそうでなければ簡単に切り捨てられる運命だ。
それを分かっておらず他国の名家に喧嘩を売ればどうなるのか。今回の事はとても良い勉強になったに違いない。
授業料は己の命となる可能性があるが。
「さて、君たちが国王ではなく国でもなく、権力を護るために剣を振るうというのはよく分かりました。つまり、この学校は騎士を養成する学校ではないという事。ならば僕たちが教えられる事はありません。教官、僕たちも帰らせてもらいますね。生憎、此処で子どもの癇癪に付き合う程暇ではないので。王太女殿下には教官か校長から伝えておいてください。何があったのかを正確に。では失礼します。」
アズは言うだけ言うと演習場を出て行った。
残された生徒と教官は茫然としていたが、国軍クラスの生徒が発した舌打ちによって時間が動き出す。
「誰だっ!今舌打ちをしたのは!」
「俺ですが何か?」
「貴様!そこになおれ!不敬罪で叩き斬ってくれる!」
「あぁ?不敬罪で親からも国からも捨てられそうなのは誰だよ。そもそも、俺たちは巻き添えを食っただけなんだが?普段貴族だなんだって偉そうな癖に、自分が失態を犯したら平民に八つ当たりかよ。小せぇ男だな、おい。」
「…なんだと…?この私を侮辱するかっ!」
剣を抜き走り出す近衛クラスの生徒。煽った国軍クラスの生徒も剣を抜き迎え打とうと構えをとっている。
このまま近衛クラスと国軍クラスとの戦争になるかと思われた瞬間、彼らよりも立場が危うい人物から怒声が発された。
「やめんか、貴様らぁー!!」
教官だった。
彼とて腕一つで爵位を得た実力者。騎士爵のため子どもには爵位を継がせる事は出来ない、貴族達が準貴族と呼ぶ位ではあるものの、それを叙爵されるくらいには功績を立てた過去がある。
この場にいる子ども達の斬り合いや罵り合いなど、本物の戦場を生きて来た教官に比べれば児戯に等しいだろう。
そんな教官の一喝は、まるで魂ごと揺さぶったかのような響きで演習場を包んだ。
生徒達は先ほどまでの喧騒はどこへやら。静まり返って誰一人動けずにいる。
「貴様らは学ぶということを知らんのか!ドラグ騎士団が誰の命で来たか忘れたのか!?王太女殿下だぞ!つまり、彼らの言葉は王族の言葉に等しい。彼らが貴族だろうと平民だろうと、王族の命を受けた以上それに準ずる扱いをするのは常識だろうがっ!それをなんだ?不敬罪?ふざけるなっ!貴様らは何のために学校へ来たのだ!近衛とは、国軍とは何なのか一から学び直せっ!」
顔を真っ赤にして怒鳴る教官の、その言葉の一つ一つが生徒達にとって正論だった。
教官としてはこちらを巻き込んで盛大な自殺がしたいなら他所でやってくれと言いたい。大人だから言わないが。
だがそんな我慢もギリギリ喉元まで出て来てしまうくらいには怒っていた。
言いながら考えた。家で帰りを待つ妻の事を。まだ小さい息子の事を。
騎士爵ではなく男爵に陞爵されれば子どもにも継がせられる、と言えば妻は笑ってこう言った。
"爵位なんてあったら子どもの将来を狭めるだけですよ。この子には自分の好きなように生きてほしい。"
子どものためと言いつつ、妻を幸せにしたいからだと本音が言えなかった教官は一応の納得はしてみせた。
だが、本当の幸せは確かにそこにあった。
騎士爵など有って無いようなもの。貴族のパーティーにも誘われず、領地がある訳でもない。僅かながらの年金を国から頂く事が出来る程度のものだ。
それ故、妻には苦労ばかりかけている。教官が教官であるのにもそういう理由がある。
最近は息子が将来ドラグ騎士団に入りたいなどと言ってきた。ならば剣くらい振れなければな、と言いながらニヤニヤしていた事を妻に指摘された事は記憶に新しい。
そんな些細な幸せが、愚かな生徒たちによって奪われようとしていた。
それは教官も怒鳴るだろう。
冷静にならなくては、と考えてはいるが浮かぶのは妻と子の笑顔ばかり。
まるで処刑台に上がる犯罪者のような面持ちで教官は演習場を出て行った。
「それはそれは。国軍クラスと教官、案内の職員はとんだとばっちりですなぁ。」
ドラグ騎士団本部本館の団長室に、ほっほ、という笑い声が響いている。
その声の主は言うまでもなくセトであり、セトから給された紅茶を静かに飲むアズと茶請けの菓子をボリボリと齧っているガイアが二人がけソファに座っている。
「叩き潰すだけじゃだめだったか。これはユリア王女に謝らなければいけないね。」
執務机に肘をつき組んだ手に顎を乗せていたヴェルムが、言葉の後にため息を吐きながら立ち上がる。
スラリと伸びる長い足では数歩といった距離のソファに足を向け、ゆったりと座り込んだ。
その一連の動作だけでも見る者を魅了する美しさがあり、邪魔そうに髪を耳にかける仕草でさえも清廉さが窺える。
相変わらず美しい事で。などと自分も言われている事を棚に上げて考えているガイアを、また変な事考えてるんだろうなぁ、などと考えるアズが見ていた。
席を移動したヴェルムの前にセトが紅茶を置くと、ヴェルムは礼を言って淹れたての湯気が立ち昇る紅茶を一口飲んだ。
「ユリアへは謝罪ってより、文句言いに行った方が良いんじゃないですか。完全にこっちは悪く無いでしょ。俺らが案内されたのは淑女クラスだった訳だし。」
「ガイア。ユリア王女は何を言ってもどうせ自分が悪いって言いますよ。寧ろ、このまま何も言わずにいても同じだと思うくらいには反応が予想できるから。」
「あー…、たしかに。なんなら、今日早速公務の合間で見学に来て、まだ報告どうするか悩んでる校長んとこ突撃すんじゃねぇか?」
ガイアとアズの二人は多くを言わずとも互いの言いたい事は正確に伝わるようで、語弊を招きそうな言い方をしてもちゃんと通じている。
そんな流れるような会話と予想に、こちらも頭の回転が速いヴェルムから合いの手が入れられる。
「ガイアの意見に一票、かな。私としては一時間以内にユリア王女が此処に来ると読んでいるよ。」
「お?団長えらい自信ありそうじゃないすか。じゃ、俺は一時間以上三時間未満てとこで。」
「えぇ?ガイア二時間も取るの?ズルいなぁ。じゃあ僕は三十分以内にしようかな。」
「おや、アズール殿は攻めますなぁ。では私は大穴で。夕方にしておきましょうか。」
「いや、夕方って広いだろっ!どこが大穴だよ!」
結局、この会話の数分後にユリアは来た。
範囲の狭さからアズが勝ちとなったが、何を賭けるかまで話し合う前に結果が出たため無意味な勝利となるのだった。
「本当に申し訳ございませんでした。わたくしの提案により大恩ある皆様に不快な想いをさせた事、謝罪させて頂きます。」
大層焦った様子で本部に来たユリアは、団長室に入るなりすぐに頭を下げてそう言った。
最近は女王となるべく宮廷作法も勉強しなおしていると聞くが、それが何処かへ飛んでいってしまうくらいには混乱しているらしい。
ドラグ騎士団に保護された当時も中々に残念な理由(迷子)で来たが、今回も当時とはまた違った残念な姿を見せている。
ヴェルムとしては、騎士団で色々と学んで凛々しくなったと思っていたのだけど…、などとほのほのと考えている。
そんな穏やかな目線で見られているとは知らず、頭を下げっぱなしの王太女は声をかけられない事に冷や汗をかいていた。
まさか簡単に許してもらえるとは思っていなかったが、黙っている程に怒髪天を突いたのだろうか、などと様々な考えが頭を過ぎる。
そんなユリアを救ったのは、今回一番被害を受けたと言っても過言では無いガイアだった。
「団長。なんか孫を見るような目で見てるとこ悪いんですけど。ユリアが焦って色々変な方向に行ってるから良い加減声くらいかけてやったらどうです?」
ガイアの言葉を受け、ヴェルムはおや、と意外そうな表情を隠しもせず視線をユリアに戻す。
「ユリア王女。頭を上げて。聞いての通り、一番の懸念だったであろうガイアは気にしていないみたいだよ。本人が何も言わないなら私としては文句はない。まぁ、あの国軍将校の態度はいただけないけど。」
根に持ってるなぁ、などと考えているのはアズだけではない。セトもガイアもだ。
因みに、ユリアは彼が何を言っているのか分からない。国軍将校が何故此処で話題に上がるのかがちっとも分からないのだ。
だが、一番の懸念事項だったガイアが己の不甲斐ない所を見て怒りを鎮めてくれたならそれで良い。とりあえずは此処に来た目的は果たしたのだから。
「ヴェルム団長。それからガイア様とアズール様も。この度は大変ご迷惑をおかけしました。件の生徒たちは退学の後実家である貴族からの絶縁を言い渡されます。職員と担当教官につきましては…」
「あぁ、気にしてねぇよ。教官も職員もとばっちりだろ。例のクソガキ共がどうなろうが知ったこっちゃねぇが、次に俺の前に来て同じような事を吐かせば叩っ斬る。それだけだ。」
ユリアの言葉を途中で遮ったのはガイア。彼にも教官や職員がただのとばっちりである事は分かっている。
相手が貴族として理不尽をぶちまけた故にこちらも同じように返しただけだ。つまり、生徒達に教訓として植え付けただけに過ぎない。
「その広い御心に深く感謝を申し上げます。」
その後も一頻り謝罪と感謝を述べてユリアは去って行った。
元々、忙しい公務の合間を使って無理に学校に来たのだろう。こちらに来る時間など無かったに違いない。
それでも何よりも優先すべき事と判断し本人が謝罪に来たのだ。その姿勢だけでも評価すべきだろう。
「ていうか、団長も分かってて黙ってんだから読めねぇよなぁ。」
「ん?あぁ、最初の?でもあれが一番ユリア王女に負担無く自然に許しを与える形だったんじゃない?ガイアもそれが分かったから敢えて乗った訳だし。」
二人が話しているのはユリアが部屋に来てすぐ頭を下げた時の事。
ヴェルムが黙って見ている中、当事者であるガイアが先に許しを出す事で穏便に事を進めた。
そういう流れにしなさい、という無言のアピールがそこにあった訳だが、ガイアはそれを正確に読み取って声をかけた。
読めねぇ、などと言っているがガイアは正確にその意図を把握して声をかけた。つまりはしっかりと読めているのだが。
「あの時はほら、俺が声かけりゃ良いんだなとしか思わなかったけどよ。別にアズが言ったって良かった訳だろ?」
「んー、そうだね。僕としては声を出すつもりは少しも無かったけど。」
「その辺り、団長は俺らの性格よく知ってるからよ。俺が声かけるのも織り込み済みかと思ったんだけどよ。ユリアが色々話してる内にさ、あぁ他にも理由あったのか、と思ってよ。」
「あぁ、実はガイアがユリア王女と縁切るくらいには苛ついてたって事?」
「あー、アズなら分かるか。そう、それ。だけどあの時自然とユリアを庇ったんだよな。多分、そこまで分かった上で黙ってたんだろ。だから、読めねぇな、と。」
「そういう事かぁ。流石に僕らの事を長年見てるだけはある、って事だよね。ですよね、団長。」
団長室で団長を目の前にしながらも明け透けに意見を交わす二人を、ヴェルムは微笑みながら眺めていた。
アズに話を振られても、ヴェルムはニコリと笑って首を傾けるだけで返す。
二人はそれを見て互いに目を合わせ、ガイアはため息を、アズはクスクスと笑う。
そんな三人を好々爺然とした表情で見る執事がいた。