120話
国立騎士養成学校。通常騎士学校。
収穫祭も無事に終わり街が落ち着きを取り戻した頃、騎士学校では十代の若者達が祭りに負けない賑わいを見せていた。
その理由は一つ。本日よりグラナルドの護国騎士団として大陸中に名を轟かせるドラグ騎士団による講義と訓練が行われるからだ。
近衛騎士となるべく日々研鑽を積むクラスは全員が生まれも育ちもエリートで、貴族出身の者のみ。
所謂落ちこぼれと蔑まれながらも出身者が国軍に就くクラスに通う貴族もいるが、そのクラスのほとんどが才能を見出された平民である。
流石に貴族出身であるために平静を装っている近衛クラスと、興味を隠しもしない国軍クラスでは騒がしさが異なる。
共通しているのはドラグ騎士団に対する興味だった。
突然決まったと聞いたが何故なのか。護国騎士団はどんな講義をするのか。
普段外部との接触がほとんど無い生徒たちは、様々な思いを瞳に乗せて教室の窓から見える騎士学校の正門をチラチラと見ていた。
「アチィなおい。もう秋だろうが。」
眉間に皺を寄せながら盛大に文句を垂れているのはガイア。ドラグ騎士団一番隊隊長である。
その後ろには彼の副官が一人着いてきており、更にその後ろには一番隊の面々が。
ガイアの隣には涼しげな顔をしたアズが立っている。
暑い暑いと文句を言うガイアとは対象的に表情も涼しげで、彼の額には汗どころか湿気すらも無い。
「そんなに暑いの?あ、ほんとだ。これは暑いね。」
アズは今気付いたと言わんばかりに言うと、軽く手を振って魔法を使う。するとガイアの周囲が程よい温度に冷やされた。
「あ、なんか使ってると思ったらお前だけズルいじゃねぇか!」
思いつかなかったガイアが悪い。思いついたなら俺にも使え。
隊長同士の意味不明なじゃれ合いをウットリと眺めるのは、アズの副官と二番隊の隊員たち。
一番隊は、またやってるよと呆れ顔である。
そんな中に声をかけてくる勇者が現れる。
騎士学校の中から現れたその人物は、どう見ても騎士学校の職員だと分かる風貌だった。
国軍の騎士服に似たデザインの服をキッチリと着込み、美しい所作で敬礼をして見せたその人物は、尚も言い合う隊長二人によく通る声で話しかけた。
「ドラグ騎士団の方々とお見受けします!皆様をご案内する役を申しつけられました本校職員で御座います!本日はよろしくお願い申し上げます!」
これ以上ない程見事な敬礼を見せられては、いつまでも言い合いをしている場合ではない。二人ともこの人物が近付いてきている事に気付いていながらじゃれ合いを止めなかった訳だが、直ぐに黙って敬礼を返す。のんびり見学していた隊員達も全員。
「本日より国立騎士養成学校より要請を受け講義と訓練をさせて頂きます。ドラグ騎士団二番隊隊長アズールです。」
「同じく一番隊隊長ガイア・ランフォード。ただいま着任致しました。」
ご丁寧にどうも、と返せた職員は大したものだろう。"焔海の双璧"と称される二人とその部下から一斉に敬礼を向けられて、その空気に飲まれない者など滅多にいないのだから。
「最初から机に齧り付いて講義ってのも楽しくねぇだろ?まずはどの程度剣が振れるのか見てやろうぜ。」
ガイアのこの一言によって最初の講義は演習場で行われる事が決まった。
最終学年である三年生の全てのクラスが演習場に集められ、余裕そうな雰囲気を崩さず入ってきたドラグ騎士団に注目する。
その視線は大まかに二分された。
エリートである近衛に平民出身ばかりと聞くドラグ騎士団が敵うわけもない、という視線。
もう一つは、民に絶対的な人気を誇るドラグ騎士団の勇姿を目に焼き付けようという視線。
つまりは近衛クラスと国軍クラスで既に意識の違いが生まれている。
「本日よりドラグ騎士団から一番隊と二番隊がお越しになり指導してくださる。この指導は王太女様よりのご提案であり、諸君らの未来のためにとお言葉を賜っている。決して無意に過ごす事のない様、各員気を引き締めて受講しろ。」
案内についた職員とは違う、おそらくどちらかのクラスの担任だろう教官がそう言ってガイアとアズに頭を下げる。後はよろしく、という事だろう。
それをまるで獲物を前に舌舐めずりする肉食獣のような獰猛な笑みで返したガイアは、一歩だけ前に出て並ぶ生徒達を見回した後、ゆっくりと口を開いた。
「よく聞けヒヨッコども。俺は一番隊隊長ガイア。まずはお前達の実力を見せてもらう。今からうちの隊員とタイマンで打ち合ってみろ。あ、好きなやつ指名していいぞ。」
突然の言葉に動揺を見せる生徒達。ガイアの言葉遣いもそうだが、急に打ち合えと言われてはいそうですかとなる訳もなく。
だがこんな時に大抵ガイアのフォローをするアズも黙って見ている。今は口出しするつもりはないのだろう。
生徒の中でも度胸がある者もいた。その生徒は近衛クラスで、誇りを胸にガイアを指名しようと指を指す。そしてそれを宣言しようと口を開いた。
「隊長!俺アイツで良いっすか!」
「あ、狡いぞ、俺が狙ってたのに!」
「じゃあアタシはあの子ね。」
「え、うそ。盗られた!じゃああの子!」
急に騒がしくなる一番隊の隊員たち。ガイアを指名しようとした生徒は開いた口をそのままに、他の生徒と同様固まっている。
最初に復活したのは眼鏡をかけた細身の生徒だった。
「お待ちください!指名して良いと仰ったではありませんか。何故そちらが決めているのですか!」
それは生徒全員の思いを正確に伝えている。
だが、返ってきたのは更に思いもしない言葉だった。
「あ?誰もお前らだけが指名出来るとは言ってねぇだろうが。騎士になろうって奴が上の奴に言われた事を勝手に自分の解釈で捻じ曲げてんじゃねぇよバカ。」
「バ、バカ…!?」
指摘した生徒も制服を見るに近衛クラスなのは間違いない。国軍クラスは騎士服のような制服だが、近衛クラスはそれに装飾が付いているからだ。
バカなどとおそらく一度も言われたことがないであろう言葉を浴びせられ、思考が停止した生徒。
その間にも一番隊による指名が続き、アブれた生徒はいなくなった。
ほとんどの生徒がこの展開について行けず呆然としているため、半ば親鳥について歩くアヒルの雛のように、散らばる隊員達の後について歩いていった。
ある程度間隔が空いたところで、ガイアの合図が入る。
それと同時に、隊員たちから一斉に思わず教官が剣を抜きそうになる程の殺気が生徒達に浴びせられた。
それに反応し剣を構えたのは、国軍クラスの数名のみ。震えて縮こまる者、あまりの恐怖に意識を失う者、泡を吹いて失禁している者。近衛クラスは全滅だった。
「おー。中々見応えある奴もいるじゃねぇか。特にアイツ。震えててもしっかり剣は握って相手の喉に向けてんのがイイ。」
そうガイアが言うのは、広がった隊形の中でも端にいる国軍クラスの生徒だった。
確かに震えており、その震えが剣先によく表れている。しかしその向きはしっかりと対戦相手である隊員の喉を向いており、それが分かっている隊員もにっこりと嬉しそうだ。
「ほら、まだ対戦は終わってねぇぞ?」
しかしガイアの言葉と同時に震えた剣は消えた。
文字通り消えたとしか思えないスピードで、隊員により弾き上げられたのだ。
そして数秒の後、隊員と生徒の間の地面にその剣が突き刺さる。
それを見た生徒はヒッと声をあげ、今度こそ気を失った。
「さて、お前らはこれで一回死んだ事になる。どうだ?生まれ変わった気分は。」
二番隊により水を被せられ強制的に意識を取り戻した生徒達の目は、これでもかという程に光が無い。
そこには普段のエリート意識も、貴族としての在り方をドヤ顔で説く姿も無い。
まるで初陣で大敗を喫した新兵のようだとアズは思っている。
「おいおい、なんだその目は?アズ、俺たちは来るクラスを間違えたらしいぜ。どうやらこのクラスは淑女クラスだったみてぇだ。」
ガイアの言葉にアズは苦笑だけ返す。そんな二人の遣り取りを聞き、誇り高き貴族が黙っている筈が無かった。
「貴様ッ!我らを愚弄するか!」
顔を完全にアズの方へ向けていたガイアが振り返る。その表情はしてやったりと言っており、口角はこれでもかという程上がっていた。
「おう、文句があるなら言ってみろ。泡吹いて漏らしてた貴族さんよぉ。」
ガイアの悪意たっぷりの言葉に怯む生徒。そんな仲間の窮地に立ち上がった数名がいる。どれも近衛クラスの生徒だ。
「不敬罪を知らんのか?貴様のような平民がいくら騎士とはいえ貴族にこのような暴言を吐いて良いと思っているのか!?」
「貴様の首が今日で胴体と別れるのだ。そのことを後悔しながら土下座し乞い願うながら許してやっても構わんぞ。」
「ふん!生ぬるい。こんな下賤の者なぞ今ここで処刑してやればいい。」
急に元気いっぱいになった近衛クラス。対照的に国軍クラスは未だ沈黙している。この会話にも興味が無いようだ。
ガイアは一通り近衛クラスの意見を聞いている。どこか楽しそうにしているガイアを、アズは満面の笑みで見ていた。
「言いたい事はそれだけか?」
ガイアが呟いた一言で、演習場は再び沈黙に包まれる。
近衛クラスの生徒達はそれでも勝ち誇った表情は失っていない。
黙った事が既にガイアに気圧されているという事に気付いていないのだろう。
「お前らが来る学校を間違っているのはよく分かった。受けてる授業も、剣術やら騎士道じゃなく、貴族としての威張り方だってのもよぉく伝わった。おいお前、俺たちが受けた依頼は何だった?」
話しながら近くに立つ隊員に振るガイア。指された隊員は敬礼を返し真剣な表情で答えた。
「ハッ!我らは国立騎士養成学校にて将来の近衛騎士及び国軍である生徒に対する講義と訓練を依頼されております!」
淀みなくハッキリ答えた隊員にガイアは頷く。
「そうだ。じゃあお前。俺たちは今誰と何してる?」
指された別の隊員も、敬礼し答える。
「ハッ!貴族のご子息たちに貴族とは何かを説かれております!」
またも頷くガイア。すぐ近くに控える教官は既に先の展開が読めるのか、顔を青くしている。
「じゃ次。お前。俺たちに依頼して来たのは誰だ?」
「ハッ!王太女殿下であります!」
「お前。俺たちをここに連れて来たのは?」
「ハッ!国立騎士養成学校の職員であります!」
「じゃあ俺たちをこいつらに紹介したのは?」
「ハッ!そこにいらっしゃる担当教官殿であります!」
国軍クラスも場の雰囲気に意識を取り戻したのか、ガイアと一問一答を続ける隊員たちを見ている。近衛クラスは何をやっているのか分かっていないのか、先ほどまで絶対的に有利だった筈の己らの行動を振り返る者もいるようだ。
担当教官は既にその顔を限界まで青白くしている。次いでガイアの口から出た言葉に失神しなかっただけ偉いだろう。
「じゃあ、流石に王太女殿下のせいには出来ねぇから、今回は案内した職員とそこの担当教官の首でケリが着くな。よし、お前ら帰るぞ。任務は思わぬ妨害により目標の場所まで辿り着けず失敗。首謀者と思わしき人物の処分はこれから、と報告しとけ。」
もう何が起こっているか分からない。だが、何か不味い事になっているのは分かる。生徒達がザワザワし始めると同時に、ガイアは一番隊を伴って演習場を出て行く。残った二番隊は、ニコニコと笑顔を崩さないアズを見ていた。
だが、アズが気配を消しているのでそれに合わせて二番隊も気配を薄めている。
諜報部隊ほどではないが、生徒に悟られるほど下手でもない。おそらく生徒にはここにドラグ騎士団はいないと思われているだろう。
「おい、どういうことだ?何故教官と職員の首という言葉が出る?王太女殿下もだ。意味がわからん。」
「平民の言う事なんぞ一考する価値もない!しかも彼奴は私たちを侮辱したのだぞ!」
「いや、待て。もしかしたら大変な事になるかもしれない。」
「何を言っている!子爵家の分際で私の言う事に意見するか!」
「まぁ待ちなよ。聞くだけ聞いたって良いじゃないか。ね?」
「う、うむ。お前がそう言うなら…。」
どうやら近衛クラスは爵位によって発言力が変わるようだ。
となれば、今まで色々ガイアに言っていた者たちは高位の貴族なのだろう。
意見を聞いてやる、と促された子爵家の生徒は少し悩んだ後慎重に言葉を紡ぎ出した。
「今回、彼らは王太女殿下の命でこちらに来たと言っていました。そして、あの一番隊隊長は私たちを淑女クラスだと。」
「貴様!黙って聞いていれば貴様も私を侮辱するかっ!」
「まぁまぁ。最後まで聞こうよ。」
荒ぶる高位貴族に顔を青くしながらも、止めてくれた同じく高位貴族の生徒に感謝を込めて会釈する子爵家の生徒。
一度深呼吸をしながら考えを纏め、続きを話し始めた。
「つまり、彼らは騎士学校に来た筈なのに淑女クラスに案内され、そこで貴族について生徒から説かれた、と報告するでしょう。王太女殿下の命に間違いがあってはいけません。ならば誰が責任を負うのか。案内した職員とそれを受け入れた教官でしょう。王太女殿下はドラグ騎士団と懇意と聞きますし、言い分も通ると思います。そうなれば責任を教官と職員だけで取りきれるとは思えません。その報告が建前でしかない事は王宮も把握するでしょうし、最初にこの学年を指導した事も伝わります。となれば、この学年の生徒全員の首を差し出しても足りるかどうか…。王太女殿下の好意によるご提案を台無しにした学年、ですから。」
最後の方は憶測が多分に含まれるが、決してあり得ない話では無いと誰もが思った。
誰も言わないが思いついた事の一つに、騎士に教えるつもりが貴族だったから貴族としてのやり方を教えただけ、と宣うガイアの姿がある。彼ならやりかねない。いや、確実にやる。
そんな思いが一致し、更に顔から血を引かせていく。
「どういうことだ!貴様らのせいで私も責任をとることになったらどうしてくれるんだ!」
「一番隊隊長に向かって不敬罪だなんだと文句を言ったのは貴方でしょう!」
「なに!?貴様も不敬罪で斬られたいのか?」
急に騒がしくなる近衛クラス。国軍クラスはそんな近衛クラスを憎悪の瞳で見つめていた。子爵家の彼が言う事が本当であれば、責任をとって首を斬られるなり放逐されるなりするのは近衛クラスだけではない。国軍クラスも同様だ。
だが相手は貴族。迂闊に言葉を発しようものなら、全ての責任を押し付けられてもおかしくない。故に視線だけに憎悪を込めた。