118話
「はやく収穫祭おわらねぇかな。」
ポツリと呟かれた言葉。それを発した男は、燃える様な赤い髪をかきあげながら怠そうにしている。
その小さな呟きは正にこの男の本心を表しているようで、ため息と共に吐き出された鬱憤は、彼の疲れとストレスを如実に見せつけた。
そんな男はドラグ騎士団一番隊の隊服を着ており、二の腕には隊長を示す腕章が付けられている。
「ガイア。大事な収穫祭なんだから文句言ってちゃダメだよ。ほら、あと二日で終わるんだから頑張ろう?」
そんな事を言って励ます男は、見る者を魅了する笑顔をガイアに向けている。
ガイアと同じくドラグ騎士団と分かる隊服を着ているが、差し色が違う。二番隊を示す水色の差し色が入ったそれに、隊長を示す腕章。アズールだ。
「アズは収穫祭好きだよなぁ。仕事が増えるだけだってのによ。」
ガイアは気怠そうな雰囲気を隠しもせず、ドラグ騎士団としては巡回が増えるだけのこの祭に不平を漏らす。
ガイアの言葉通りに収穫祭を嫌っていないアズは、そんなガイアを見て困った様に眉尻を下げている。
アズとて収穫祭が好きなわけではない。だが、料理が趣味なアズにとって様々な食材が収穫されるこの時期は、秋の到来を否応なしに感じられる風物詩なのだ。
毎年、収穫祭が近づく頃は色々な想像をして楽しむ。今年は◯◯が豊作らしいから何を作ろう、などといった想像だ。
この会話で団長であるヴェルムと半日は軽く会話出来てしまう。料理長が入れば一日中でも盛り上がるだろう。
何にせよ、この巡回による忙しさから解放されねば叶わぬ夢だ。今は全力で任務にあたるしかない。
ガイアとしても、収穫祭が終わったあとのアズが作る料理や菓子は楽しみにしている。だが、それのために頑張るのかと言われればそうでもないくらいには忙しいのだった。
「これ出すついでになんか食い物出ねぇかな。腹減ってきたわ。」
現在二人が向かっているのは、本部本館にある事務官たちが集う部署である。
隊員たちが巡回時に見聞きした問題などが纏められており、わざわざ隊長が持ってこなくても良い物である。
二人がこれを持って歩いているのは単純に、団長室に行くついでだ。
珍しく時間指定をされて呼び出された二人だったが、丁度良く部下から報告書が上がったためにこちらに寄るつもりで出て来たのだ。
「団長の部屋で何かおねだりしてみたら?セトが何か出してくれるかもしれないよ。」
「あー、確かに。言うだけ言ってみるかぁ。てか、団長は何の用事だろうな?」
「うーん。勘でしかないけど、収穫祭とは全く別件だと思うな。じゃあ何か、って言われると分からないけど。」
「ん?アズも同じ事考えてたのか。なら収穫祭関連じゃねぇな。まぁ、行ってみりゃわかるかぁ。」
そんな会話をしながら歩き、目的の事務所に来た二人。受付に座る事務官に書類を渡し、受取のサインを貰って踵を返す。
「そういやさ、さっき東門から国軍の奴が入ってくの見たぜ。なんか知ってるか?」
事務所を出てから無言だった二人だが、急に思い出した様にガイアが言う。
報告書を渡したことで手ぶらとなったガイアは、両手を首の後ろで組み少し上を見上げながら歩いている。
そんなガイアにアズは前を見なくてもぶつからないの凄いなぁ、などと考えていたが。
「国軍?兵士が来たの?それとも騎士?」
「騎士。しかも結構偉い奴。」
「へぇ…。もしかして、僕らが時間指定されて呼び出されてるのに関係ある?」
「かもな。というか、それくらいしか考えられないんじゃねぇの?」
「だよね…。あ、いや、うーん。」
「んぁ?どした。」
「いや、ね。当たってたら嫌だから言いたくないんだけど…。」
「あぁ?…おい、まさか。いや、待て。言うな。現実になると面倒だ。」
「うん、やめとく。」
二人して嫌な予感があった。だが、現実にしたくない二人は口を閉じる事を選んだようだ。
二人がこの様な行動を取ったのは、東の国出身者から聞いたことがあるからだ。
この様な時、その想像を言葉にしてしまうと現実になってしまう、言霊、という物の存在である。迷信のようなもの、とは聞いているが、どんな些細な可能性でも潰しておきたいくらいには嫌な予想だったらしい。
二人は団長室に着くまで黙ったままだった。
黙っててもダメじゃねぇか。
そんな視線を互いに送り合うガイアとアズ。
それもそうだろう。何故なら、口にしなかったのに二人の悪い予感が当たってしまったからだ。
何故こうなったと視線で問うガイア。僕にも分からないと首を振るアズ。
二人は目の前にいる二人の人物に悟られぬよう、コッソリ息を吐いた。
何故こんな事になっているかと言われれば。それは少しだけ時間を遡る必要がある。
「今日伝令が来てその日に来たいって?国軍とはいえ流石にこちらを馬鹿にしているんじゃないかい?」
「ふむ。そうですなぁ。先触れだけはしたのだから良いだろうと言わんばかりの態度でしたな。」
団長室に響く不満気な声と、ほっほ、という笑い声。戯れているのかと思えばそうでもなく、不満気な声を漏らしているのはこの部屋の主、団長ヴェルムだった。
何に不満を漏らしているのかと言えば、先ほど執事のセトから聞いた報告にだ。
グラナルドに存在する軍は三つ。近衛騎士団とドラグ騎士団、そして貴族たちの私兵である。
各領地にそれぞれある私兵団だが、王家直轄地である首都には国王の私兵がいる。これは国が給料を出す近衛騎士とは違い、王家に雇われているのである。
そんな私兵たちは各領地を守るために存在するが、ほとんどは外敵を攻める時に本領を発揮する。つまりは、侵略のための軍だ。それを日頃から国が養うのは無理があるため、各領地の戦力として雇われ、戦争の時は国の指示に従う義務を負う。
そんな私兵たちを引っくるめて国軍と呼ぶ。
先ほど触れに来たのは国軍の兵士だった。
その要件は雑に纏めると、後で用事があるから行くね、というところだろうか。
余程親しい仲ならともかく、今まで交流が皆無だった国軍から急にその様に言われるのは大変に失礼な事であった。
ヴェルムが不満気に言うのも無理はない。
「断りますかな?奴らは所詮国王の飼い犬。今回の事は独断かそれに近いものでしょうからな。」
セトの言葉に優しさは欠片もない。声色は好々爺然とした響きを含むにもかかわらず、言っている事は下手すると国軍との戦争を引き起こしてもおかしくないだろう。
忙しい時に舞い込んだ厄介な案件だが、ヴェルムはとりあえず話を聞こうと結論を出した。
同時に、国軍から指定された時間にガイアとアズを呼び出すよう指示も添えて。
時間より少し早く来たのは、国軍でも比較的地位の高い将校だった。
如何にも軍人らしい身体を軍服で隠し、胸元には勲章が付けられている。
団長室に入るなり部屋の中を見渡し、フンと鼻を鳴らすその姿はまるで、毎年来て挑んでは負けて帰る西の国の騎士団のようだった。
「失礼。急な訪問にも関わらず受け入れ感謝する。」
発されたその低音は、国軍では大層威圧的なのだろう。一欠片も悪いと思っていないその言い方に、然れど誰も反応を示さなかった。
それどころか、言った本人も思ってみない反撃が返ってくる。
「失礼だって分かる程度の知能はあるのかい?ならば、私たちにはその無礼な態度で問題ないと思っているという事。最初から意味のない謝罪は必要ないよ。要件だけ言ってさっさと帰ると良い。」
言われた将校は眉間に青筋を浮かべる。ビキッと音が鳴りそうな程に盛り上がった青筋を、ヴェルムは愉快そうな瞳を向けて見ていた。
決して、あんなに盛り上がるなんて珍しい、などと巫山戯た事は考えていない。部屋の隅に立つセトは笑いを隠しきれていないが。
オホンッと豪快な咳払いでこの一触即発の雰囲気を破った将校は、一度仕切り直す事にしたらしい。
歓迎などされはしないのを百も承知で来たのだろう。嫌味を百倍返しされるとは思っていなかったようだが。
「この度は、国軍が取り仕切る騎士学校について協力を要請しに来た。詳しくはこの書状にある通りだ。」
将校はそう言うと、懐から膨らんだ封筒を取り出す。それを近付いて来たセトに渡すと、セトは受け取ってヴェルムに差し出す。
ペーパーナイフも使わず指に風を纏わせて斬ったヴェルムを見た将校は少しだけ瞠目するも、その変化を悟らせないよう鋼の精神力で抑え込んだようだ。
「ふーん?つまり、騎士学校のお坊ちゃんたちにウチから手を貸せって?何故私たちが管轄外の仕事をしなくてはならないのか、説明が無いのだけど。」
ヴェルムが読んだ紙には、騎士学校の学生たちに指導を頼む旨が書かれていた。
具体的な事は何も書いておらず、理由も無い。付け加え、報酬等も記載されていなかった。
騎士団は慈善事業ではない。これといってお金など必要にならない運営をしているが、それでも組織だけあって金はかかる。何より、この手紙の書き方はお願いではなく命令だ。
ドラグ騎士団を下に見ているのが良く分かる。
別にヴェルムにとっては上下などどうでも良い事ではある。だが、家族にそのような厄介な案件を任せるなど出来ない。一家の柱として、許容出来る事ではなかった。
「特に質問を受け付ける必要を感じんな。お前たちはただ書状通りに動けば良い。」
将校の余りな言い方に、ヴェルムもセトも言葉が出ない。セトは執事らしく隅に立っているだけだが。
来客にも関わらず椅子も勧めず茶も出さないのは、そういう事だろう。
何とも言えない空気の中、団長室の扉がノックされる。
「失礼します。一番隊隊長、二番隊隊長がお越しです。」
チラリと時計を見ると、二人を呼び出した時間十秒前だった。
流石にアズも一緒なだけあって、時間厳守だ。ガイア一人だと、一分くらいは遅れる事がある。酷い時はすっぽかす。副隊長がどれだけ頑張っても目覚めない時があるからだ。
「お呼びと聞いて来ましたが…。国軍が来てましたか。」
アズが口を開くと、ヴェルムはニコリと笑う。それは心から歓迎している笑みだった。
ヴェルムがセトに先ほどの書状を渡すと、セトはアズとガイアにソファを勧めて書状を手渡す。
アズが書状を開き、ガイアがそれを横から覗き込む形で読み始めると、セトは部屋の隅にあるティーポットなどが置かれた区画に歩み寄る。そしてそのまま茶の準備を始めた。
「なんだこりゃ?俺たちを馬鹿にしてんのか?」
書面から目を上げたガイアが零したのは、明確な文句だった。端正な顔にこれでもかと眉間の皺、目尻は吊り上がり舌打ちまでかましている。
そのあまりにも無礼な態度に、将校の額から消えていた青筋が再び出番を得る。
ヴェルムが、あ、また出た、などと思っていると、次はアズから言葉が飛び出す。
「これだとどちらのクラスに行くのか、どの学年なのかが一切分かりませんが…。まさか全クラスと全学年とは言いませんよね?」
アズは比較的まともな事を指摘した。
そう、書状には将校の言う詳しい事が一切書かれていなかったのだ。
色々と書かれてはいるものの、要するに騎士学校で指導しろ、というほとんど命令の文書。
これが敵国なら将校の首はとっくに胴体と別れを告げていただろうという程の酷い内容だった。
ヴェルム、アズ、ガイアの三人は一斉に将校を見る。アズの零した疑問に対する答えを求めての事だ。
将校はそんな三人の視線を一身に受けながらも、その苛立った様子は隠さないまま口を開いた。
「私とて貴様らが教壇に立つ事を快く思ってなどいない。だが、この提案は王太女様の提案だ。つまり、王命に次ぐ最上位命令である。貴様らは何の疑問も持たずただ首を縦に振ればいい。余計な意見は不要だ。」
どことなくドヤ顔で言い切ったその言葉は、アズの疑問に答えるものではなかった。
つまり、未来の女王の命令だから君たちに拒否権なんか無いんだよ、という事。
俺たちだってお前らみたいな奴に未来の国軍、近衛騎士の授業なんかさせたくないけどさ、という事も言っている。
分かったのは、この場にいる全員がこの件について前向きでは無いという事だろうか。要は、ここで話し合っても無駄なのである。
言うだけ言って出て行った将校の背を見送り、ヴェルムはため息を吐いた。
「どちらにせよ、ユリア王女からの依頼なら断るのも変だからね。おそらく、彼女の言葉とは随分と捻じ曲がってここまで来たのだろうけど。そんな訳で、君たちにはこの件をお願いできないかと思ってね。」
その言葉に隊長二人は顔を見合わせた。