116話
秋。
それは実りの秋。
様々な作物や果樹が重そうに実りをぶら下げ、麦畑では黄金の穂が風に靡く。
街の外では農民がそれぞれの畑で慌ただしく収穫をし、街の中ではそれらを売る市場が最も賑わう。
大陸中央の国グラナルドでも、秋の実りが国民を笑顔にしていた。
街を歩く民の表情は皆明るく、客を呼ぶ声が響き渡る大通りでは、外国から来た商人も含め多くの者が買い物に忙しい。
秋は大きく経済が回る季節。
秋。
それは芸術の秋。
グラナルドの首都アルカンタには、他国から貴族が訪れる程大きく立派な美術館がある。
絵画であったり彫刻であったりと、展示されている物は多岐に渡る。
当然、グラナルドに縁のある展示物ばかりなのだが、その中でも人気の展示物があった。
それは、一見するとただの剣。だが、その持主が特別だった。
"建国王の愛剣、ブリュンヒルデ"
そう書かれたプレートが、飾ってある剣の横に打ちつけてある。
これはグラナルドを建国した初代国王が愛用した剣である。
美術館らしく展示物の前には説明が書かれた立札がある。
そこにはこのように書かれていた。
"この剣は初代国王が愛用した、天竜の一翼である闇竜の牙を用いて作られた剣で、その一撃は分厚いプレートメイルも一刀両断にしたと言われている。代々国王が受け継ぐべきだと言う家臣もいたとされるが、二代目国王はまた別の剣を闇竜より賜ったため、初代国王は生涯この剣を離さずに済んだという逸話もある。また、この話には別の説も残されている。初代国王がこの剣をどうしても息子に譲りたくなかったため、見兼ねた闇竜が息子である二代目国王にも同じような剣を与えた、という逸話である。真実は闇の中だが、代々の国王が他にない名剣を所持しているのは事実であり、この逸話の裏付けになり得る可能性がある。"
他にも、グラナルドに吸収された数多の部族が宝としていた物のレプリカや、貴族が領地で見つけた特大の宝石を王家に献上した物など。
実に様々な展示物があった。
経済が回れば民の表情も明るくなり、それがまた経済を回す。
民は成果を出した分だけ己の生活が豊かになり、財布の紐も緩む。
普段は行けない美術館も、秋になると平民の姿も増える。それを嫌がる貴族は、この季節は美術館には来ない。
そんな軋轢を避けるため、美術館側はある対策を実施している。それは、貴族にしか入れない画廊の設置だった。
絵画の流行は時代により様々である。
平民と同じ物を鑑賞する気のない貴族も、平民の書いた絵画は買うのだ。
実に滑稽な矛盾だが、貴族に画家はほとんどいないのだから仕方がない。
この時期に毎年、パトロンになってくれる貴族が現れるかもしれないと、平民の画家たちは鎬を削って競い合う。自信のある絵を持ち寄り、画廊へ毎日通うのだ。
そうして貴族に声を掛けられれば、その貴族の求める絵を描き続けて生活が出来る。社交界で人気になれば国王にも謁見出来るかもしれない。
そんな夢を見て画家たちは今日も筆を握る。
市民、町民、商人、職人、農民など、様々に位が分かれる民だが、国からすれば須く国民である。
だが、代々のグラナルド国王ははっきりと明言している。
"国王のために民があるのではなく、民のために国王がある。国王の手の足りぬ場所を補うために貴族がある。依って、グラナルドは民のための政治を行うのだ。"
これは初代国王の言葉であり、その意志を受け継いできた国王も同じ考えを持った。
王子の時分より学ぶ帝王学も、政治や領地経営の中にも随所にこの考えが入っており、今代国王の息子である元王太子の教育の失敗は大変驚かれたものだ。
教育の中身を知る教師陣は、口を揃えてこう言う。
あの教育を受けてあの様な性格になるのは、それを上書きする程の植え付けがあったからに他ならない。と。
事実、王妃が植え付けた思想が過激だった事と、王が子育てを王妃に任せてしまった事が大きな原因である。
脱線したが、その今代国王の娘である次期女王は、この秋に立太女を済ませ、王太女となった。
亡国、イェンドル王国の貴族だった女性を母に持つその王太女は、立太女の儀で国民の目に触れた際、代々の国王と同じ思想を掲げたのである。
それにより、国民の支持は一気に王太女に傾いた。
国王もこれには満足しており、その陰には護衛に就いていた護国騎士団の団長もいたとか。
そんな節目の儀式も終わり、街は秋の一大行事に向け浮き足立っている。
そう、収穫祭だ。
一年で最も盛り上がるこの収穫祭は、年々その規模を増している。
今ではグラナルドのどこに住んでいようと、収穫祭の時期だけはお祭り気分な雰囲気がある。
小さな村や集落でも、秋の収穫祭だけは行う所が多いのだ。
他国からも様々な貴族や商人が訪れ、グラナルドの収穫祭を楽しんでいく。
アルカンタの宿は予約で一杯になり、貴族などは収穫祭を終え自身が帰る前に来年の予約をする程だと言う。
当然、アルカンタは人で賑わうため、ドラグ騎士団の巡回は増員して対処している。
収穫祭はまだだというのに、立太女の儀式を見に来た客がそのまま収穫祭まで泊まるというパターンも多く、今日も五隊を巻き込んだ巡回が行われている。
五番隊隊長スタークは、自身の買い物のついでに巡回の一区画を引き受けており、己の副官と共に巡回をし、終わった後すぐに本部に戻らず、ある店を目指して歩いていた。
「今年は特殊とはいえ、やはり人は多いな。その分問題も増えるが、経済的には良いことだろう。だが…、どうにかならないものか?目と鼻の先の店に行くだけでこんなに時間がかかるとは…。」
滅多にない事だが、温厚なスタークがこんな風に愚痴を溢すのも珍しい。
副官は珍しいものを見たとばかりに目を大きくしているが、隣を見る余裕などないスタークはそれに気付かなかった。
やっと思いで辿り着いたその店は、貸し店と呼ばれる屋台型の出店だった。
期間限定で貸し出され、そこを借りる者は代金を払えば営業出来る。今此処を借りて店を出しているのは、織物屋だった。
「いらっしゃいませ。どの様な生地をお探しですか?」
恰幅の良い婦人が、にこやかに笑みを浮かべて挨拶をしてくる。スタークはそれに頷きを返して目当ての生地を告げる。
「イェンドルの伝統織物が欲しい。ここにあると聞いたのだが。」
婦人は一瞬だけ驚いた表情をしたが、すぐにまた営業用の笑顔に戻る。
どうやらすぐ見える場所には置いていないらしく、商品の入った箱を開けて目当ての物を探し始めた。
数秒で見つけ出したその織物は、スタークが一度だけ見たことのあるイェンドル産の伝統織物だった。
早速スタークはそれが幾らか聞こうと口を開くが、それを止める者がいた。
「隊長。あれはイェンドル織ではありません。確かに織り方はそれを真似ておりますが、生地はグラナルド産の糸ですし作られたのもグラナルドです。輸入のコストがかかっているため高いのだと思わせる詐欺でしょう。おそらく銀貨一枚もコストはかかっていないはずです。」
副官だった。彼は滅多に発言をしないが、別に社交性が無いわけではない。無駄話をしないのは五番隊の特徴なのだ。
「な、なに言ってるんだい!これが偽物だって?あんた達みたいな男にイェンドル織の区別がつくものかい!冷やかしなら帰っておくれよ!」
焦り出した婦人は、ギャーギャーと喚き出す。だが、ここで騒ぎになって困るのは婦人の方だった。
何事かと近づいて来た民達だったが、そこにいるのが不審な騒ぎ方をする婦人と、ドラグ騎士団の隊服を着ている人物。どちらが正しいかは話を聞かなくともわかる。それ程の信頼が護国騎士団にはあった。
事情を聞こうと近付く者は、皆他国の者だった。
そして、皆が周囲のグラナルドの民に止められる。大丈夫だから見ていろ、と。
「他に偽物は展示しているか?」
スタークは幾分低くなった声で副官に問う。副官はその質問を予想していたのか、間を開ける事なく答えた。
「商品として目につく場所に置いている物は全て本物です。ですが、先ほど開けていた箱の中身は全て偽物でしょう。それに、織物屋が他地方の織物を同じ箱に入れて保存するなどあり得ません。保存方法が違うのですから。」
「うむ。確かにな。さて、婦人。何か言い逃れ出来るのか?」
副官の説明に納得したスタークは、己の知識不足を悔やみながらも冷静に婦人に問う。
副官の言う事は全て当たっていたのか、何も返す言葉のない婦人。
そうこうしていると、巡回に出ていた二番隊の隊員が近付いて来た。
「スターク隊長!こちらでしたか!人が多く到着が遅れ申し訳ございません。こちらの婦人の取り調べですよね。代わります。」
「あぁ、ご苦労だったな。予定外の任務だが頼む。後でアズには礼を言っておく。」
「「ハッ!」」
巡回は基本的に二人で行う。どんなに忙しい時期でも、一人で行う事は無い。これはヴェルムが決めた絶対のルールである。
近づいて来た二番隊も二人で、スタークから婦人の取り調べを代わると、テキパキと動いて行く。
一人は婦人に話を聞き、もう一人は現場の保存のために野次馬が近付くのを防ぐ。
普段はグラナルド国民ばかりのため協力的だが、他国の民も含まれるとなると話は変わる。
だが、信頼厚いドラグ騎士団である。彼らが困っていると見るとすぐに民から助け船が入る。
「おいおい、騎士様の仕事の邪魔になるだろう?ほら、見るなら見るで少し離れな。」
今も、南の国の民らしき男を連れ戻す民がいる。
彼らは日々の暮らしを守ってくれているドラグ騎士団の事を深く愛し敬う。そして、ドラグ騎士団もそんな民を全力で護るのだ。
貸し屋から離れたスタークと副官は、人の少ない場所まで来るとため息を吐いた。
「すまんな。私が無知なせいでお前に迷惑をかけた。」
まだ暑さが残る秋。人混みから出たスタークの額には汗が流れている。その汗を拭いながら、隣に立つ己の副官に謝罪するスターク。
副官は黙って首を横に振った後、ハンカチをスタークに差し出しながら言った。
「私はイェンドル出身ですよ?しかも母は針子でした。織物には詳しいんです。隊長が私ほど織物に詳しければ、私の存在意義が無くなってしまうではありませんか。隊長を補佐するのが副官の仕事なのですから、このくらいは力にならせてください。寧ろ、帰ったら同僚に今回の事を自慢しようかと思っておりました。隊長のお役に立てたんだぞ、と。」
副官が差し出したハンカチを受け取り、それで汗を拭くスターク。副官の話を眉尻を下げて聞いていた。
「お前達はそんな話をしているのか…?まぁ、それは良い。己の出来ぬ事を補佐するのが副官、か。確かにな。これはリクから見習わなければいけないな。よし、私もこれからお前達を意識的に頼るようにしよう。これまでも頼りにして来たが、今の一件で改めてお前達を頼ろうと思えた。ありがとう。」
身体の大きなスタークが頭を下げると、よく目立つ。そんな事も気にしないで頭を下げたスタークは、慌てて頭を上げさせようと必死な副官に笑いながら頭を上げる。
副官はホッとした表情をしながら、少しだけ拗ねた目つきでスタークを見る。
それにまた笑いながら、二人は歩き出す。
「隊長。この際ですから、私にもう一度頼ってみませんか?」
「もう一度?どういう意味だ?」
「先ほどお伝えした通り、私はイェンドル出身ですよ?そして、織物に詳しい方です。となれば、当然グラナルドでどこに行けばイェンドル織の最高品質が売っている場所にも心当たりが御座います。」
「本当か!?頼む、連れて行ってくれ。」
「勿論ですとも。先ほどはどの様な理由で織物屋を訪ねたのか分かりませんでしたが、今は分かっておりますので。リク王女への贈り物ですよね?」
「あぁ。先日、イェンドルにしか咲かないという花の種を土産に貰ったんだ。それを咲かせるのが一番のお礼だとは思うが、あの花をこちらで咲かせるには多少研究が必要でな。時間がかかるかもしれん。ならば別のお礼を渡したいと思ってな。」
「成程。では、お土産、という形で渡すのですね?それなら良い店があります。早速向かいましょう。」
「あぁ。頼む。」
「えぇ、頼まれました。お任せください。」
男二人で微笑み合いながら歩く隊長と副官。
どちらもタイプが違うが、隊長はガタイの良い真面目そうな男で、着飾れば女性が寄ってくるくらいには顔立ちが整っている。
隣を歩く副官も、優しげな瞳に平均的な身長、スラッと細い身体。隊長と並べば小さく見え、しかしその表情は明るい。
二人は目的地に向け歩く。
自由時間に二人で歩いた経験など無いが、まるでいつもそうしているかの様に様々な会話をした。
スタークは、今まで部下と私的な会話をほとんどしたことが無い事に気付いたが、これから増やしていけば良いか、と微笑む。
そんな隊長の僅かだが大きな変化に副官が気付かないはずもなく。
これから五番隊は少しずつ変わる、と期待感に胸を膨らませる副官。
秋の訪れと共に、五番隊にも変化の兆しが訪れていた。