113話
騎士の国で年に一度の最大の祭である闘技大会の決勝戦が、騎士王の住まう城の横にある巨大なコロシアムにて始まろうとしていた。
対戦カードは、騎士王に忠誠を誓う王剣騎士団の団長と、東市民街の剣術道場師範だった。
騎士団長が決勝に出るのは、毎回ではないもののよく見る光景だが、道場の師範が決勝に進むのは過去類を見ない光景だった。
騎士王をはじめ貴族たちが座る貴賓席では、既にこの師範を自身の部下にするため水面下の攻防が繰り広げられている。
誰が最初に声をかけるか。この権利を賭けて様々な遣り取りがあったようだ。
一般市民が座る観客席でも、この決勝戦でどちらが勝つか予想するのに忙しい。
まだ選手が入場していないにも関わらず、既に試合が始まっているかのような熱狂に包まれている。
「大変長らくお待たせしましたぁっ!!本日午前に行われた準決勝に勝ち、この決勝まで駒を進めたお二人を紹介します!まずは昨年の優勝者であり、我が国最強の騎士!王剣騎士団団長のアーサー・ベルモンド!!」
魔道具による拡声で、熱狂に包まれた観客全てに聞こえる音量の声が響き渡る。
先に紹介されたのは、昨年の闘技大会で優勝した王剣騎士団の団長だった。
貴賓席にいる騎士王から見て右手から入場してきた団長は、煌めく金髪を風に靡かせながら笑顔で会場中央まで歩み出る。
中央に着くと、騎士王に向かって深く頭を下げた。
これを見た観客は堰を切ったように盛大な歓声を贈る。
国を護る騎士団の団長だ。それでいて爽やかな美青年。この国の婦女子にとってはアイドルのような扱いに違いない。
「登場だけで会場の全ての声援を攫ったこの男!騎士団長の座に就いた昨年に初めて闘技大会に出場し優勝した伝説を持つ、正に最強の騎士!強さ、美しさ、気高さ、その全てを兼ね備えた現騎士団長は今年も優勝を勝ち取るのかっ!その運命の対戦相手も、昨年のこの男と同じく初出場で決勝まで来ました!しかも、その試合の全てを一太刀で終わらせて来た圧倒的猛者!過去にどのような大会にも出ておらず、その素性は闇の中!さぁ、その姿を見せてくれ!東市民街剣術道場の師範、シド!!」
司会者の観客を煽るような紹介を受け、シドが反対の入り口から入場してくる。
先程の騎士団長が入場した時と似たような歓声が沸き起こり、コロシアム全体を越え首都を包み込む。
司会者の言葉は、コロシアムの外まで聞こえる。
これは、会場に入りきらなかった民たちが外で酒を飲みながら司会者の解説を聞き、試合内容を想像しながら酒を飲む光景がそこかしこで見られるからだ。
「貴方が貴族たちの話題の中心にいるシド殿ですか。私はアーサー・ベルモンド。王剣騎士団の団長を勤めさせて頂いております。今日は良い試合にしましょう。」
試合が行われるリングに二人で立つと、爽やかな笑みを浮かべた騎士団長がシドに話しかけて来た。
シドはそれを一瞥し、一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、直ぐに何時もの人懐こい笑みを浮かべた。
「かの有名な騎士団長殿からご挨拶頂けるとは。誠光栄の極み。今日の試合は一生の思い出となるでしょう。」
シドから出る言葉は、普段のシドからは想像出来ない程丁寧だった。だが、シドを知る者が見れば言葉に棘が含まれている事が分かる。
当然、初対面である騎士団長にそれが分かる由もなかった。
「あぁ。やはりここまで勝ち進むだけあって、相手の実力を測る事は出来るみたいだね。でも、折角の決勝戦。すぐに降参してしまっては観客が納得しない。なるべく長引かせられるようにするから、しっかり着いてきておくれ。」
騎士団長はそれだけ言うと、背を向けてシドから離れていった。
選手同士の会話は観客には聞こえないため、二人がどんな話をしたのかを予想している客もいる。
騎士団長が所定の位置に着くと、シドも後ろを向いて開始位置に向かう。
シドが位置に着くと同時に、司会者の声がまたも響き渡った。
「何やら選手二人で話しておりましたが、おそらく互いに正々堂々を誓い合ったのではないかと思われます!両者共に気合いは十分といったところでしょう!さぁ、さぁさぁ!審判の合図で試合が始まります!闘技大会決勝戦、勝つのは騎士団長か!それとも道場の師範か!」
司会者はそこまで言うと黙った。
騎士団長とシドの間に、リングの外から入って来た審判が真剣な表情で入ってくる。
審判は騎士団長を正面から見つめると、騎士団長は頷きながら抜剣する。
それに頷いた審判は、振り返りシドを見る。シドは鼻で笑う事で返事とし、腰に提げた剣帯から剣を抜いた。
審判はそれを見届け、リング端まで下がると手を挙げた。
「はじめっ!!」
手を振り下ろすと同時に試合開始の言葉を放った審判。
その瞬間、観客席から地を揺らすかと錯覚するほどの大歓声がリングを襲った。
騎士団長は余裕のある笑みを絶やさぬまま、左手に盾を、右手に銀色に輝く剣を持って立っている。
その目はシドの挙動を観察しており、姿勢良く立つその姿は銀の騎士鎧と相まって神々しい。
反対に、シドは軽装だった。魔物由来の素材で作られた革鎧を部分的に着込むだけで、金属の防具はどこにも着けていない。
肩から先は布一枚といった装備で、速度を活かす戦法だというのは見れば誰でも分かる。
腰には剣帯と鞘、そしてマジックバッグ。胸元には何やらアクセサリーが見え隠れしていた。
「来ないのかい?なら、こちらから行かせてもらうよ?しっかり耐えてくれ。」
試合が始まっても動かないシドに痺れを切らしたか、騎士団長がそんな言葉と共に駆け出す。
その速度は速く、重い騎士鎧を着ているとは思えぬ踏み込みだ。
ただまっすぐに飛び込む形でシドに迫る騎士団長。
シドはそれをぼんやり眺めていたが、騎士団長の剣がその胸に吸い込まれると思った瞬間、シドの姿がかき消えた。
観客はもう勝負が着いたかと思っていたのか、シドが消えた事に混乱し一瞬の静けさが会場を包んだ。
だが、シドがすぐに騎士団長の後ろに現れ斬りかかった姿を見た瞬間、またも爆発的な歓声が轟いた。
自身の剣を避けられた上、後ろを取られた事にも動揺せず、冷静にシドの剣を出迎える騎士団長。
盾と剣を器用に使い、シドの剣撃を数度凌いだ。
すると、攻撃を仕掛けていたシドが急に距離を取る。守勢に入っていた騎士団長は内心で首を傾げつつ、折角もらった機会を活かすべく息を整え始めた。
そのまま騎士団長の息が整うのを待っていたシドは、騎士団長に向け剣を持っていない方の手を向けてクイッと手招きしてみせた。
そのあからさまな挑発にも乗らず、騎士団長は冷静に剣を構え直す。そこから騎士団長の猛攻が始まった。
剣だけでなく盾をも攻めの手に使い、時折盾の背後に姿を隠し剣の軌道を読ませない独特な闘い方。
この対人戦に特化した剣術こそ、騎士団長の真骨頂であり、昨年の優勝の理由だった。
だが、そんな騎士団長の猛攻を涼しい顔で避け続けるシド。観客たちは騎士団長が優勢と見て更に声援のボルテージを上げているが、当の本人である騎士団長は内心、かなり焦っていた。
何故だ、何故当たらない!?
そんな声が聞こえてきそうなほどに、その整った顔を歪ませている。
そこに試合開始前の余裕は存在しない。
騎士団長の焦りが剣に出たのか、ほんの僅かな隙がタイミングのズレとなって生じる。
それを見逃すほど甘い剣士ではないシド。的確に隙を突いたカウンターを、騎士団長の右腋に向けて放つ。
「ぐっ!」
シドが切り裂いたのは、騎士鎧の柔らかい部分でもある腋の下だった。
そして、騎士団長が怯んだ瞬間、攻守が逆転する。またも守勢にまわった騎士団長はそれ以上の驚きに飲まれる事になる。
「なっ!き、貴様…。私の剣を使うだと…!?まさか元騎士か?」
シドは騎士団長の剣術を模倣していた。彼が模倣するのはその剣術の型や奥義のみ。使う本人の癖などは削り取って己の物とする。
故に、相手にとってシドの剣は天敵足り得る。
ずっと攻勢に出ていた騎士団長は息を整える暇もないまま守勢にまわり、自身の師匠の剣を思わせる完璧な型通りの剣術で攻められ続けた。
そんな状況は長く続く訳もなく。
苦手な場所を見事に突かれた騎士団長の手から剣が絡め取られリングの外へ飛んでいく。
だが、それでも彼は諦めなかった。盾を武器とし突撃。シドを弾き飛ばさんと全てを賭けた。
しかし彼は極限の集中の中で忘れてしまったのかもしれない。
この試合の最初にシドがどの様な動きを見せたのか。
盾に全体重を乗せて突撃する騎士団長。シドは呆れたような表情でそれを見たかと思えば、もうその場に姿はなかった。
シドが目の前からいなくなった事に気付いた騎士団長だが、既に遅い。
後ろにまわったシドの袈裟斬りが騎士団長の背中を襲う。
鮮やかな血飛沫と共に地に沈む騎士団長。
一瞬の決着にコロシアムは耳が痛くなる程の沈黙に包まれた。
が、一瞬後に大歓声。試合開始の時よりも更に大きな大歓声が首都に響き渡る。
残心をとっていたシドも、あまりの大音量に耳を塞いだ。
「う、うるせぇ…。ほら、審判!カウント取れよ。」
声だけでは聞こえないと判断したのか、身振り手振りで審判を呼びカウントを取らせるシド。
既に騎士団長の意識は無く、彼の背中から流れる血がとめどなく地面に染みを作っている。
カウントが終わり審判が合図を出すと、外に待機していた治療術師が駆け込んでくる。
彼らはこの大会のために南の国や西の国から来た魔法使いだ。人によって使う属性は違うものの、治療魔法を売りにしているだけあって効果は高い。
魔法を忌諱する騎士の国でも、治療魔法は別なのか国が招いている。
報酬もかなりの高額とあって、周辺国の治療術師は諸手を挙げて食いつくらしい。
一先ず止血だけされた騎士団長は、担架に乗せられ退場していった。
「アーサー選手の意識が戻り次第、表彰式となります。賞金、賞品授与は王城にて後日執り行われますので、本日は表彰式だけとなります。では、お時間になりましたらお呼びに参ります。どうかここでお待ちください。」
闘技大会のスタッフがシドに丁寧な説明をし、礼をして去っていく。
シドはそれを笑顔で見送った。
ここは選手控え室。
シドに与えられた部屋には先客がいた。
「おかえりぃ。また綺麗にぶった斬ったなぁ。」
「時間…遅延…闘争…愉悦…?」
「どう?何か収穫はあったかしら。」
零番隊精鋭の仲間だった。
スケールは素直に褒めているのがよく分かるが、レミは勝って当然といった言い方をしている上、ファゾーラに至っては試合を長引かせて楽しんでいたのか、と聞いている。
相も変わらず賑やかな小隊員たちに、シドはため息を吐いて肩を竦める。
「おい、お前ら。まずは優勝おめでとう、だろうが!」
シドの怒った振りにレミとスケールはノリ良く乗っかり、控え室はわちゃわちゃと騒がしくなる。
そんな三人を見てファゾーラが鼻で笑い、それに今度は本当に怒ったシドが絡むなどして時間は過ぎていく。
結局、騎士団長が目を覚ましたとスタッフが伝えに来るまで、下らない話しかしていなかった。