109話
そろそろ夏本番も終わろうかという季節。
大陸中央の国グラナルドは、日中の気温が下がってきたからか、民の表情も明るく見えた。
夏の間にある、通称"水掛け祭"という道行く人に水を掛けて遊ぶ祭りも終わり、秋へ向けて少しずつ民の心も浮かれ始める。
水掛け祭は、井戸から汲んだ水や魔法によって生み出した水を掛け合う祭である。
民はそれによって涼を取り、大人も子どもも仲良く水を浴びせ合う。
コミュニケーションの一つとして大事にされてきた祭りではあるが、元々は干ばつによる水不足が原因だった。
夏とは変わり、秋は収穫の季節。
多くの戦争は秋に行われてきたが、今代の国王は南方戦線に勝利したばかり。
今年はいつも通りの秋が訪れる、と楽しみにしている者も多かった。
その理由の一つとして、秋の収穫祭がある。
先ほど軽く説明した夏の水掛け祭は、正式には水冷祭と言う。過去雨が少なく水不足になった事があるグラナルドで、水がある事の幸せを再確認するための祭りだ。
よって、天竜を祀る神殿では水竜の像に祈り、水害や水災を防ぐ祈りと共に水不足に関しても貢物を捧げる事で天竜の祝福を戴く。
実際に水竜が祝福をくれる訳ではないが、民の心の拠り所として宗教があるのは事実。
王家もこの行事に参加し、アルカンタにある大神殿で祈祷を行う。
それによって水で困る事がなくなったと民は喜んでいるのだ。
反対に、秋の収穫祭は神殿などは関係なく、ただただ実りに感謝し浮かれ騒ぐ。
冬の厳しい寒さを越えられるよう、秋にたくさん栄養を蓄えるのだ。
アルカンタだけではなく各領の都市でも祭は行われており、小さい村々でも収穫祭だけはあるという。
グラナルドの首都アルカンタでは、大通りにたくさんの店が出店し、この秋に収穫された野菜や果物を使った料理や、民芸品なども売り出される。
更には広場毎にイベントが行われており、アルカンタで一番の美女を決めるコンテストや、絵画コンクール。村や町から集まった自慢の地酒を評価する地酒評論会などというものもある。
当然、ドラグ騎士団は五隊も参加しての巡回である。
準騎士だけでは人手が足りない。一応、街の自警団なるものも有るには有る。それは元国軍の兵である老人などが小さな区域毎に作っており、騎士団の巡回時には手を貸してくれたりもする。
だが、それで手を抜いて良い理由にはならないため、結局ドラグ騎士団の仕事量としては変わらない。
秋の収穫祭で民が浮かれ騒ぐのは、冬の建国記念祭まで大きな祭りが無いからだ。
冬は寒さも厳しくなり、首都には結界があるとはいえ首都の外は雪が積もる。
流石に首都で凍死するような事件はほとんど起こらないが、それでも晴空を見られない日が続くというのは精神的に負荷が掛かる。
余談だが、冬は大雪で閉ざされる村も多く、国民の半数程は冬の間家に籠りきりになる。
そのせいか、秋の収穫祭付近で出産報告が多数あり、新たな命の誕生を祝う意味でも秋の収穫祭は盛り上がる。
収穫祭があるのは秋の中頃。
月が一年で最も美しく光る時期。当然、ドラグ騎士団もその時期は宴会がある。
そう、月見酒だ。
収穫祭で忙しい分、ドラグ騎士団は中秋の名月に向け浮かれ始める。
ドラグ騎士団にとって宴会とは馴染みの深いものであり、特別なものでもある。
団長であるヴェルムが酒好きというのもあり、団員には飲めない者などいない。
竜の血を取り込むと、何故か酒が好きになるようだ。
元々酒が苦手な者も、血継の儀を経て酒好きになる。
実は、これには特別理由などない。仮に他の天竜が血継の儀をしても、酒好きになるかは分からない。つまり、竜が酒好きなのではなく、ヴェルムが酒好きなのだ。
その血を受け継ぐ者たちが酒好きになる理由は分からないが。
現在、ドラグ騎士団は北の国とその周辺で起こった内乱事件の後始末がやっと片付いたところだ。
各隊が連携し情報を集め、零番隊も多くの部隊が動き回った。
その間、鉄斎隊が戻ってきた時は大変だった。
部隊長である鉄斎は、ヴェルムの前に来ると同時に土下座。着いてきていた副部隊長もそれに倣い、二人して切腹すると騒いだ。
あまりに話を聞かないものだから、ヴェルムが二人に拳骨を落とした事で決着が着いたが、それでも魔法薬を紛失し流出させた責任を深く感じているようだった。
結果的に見れば、その薬は実際に使用されてしまった。
その薬によって発生したスタンピードは鉄斎隊がすぐに片付けたが、そのような事態になってしまった事こそが責任問題だと鉄斎は言う。
罰を与えるつもりなどなかったヴェルムも、鉄斎の頑として引かぬ姿勢に折れた。
鉄斎は望み通り罰を与えられた。
それは、グラナルド国内の某所へ部隊で向かい、そこでしばらく修行をしなおすというもの。
そこには、零番隊精鋭である三人も自ら向かうと言った。
ヴェルムはそれを許可し、鉄斎隊と精鋭三人はすぐに本部を発った。
イェンドル領は、新たな領主が派遣された。
その領主はイェンドルが王国であった頃に貴族の令嬢と婚姻を結んでおり、つまりは妻が元イェンドル貴族である。
そのため、イェンドルの民の心を掴むのが北の国の貴族よりも上手くいくだろうという判断だった。
北の国は王子が国王となり、国の体制を整えるべく日々奮闘している。
王子と言っても、先代国王が老齢であったためグラナルド国王とそう歳は変わらない。
王子の時分より他国へ赴き、様々な外交を熟して来た外交の達人である。
あっという間に彼を支持する貴族を取りまとめ、民によって殺害された先代国王や貴族たちの葬儀を行った。
だが、国王の死とはいえ国葬にする事は出来ず、その葬儀はひっそりと行われたとか。
彼が素早く国を纏められたのは、理由があった。
皮肉な事に民によって殺害された貴族が皆先代国王派だった事、王子派は誰も死んでいなかった事。そして、文官も騎士団も、能ある者は生き延び、その地位と権力にもたれ掛かっていた者は死んだ。
おかげで、能力を重視した地位を与える事が出来た。
現在の北の国中枢は、数ヶ月前とはまるで違う実務能力を保持していた。
民への政策も改良の手が入り、件の錬金術師によるポーションも平民へ配られるようになった。
重税に喘いでいた民はもういない。
病気や怪我で死ぬ確率も随分下がった。
何より、道行く貴族に怯えて過ごす必要がなくなった。
もう奴隷にされるかもしれないと震えて隠れる必要はないのだ。
そして何より、民たちの心に変化があった。
それは、自らの力で成し遂げたのだ、という達成感だ。
結果的には王子が国王になっただけだが、それでも民の力で国王を打ち倒し、体制に切れ目を入れたのである。
これから北の国を治めていく者は大変だろう。
少しでも政策が気に入らなければ、民が蜂起する可能性が常に付き纏うのだから。
しかし、これも王家が犯した罪だと受け入れざるを得ない。
勲章持ちの錬金術師お手製の、胃に効く魔法薬が国王の執務室に常備される日は近い。
「なるほど。それで?小国はどうなったのかな?」
ドラグ騎士団本部本館、団長室にて。ヴェルムは報告書を片手に目の前の人物を見た。
ヴェルムと執務机を挟んで正面に立つ彼は、爽やかな笑みを絶やさないまま報告を続ける。
「鉄斎隊から引き継いだ当初はまだ各地でゴタついてましたけど、今は随分落ち着いたようです。そもそも、兵糧を集める時間も持たずにすぐ出撃したもんだから、自国の村から徴収する羽目になるんですよ。あの二国こそ内乱によって滅びるんじゃないかと思ってます。」
報告している彼が着ている隊服には、黒を基調にし銀糸で各所が縁取られている。
また、肩には部隊長を示す腕章があり彼の地位を表していた。
「そうだね。それも良いかもしれないね。少なくとも、西の国としてはしばらく、これ以上北に領地を増やすつもりは無いみたいだから。とは言っても、国教である天竜教の教義に、あまねく人々へ布教すべし、とあるからね。いつかは侵略するのだろう。」
「確かに…。ですが、今でないなら助かります。あの二国はしばらくはあそこにあってもらわないと。」
「そうだね。その通り。さて、また戻る時にこれを届けてほしいんだ。頼めるかい?」
ヴェルムはそう言うと引き出しから分厚い封筒を取り出す。
外には何も書いておらず、ただ何かが入っていると分かるだけ。
「勿論です。誰にお届けしますか?」
そこに一切の疑問を挟まず、彼は爽やかな笑みで請け負った。
「ありがとう、アベル。これに関しては、そっちの拠点まで持っていけば良いから。きっと本人が取りに来るよ。」
届け物だというのに、取りに来るのか。そんな考えがチラつかない訳ではなかったが、それでもアベルは頷いて封筒を受け取ると、腰に提げたマジックバッグへ入れた。
「零番隊特殊魔法部隊隊長アベル、任務を受諾しました!それでは失礼します。」
見事な最敬礼を見せてから退室していくアベル。
それを見送ってからもう一度報告書へ目を通すヴェルム。その表情はどこか固い。
「遂に動き出しますかな?そういえば、冬には彼らもこちらに来るのでしたな。さて、どうなることやら。」
ヴェルムは何も返さない。言葉を発したセトも返事を期待しての事ではないだろう。
そして誰も話さなくなった団長室に、ほっほ、と笑い声が響いた。