107話
「それで?例の"コンダクター"くんは見つからなかったんだ?いったい何処にいるんだろうね?」
グラナルド北西の二国、北の国、そしてイェンドル領にそれぞれ散っている零番隊からの報告を受けたヴェルムは、最後に連絡してきた鉄斎隊の報告の後そう発言した。
通信魔道具の向こうにいるであろう鉄斎も黙ったままで、静かな空気が、通信魔道具の通信中を示すランプの灯りによって余計に緊迫感を感じさせた。
「…よもや、零番隊の追跡を躱すほどの手練だとは思いませんでした。これからも全力を挙げて捜索致します。」
鉄斎の重い声が魔道具から聴こえる。
見えないと分かっているが、ヴェルムはそれでも頷いた。
それが分かったのかは鉄斎にしか分からないが、では失礼致します。と言葉を残して通信が切れた。
「どう思う?暁は戦闘をメインにしているとはいえ、それでも零番隊だ。他の二部隊は諜報が主体。そんな編成から逃げられる理由。世界には不思議が満ちているね。」
ヴェルムは眉尻を下げながら言った。
困った顔をしているが、最後の言葉を聞く限りあまり焦っていないように見える。
ヴェルムの言葉に反応したのは、団長室へ報告をしに訪れていたスタークだった。
「鉄斎殿やゆいなの部隊から逃れるのは困難でしょう。であれば、可能性は二つ。既にその三箇所にいないか、北の国か。暁とはいえ北の国は広いですから、追跡の眼を逃れる方法はあるでしょう。北の国の城の掃除が終わったとはいえ、まだ主要都市の内乱は片付いていませんから。」
そう、既に北の国王都やイェンドル領での民の反乱は決着が着いていた。
北の国の国王は死亡。民から甘い汁だけ吸っていた貴族も殆どが民によって殺害されている。
これはイェンドル領も同じで、領主は最後に、領を護る領軍の団長によって討たれた。
現在はその団長が暫定的に領を纏めているが、母体である北の国も現在混乱の只中にあるため、いつ領主が送られてくるかも分からない状態だ。
王都では、民の支持が強かった第二王子が簡易的な戴冠式を経て国王を名乗り、迅速に軍を編成し国境と主要都市に派遣した。
それによりほとんどの都市では内乱が鎮圧され、場所によっては民に多数の死者が出た。
北の国南西部では、小国二国による合同の軍と、"何故か"同時多発的に発生したスタンピードによって多少国境線が変わっている。
しかし、国境警備の白狼騎士団によって二国の軍は返り討ちに遭っており、元の国境線が引かれるのも時間の問題だろう。
ヴェルムはスタークの意見を受け頷く。
そしてニコリと微笑んでから口を開いた。
「そうだね。北の国はまだ纏まりきってないからね。可能性としてはそれが一番強いとは思うんだよ。…でもね、少しだけ予想を立ててみようと思うんだ。」
「…予想、ですか?」
「そう、予想。もしスタークが彼なら、そもそも何故こんな事態を起こした?今は"どうやって"の部分は考えない事とするよ。」
スタークはヴェルムからの質問に、少し考える仕草を見せる。
腕を組み右手を顎に添えている。
眉間に寄った皺が急に無くなると、彼は少し驚いた顔をしていた。
「…まさかとは思いますが、グラナルドにいる、と?」
スタークが出した答えは言葉の通り。今回の国を巻き込んだ事件を起こした犯人は、ドラグ騎士団のお膝元であるグラナルドにいるのではないか、というもの。
国境の警備を担当する三番隊と五番隊の隊長だからこそ出難い答えではあったが、スタークはそこにすんなり辿り着いた。
ヴェルムはその答えに満足したのか、微笑んだまま軽く頷く。
「そう、私もそう思っているんだ。…で、だ。仮にグラナルドにいると仮定して。何処にいると思う?彼が行きそうな場所。きっと関連性がある所だよ。」
「…まさかっ!?」
ヴェルムは変わらず微笑んだまま。
その後スタークはヴェルムから二、三指示を受け部屋を飛び出して行った。
「所謂、プロファイリング、というヤツですな。最近学会に報告されたばかりと記憶しておりますが?」
スタークの巨躯が無音で出ていく姿を目で追った後、セトがヴェルムに問う。
確かに、グラナルドの国軍が学会に発表したのは昨年の話だ。だが、ヴェルムはそれに首を横に振る事で否定した。
「発表されたのは昨年だよ。でも、現場では犯罪者の思考を研究して捜査に活かしているだろう?それは私たちも同じ。それを理論立てて小難しくこねくり回した言い方をしたのが学会。つまり、最新の技術でも発想でもない、使い古された方法だよ。」
「それはまぁ、そうですなぁ。確かにわたくし共も相手ならどう動くかを常に考えますからな。さておき、咄嗟にそれが出来るかどうかは別物ですがな。」
団長室にほっほ、という笑い声が響く。
ヴェルムは笑うセトを紅茶のカップに手を伸ばしながら、目を細めて見ていた。
「やはり失敗か…。つまらないなぁ!どうしてだい!?お膳立ては完璧だったじゃないカ!まだ二楽章の途中だったのに…。貴族や王族が駆逐され、残された民には指導者がいない。勢いで殺ったは良いもののこれからどうすれば良いのか!…そういった悲愴が三楽章だというのにっ!!」
とある集落の一番立派な家の中で、"コンダクター"と呼ばれた元冒険者が叫ぶ。
同じ部屋では小人族の女性と象人族の男性が、椅子に座ってのんびりしている。
「まだ言ってるぞ…?とりあえずグラナルドに侵入出来たのは良いが、この集落事態も不気味だろう。最近まで人がいた形跡がある。さっさと移動して東の国まで行こう。」
「なに言ってるんだい。んなもん、無理に決まってる。ここは中央の国だよ?あんただって、ドラグ騎士団の目を掻い潜るのがどれだけ難しいか分かってるだろう?国境はあたしの魔法でどうにか抜けたけどさ…。あの魔法はあたしの魔力じゃあ精々一時間が限界。この集落跡から東の国との国境まで運良く見つからなくても、その時にまた魔法が効くか分からないんだよ?」
「そ、それはそうだけどよ…。ここにいたっていつか見つかるだろう…?どの道失敗したんだ。成功報酬も貰える訳ないし、こいつを囮にして俺たちだけでも逃げるべきじゃ…。」
身体のサイズから想像がつかない程性格が真逆の二人。二メートルを越える大男がビクつき目を潤ませる姿は、いっそ滑稽ですらあった。
「シィッ!黙りなっ。あいつに聞かれたら実行出来ないじゃないか。折角一人でヒステリックになってるんだから、囮にするのは当然だろ?今夜決行だからね。夕食に睡眠薬を混ぜる。いいね?」
「お、おう…。どっちに向かうんだ?」
「そりゃあ、逆方向に決まってるだろう?お相手の裏をかくのは当然の策さ。」
「…! まさか、アルカンタの方に行く気か?」
「そのまさかさ。誰もそっちに行くとは思ってないだろうからね。ほら、あんたはさっさと夕食の準備をしな!」
こうして、凸凹コンビの脱走計画は始動した。
小声とはいえ、同じ部屋で悪企みをする二人に気付かない程自分の世界に没入している"コンダクター"。
彼の手は空中を泳いでおり、右手にはタクトが握られている。
そのリズムとテンポは、どうやら彼の言う第一楽章を指揮しているように見える。
脳内では未だ完成した第一楽章が奏でられているのだろう。
「…ほんとだ。団長の言った通り。スタークもヒント貰ったとはいえよく分かったねぇ。すごいすごい!」
夕陽が地平線に沈む黄昏時。イェンドル領から亡命してきた民が暮らしていた集落に、三番隊と五番隊の混合編隊が到着した。
ヴェルムより命を受けここまで来た編隊だが、それを率いているのは三番隊隊長リクである。
通常ならあり得ない事だが、今回は補佐として五番隊隊長のスタークも着いてきた。これもヴェルムの指示だ。
「いや、あれはほとんど答えを貰っていたようなものだ。昨年学会で発表された、プロファイリング、というものだ。私たちが普段から使用している捜査方法の一つだな。こんな時にすぐ思い付けなかった己が不甲斐なく感じるが、な。」
そうやって自嘲気味に言うスターク。隣に立つリクは、そんなスタークの腰を摩っている。身長差があるため、頭に手が届かないらしい。
それでもリクが自身を慰めてくれているのに気付いたスタークは、その厳つい顔を緩めて情けなく微笑んだ。
「大丈夫。逃さなかったから。ちゃんとスタークが気付いたんだから、偉いの。それに、ここは私がこないだ潰した集落だもん。野盗なんかに再利用されないように、ちゃんと建物まで壊しとかなきゃいけなかったのに。その後始末も含めた"筆頭"だよ?」
今回のように、出撃した部隊のトップが同じ位の者である場合、その者の中でその時限りの司令官を任命する。それが"筆頭"。
ヴェルムは特に名称を定めていないようだが、リクはこのように言う。スタークもそれに付き合っている形だ。
「あぁ、そうだな。家族のやり残しは家族でしっかり片付けねばな。では行こうか、"筆頭"殿?」
「うんっ!ではこれより作戦を開始します。全小隊が配置に着いてキッチリ十秒後に突撃を開始。」
リクが指示を出すと、その場にいた編隊は小隊毎に分かれ、集落を包囲するように散開していく。
それから一番遠い位置に小隊が辿り着いてから丁度十秒後。
突如辺りが暗くなったかと思えば、上空に出現した黒雲から轟音と共に雷が降り注いだ。
雷は明確に集落で一番立派な家に向かって降り注いでおり、さらに集落の周りは晴天である事から、魔法の一撃だという事が分かる。
「…突撃!」
集落の中央に掌を向けていたリクが声を発す。
聴こえるわけも無い距離だが、それでも聴こえたかのように見える程タイミングを完璧に合わせて各小隊が突撃していく。今回は犯人確保のために五小隊の混合編隊で来ているが、その内の四小隊が同時に集落中央へ突っ込んでいく。
ある程度の距離まで近付くと、一斉に魔法が一軒の家に集中する。
先ほどの雷によって既に残骸となっていた家に追い討ちをかけるが如く降り注いだ様々な魔法。
しかし、それらは残骸を包むようにして現れた結界魔法によって防がれた。
「アハハハッ!君たちが新たな三楽章を創りに来てくれたのかい!?ようこそ!新たな奏者たちよっ!!」
結界の中から男性の声が聞こえてくる。結界には次々に魔法が着弾しているが、結界は揺らぐだけで破れていなかった。
そこに、先ほどまで黒雲が浮かんでいた空から巨大な岩の槍が降ってきた。周囲の地面が固まり凶器となって顕現したその槍に、結界はギシギシと悲鳴をあげる。
拮抗したのはほんの数秒だった?一瞬で結界にヒビが入り、ガラスが割れたようなけたたましい音をたてて消滅した。
残る残骸の中から、バカなっ!と男性の声が聞こえた。
しかし、結界が消えてすぐに飛び込んだ小隊によって、声は剣戟音に変わる。
「クッ!おい、お前たち!見てないでボクを助けたまえヨ!」
先ほどの男性の声が聴こえると、その後数秒してから剣戟音が増えた。
「どうやら協力者がいるようだな。おそらく、情報にあった盗賊ギルドだろう。」
盗賊ギルドとは、実際に盗賊を束ねる組織では無い。所謂、情報屋というやつである。
商品は所属しているギルド員が集めた生きた情報。もしくは、懇意にしている者へのサービスとしてギルド員の派遣がある。
凸凹コンビがすぐに残骸から飛び出してくると、そこに小隊が襲いかかる。
その直後、残骸からコンビを追うように小隊が迫る。八対二という人数差ではあったが、それでも象人族の男が気合を見せていた。