104話
「"コンダクター"?北西の小国出身のですか?」
細目の男が驚きに片眉を上げる。
ヴェルムは神妙な面持ちで頷いた。
細目の男の横に座るサイが、自身が開いていた資料のページを見せる。
ありがとう、と言ってそれを見る細身の男の目の前にも同じ資料があるが、開かれていない。
今から開いて探すより、隣から見せてもらったほうが早いという判断だろうか。
「どこかで聞いた名じゃの。はて、どこだったか。」
サイの対面に座る翁は顎髭を扱きながら首を傾げている。細目の男は資料を見た後、少しだけ考える仕草をしてポンと手を打った。
「この人、北の国で開催された芸術祭の音楽部門で優勝した後、不正を冒険者に暴かれてその冒険者を殺した人だ。そっか、追放処分を受けてたんだね。」
この言葉を聞いて翁が何度か頷く。思い出したらしい。
「此奴、冒険者としてもそこそこの実力だったはずじゃな。不正を暴いたという冒険者がどうだったかは知らんが、自衛出来るだけの力はあるらしい。伊達にAランクではないということか。」
翁の言葉に細目の男も頷いて同意する。
冒険者のランクというのは、実力だけでなく信用度も関わる。つまり、冒険者ランクがAだというのは、冒険者ギルドからの信頼も厚いという事に他ならない。
確かに、ギルドに対して不正を働いた訳ではなかったかもしれない。だが、冒険者ギルドは同僚殺しを禁忌としている。
正当な理由が無ければ殺した方が追放処分を受け、二度と資格を取り戻す事は出来ない。
そういった処分を受けた冒険者を、国も守らない。
国と冒険者ギルドは癒着こそしていないものの、国防の観点で大いに助け合っている。
軍が無い街などでは、冒険者が自身の住む街を守るため戦う。
それにより領主が防衛費を節約する事ができ、その分街の経済が回ることになる。
組織として表立って助け合う事は無いが、事実互いに支え合っているのは確かだ。
その関係を壊さないために、ギルドから追放者が出ると国もその人物を指名手配する。
市民権を持っていない者も多い冒険者だが、そういった国民ではない者ならば殊更指名手配されるのが早い。
これは、国からギルドへのメッセージなのだ。
国はギルドの決定を支持しますよ、という。
そんな背景もあり、冒険者ランクAを貰っていた男は追放となりギルドからも国からも追われる身となった。
追放されたのは少し前になるようだが、追手を躱し上手く逃げたのだろう。今回の北の国の内乱に深く関わっているようだと資料に記載されていた。
「この男、風と地属性を使うとあるが…。内乱を起こす程のコネと力があるのか…?俺は闇属性の精神支配を睨んでいたのだが。」
ここで初めて眼帯の偉丈夫が口を開く。
その声は渋く低い。まるで地を這うような響きを含み、聴く者の耳ではなく心臓に直接響かせるような重低音だった。
「そこには二つの可能性があるね。まず一つは単純に、協力者に闇属性魔法の使い手がいる可能性。もう一つは、本人の得意属性の情報が間違っている可能性。闇属性魔法がもし得意なら、隠蔽をかけて冒険者登録したという線もあるから。勿論、アレウスの言うように精神支配で内乱を起こしたなら、という前提はあるけど。」
ヴェルムが真面目な顔をして言うと、この場の全員が頷く。アレウスと呼ばれた眼帯の偉丈夫は、ヴェルムの言う可能性について考え込んでいるようだ。
「まぁ、今は手段が分からんし確かめ様も無いでな。んで?ヴェルムちゃんはこの内乱、どういう結果がお望みじゃ?」
翁がそう纏め、全員の視線をヴェルムに集める。
ヴェルムはそれを受けながら腕を組んで少し考えた。
その間は誰も言葉を発する事はなく、固唾を飲んでヴェルムの言葉を待っていた。
「そうだね…。勿論、求める結果は決まってるよ。だけど、その過程をどうするか悩んでいるんだ。大筋ではなく、細々とした部分だね。先に言っておくと、このまま北の国に大陸北部を治めてもらうのが理想だ。でも、北西の小国とイェンドル領をどうするか決めかねていてね。」
そこまで言って口を閉じ、紅茶に手を伸ばすヴェルム。
とりあえずの大目標が分かったからか、隊長以外の三人は道筋について考え始めていた。
隊長たちは数日前の隊長会議でこの大目標については聞いており、既に部隊を動かしている。
南西のファンガル伯爵領から、国王に変装した団員と国王の側仕えたちと共に帰還したばかりのサイサリスも、その会議に参加していた。四番隊は現在、本格的な作戦行動前の最後の休暇を順にとっている。勿論、すぐに召集がかかっても良いように外泊は皆が自主的に取りやめている。
それどころか、休暇だというのに個人的に訓練をする者も多く、やる気に満ち溢れている。
紅茶のカップをソーサーに戻したヴェルムは、一度深く息を吸ってから吐き出す。そして徐に口を開いた。
「うん、やはり小国は残そう。西の国の性格からして、もし北の国と国境で接した場合面倒な事になりそうだ。イェンドルに関してはリクの意見を聞こうかな。どう?数日経ったけど、決めた?」
前回の隊長会議で、リクはヴェルムから聞かれていた。イェンドルの今後の進退を。
リクは少しだけ考える時間を欲したため、今日までイェンドルの事は後回しにしていたのだった。
「私はイェンドル最後の王女となる事を求めます。」
リクは隊員たちが言うところの淑女モードでハッキリと答えた。その目に迷いは無く、本心で言っている事が分かる。
ほぉ…?
翁が片眉を上げてリクを見る。顎まで伸びた眉毛に隠されて瞳は見えないが、訝しげにしているのだろう。リクの真意を探ろうとしているようにも見える。
「良いんだね?…なら、北の国の地図からイェンドルを消す事にしよう。根回しは私がするよ。」
ヴェルムの言葉に、リクは深く頷く。ガイアをはじめとする隊長たちは、そんなリクを心配そうに見ている。だが、リクはそんな隊長たちに向かって笑顔を向けた。
「皆んな、大丈夫だよ。昨日ね、イェンドルからの亡命民の集落に行ってきたんだ。そしたら、案の定国のために動く時だとかなんとか色々言われたの。私はイェンドルを復興するつもりはないって言ったら、王女としての責務を忘れたのか、国民に顔向け出来るのか、イェンドル王家の恥晒し、なんて言われちゃった。ビックリしちゃったよ。…だからね?皆んな殺しちゃった。だって、私を閉じ込めて内乱を起こしてるイェンドルに連れて行こうとしたんだもん。」
リクが語った昨日の出来事に、隊長たちは絶句した。
確かに、集落に行くとは聞いていたが、そこでそんな事が起こっていたとは知らなかったのだ。
イェンドルから亡命してきた民をグラナルドで受け入れ、集落を作る事を許可したのは国王だ。だが、その後見はドラグ騎士団となっており、更に言えば集落の者たちはグラナルドの国籍を持っていない。
つまり、国を護るためのドラグ騎士団が護る対象ではない。
リクが集落を一人で壊滅させたのは、流石に罰が無い訳ではない。
だが、ドラグ騎士団の規則にはこう書いてある。
"団員の名誉や誇りを、悪意を持って踏み躙る存在への力の行使を躊躇うべからず。"
つまり、リクを拉致監禁しようとした時点で集落は滅びる運命だった。
長だけでなく全員の命を刈り取った事への罰はあるが、それは既に実行されている。
何より、リクがその事について一つも悪いと思っていない。
リクにとっては、自分の生き方を無理矢理決めつけようとする、大して知らない他人なのだ。
王女として生きていた頃から、父である国王に嫁ぎ先を決められるのは仕方ないとしても、何故父の臣下である貴族から自分が行動を決められなければならないのか納得がいかなったリク。
そして、今現在イェンドル領の領主となっているのは、そんな王女時代にやたらとリクへ王女の心得とやらを説いてきた男なのだ。
リクにとって、イェンドルというのは故郷でもあり、牢獄でもあった。
「イェンドルに関しては姫の心が最優先だろ。姫の事を飾りかなんかだとしか認識してねぇバカ共の事は気にする事はねぇよ。」
ガイアがリクに向けて慰めるように言う。
リクは心配そうな表情をしたガイアに笑顔を向け、ありがとうガイちゃん、と言った。
「イェンドルの姫がその方針を打ち出し、ヴェルムちゃんが支持するのなら…。アレウスは北の国、儂がイェンドルになるのかの?」
「て事は、僕が小国ですかね?まぁ、鉄斎さんの応援に行くなら僕ですよねぇ。あの人怖いから苦手なんだよなぁ…。」
翁が言ってアレウスが頷く。流れで自身が向かう先が決まり、それが不服なのか細目の男がボヤいた。
「諦めろ…。俺とて北の国に向かってやらねばならん事がある。お前では不向きだろう。」
そりゃそうだけど…。と細目の男が尚も渋る。
アレウスは入室してきた時からずっと仏頂面で変わらず、翁は頭髪と眉毛と髭で顔が殆ど見えない。
唯一表情がコロコロ変わる細目の男も、瞳が見えないためどこまで本気の表情なのか判断しづらかった。
「おや、団長直属の零番隊の精鋭が、その程度の行動も渋るようになってしまったのですか。いやぁ、残念ですなぁ。どうやら、精鋭の名を返上する日が近づいているようですな。我ら特務隊と名を入れ替えますかな?」
ずっと黙ってヴェルムの後ろに控えていたセトが、堪えきれずに毒を吐く。
翁とアレウスから鋭い視線が飛ぶが、セトは無視している。
言われた本人である細目の男は少し固まっていたが、ハッと我に返ったその瞬間、会議室の中が一気に凍った。
パキンッと音を立てて凍った会議室。ヴェルムは丁度紅茶に手を伸ばそうとしていた時だったため、その先の紅茶がカチコチに凍ってしまったのを見て眉尻を下げた。
随分と悲しそうである。
「ふむ。魔力のコントロールも甘いですなぁ。主人の飲み物まで凍らせてしまうとは。これはつまり、主人へ牙を向いているのでは?仕事も嫌がる、主人に攻撃する。御二方はどちらですかな?」
アレウスと翁はセトに鋭い視線を投げていたが、そう言われてその視線を収めた。
細目の男は慌てて魔法を解除したが、一度凍った紅茶が美味しい訳もなく。
ヴェルムは残念そうにカップを眺めていた。
「ぼ、僕にそのような意図はないですよ!えぇ、文句など言わずに鉄斎さんのお手伝いに行きますとも。」
セトは零番隊の副隊長である。隊長は団長を兼任するヴェルムだが、そういう意味で言えば零番隊の実質的なトップはセトだ。
それは、仮にヴェルム直属の精鋭部隊でも同じ事。
他の零番隊とは実力もクセも隔絶した差がある精鋭部隊の三人だが、セトには敵わないようだった。
色々と問題はあったが、会議はその後も順調に進んだ。
細かい打ち合わせが終わり解散の流れとなる。
五隊の隊長たちは先に会議室を後にした。
「さて、君たちだけ残ってもらったのは、零番隊として話をしたかったからだけど。まずは三人に聞きたい事があるんだ。」
ヴェルムとセト、それから精鋭の三人だけが残った会議室。口を開いたのはヴェルムだった。
勿論、三人がヴェルムからの言葉へ返す言葉は一つ。
「なんなりと。」
翁が代表で答えると、ヴェルムはニッコリと笑った。
「君たちを呼んだのは、今回の内乱の処理に関して三人が適任だと判断したからだよ。それは理解しているよね?でもね、私は先ほど気付いたんだよ。適性があるかどうかと、本人の希望は必ずしも添わないということに。つまり、剣術の才能があるから冒険者や兵になれと言われても、本人が嫌ならパン屋でも農家でもなれるんだ。私はそんな無体を強いていたんだね。すまなかった。」
ヴェルムは神妙な面持ちでそう言って頭を下げた。セトはその後ろで苦虫を噛み潰したような表情をしている。
主人と認めた者が下の者に頭を下げている所を見るのは不快なのだろう。
三人は慌てていた。仏頂面が常のアレウスは、珍しく目を見開いてアワアワと挙動不審である。
翁は逆に目を見開いて固まっており、細目の男は顔面蒼白になってガタガタ震えている。
「我が主人。埒があきませんぞ。ご自分で引き起こしたのですから、ご自分で収拾をつけてくだされ。」
セトがボソリと言うと、ヴェルムはやっと顔を上げた。
「でもさ、何も言わないって事は事実なんだろう?私が上司だから何も言えないだけで。やっぱり私が悪いんじゃないか。頭を下げずに謝意を伝えるのは難しいね。ゴウルや歴代国王はそんな事に悩んだりしないんだろうけど。ある意味羨ましいね。」
ヴェルムはなんて事ないように言っているが、内心は悩んでいた。
どうも自身の思っていた予想と違う展開のようだ。
「貴方たちが何も言わない事で主人が困っています。貴方たちの態度で主人を困らせ、更に困らせるおつもりですかな?副隊長である私からすれば、そのような部下は必要ないのですが。他の部隊に回すか、事務官辺りに転属する事を勧めますぞ。」
セトの言葉で三人はそれぞれに言葉を返した。同時に話すものだからゴチャゴチャとしていたが、つまりは言いたい事は一つだった。
私たちが悪いのだ、団長は悪くない、と。
「すみません、元は僕が任務に文句を言ったから始まった事です。全部僕が悪いんです。組織なんですから、上の命令に言葉を挟むなど愚の骨頂でした。申し訳ありませんでした。」
「いや、違うだろう。団長の言いたい事はそうではなく、適正で我らを呼んだが、嫌な仕事を与えたかもしれぬと思い悩んでおられるのだ。確かにお前のせいだが。」
「お主もやる事が多いと文句を言っておっただろう?儂からすれば大差ないぞい?」
三者三様だったが、どうにもクセが強い。流石は精鋭だ。実力もクセも段違いのようだ。
「だからさ、今後は適性ではなく、やる気で選ぼうかと思うんだ。今回はそんな暇がないから、君たちに頼む事になる。それだけ我慢してくれるかな。やはり、効率を考えすぎるのは良くないね。良い学びを得た。ありがとう。」
ヴェルムがにこやかに言うと、三人はピタリと話を止める。セトはため息を隠しもせず、やれやれと言わんばかり目元に手を当てている。
ヴェルムが去った後の会議室に三人が残っていた。
「お主のせいでヴェルムちゃんが変な方向に考えを変えたではないか。どう責任を取るつもりじゃ?今後の任務が全て自薦式になるぞ?」
翁が細目の男を責めている。
アレウスも言葉にはしていないものの同意しているようだ。
「そ、それは悪かったと思ってますよ!でもあの場面ではまだ配置に関しては命令を受けてなかったじゃないですか。じいさんがそれこそ適性で配置を想像して言ってただけで!偶々それを僕が面倒くさがって、そしてその想像が偶々団長の想定と同じだっただけじゃないですか!」
負けじと言い返しているが、細目の男の劣勢は明らかだった。
そんな三人に、声がかけられた。
「精鋭ともあろう者たちが、見苦しいな。」
暁のリーダーだった。
「暁のか。今、儂らを侮辱したかの?」
翁が即座に臨戦体勢に入る。細目の男も、目を更に細くして暁のリーダーを見据える。
「侮辱?違うな。見たままだ。お前たちは何のために零番隊精鋭を名乗っている?己の小さな自尊心を満たすためなのか?それとも、団長に迷惑をかけるためか?少し冷静になって考えてみろ。その理由を思い出せぬなら、零番隊からではなくドラグ騎士団から出ていけ。初心を忘れる奴は要らぬ。」
暁のリーダーはそれだけ言って部屋を出て行った。
今にも斬りかかりそうな勢いでその後ろ姿を睨みつけていた翁だったが、その言葉を反芻したのか、ため息を吐いて力を抜いた。
「ふんっ。あんな小僧にドラグ騎士団の心得を説かれるとはの。儂もヤキが回ったかの。先に出るぞ。仕事をさっさと終わらせて団長に謝罪せねば。」
翁はそう言って消える。
では僕も。と言って細目の男も消えた。
アレウスは少しだけ考える素振りをした後に消えた。
「全く、手がかかる人たちですなぁ。余程アイルとカリンの方が素直で可愛いというものです。我が主人もお人が悪い。焚き付けるような事を言うだけ言って押し付けるとは。やはり引退を考えなければなりませんかの。」
誰もいなかったはずの空間から、セトの姿が現れる。何やら不穏な事を呟いた後、また消えた。