103話
「我々平民のために心を尽くし、そして騙された錬金術師殿は悪か!?否っ!真の悪は錬金術師殿を騙し、我々を騙し、己の欲求を満たさんが為甘い汁を吸っている寄生虫の如き貴族や王族ではないのかっ!西部の二国も立ち上がった!イェンドルの民も決意した!そして今日!我々は王の首を獲り、我が祖国の舵をこの手に収める!続けぇぇっ!!」
北の国で最も人口が集中するのは王都である。
その内訳は、貴族が二割、平民が六割。残る二割は市民権を得られず都の周囲にボロ屋を建て勝手に暮らしている貧民層である。
この日、北の国の平民が王都だけでなく、北の国の主要都市ほぼ全てで同時刻に蜂起した。
内乱への突入である。
お世辞にも軍隊とは言えない姿をした者たちが殆どだが、中にはしっかりと鎧兜を装着している者もいる。
そういう者は、自警団や兵として勤める者たちだ。
それから、北の国出身の冒険者の数も多い。
それ程、北の国の王族や貴族の普段の振る舞いが国民にとって悪質だったのだろう。
主要都市では領主の館に、王都では王宮に民が押し寄せた。
イェンドルの民は、現在の領主であり元イェンドル貴族の館に詰めかけた。
ドラグ騎士団のように通信魔道具などない民たちだが、何故か同日に蜂起が始まった。
これは、裏で煽動するものがいる事を示していた。
「アァ、もう止められないねぇ…。貴族の傲慢な統治とも呼べないような支配に、民たちの怨嗟の声が響き渡る…。そしてそれは血と涙を大量に流すのサッ!…悲鳴と怒声と絶叫はッ!いつしか国全体を巻き込み巨大なうねりとなるんダヨ!最後にはそれらが合わさり阿鼻叫喚という名の最高のハーモニーを生み出す!………アァ……。ボクはなんて幸せなんだ…!人の叫びと獣の咆哮が、混じり合って壮大な音楽を生む!国というオーケストラを指揮するボクは、歴史に名を残すんだ!待ちきれない…。待ちきれないヨッ!」
シルクの燕尾服を身に纏う痩せた長身の男が、両手を広げ叫ぶ。
彼が立つ丘からは、平民がゾロゾロと王宮へ向かう姿が見えた。
男は右手にタクトを持ち、まるでオーケストラを指揮するかのようにリズムを刻む。時折そのリズムが拍子を変える。
男の脳内には、変拍子の音楽が鳴り続いているようだ。
そんな不審な行動をとる男から少しだけ離れた木陰に、二人の男女が立ち、小声で話をしていた。
「本当に大丈夫なのか…?ありゃ、ただの変態だろうよ。依頼を受けた以上仕事はするがよ…。俺ぁ心配でしょうがないぜ。」
「何言ってるんだい。アンタもアタイも、受けた仕事を放り出すようじゃこの世界で食っていけないのはよく知ってるだろう?さっさと諦めな。変態だが金払いは良いんだ。ギルドがアタイたちを推薦した理由を考えなよ。」
「分かってる。分かってるけどよぉ…。ギルドが俺らを切り捨てたんじゃないかって不安になる気持ち、お前なら分かってくれるだろ…?」
男女の体格は、ハッキリ言って親子程に違う。女性が小さいのではない。男が大きいのだ。
獣人族である男の種族は、象人族と呼ばれる身体の大きな種族。身長は二メートルを越え、横幅も大きい。顔の横には、風に靡く大きな耳がある。
対して女は子どもかと見間違えるほど小さい。種族は小人族。妖精族と呼ばれる種族の一つだ。
身長は百三十センチほど。それでいてスリムなため、更に小さく見える。
身体のサイズに対し態度や度胸は反比例しているようで、巨体の男は実際のサイズより小さく見え、女は身長より大きく見える。…気がする。
二人は謎の変態、いや、指揮者の行動を見ながら次の動きがあるまで小声で話しつつ待っているようだった。
「アァ、一楽章が終わる…。さぁ、譜を捲って二楽章ダッ!一楽章は雄大な前奏曲。果たして二楽章は…?演奏者の諸君、ボクの作曲した通りに奏でておくれよ?勝手な編曲は禁止サッ!」
どうやら、男の中で鳴り続ける音楽は交響曲のようである。
つまり、少なくとも四楽章まで演奏が続く。物によっては五楽章まで続く物もあるが、凸凹コンビの二人はその事を知っているのであろうか。
因みに、一楽章だけで数時間かかっている。
ドラグ騎士団本部本館会議室。
数日前の隊長会議でも使用されたこの会議室に、その時と同じく各隊の隊長が集まっていた。
それぞれ自分の椅子に座る隊長たちの表情は厳しく、目の前の机に置かれた資料を睨むように見ている。
誰も話さない中、妙な緊張感だけが会議室を支配していた。
普段はニコニコしていて場を和ませるリクですら、今は真剣な表情で資料を捲っている。
スタークやサイも同じく資料を捲っており、アズは既に読み終えたのか何度も最初から読み返している。
逆に、ガイアは資料の中ほどのページを開いたまま、そのページを睨みつけるように腕を組んで見ている。
そのページには、一人の男の情報が載っていた。
冒険者ランクA
登録支部 ムジク支部
所持属性 風 地
使用武器 魔法杖
登録名 ヨハン・ケイジ
二つ名 "コンダクター"
備考 冒険者殺しによりギルドから除名
資格、ランク共に剥奪し国から追放済み
大まかな情報と、その男の精巧な似顔絵も載っている。
その顔は、象人族と小人族の凸凹男女が変態と称した男とよく似ていた。
緊張した雰囲気の中、リクとスタークが同時に顔を後方の扉に向けた。やや遅れて残る三人も扉を見る。
それから数秒して、ゆっくりと扉が開いた。
入って来たのは、三人の男だった。
一人は眼帯を着けた偉丈夫。長い白髪を後頭部で纏めており、口元は白い髭に覆われている。
二人目はクルクルと巻かれた天然パーマの緑髪がボサボサと散らかっている、目も身体も細い男。欠伸をしながら背筋を丸めて歩く姿は、とても不健康そうに見える。
三人目は腰が曲がった杖をついている翁。長い眉毛と髭で顔の殆どが見えず、パサついた長い白髪を纏めもせずにそのままにしている。
そんな異様な見た目の三人が現れると、隊長五人は即座に立ち上がって敬礼で迎えた。
それを見た眼帯の偉丈夫は、その筋骨隆々な肉体で見事な返礼を返す。
細目の男は苦笑いを返し、翁に至っては顔が見えないため表情も分からない。分かるのは、杖を持っていない手で長い顎髭を扱いている事だけだ。
「ホホホ。敬礼なんぞ要らん要らん。儂等は同僚で家族、じゃろ?隊も違う。儂等の事は久方振りに会う親戚とでも思っておけばよいぞ。」
三人を代表して翁が口を開いた。口調は好々爺然とした優しげな翁そのものだが、纏う雰囲気は三人とも別格だった。
その言葉を額面通りに受け取る程、隊長たちは子どもではない。
言っている事は間違いではないのだが、言葉通りに接するなどできる由もなかった。
その理由は、ガイアの口から飛び出した。
「団長から、本日の会議には"ゲスト"を呼んでいる、と伺っておりました。まさか御三方だとは。大変ご無沙汰しております。一番隊隊長、ガイア・ランフォードと申します。前回お会いしたのは数十年前でしたでしょうか。」
普段から零番隊相手でも気楽な態度をとるガイアがここまで丁寧に接する相手という事。それが今のところ全てである。
だが、十分な情報だろう。
ガイアの自己紹介に続き、アズ、リク、サイ、スタークの順で自己紹介をしていく。
眼帯の偉丈夫は一人一人に頷いて返し、細目の男はそれぞれにペコリと頭を下げ、翁は片手を挙げて返した。
「おぉ、ランフォードの小僧か。ホホホ。覚えておるぞ?訓練所の一画を焦がした小僧じゃろう?それに、花の街の美姫にイェンドルの姫か。そこの水の坊主は、北方から来たんじゃったかの?地のはゆいな嬢の弟子だったか。」
翁が一人一人の顔を見て言う。そして言うだけ言った後、三人のために準備されていた椅子に腰掛けた。
今は副隊長も副官もいないため、アズが直ぐに動いて三人に茶を出す。
三人はアズへ礼を言った。それにアズは頭を下げ、静かに己の席へと戻る。
ズズズ、と茶を啜る音がした後、翁の口から、美味いのぉ…、と声が漏れる。
その声を聞きアズの目尻に皺が寄った。
「あれ?ホントだ。本部はいつからこんな美味しいお茶が出るようになったんだい?これが飲めるならもっと帰ってこようかな。」
細目の男も翁に同意し、眼帯の偉丈夫も頷く事で同意した。
「ホホホ。ヴェルムちゃんが淹れる茶に似た味じゃよ。水の坊主はヴェルムちゃんの茶飲み友達かの?」
翁の表情は一切見えないが、喜んでいる事は分かる。先ほどまでの緊張感も今は霧散していた。
「お口に合いましたようで何よりです。団長と共にブレンドなども致しますが、僕に料理の基礎から教えてくださったのは料理長です。師匠、と呼ばせて頂いています。」
アズが翁へと答えると、ホホホ、と笑いながら何度も頷く翁。
すると細目の男が驚いたように片眉を上げた。しかしそれでも瞳は見えない。
「へぇ!あの料理長が弟子をとるなんて。余程君の腕に惚れ込んだんだねぇ。それはそれは、いつかその腕を振るった食事を頂きたいね!」
そうして隊長たちと"ゲスト"三人がのんびり茶と会話を楽しむ。
女性二人も最初は緊張からか、少しだけ固かったものの。ほんわかした翁と少しひょうきんな細目の男により次第に口数も増えた。
とは言っても、翁と細目の男からの質問に隊長たちが答えていく形ではあったが。
「ごめんごめん、遅くなったね。」
三人の登場から数分後。ヴェルムが会議室の扉を開けて入ってくる。扉を開けたのはセトだ。
ヴェルムの後を静かに着いてくる。アイルはいないようだった。
ヴェルムの入室時には、隊長五人と"ゲスト"三人は立ち上がって最敬礼で出迎える。
ヴェルムは申し訳なさそうな表情をして謝りながら入って来た。
「ヴェルムちゃんや。遅れたのじゃから何か土産があるんじゃろうな?」
翁が揶揄うような声色で言った。ヴェルムはそれに、もちろんさ。と明るく返した。
眼帯の偉丈夫がそんな翁に責めるような視線を向けるが、翁は完全に無視を決め込んでいた。
「さぁ、私のせいで少し時間が押しているね。早速だけど会議を始めようか。」
ヴェルムが座る席を上座とし、そこから真っ直ぐに伸びる机。隊長たちは三人と二人に、ヴェルムから見て左右に分かれている。"ゲスト"の三人も一人と二人に分かれ、隊長の三人側に一人、二人側に二人が並んで座る。四対四で対面するような並びとなった。
「今回君たちを呼んだのは、頼みたいことがあったから。ついでに本部の皆んなにも顔を見せてあげてほしくてね。直接現地に行くならその前に寄ってもらおうと思ってね。さて。早速本題だけど。」
隊長と"ゲスト"。そして団長の会議が始まる。