第六話 招待状
その包みを渡すと、ミアは丁寧に受け止めた。
日々の作業で節くれだった自分の手とちがい、彼女のそれはまごうことなき、本物のお嬢様の手だ。
また、セナの心にどこか諦観めいたものが、見え隠れして消えた。
ミアは顔を寄せるように言い、包みを開けて取り出した仮面を、セナの顔に当てはめる。
二人の髪色である銀に考慮したのか、黒いその仮面は、顔の上半分だけを覆うものだった。
「似合わない?」と茶化すようにミアは親友に問う。
窓ガラスに薄っすらと見える自分を見て、セナは悪くない、と思った。
「あなたは本当に、私にとっての天使だから。この異国で過ごした辛い時期を、ともに分かち合ってくれた親友だから。感謝しているの」
「さっきの言葉も忘れて? それでなに、この仮面をつけて私に何かをさせたい、と?」
「その前にお茶に付き合ってくれない?」
「いいけれど」
壁に掛けられた置時計を確認する。
もう時間は、残り、二十分を切っていた。
「紅茶の類いは先に注文を出したの。サービスが置いていったから」
「それなら、まあ。いいわ」
紅茶セットを持って来て一から用意するとなるとそれなりに時間がかかるものだ。
しかしあらかじめ用意されているとなれば、それはまた別の話になる。
ただお茶を淹れ、香りと味を楽しみながら、お菓子とお供に話に華を咲かせればいいのだから。
十五分くらいなら、と短く条件を告げ、セナはミアと自分、二人分の紅茶をポットからカップに注いだ。
九時間の長時間労働は、精神を酷使する。
おまけにあのバルドのせいで、それは最高の域にまで達していた。
一服するのは気持ちがよい。
心がやすらぐ瞬間だ。
「明後日の夜に仮面舞踏会があるの」
「そんなに近い日付けだった?」
場の雰囲気を見計らってミアは話を切り出した。
胸のポケットにしまい込んだホテルの月間スケジュール表を取り出して、セナはそれを確認する。
タイムテーブルを見ていくと、明後日の土曜日の夜、十六時からパーティーは始まるようだ。
「あなたの言う通り確かにそうなってるわ。ホテル全体がなんだか華やいだ空気に満ちているから、従業員でもわかりやすい。忙しくなるなっていう合図だと思っちゃうけどね」
「ふふ。すぐに仕事に直結させるのは、セナらしい考えね」
ホテルのオーナーは二人の故郷、帝国の皇帝の弟だ。
ビジネスに秀でた彼は、世界のリゾート地にホテル・ギャザリックを展開している。
外国人であるセナが、この異国の地で、このホテルに勤めていられるのも、その辺りにつながりがあった。
そんな情報と同時に思い浮かぶのがこの国の王太子殿下の話だ。
噂では、王太子妃補を探す、婚活パーティーなのだとか
自分のような女には、もっとも縁のない場所だと、セナは高をくくっていた。
「王太子ロバート殿下のことはご存知?」
「有名人だもの。知らないはずはないわ」
紅茶と砂糖菓子を頬張りながら、ミアは訊いてくる。
思いのほか、食欲があるようだ。
これなら明日の昼は、テラスの席でいっしょに食事をできるかもしれない、と思いつつ、セナは応えた。
「このホテルにだって、よくいらっしゃるでしょう? お見かけしたりすることはない?」
「……遠くから二度か、三度ほと。お仲間の男性たちやはお嬢様達と、遊びに来たことはあると思う」
「それは深夜に?」
「プライベートだからいえない。でも、十数人に近い、大人の男女数組がスイートホームでやることなんていったら、たかだか知れている」
「どんなふうに?」
「みんなお酒を飲んでプールに入りワインを開けて、どこまでも自分を失うまで酔っ払ってしまうの。それから親しいカップルはベッドに入るだろうし、でも、違法な薬物とかそういったものはあんまりないわね。あと男女の仲になるカップルは少ないと思う……と耳にしたことはある」
「どうして? 私の大学では、できちゃった結婚がこの前にあったばかりよ」
「それは大学だから、そうなるんじゃない? ここに集まる人々は、普段は公務についている責任ある立場の男性ばかりだもの。スキャンダルを最も嫌う人種が集まっているの」
「じゃあ同伴する女性達っていうのは?」
「肉体関係まではいかない、男性とお酒を飲む時間を提供するお仕事をしている、夜の女性達ではないかしら?」
「なるほど」
実際は違う。
ホテルはそういった肉体を商品として春を売る女性達を、業者と提携して斡旋することも少なくない、
この国では売春は違法じゃないし、規定の料金を支払うことができれば、互いにトラブルなんて起こらない。
だけど、殿下たちは王族関係者だ。
そんな人間が、売春婦と交わりを持って、子供が産まれたとなったら、世間は大騒ぎするだろう。
ロバート殿下はそこまで愚かではない。
ホテルのロビーや、たまに新聞の紙面をにぎわせる彼の政治的行動は、いまの女王体制を指示するものだ。
実際、ロバートとそういった情事に発展した女性が、別れる別れないなどのトラブルで、スキャンダルをマスコミにぶちまけた、なんて話は聞いたことがない。
それだけ、殿下は清廉なのだろう。どこまで本当かは分からないが。
「一晩の情事なんて発覚したら、子供が産まれる前に、母娘ともどもあの世に、送られてしまうわよ」
「セナ。そういう怖い話はやめてちょうだい」
ミアは指先を立ててそういう言った。
彼女は彼女で、帝国に戻り、宮廷に奉仕することになる。
そこでは見たくもないくらいどす黒い、政治の闇が待っていることだろう。
親友の前途も多難だな、心で鼓舞しつつ、セナはロバートについて考えてみた。