第五十三話 不機嫌な殿下
挨拶もそこそこに、ロアッソは話しのあらましを粗方、皇弟ディノッソに喋り終えた。
魔導具の向こう側にいるのが声だけが似ている誰かなのか、それとも本人なのかの判別が定かではない、とロバートは確認の意味を込めて、ディノッソに幾つか質問をする。
それはかつての敵国とはいえ、いまは政治的にも良好な関係が続いている、両国の代表者同士が集まる席で交わした話題ばかりだったためか、ディノッソは難色を示した。
「そんな公式の場での発言、誰にでも分かるだろう。俺が王国のホテルギャザリックに滞在していた時に、隣のスイートルームを占拠したガキどもがいた。したたかに酔っている連中を、拳で黙らせたものだ。アレクセイ、おまえは俺の一撃を腹に喰らってバスルームに逃げ込んだな? 殿下、そっちは――」
「……もういい。左頬だ。精霊が守ってくれなければ、歯の二、三本は折れていたことだろう」
「そういうことだ。思い出したか、悪ガキども。お前らのしでかした不始末が、今度は国を揺るがす大問題になろうとしている。ばかばかしい話だが、ひとつ褒めてやらなきゃならんこともある。それが解決策になるとは、な」
「解決策?」
老獪な紳士の言葉に、一同は顔を傾けた。
いま彼が発した言葉のどこに、問題を解決に導くようなことが含まれているだろうか。
「あなたがおっしゃる解決策とはよくわからないが。俺は望まれると望まれないと、あの子の父親だ。まだ妻ではないが、セナとディーノが望むようにしてやりたいと思ってる」
「本心からそんなことも言ってるのか? このまま王国に連れ去って宮殿の中に幽閉して、新しい王妃と新しい王子にして、お前はそのまま王位を継承すればいいではないか」
「それこそ国際問題だ。僕はまだ……身勝手ながら婚約している」
「そこだよ殿下。六年前にもっと有効な婚約をしているだろう」
有効?
そう言われて思い当たるのは、指を彩るルビーの指輪だ。確かにそうだ。
言われてみれば確かに、あの夜、愛の代わりとして彼女と指輪の交換をした。
しかしあれは、いわば広告の恋人同士がするお遊びのような側面も含んでいる。
それを前面に押し出して、正しい婚約だったと言えるものなのか。
ロバートは逡巡した。
「それほどの意味を持つかどうか分からないと、言いたいのだろう? ロアッソ、教えてやれ。帝国式の指輪の交換の意味をな」
「俺かよ……。平民同士ならいざ知らず、身分のある人間が身分の下の人間に対して、もしくは身分のある貴族同士が、指輪交換するってことは……冗談やいたずらじゃ済まされない。十分に法的な効力を持ってる」
だったよな、とミアの方を振り向く彼と片手を絡ませたミアの手には、それぞれリングのサイズは違うが、同じデザインの指輪が嵌まっていた。
恋人同士の惚気はもういい。
ロバートは指輪を交換したあの時のことを、静かに思い出す。
指輪を交換する前、セナは高度な神聖魔法を使って見せた。
あの時点で気がつくべきだったのだ、単なる帝国貴族の令嬢ではなかったのだ、と。
「さて……そういう話だから、セナとロバートはいまから六年前に婚約し、おまけに子供まで生まれていることになる。父親が妻と息子の面倒を見ることは当たり前だ。世間を騒がせるようなら、さっさと帝国から追い出してやろうかと思っていたが、まあそれは大目に見よう。重要な証言も飛び出した。神聖魔法だ」
「……それはどうして重要なんだ」
「お前たち精霊の加護を受けている王室の人間から見ても、高度な回復魔術だったとわかる代物だったのだろう? それほどの腕を持つ魔法使いなら、帝国のなかで注目されないわけがない。ところが彼女はなんの注目もされないどころか、元の戸籍すら失っているときた。しかし神聖魔法は使える。これには王国の王太子が証言者となった。失踪した人間と深い関係性を持つ公爵令嬢が、王国のリゾート地で本人と出会ったと証言している。これも重要な証言だ。さらにこのわしが、ロアッソの家を訪れて身近に感じた。女神様の存在を、その御意思によって守られているあの家族のことも」
証言というものは、社会的に立場のある人物が発言することで、更に重要性を増す。
セナは十四歳で失踪し、料理店で命を救われ、王国で身分を得て働き、ミアと再会することで世間にまだ生きていることを示し、ロバートとかりそめの婚約をすることで、王国の王族に近しい立場を得た。
皇弟ディノッソはそれらの事実を列挙していく。
「はっきり言ってロバートがまだ彼女を愛しているだの、やり直したいだのと世迷言を抜かすようなら、即、帝国から退去させるつもりだった。しかし出てきた言葉は家族を思いやる言葉だ。自分を捨てて他人のために生きるなんて王族は、まあ珍しい。枚挙にいとまがない。そんなバカに借りを作っておくのも面白い」
「バカとは失礼な……」
「アレックス、お前は黙ってろ。ホテル・ギャザリック王国支店の売上が下がっている。こんな場所にいるべきではないはずだ。あとから話がある」
「ぐっ……」
ロバートの懐刀は敢え無く口を封じられた。




