第四話 親友
「すいません。でも、あれは私のせいじゃないし。あの二人にちゃんと言ってください!」
「まだ、足りないらしいな? 言葉がうまく伝わらないなら、こうするしかないか、ええ?」
バルドはセナが後にまとめている銀髪をいきなり鷲づかみにすると、いきおいのまま、床に引きずり倒した。
そして、背中を体重をかけて何度も踏みつけては、暴言を吐く。
無能、外国人、仕事ができないクソ野郎。
そんなきたない言葉が、耳の奥にしみ込んでいく。
バルドに対する恐怖感で、セナは思わず頭を抱えて、身体をまるめ、その暴力が過ぎ去るのをただ待つしかできなかった。
「ゆるして、ごめん、ごめんなさい!」
「はっ! 役立たずの帝国のゴミが! お前らなんかさっさと帝国に帰ればいいんだよ!」
容赦ない蹴りが顔面に飛んできた。
セナは鼻先を蹴られ、鼻血がでて息苦しさに襲われながら、鉄の味を覚えた。
頭の奥が鈍くジーンっと鳴る。
そうしているうちに、バルドの気は晴れたのか、数回背を蹴りつけると、どこかに行ってしまった。
一昨日は、履いているブーツの底で蹴られてしまい、全身に青あざができてしまった。
昨日は顔を殴られ、働きが悪いと言い、近くにあったほうきで、なんどもなんども背中を殴打した。
上司の暴力が過ぎ去ったのを確認して、セナは持っていたハンカチで顔を拭いた。
鉄色の血がじんわりと白いそれを染めていく。
「女神ラフィネ、どうか癒しを……」
この職場に雇われてから誰かに話したことのない秘密をセナは人に見られないようにして、魔法を使った。
医務室で受けられる治癒魔法よりも、効果のある神聖魔法が彼女の全身を癒していく。
ついでに疲れも癒されてしまい、心まで回復してしまった。
「こんないじめに負けてなるもんですか」
セナはまだ負けない、とこぶしを握り締める。
ロッカールームに入り、血を拭ってから化粧をやり直した。
バーは夜の仕事だ。
それなりに濃いメイクが必要となる。
膝上の黒いタイトスカートはワンピースになっていて、腰の部分にリボンがついており、それでサイズを調節できるようになっていた。
清掃業務では履くことのない黒のストッキングとガーターベルトを装着し、ここ数年は使うことに縁がなかった踵の高いパンプスに足を通す。
ゴムでまとめていただけの銀髪をおろしてから、再び、左肩のあたりでひとつにまとめた。
櫛を通してやる時間が惜しいので、仕事でも使う清浄魔法を利用して、ついてしまった毛先の癖だけを丁寧に直していく。
それだけで、壁に用意された鏡に映る人物は先程とは別人の、スタイルのよい貴族の令嬢風になった。
バーの制服は胸元が強調されているデザインなのがすこしばかり気になるが、それ以外は、上流階級のお嬢様が着てもおかしくない素材で作られていた。
着心地のよいそれに、かつての生活を思い出し、苦笑を漏らす。
四年前。
十四歳まで、セナは帝国貴族だったのだ。
もっとも親しいはずの者たちにうばわれてしまい、いまは没落の度合いもすさまじく、他国に移民として逃げないといけないほどだった。
「でも、ここには自由があるから――頑張ろう」
夢の一軒家を買うためにはまだまだ頭金の貯蓄が必要だった。
清掃をおこなう作業員から、夜の蝶に変じたセナはロッカールームを出ると、そのまま従業員用の階段を使い、上の階へと移動する。
そこはさきほどまで彼女が掃除を担当していたスイートルームの中でも、もっとも上等な部類にあたる客が利用する階だった。
いちばん東側にある部屋のひとつへと移動すると、ノックをしてから、マスターキーを差し込んで鍵を開け、中に足を踏み入れた。
「ミア? 調子はどう?」
セナは四年ぶりに再会する幼なじみに声をかけた。
豪華なスイートルームは足を踏み入れるだけでも遠慮が先立ちそうだが、かまわずセナは奥へと入っていく。
親友は奥のベッドルームで、彼女に頼まれてセナが購入してきた、王国の雑誌に目を落としていた。
セナの声に顔を上げ、ミアはまだ元気がでない様子で、ささやかに微笑んだ。
「調子はどう? もうちょっと早く来たかったんだけど、どうしてもシフトの都合でこうなってしまって。ごめんなさい」
「いいの……。こちらこそごめんね、私はこんなふうになっちゃったから、あなたの休み時間を私のために使わせてしまってる」
「いいの」
セナはさきほどのバルドとの一件を忘れようとして、逆に精一杯の笑顔を見せる。
親友のようすがどこかおかしいことに、ミアは首をかしげて見せた。
その鉛色の長髪が、ベッドの上で上半身だけを起こしている彼女の胸元に、はらりと落ちる。
ミアのそれとセナはよく似ていた。
髪の色はミアの方が黒が混じっているが、瞳の色はほぼ同じような青さを持っていた。
身長も、体格も、容姿すらも似ていて、生まれた帝国ではよく双子か? などと言われたものだ。
それはそのはずで、ミアはセナと祖先を同じくする、公爵家の娘なのだから。
当然のことと言えば、当たり前のことだった。