第三十九話 父と息子
息子の姿を目にして、セナの心はさらに跳ね上がった。
部屋に戻りなさい、そんな一言が意図せずに強い口調となって、出てしまった。
それまで不安そうにしていたディーノは、普段、めったなことで言葉を荒げない彼女の態度に異変を感じたらしい。
父親譲りの気の強さが、彼の真紅の瞳に、ぎらりと光るなにかを宿らせた。
「ママ。その人たちは誰なの」
「いいから戻りなさい。お客よ」
「戻らないよ」
王国や帝国を含め、子供は親の言うことに従うものだ。
成人と認められてもおかしくない十六歳を越えているならばともかく、たった六歳の子供が、しかも人前で母親に逆らうなんてことは、常識から考えても許されないことだった。
ディーノの負けん気の強さに、セナはこんな時まで私を困らせないで、と腰に手を当てて、目を細める。
息子は自分のおこないの悪さに罪悪感を覚えながら、目を逸らした。
「お客様の前ですよ、ディーノ」
「……ごめんなさい、ママ」
なんだか怖いよ、と言われてセナは玄関の扉に嵌めこまれたガラスに映る自分を透かし見て、はっと表情を緩める。
そこに見えた自分は、イメージにあるような強く勇ましいそんな母親ではなくて、怒りと嫉妬を宿した見知らぬ誰かだった。
ディーノが心配そうに声を上げるのも、無理はない。
母親がこんなひどい顔をして叫んでいるのだから、子供としては不安でたまらないだろう。
自分もまた自分たち家族を理由にして、六年間、さまざまなことがありその都度、自分を愛しているなら探してくれるはず、とどこかで期待していた事実を思い知る。
息子に会わせないという大義名分を盾にして、ロバートの前から消えたことに対する罪悪感をずっと宿しながら後悔してきたことや、これまでたくさんの苦しみを与えた彼に対して、身勝手ながら理不尽な怒りを頭の片隅に住まわせてきたのだ。
自分もロバートと同じではないか。
彼の方が謝罪をし、おまけにどんな条件でも受け入れると言っているのに。
セナはディーノが黙るのを横目に、振り返ってロバートの方を見た。
隣にいるアレックスはもう役目は終わったとばかりに黙って、二人のやりとりを見守ってくれている。
今までの話の流れから、なし崩し的に父親と息子の再会を拒絶して、強い勢いで扉を閉めても彼らは黙って帰るような気がした。
だがそれはもしかしたら、これから先に二度と、父子の対面をさせる機会を与えないかもしれない。
いま自分が彼ら二人の分かれ道を選ぶ権利を握っているのだ。
ロバートは息子のほうを見て初めて出会う小さな暴君に、強い共感を覚えた。
それは懐かしさとか、父性とかいうものではなく、幼い頃の自分を彼の中に見出したからだ。
あんなころが俺にもあったのだ。
そして母親をさんざん困らせてしまい、親孝行すらまともにできていない。
戦争で父親を失ったロバートの母親にとって、息子の存在はかけがえのない心の支えだったろう。
彼女の苦しみを顧みることなくわがままに自分勝手に生きてきたそんな過去を、初めて心の底から申し訳ないことをしたとロバートは実感して、口の中で聞こえない音とともに、母親への謝罪を述べた。
それはセナに対しても、ほったらかしにしてきた息子に対しても、同様のものをロバートに覚えさせた。
王太子としての義務や責任など、この二人の前では、なんてちっぽけなものか。
それよりもまずやらなければならないことがある。
望まれる望まれないに関わらず、たとえ距離をおいたままだとしても、父親としてなっていたかもしれない架空の夫として、真摯な姿勢で向き合うことがなによりも優先される。
セナがもしこれ以上の関係を拒絶するなら、言葉だけではなく、態度でも行動する必要があった。
女王陛下には、二人は流行り病で亡くなった、とでも報告してもいい。
新しく妻をめとるのではなく、王の座に就いたとしても、その権力を使い最大限に二人を遠くから庇護する必要がある。そんなことが無意識のうちにロバートに示唆を与えた。
「彼が、そうなのか」
「……ええ、そうよ。だから――」
だからもう、何なのか。
感情に任せたままに再度の拒絶の言葉が、口の端に漏れそうになる。
ロバートこのまま帰らせて、ディーノが彼を、母親を悲しませた悪いやつだと、そんな憎しみを覚えさせたまま誤解を解かずに終わらせていいものか。
外見だけでなく自分にとっては天使のような息子が、そんな醜い感情を抱くことに、母親として強い拒否感を覚えてしまう。
子供にまでそんな悪影響を与えている自分達は、本当に罪深い人間だと、セナは感じていた。
「ディーノ。お客様にご挨拶なさい」
「はい、ママ」
呼ばれて息子はむすっとしたままで、ロバートの前と歩み出る。
寝間着のまま人前に出ることに気恥ずかしさを覚えるのか、まだ人見知りをする年齢なのか、瞳をとまどいに震わせながら、ディーノはロバートを見上げて驚いていた。
「こんばんは。おじさん……僕と同じ髪と目の色」
「そんなに珍しいものじゃないよ。いつかもっと多くの同じような人びとに、出会う日がきっとくる。こんばんは、ロバートだ、よろしくな?」
名前は? と知っているにもかかわらず、ロバートは初対面する息子に質問する。
君の父親だよと名乗り出たい気分で胸が張り裂けそうだったが、向こうに控えるセナがそのことを望んでいないのは明らかだった。
母親を急に訪ねてきた他人たち。
今はそれもいいと思った。
いつかきっと息子に父親だよと名乗れる日が、神によって与えられるだろう。
その奇跡を信じて、いまはまだ待つことにした。
「ディーノ。ディーノ・ローエングリン……ロバート」
「正式な名乗りを上げてくるのか。俺は、ロバート・グリザイア」
「グリザイア」
ディーノはその珍しい名前を知っていた。
隣にある王国の名前だ。そこの王族たちは国名を名字として名乗ることも知っていた。
学校の歴史の授業で習ったから。
ついでに今は情報が簡単にわかる時代だ。
魔導テレビや小難しい文字がならぶ新聞などで、ロバートによく似た誰かを見ているとディーノは不思議そうに顔を傾げた。
「ママの友達?」
「そういうことになるのかな。こっちのアレックスは君のお母さんの仕事仲間だよ」
「そうなんだ? ホテルの」
お仕事の話で不思議な二人の大人たちはやってきたのかもしれない。
一緒に住んでいるロアッソおじさんも、セナもディーノに職場の話はあまりしなかった。
どんな仕事をしているのと彼が訊いても、誰かのためになる仕事よ、としか教えてもらっていない。
自分の知らない母親の姿を知っている彼らに、ディーノは強く興味を覚えた。




