第二話 女王の願い
「その美しい女性をお前はどうしたの」
「誘いました」
「呆れた。もう少し恥じらいを持って言葉を選びなさい。お前は王太子なのだから」
「いえ、しかし。それぐらい俺は彼女のことを」
「気に入ったのね。分かったわ、でもその彼女が今どうしてそこにいないの? お前の隣に」
「それは……」
あの時の翌朝。
王太子の部屋で一夜を過ごした彼女は、彼が書斎に顔をだした短い合間に、消えてしまったのだ。
ドレスと靴と、身につけていた宝石類も、何も残ってなかった。
ただ一つ。
彼が愛を囁いたとき、「それを信じるために証拠が欲しい」とねだられて、二人はそれぞれ指輪を交換した。
貴族ならば両方の指を彩るための指輪をつけることは当たり前の習慣だった。
あいにくと彼女がつけていた指輪は彼の指には嵌まらなかったが、ロバートの贈った指輪は、彼女の薬指を飾った。
そして写真の少年は、じっくりと見なければわからないが、その指先にロバートの指輪をつけている。
言い逃れができない。
「彼女が翌朝消えてしまいました。その名前をリストから探させようとしたが、なかったのです」
「……魔法のように掻き消えた? 詐欺でもあったということ?」
「一年近く、彼女のことを探しました。しかし、見つからなかった。僕は、あれは凄腕の詐欺師に引っ掛かったのだと、そう思うことにした」
「けれど彼女はなにを盗んでいったの?」
「いえ、それは――」
指輪以外。
あの夜の素晴らしい時間以外。
彼女はなにも盗んでいかなかった。
ただ、ロバートの心が酷く傷つけられただけだ。
それまでどんな女性にも断られたことがなかったという彼の自尊心が傷つけられた。
ただそれだけ。
「ホテルの舞踏会に、招待客でもない人間が勝手にはいりこむことは……」
「ああ、そういうことね。それならば確かに詐欺だわね。でもそれはホテル側の問題であって、お前が口にすることではないわ」
「はい……」
まあとにかく、と言い女王はロバートの耳元から顔を放した。
そして、侍従に向かい、腕を伸ばす。
用意されていた書類がロバートの手の中に、渡された。
「最低で調べておけるものは調べておきました。いいこと? 無理やりはダメよ。あなたは六年間もの間、子供の養育を放棄したんだから」
「いや、それは――僕は知らなかった」
「それは男性にとって、都合のよい言い訳です。今回は他のどんな誰にも責任をかぶせることは、許さないわよ」
「……」
「これまでは大目に見てきました。お前の代わりに、罪を償ってくれた忠臣には、私からそれなりに詫びと、復職をかなえてきた。罪も免除してね。お前は、たぶん知らなかっただろうけれど!」
「はっ……申し訳、ございません。陛下」
「こんなときだけちゃんとしたって駄目よ。そんなことよりも彼女ときちんと話をしてきなさい。彼女が望むのであれば、王国で。王宮で。ともに家族として暮らしましょう」
「ですが陛下。僕にはすでに婚約者が!」
「帝国の公爵令嬢ね」
「そうです。アーバンクル公爵家レイナ様が」
さてどうしたものかしら。と、女王は言い、執事の手を借りて、ゆっくりと数段の階段を登り、玉座へと座り直す。
王国に政治にはいまだ確固たる影響力を持つ彼女だが、寄る年波には勝てない。
ロバートの父親を、二十年前に終わった帝国との戦争で失ってから、ずっと女王として君臨し続けて来たのだ。
だが、その権勢にもそろそろ翳りが見え始めていた。
「だから言っているでしょう。お相手の女性と、その子が望むのであれば、王宮でともに暮らそうと。嫌だというのであれば、私があちらに会いに行きたいだけ」
「王位継承権などは?」
女王はやれやれと、首を横に振った。
王太子は理解しているようで、視野が狭い。
いま、帝国の皇室につながる良縁を破談にすれば、それこそ戦争の火種になりかねない。
「お前はそんなことを考えなくていいの。その子は血筋的に、ずいぶんと遠い関係になるわ。そこに継承権を与えれば、国内外の貴族から不満の声がでます」
「ですが、隠し子がいたということは、すぐにスキャンダルとなるでしょうし……」
相手としても、帝国に居づらくなるかもしれない。
そこまで考えてロバートは女王の意図を察した。
彼女は本当は、帝国の血を王室に入れたくないのだ。
だから、帝国の人間ではあっても、帝室にはつながらないはずの、いきなり現れたこのひ孫を……いずれは、王位に就かせたい。
もしくは、自分がそれを継承し、息子だというこの子に。
写真の子に、受け継がせることになる。そういうことだろうと大体は察した。
「それでは早急に」
「急がなくていい」
「はあ?」
「急げばそれだけ、その母子が不幸になります。まだ六歳、幼いわ。こちらに迎えるなら、学院に通う十二歳からでも構わない」
「猶予期間、ですか」
「そうね。お前は王に、婚約者は王妃に。その後に迎えなければ、いろいろと面倒だわ」
女の恨みというものは恐ろしいものよ。
そう呟くように言うと、女王は命じた。
「今はまずお前と愛を語ったその女性とその子供に、父親としてきちんとした態度を取ってらっしゃい。それが出来ないのなら、王の資格はないかもしれない」
「おばあ様!」
「嘘よ。でも家の事情は抜きとして。私はその子に会ってみたい。そう伝えてくれるかしら」
「かしこまりました」
もし彼女が、王国にくることを拒んだとき、自分はどうすればいいのだろう。
この任務に失敗したら、確実に王太子の座を奪われることになる。
ロバートの脳裏には、透き通ったガラスのような青い瞳と、絹のように一切の混じり気がないシルバーブロンドを美しく結い上げた、あの夜の彼女。
セナの面影がぼうっと浮かび上がっていた。