第十九話 舞踏会
楽団の奏でる新たなメロディが、人々の背を強く押した。
誰もが、それまで一部分しか見知る事のできなかった舞踏会の会場を隅々まで堪能しようと、中央へと足を運ぶ。
それまで注いでいた物とはまた違う、新たな光が、世界に注ぎ込んでいた。
上を見上げると、そこにはこのためだけに用意されたのだろう、高級な魔石の原石にそのまま光を点したものを幾つも積み重ねた、巨大なシャンデリアが、金や銀、虹色の心地よい柔らかな光を発して会場を照らしていた。
壁には王室や帝室の旗がそれぞれ並び、参加している人々の国旗や、それを模した垂れ幕がずらりと並んでいる。
入ってきたはるか後方、食事などが用意されているそこには、四方に立ち入り禁止とされた綱のガートがあり、その向こうには数百の薔薇や牡丹、蘭などの花で豪奢な生け花が捧げられていた。
そのどれもが非日常の世界であり、あらゆるものが輝かしい存在だった。
すべてが美しく宝石のようにきらめいていて、とりわけ、鮮やかな色とりどりのドレスで着飾った参加者たちは、さらに目を引いた。
戻ってきたんだ、という実感がセナの胸に沸き、これは触れてはいけない存在なのかも、と手を伸ばすのをためらった。
自分にはその価値が無い。そう思うと、胸が痛くなった。
それを忘れ、この場を楽しもうと、セナは手にしていたシャンパンを飲み干した。
グラスを給仕係のトレイの上に戻すと、セナはダンスフロアの女性たちの列に加わった。
長い人数が相手を待つそこには、百人に近い、十六歳から二十四歳までの女性たちが、王太子とのダンスを夢見て、自分の出番を心待ちにしていた。
女性たちに対して、男性たちもまた、その数を同じほど、会場に身を置いていた。
彼らもまた、殿下が選んだ、富豪や家柄の確かな貴族、その子弟たちなのだろうと分かる。
男性は右側に並んだいた。
セナが左側の列に加わって、しばらくすると、オーケストラは一曲目の演奏を始めた。
会場の中央には、数人のバレリーナやダンサーたちが登場した。
彼らは曲目に合わせ、短い時間を使い、その洗練されたダンスで、セナたちを魅了した。
続いて、彼らが喝采と拍手を浴びながら退場すると、入れ替わりのように、十数組を超えるプロのダンサーたちがフロアを埋めた。
その人々は社交ダンスのプロダンサーたちだった。
まだ慣れない招待客の心を緩やかに解きほぐし、場を賑わせてダンスをみんなで踊る準備に勤しんでいた。
最初の円舞曲は、アップテンポの軽やかな楽曲に合わせて踊りが始まり、社交ダンスのプロたちはその曲に合わせて会場の中央を舞った。
ダンサーたちの衣装は統一されており、女性は白銀を思わせる純白のドレスを。
男性たちは墨色のような黒の燕尾服に身を包んで踊っていた。
白と黒の花が交互に会場に咲くようで、その踊りは見事なものだった。
セナは彼らの踊りを見て、自分が社交ダンスの教育を受けたのはいつだったか、とふと思い出す。
それはもう、六年近く前のことだ。
寄宿していた高等学院が、全学生に課していた講義の一つで、セナも例外なくそのレッスンを受けた。
学院に進学するよりももっと前から、セナは社交界に出入りする機会が多く、母親は家庭教師を呼び、幼い娘を教育した。
過去に学んだものをようやく自分が役立てる場が来るまで、こんなに時間がかかるとはセナは思ってもいなかった。
ダンサーたちが舞台から退場していく中、招待客の一組が、彼らを王室御用達のダンサーたちだと言っていた。
つまり、世界でもトップクラスの踊りを堪能できたことになる。
素晴らしいことだった。
ようやく緊張が解きほぐされて行き、心も落ち着きを取り戻したころ、セナは向かいの列に認めてはいけないはずの彼を見つけてしまった。
視線を走らせてはいけないと思っているのに、つい、彼を探そうとしている自分がいる。
「だめね、探しては。だめよ」
……一曲踊れば、帰るんだから。
さきほどの、スピーチが終わったら帰るんだから、と心に決めた約束事が、あっさりと崩れていた。
それどころか、心に嘘をつくように、身体はこの場所の空気を胸いっぱいに吸い込み、もういつでも踊りだせる準備を整えていた。
またあとで会おう。
彼のあの言葉にすがるように、再会を望む、もう一人の自分がいた。
それはだめだ、と心を戒めつつ、しかし、足は列から離れようとしない。
たとえ彼の言葉が本心であったとしても、受け入れた瞬間、巨大な危険な波に自分は晒されることになる。
職も家も、王国に滞在することだってできなくなる。
ホテルの従業員だと気づかれないように心を砕くのが、どれほど苦しいことか。
「だいたい彼女たちの方がもっと……」
セナは自分と自分以外にその列にいる女性たちを見比べていた。
ここにいる百人に近い彼女達の大半は、自分よりも美しい。
若さでは負けていないが、溢れ出る才能のきらめきには負けてる気がする。
彼女たちのその輝きを目にした途端に、ロバートは自分のことなんて忘れてしまうに違いない。
社交ダンスのプロダンサーたちと入れ替わるようにして、プロのダンサーたちが、また優美な踊りを披露する。
彼らが退場するときになり、いよいよ自分たちが踊るという瞬間。
セナはなつかしい曲目を耳にした。
それは家庭教師が最初に教えてくれたリズムとテンポを会わせるのがとても難しい楽曲で、学院の女教師もそれを踊りこなすまでに成長したセナを随分と褒めてくれていた。
学院のダンス場ではなく、まさかこんな晴れやかな舞台の場で、この曲目と再会するなんて。
それは若いころのセナが、いつか本物の貴公子とこの曲を踊りたいとともに練習していたミアに語った、待望していた演目だった。
そしてもう一つの言葉が響きわたる。
司会者の告げた古帝国語で、舞踏会へと全員の参加を促すその言葉は、セナの心を躍動させた。
「皆様!大舞踏会の始まりです!」




