第十三話 銀色の妖精
ロバート・グリザイアは、リゾート地に滞在している間、いつも宿泊しているホテル・ギャザリックのロイヤルスイートルームを出て、夏の花であるジニアやペンタスで彩られた、小径を歩いた。
ギャザリックは小高い丘に沿って建てられており、それは階段状に上から下へと扇状に広がる構造だった。
最上階にはバーとレストランがあり、同じ階の別棟にスイートルームが設置されている。
バルコニーからは丘へと通じる広い庭がどの部屋にも併設していて、ホテルの中を行き来するとき、ロバートはもっぱらこの裏庭から通じる小径を利用して、移動した。
ホテル内の階段を使い会場まで歩くのを、ロバートはあまり好まなかった。
王族。
それも王太子という身分ともなれば、ただでさえ行動が制限されるうえに、日々のスケジュールすらも思いのままにならない。
わずかな自分の時間をロバートは大事にしたかった。
彼にとって、プライバシーとは、自分の家族やその関係者によって、彼の意思を無視して干渉されることのない状態を意味している。
黒革の燕尾服に身を包んだロバートは、その原因となったプライバシーを侵害する家族のことを思い浮かべて、苦々しそうに頬を引き結んだ。
高等学院を卒業し、大学に通うのと並行して学んだ騎士団での生活は、彼をたくましくも雄々しい男性へと成長させていた。
大学卒業とともに悪い仲間たちとの縁も切れ、ようやく挑んだ今夜の仮面舞踏会は、彼の主催によるものだ。
二十歳になってからというもの、祖母である女王はなにかにつけて、自分の婚約を成立させようとしていた。
彼女の息子であり、ロバートの父親が先の戦争で亡くなったことも大きな原因の一つだ。
本来なら、彼が王となり、ロバートがその跡を受け継ぐのはもう二十年ほど時間に余裕があるはずだった。
しかし、賢い祖母は老齢を理由にして、なにかにつけて、引退をほのめかしてくる。
そこにはロバートの婚約もしくは結婚という条件が当たり前のように付いてきた。
おかげさまで、週ごとに王国や帝国貴族の令嬢たちとの茶会だの、お見合いだのが用意されている。
もういい加減うんざりしたころに、このギャザリックの総支配人がなにか夏の企画をやりたいとぼやいていたのを耳にしたので、自分から仮面舞踏会を提案してみたら……。
「普段からうるさい姉や、祖母の助言ばかりを受けていると、自分の人生はもう終わってしまったような気がする」
「初めての結婚でございますから。殿下、御自身でお相手は見つけるというのも、一つの方策かと存じます」
迎えに来たホテルの総支配人は少し後ろに並んで歩きながら、そう返事をした。
彼もまた、黒い燕尾服に身を包んでいた。
初めての結婚。
他人から押し付けられた意に沿わない相手より、少しでも同じ時間を共有して、自分がこの女性だと思える相手と結婚できるなら、それはその通りだという結論に至る。
「アレックス。君からこの提案が起きなかったら、俺はそんな気にもならなかった」
大学の学友であり、悪友であるアレックスは、この春大学を卒業すると同時に、父親の跡を継いで、ギャザリックの総支配人になった。
彼のつぶやきが、舞踏会を行うきっかけになったのだ。
親友には恩を返せるし、家族にはちゃんと結婚相手を探す、という言い訳が立つ。
「見つからなかったらどうする気なんだ?」
意地悪そうに親友が質問した。
いつの間にか、口調が丁寧なものからいつもの友人のそれへと戻っている。
二人は警護を前後に従えて、六人で中庭を歩き、丘を下る階段を降りていた。
ロバートが返事をしづらい内容をチョイスしてくるところに、彼の悪意を感じる。
「おばあ様はまた新しい相手を用意するだろうな」
「女王陛下の不安が、翌週には解消されていることを祈るよ」
理想の女性は多分今夜現れるだろう。
他人だからこそ言えるそんな身勝手な発言に、ロバートはむっとした。
そんな女性と出会える可能性はあることは間違いない。
招待されている女性は、王国・帝国、果ては海向こうの国々に至るまで百人近くに及ぶ。
全員が金貨百枚もするチケットを購入し、ロバートに会うためだけにやってくるのだ。
裕福で資産があり、家柄もよく、名家や富豪の令嬢ばかりがおなじ場所にいる。
ロバートは今回の募集にあたりいくつかの条件をつけた。
一つはチケットを購入できる最低限の資産を持っていること。
王国では花嫁が持参金を用意するしきたりだから、そこで揉めるのは避けたかった。
二つ目はまだ結婚したことがなく、出産も経験したことのない、淑女であること。
年齢も絞った。十六歳から二十四歳までの女性たち。
三つめはそれほど重要ではない。
ある程度の美しさであること。
容姿端麗の度合いにもよるが、それほどの美貌は求めていない。美しすぎても、政治的スキャンダルになり得る。
モデルのような体型でなくてもいいし、身長は高くても低くてもいい。
男性にしては大柄なロバートの身長を、ヒールを履いたそれで抜かないのならば。
この三つの条件を満たしてくれる女性ならば、誰もが振り返るような美人は求めていない。
これから先、長い人生を共に歩むなら、魅力的であるに越したことはないが。
六人は限定されたゲストしか歩むことのできない、ホテルの警備が徹底された小径を抜けて、会場へと向かった。
警護の一人が会場へと続く廊下に進むドアを開き、そこをくぐったところで、ロバートは一人の女性に気づく。
向こうから歩いてくる彼女は、白い大理石の壁に背中を預けようとしていた。
背中が大きく開いたそのドレスは、シルバーブロンドの髪を美しく結い上げた彼女の美しさを、さらに魅力的に感じさせた。
天井から降り注ぐ魔石ランプの灯りを照りかえして、大理石の壁が淡いオレンジに染まって見える。
そこにたたずむ美しい女性は、まるで銀色の透明な羽をもつ、生きた妖精のように輝いて立っていた。




